ケイはよく響くバリトンで語りだし、その声はユーキの耳に心地よく響いた。


『わたしの国は遠目にもよく見えるイタケの島です。
島は樹葉揺れるネリトスなる一際目立つ山があるのですが、周りには、ドゥリキオン、サメ、森多きザキュントスなど、数多くの島がひしめき合って並んでいます。

当のイタケは海上、他の島々よりもずっと西の方へ向かって遠く立ち、他の島々は東、夜明けと太陽とに面しています。

イタケは岩島ですが、気高い若者を育てます。誰にとっても、自分の生まれ故郷ほどいい場所はありますまい・・・・・』


 ケイが語り始めると、ユーキはじっとその声に聞き入った。




『・・・・・確かに、世にも麗しい仙女カリュプソは私を夫にと望み、自分の住む洞窟に私を引きとめようとしたこともありました。

同様に、アイアイエに住む、奸智に長けたキルケもまた、わたしを夫にと望んで、己が屋敷に残そうとしたのですが、どうしても私の心を動かすことは出来なかったのです。

親元を離れ遥かなる異国に在っては、たとえ豪奢な屋敷に住もうと、己の祖国、両親よりよいものはありません。


ではこれから、トロイアから帰国の折に、ゼウスがわたしの身に降された、悲惨な旅についても語らせて頂きましょう。


 風はわたしをイリオスから運んで、キコネス族の町イスマロスへと着けてくれました。ここでわたしは・・・・・』

 ケイは戦のあと、船で帰国の途中、ロートスの実を食らって、帰国する気持ちをなくしてしまった仲間たちのことを語り、人食いの一つ目の巨人キュクロプスの手に落ちた顛末と、仲間を喰らう残酷な相手からどうやって逃げ出したかを語った。



『・・・・・こうしてわれらはその地を離れ、死を免れたことを喜びつつも、親しい親友を失った悲しみに心も重く、船を進めたのでした』  


                                            【オデュッセイア】 第9歌 





 低くつやのあるバリトンは、物語が持つ魅力を充分に発揮し、物語の中へと聞くものを誘い込んだ。ユーキは暖炉の火を見つめながら、うっとりと彼の言葉に聞き入っていた。

 ケイがクロークで包みこむ時に、ユーキの肩にまわした手がやんわりと肩や首筋をまさぐっていて、しなやかなからだつきを確かめ、滑らかな肌を感じたときのことを反芻しているなどとは、悠季には思いもよらぬ事。

 まして、湿った肌が温められて乾いていくにつれ、肌から立ちのぼってくる数種のハーブの混じっているような体臭がほのかにケイの鼻をくすぐると、彼の欲情をそそってしまうなどとは考えもしない。

「君にとって、このタナタスが何よりかけがえのない楽園なのでしょうかね?」

 ケイは尋ねてみた。『そうだ』と言うだろうことを半ば確信しながら。

「・・・・・え?・・・・・うーん、どうだろうか・・・・・?」

 そう言ってユーキは苦笑した。

「僕は他の場所を知らないからどうなのか分からない。この国から出たことがないから」

「では、行って見たいとは思いませんか?」

 だが、ユーキは一つため息をこぼして、頭を横に振った。

「それは不可能だと思うよ」

「どうしてですか?儀王はいつまでも続くものではないのでしょう?儀王を降りられたのならこの国を出ることも可能なのではありませんか?」

「・・・・・うん。それはそうだけど。・・・・・そうだね、そう出来ればいいね」

 その微笑のなんと美しくはかなく寂しげだったことか。まるで遠くに行ってしまうかのような諦観に満ちていて・・・・・。

 ケイは突然自分でも分からない凶暴な衝動が湧き上がってきた。

 この人を我が物にしたい・・・・・!

言葉にすればそういう言葉だろうか。

「な、なに・・・・・?や、やめっ・・・・・!」

 驚いている彼をぎゅっと抱きしめ、その唇を奪っていた。

「んむ〜〜〜〜!ん〜〜〜〜っ!!」

ユーキが戸惑ってもがいているのにも構わず、角度を変え、更に深くむさぼった。

 彼がどしどしと背中を叩いて止めさせようとしているのも気にならなかった。陶然となりながら、思う存分柔らかくて熱い彼の唇を堪能してからようやく腕を離した。

「な、何をするんだ!」

 ユーキは大慌てでケイの腕を振り払い立ち上がった。すらりと伸びた綺麗な足がむき出しになっていて、ケイの目の毒になっていることなど知る由もない。

 ケイは自分でも驚いていた。

 冷静で感情にとらわれたことなどないと人に信じられ自分でも確信していたはずが、こんな強引な事をしている。今まで無理強いして人を従わせようとしたことなどまったくなかったというのに。

――そう、誰を愛した事などなかったというのに。――

「僕は君を愛しています!」

 ケイはふいに目もくらむような激情に駆られて告白した。

「な、何・・・・・?」

「君を愛してしまった、ということですよ」

 ケイは言ってしまってから、自分の言葉に納得する。

 ああ、僕はこの人を愛してしまったのだと。初めて人を愛する事を知ったのだと。

 だが、ケイの心からの愛の言葉に対して、ユーキはむっとしたような表情を浮かべてみせた。

「冗談はよせ。僕は男だよ?」

「男同士でも愛し合うことは出来ますよ」

「そ、そりゃ知ってるけど・・・・・」

 ユーキの目が困惑して泳いでいた。

「僕だって戦士の館での絆のことは知っているよ。そりゃ僕は戦士にはなれなかったけど・・・・・。背中を預けあう仲間にはからだも許しあって絆を深めていたって言うよね。

 だからって君は同族ではないし、親しい間柄でもないだろう。知り合ったばかりの人間に愛している、なんて言われても僕は迷惑するばかりだよ!」

「僕にとっては知り合ったばかりではありませんよ。君の音に一目ぼれしまして、君に会ったときにもう君と魂が結び付けられてしまったことを知ったのです」

「・・・・・あのね。そんな口説き文句は誰かもっと恋愛に慣れている人とやりとりして欲しいんだ。僕はそんなことには向いていない」

「僕は君以外にこんな言葉を言うつもりはありません」

 なんともかみ合わない言葉にユーキは頭をかかえた。

「やっぱり君、変だよ・・・・・」

「そうですか?愛した人に愛していると言うことがですか?」

「だ、だから・・・・・」

 ユーキは言ってやる言葉をあれこれと頭の中に探し回っていたが、とうとうため息をついて諦めた。

「で、君は僕を口説いて、どうしたいんだい?」

「それは、もちろん出来れば僕の閨にお誘いしたいと思っていますよ」

 ユーキはストレートな言葉にぎょっとなってから、一気に赤くなった。

「そ、そりゃ・・・・・」

 言葉を失ってしまいあれこれと続ける言葉を考えているらしいのが、表情に全て表れている。

 ケイはそんな表情を見ているだけで愛らしいと、内心にやついていた。

 ・・・・・もっとも彼のポーカーフェイスには何も現れてはいなかったが。

「う〜ん。・・・・・わかった。それじゃしばらく待ってくれないかい?」

「それは・・・・・?なぜ待たなければならないのでしょうか?」

 彼には誰か他に恋人がいるとでもいうのか?

「あ、あのさ。実は僕はまだ男性と閨を共にしたことがないんだ。君を楽しませられるようにちゃんと勉強してくるから」

「・・・・・はい?」

 ケイは目をしばたたいて、相手が言った言葉を反芻した。

「男性を抱くってどうやればいいのか、教えてもらってくるということさ。君のお相手をするのはそれからでいいよね」

「いったい誰にですか!?」

 むっとケイの眉がひそめられた。

「そ、そりゃ、誰かにだよ。せっかくなんだからちゃんと上手な方法を教えてもらってから、君の相手をすることにするよ。君に痛い思いはさせたくないからね」

「・・・・・僕が、君に抱かれる、ですか!?」

「だって君、僕より年下だろう?」




 無垢な彼は、年下は必ず抱かれる役目になるものなのだと・・・・・信じ込んでいるらしい。

【13】