【7】






 ロウムは巨大な帝國であった。



その勢力範囲は広くユーラシア大陸の半分を占めていたときもある。

 ガリアは、ロウムの支配に最後まで抵抗していた土地であったが、その巨大な軍事力によって次々と抵抗勢力は滅ぼされ、最後にはロウムの支配を従順に受け入れた国々だけが残った。

 ドブリスもその一つだった。その地理的条件のよさと代々の支配者の上手な統治により、ロウムの直接的な支配は免れ、独自の文化を持ったまま長く繁栄した。

その繁栄ぶりは、ガリアの花とまで讃えられた。

しかし、どんな帝國も衰える時はくる。ロウムはあちこちで慢性的に続く反乱と、北方からの侵入者と東方からの強大な勢力に圧され、次第にその勢力を縮小していった。

ガリアもロウムの支配から切り捨てられていった土地だった。ロウムの圧制から解き放たれたとたん、あちこちで戦いの火の手が上がり、互いにこの地を支配しようとする者たちが大小の戦いを繰り広げ、同盟し裏切りまた手を結ぶという駆け引きを繰り返した。

その中で頭角を現していった国が現在ケイの父が支配する、ブリガンテスだった。

最初はごく弱小の王国だったのだが、ケイの祖父が稀代の戦上手で次々と周囲の国々を侵略していき、ケイの父はその柔軟な政治力であるものは同盟し あるものは謀略で滅ぼして周囲の国々を次々と支配下に収めていった。

そして3年まえのアクエ・スリスの戦いにおいて、祖父譲りの戦上手とすでに名の知れ渡っていたケイが指揮をとり大勝した。こうして、ブリガンテスのガリア支配は揺ぎ無いものとなった。

 既にガリアの中にブリガンテスに対抗するほどの勢力はなく、残るはロウムの残照をわずかに残しているこのドブリスのみ。そのドブリスもブリガンテスとの同盟を望み、ケイがこの地にやってきたのだった。

 もちろん、本来ならば願い出てきたドブリスの方から和平の使者をたててロンディウムまでやって来るのが筋というものだったが、父王はケイにドブリスの内情を見てくることを命じた。この国が同盟に値するのか、それともただ単に飲み込んでしまえるような国なのか。あるいは、滅ぼし消し去ることが妥当な国なのか、と。

 今、ドブリスは試されている。









「儀式のための王、ですか」

 ムーサイの神殿で会った彼が忘れられなくて探し回った挙句、尋ねて行ったコーワンのこの言葉に、ケイは息を呑んだ。

「しかし、ロウムではそんな古代の風習は禁じていたのではなかったですか?王権を混乱させるような制度は強制的にすべて廃止させていたはずですね」

「まあ、表立ってはですな。しかし、この風習は古くからドブリスに根付いているもので、民衆が廃止することを承知しなかったんですよ。それで長く続いていたんですが、それもこの国の財政が逼迫するまでのことです。

現在あの方と何人かの子供たちは王宮からは何の手当ても待遇もほとんど受けられなくなっています。目こぼしされて細々とこの国の民衆の不満を消すために残されていた風習だから、一番最初に手当てを切られたわけです。それで今はあの方が小神殿で演奏をし、その報酬として街の人々からの奉納品を受け取って子供たちを養っているのですが」

「子供たち?」

「そうですよ。儀王は長い間やっていられる役目じゃありません。5,6年長くて10年くらいでしょう。不定期に代替わりするんです。だから次の候補が用意されているわけです。もっとも今のあの方は『王』というより態のいい孤児院の長というところでしょうがね。あの方と一緒に住んでいるのは候補ではなくて、ただの孤児たちに過ぎないのですからねぇ」

「どういうことですか?」

「本来候補とは貴族の中から選ばれることになっているんです。形だけの慣習だけとはいえ、『王』の代理になるわけですからね。ですが、かなり前からどの貴族も王の命令など無視していて、候補を出そうとはしていないんです。代わりに養子と偽って、街にうろついていた身寄りのない子供を差し出して数を合わせ、あのターダッド・コバーにわいろをやって目こぼししてもらっているわけです。だから、名目上は儀王とその候補が宮に住んでいることになってはいるんですが、しきたりが既に形骸化しており、あそこの宮がきちんと整えられているなどとは誰も信じちゃいないんですよ」

 コーワンは呆れたことだというように手を振ってみせた。

「なるほど・・・・・。そうすると、あの彼はこの国の貴族なのですね?」

「昔は、です。今は儀王なのですから貴族の身分は失っていますがね」

 それ以上彼の身元を詮索してくれるなと無言のうちに身振りで示して見せた。

「それで、この国で儀王というのはどんな役目を持っているのですか?」

「そりゃこの国が栄えるのを祈るっていうのが大まかな役目ですが」

「つまり、王の代わりに祈る、ドルイド神官のような役目なのですか?」

「まあ、そう思っていただいてもいいと思いますよ。ソーケル王と同じくらいにこの国の栄えを祈っているわけです。・・・・・彼が儀王になってから約3年ですかねぇ」

 コーワンは彼の務めについて言葉を濁した。ケイはそれを何かの秘儀に関することが絡んでいるので言えないのだろうと解釈して無理に聞きだそうとはしなかった。
 だが、知ろうとしなかったことで、後でひどく後悔することになろうとは思いもよらなかった。

「もし今度ブリガンテスが攻めてくるとなると、あの方が一番つらい思いをすると思いますよ。よろしいのですか?たぶん、あの方に憎まれることになるでしょうねぇ。知り合う前にそんなことになっちゃ困りますよねぇ、殿下?」

 コーワンは意味ありげに笑ってケイの方を見た。

「君は、僕が彼を喜ばせるために動くだろうと思っているわけですか?」

「違いますか?殿下が何やら懸命にあの方が誰なのか探り出そうとしているっていう噂は耳に入っていますよ。それも、好奇心とか政治のためにあの方を捜すとかじゃないとすれば、もうあの方を気に入ったとしか思えないですからねぇ。・・・・・惚れたのかな?とね」

 そしてにやりと笑って、

「あの方は、とても美人でしょう?」

とコーワンは言った。

 ケイは不機嫌そうに眉をひそめて見せたが、その言葉に対しては何も言わなかった。

「でも、気をつけてくださいよ。あの方は今まで殿下が相手をしてきた者たちとは違います。お遊びやほんの気まぐれで付き合ったり夜を共にしてきた者と同じに扱ってもらっては困るんですからね。お分かりですか?」

 コーワンはあなたの過去の所業は良く知っていると言外に示し、ケイの目を見つめてごく真剣な顔でそう言った。それは、この国の人間がどれほど儀王という存在を大切にしているかということ。

「それで、僕が・・・・・あー、彼に興味を持っていると仮定して、君は僕にどうしろというのですか?」

「まあ、俺もこの国で生活していますからね。この国が滅ぼされるのは実にありがたくないわけですよ。殿下がこの国を滅ぼしたくない存続させたいと思って頂けるならどんな手でも使ってみようかと思ったまでなんですが」

 コーワンは物問いたげな顔でケイをじっと見ていたが、ケイはポーカーフェイスを崩さず答えた。

「この国の生殺与奪の権限は僕の父が持っています。僕さえその中の手駒の一つだ。僕にどうこう言えるような資格も権限もありませんよ」

「だが、この男イダがあんたに従っていますよね。となれば、あなたがこの国の将来を左右する力を持っていると考えるのが妥当ってもんですが?」

 ちらりとケイがイダの方を見ると、イダは首をすくめて見せた。この狸めと内心思いながら、ケイはそれ以上この話題に触れようとはなかった。

「それより、儀王殿とお会いするにはどこにいけばいいのか、いいかげん教えてもらえませんかね?」

「ああ、そりゃどこに住んでいるのかは知っているんですが・・・・・。これを余所者に教えるとなると、俺の立場がまずいんですよねぇ」

 コーワンの言葉にケイは眉をひそめた。

「今更何を言う!じらすだけじらしておいて、人を虚仮にするつもりなのか!?」

コーワンはあわてた。ケイが脅しとは思えないような形相で刀の柄に手を掛けている!

「ま、ま!ちょっと待ってくださいよ!」

 ばたばたと手を振って、ケイを必死になだめた。

「実は、実はですね・・・・・。あの方に向かって話しかけることも触れることも出来ないことになっているんですよ。それどころか、彼という存在がいることを認めてもいけないことになっています。

もちろん、あの方が誰なのかどこに住んでいるのかを余所者に話すことも、です。一般の人間には厳しい禁忌でして、それを破れるのは王族とその他あの方たちをお世話することになっているごく限られた人間のみというわけなので。

 ロウムが盛んな時に、儀王という風習があることを余所者に知られるのを避けるために始められたことらしいんですが、まるで存在しない人間のように振舞ってきたのが続いていたもので、それがすっかり常識になってしまったんですよ。あなたのように他所からいらした方にはひどく残酷な風習に見えるでしょうがね」

コーワンはぶつぶつとぼやいた。

「ですから、どうして住んでいる場所を教えられないのか分かったでしょう?」

 だが、ケイの興味はもっと違うところにあった。

「なるほど。それで、市場にいる者たちに聞いても誰も教えてくれなかったのですね・・・・・」

 ケイはうなずいた。小神殿であれほどの名演奏をしても誰も拍手をしなかったわけがはじめて分かった。だが、彼を透明人間のように無視し続けていた街の人々は、真摯で深いあの演奏を聴きたくて彼がやってくる日にどこからともなく集まり、さりげなく彼の演奏するのを何時間でも辛抱強く待っているのだ。

「昔から儀王はあそこで演奏するのがしきたりだったのでしょうか?」

「いや、あれはあの方になってからですね。王宮からの手当てが出なくなって困っていたときに、あそこでたまたま演奏をきかせたところ、 街の人たちが黙って演奏に対する報酬として彼の前に金貨やら装飾品などを置いたのが、今の形になっているんです」

 小さな声でローワンは、彼は特別だから。と言ったが、その声は考え込んでいたケイの耳には届かなかった。

「それで、彼には絶対に会えないのですか?」

「いいえ、実はいつもあの方がやってくる場所なら教えることが出来ます。そこで、たまたま殿下とあの方が会ったっていう偶然を装うならば、誰からも文句は言えませんからね」

 そう言ってにやりと笑うと、ローワンは城砦の外のある場所と彼が現れそうな時間を教えた。

「彼の名前は?」

「あの方に名前は存在しません。儀王になるときに捨て去ることになっているのです。ですがあの方は儀王になる前はユーキというお名前で呼ばれていましたよ」

「ユーキ・・・・・」

 ケイはその名前をかみ締めるようにつぶやき、やっと手にした手がかりに気持ちがはやるのを抑えられなかった。