【6】







 彼は何者で、いったいどこに住んでいるのか?

 ケイはそこから考え始めなければならなかった。あの演奏の時、彼は演奏者の美貌と演奏に気を取られてしまい、それ以外の、服装や来た方向などにはあいまいな記憶しかないことに改めて気がついたのだ。

 もし服装がクロークも羽織らない身軽なものであれば近所から来たはずだし、足元が汚れていればタナタスの城砦の外からやってきたことが考えられる。北か南か分かれば住んでいる場所で貴族か一般民かも分かるから身分の見当もつくかもしれない。そんなことも気がつかなかったとはあまりにうかつだった。

 とはいえ、このタナタスの人間が彼を大切にしてはいるが、話しかけようともせず距離を置いて接しているのは明らかで、かなり特別な人間であることは間違いない。

あのムーサイの祠に置かれていた彼への報酬の数々。

 彼が無造作に持っていったときには分からなかったが、その後 祭壇に置いてある捧げ物のたぐいを余所者がこっそり持っていこうとした時、街の人たちがとった厳しい態度を見て目を見張った。

 それは、翌日ケイがムーサイの小神殿に足を運んだときに偶然出くわした出来事。

 ぼろぼろの服をまとい、やっとのことでこの街にたどり着いてきたらしい流民の一人が、飢えに耐えかねて神殿に奉納されている金貨を握り締めて逃げ出そうとしたのだ。ところが、祠の前に出店を開いていた商人が彼を見ていたらしく、金貨を握って逃げようとしたとたんに大声を上げて泥棒がいることを周囲に知らせた。

 その男は集まってきた街の男たちにさんざんに殴られ女たちに口々にののしられて、ほうほうの態で逃げ出し、盗まれそうになった金貨は元通りに神殿の捧げ物台に戻された。

 むき出しで、誰が持って行ってもいいかのように。だが、誰もそれを持ち出すことは出来ないのだ。あの、『彼』以外は。

 あの金貨や宝飾品の数々は『彼』に渡すために置かれているものなのだということは明らかだった。

彼は、神官なのだろうか?

 ケイはそう考えついて、タナタス中のあらゆる神殿を捜し廻った。しかし、それらしい人物はどこにもおらず、神官が一人で勝手に奉納品を持っていくことはないことが分かって、『彼』が神官ではないことを知った。
奉納品は簡単ではあるが儀式と共に神殿に収められることになっており、『彼』のように無造作に持ち去るものではないらしかった。




 ケイはその日もまた朝からあの『彼』を捜しに街へと出かけようと館を出た。すると、厩の入り口には、扉にもたれ掛かってイダが彼を待ち構えていた。

「殿下。ちょっと話があるんですがね」

「僕はありませんが」

 ケイはイダを無視して馬を引き出そうとした。

「あなたが動き回ることで、あのターダッドやヤハンを刺激してるってことを分かっていらっしゃるんですか?これ以上大事にならないうちにおとなしくしていただけませんかね?」

「別に兵士を動かしているわけでもないし、僕一人が動いているのだからさほど問題はないでしょう」

 イダがため息をつき、がらりと口調を変えた。

「・・・・・なあ、殿下。自分がどれほど目を惹く人間だかって分かってるんですかね?街中で背の高くて様子のいい余所者が何かを探し回っているって評判でもちきりなんですよ?これ以上あなたが探し回っても誰も何も教えてはくれないと思いますがね」

「では、どうしろと?僕に彼を捜すのをやめろと言うつもりですか?」

 厳しい顔つきでイダに迫ったケイは、その険しい顔つきがかえって子供のような一途さに似ていて、内心イダのおかしみを誘った。

「そうは言っていませんよ。探す方法なら実は他にもある、ということです」

 にやにやしてくるのをこらえてイダは言った。

「それならそうと早く言って下さい!」

 ケイがふくれてぼそりとつぶやいたのを聞いて、今度こそイダは笑い出した。



 イダがケイを連れて行ったのは、王城の中でも召使たちが住む裏の区画だった。朝早くではあっても、仕事のために表に出て行くものはすでに働きに出て行っており、また夜働いていたものはまだ眠っている。だからイダとケイが目立たぬような服装で裏の廊下を通り過ぎて行っても歩いている者はいなくて誰の目に留まることもことはなかった。

「ここです」

 イダが立ち止まったのは、宮殿の奥の一角。確かに召使たちの住処だが、王の居場所のすぐ裏手でもある。

「フールたちの住処です」

道化師フール?」

 道化師とは、王のそばに仕え王の無聊をなぐさめ王の怒りが他の臣下に及びそうになったときには、盾となって重臣たちを我が身の命に代えて王の怒りから護るもの。王の非公式の相談相手であり、王のストレス発散のための玩具がらくたでもある。

 イダが小さくノックすると、扉が開き中から一人のフールが顔をのぞかせた。

「邪魔するぜ」

 イダが言うと、フールは無言のまま二人を部屋の中へと招きいれた。足が不自由らしく歩くたびにからだがかしぐような歩き方をしていた。彼が歩くたびに道化師らしい青と黄色のだんだらの派手な衣装の裾につけられた鈴がチリチリと小さく鳴った。

部屋の中は狭かったがきちんと整えられており、部屋の主の性格がうかがえた。彼は礼儀正しく中へといざない、キズだらけのテーブルとぎしぎしと鳴る椅子へと二人を案内し、自分は部屋の隅から箱を運んできて彼らの前に腰を下ろした。

「今 同室のやつには小金をやって出かけてもらっている。あまり時間は取れないから手短に願いたい」

 フールはぼそりと言った。

「わかった。殿下、こちらの男はコーワンと申します。以前エセックスで軍師をしていた男です。彼と数日前ここでばったりと会いましてね。以前セバーンでの戦いでエセックスが倒れ、ここに流れてきていたのだそうです」

「・・・・・もしかして、ノベラのコーワン?」

「ご存知でしたか」

「エセックス王の懐刀だった人間でしょう?そんな人間がなぜフールに?」

 ケイが驚いてコーワンの方を見ると、彼は肩をすくめて見せた。

「敗残の、それも馬にも乗れない軍師を誰も雇っちゃあくれなかっただけです」

 淡々とした口調で答えた。他にもいろいろなことがあったようだったが、彼はそれ以上は口にしなかった。

「それより、俺に何か聞きたいことがあるそうですが。この男イダには昔に借りがある。お力になれることがあるならば承りましょう」

 コーワンはイダの方をちらりと見て口元をゆがめた。二人にはケイの知らない絆があるらしい。だがそんな詮索よりも今のケイには情報を教えてもらえる人間がいたことの方が重要だった。

「ムーサイの小神殿で、見たこともないような楽器を弾き鳴らし、奉納してある捧げ物を自由に持ち帰っている人物が誰なのか、教えてもらいたい」

 コーワンはふっと目を細めた。

「どうやらあの方にお会いになったようですね」

「あの方?」

「ギオウ様ですよ」

「それが彼の名前なのですか!」

「いえ、違います。『偽王』です」

「偽王?」

「ええ。『儀王』でもあるわけですが」

「どういう人なのですか?」

「つまり、彼は偽者の王であり、儀式の為の王なわけですよ」