「でも、君がその計画に加わっていたはずないじゃないか。その頃君は子供だったんだから」

 ユーキは引きつりながらも口元に笑みを浮かべて尋ねた。

「ですが、加わっていたのと同じことです。父は今回僕をドブリスに送り込んだ。そして、ヤハンやワコウを使ってコバーを落とし入れ、ついでに彼ら自身さえ自滅するように仕向けていたのです。長年の間、タナタスを手中に収めるための計画の最終段階の決着に僕を使ったのですよ」

 ケイはユーキの言葉をあっさりと否定した。そう、ヤハンが死ぬ前に言っていたことはほぼ正しかったのだ。ケイはロンディウムに戻って父に確認したときの絶望を思い出し、ぎりっと歯を食いしばった。

「そして、君をガリア全土の王として認めさせようとした?」

 ユーキの優しくなだめるような声が逆に心を苛む。

「そういうことになるかもしれません」

 ケイはますますうつむいて、ユーキの言葉を待った。きっとくるはずのケイへの弾劾や復讐を求める言葉を。

「・・・・・そう」

 ユーキはぽつんと呟くとそのまま黙り込んだ。

 ぱちぱちと暖炉で燃える薪がはぜる音だけが部屋の中に響いていく。

「僕が、つまりブリガンテスの王が憎いですか?」

「えっ!?」

 ユーキは驚いてケイの顔を覗き込んだ。

「なんで?君が僕の一族を殺したわけではないだろう?」

「それはそうですが、僕も仇の一人であることは間違いない。それも父が王ではなくなった以上、僕がブリガンテスの責任を取る立場ということになります」

 ケイはもどかしそうに言葉を選んでいたが、ユーキの顔を正面から真剣に見つめると、言った。

「君はブリガンテスに対して代償をとるつもりはありますか?」

「どういうこと?」

 ユーキは思いがけない言葉にうろたえた。

「仇をとるつもりなら、今夜しかチャンスはありませんよ?」

 そして懐から飾りの少ない、戦うためだけに作られたような短剣を取り出すと、ユーキに柄の部分を向けて差し出した。

「君にはそれをするべき理由がある。一族の仇をとるつもりなら、今ここで僕を殺しても構いませんよ」

 その言葉を聞いてユーキは息をのみ、やがて苦笑すると深いため息をついた。

「君は僕に人殺しをさせたいのかい?冗談としても出来が悪いよ」

 そうぼやいて、ケイの手から短剣を受け取ると机の上に置いてから、こんこんと言い聞かせた。

「いいかい?僕は誰も殺したくない。もちろん、君もだ。
あの事件があった直後は、仇討ちだけが僕の生きがいになっていたし儀王であったときの心がくじけそうになったときの支えとして『一族を滅ぼした敵に相応の償いをさせるまでは死ねない!』って思っていたけどね。
でも、今は違うんだ」

ユーキは自分に言い聞かせるかのように強くうなずいた。

「僕は一度死に掛けた。ヤハンに毒を飲まされてもうだめだと思ったとき、もう僕の中で仇討ちなんてどうでもよくなっていたんだ。自分がここであっけなく殺されたりする方が一族を嘆かせるんじゃないかってね。せっかく一人だけ生き残った僕がこんな無様で無意味な死を与えられて、それでいいのか?と思った。
 だから、生き返ってきたとき最初に考えたのは、自分の望んだ事だけをしようということだった。一族の復讐のために生きていた時の誓いは、僕の息が止まった時に終ったんだ。生き返った僕は自分のことを一番に考えてにこの先の人生を生きていこうと思ったんだよ」

 ユーキはケイの目を見つめたままゆっくりと言い聞かせた。

「だから、もう誰が一族を滅ぼしたかなんてどうでもいいんだ。済んだことは済んだ事なんだ。これ以上僕の魂を復讐なんてことで汚したくない」

「・・・・・汚したくない、ですか」

 ケイは下を向いて小さく笑った。たいして面白くもない様子で。その笑いはどこか昏くて、ユーキの眉をひそめさせるものだった。

「確かに君は綺麗だ。その姿も魂も真っさらだ。本当に無垢な人なんですね」

「まさか!」 

 ユーキは笑い出した。

「そんなことないよ。僕はごく平凡な男さ。それにもう僕のからだは無垢じゃないよ。そ、それは、その・・・・・君が一番よく知っているだろう?」

 ケイ自身が冒した罪。そして、ユーキが生け贄の泉でヤハンに弄ばれ殺されそうになっていたとき、救い出したのがケイ自身だったのだから。

「いえ、君の魂は確かに無垢なままです。そして、正しい道だけを歩いている」

 ケイは真剣な眼差しでユーキを見つめた。

「それに引きかえ僕は、いつも血に汚れ非道な道しか歩いていない。
 今度のこともそうだ!僕はドブリスやガリアを手玉にとってトゥゲスト一族の繁栄を望む父を許せなかった!父はきっとまた次の非道な手を打つに違いなかった。それで父に問いただしたのです。ドブリスを、どうするつもりなのか?と」

「なんておっしゃったんだい?」

「・・・・・すでにドブリスは手に入ったも同然だから、僕に対して完全な支配権を手に入れるようにと命じました。ドブリスを手に入れるための方策は全て整っているから、と」

「そうか・・・・・」

 ユーキは少し首を傾げて考えていたが、思い切ったように言った。

「ドブリスをブリガンテスに渡すとして、君が受け取るのなら構わないと思うよ」

「ユーキ!?」

 ぎょっとなってケイが叫んだ。

「だって、ドブリスを継げるような人材は他にいないから。コバーたちがみんな排除してしまっていたからね」

「ですが、君が次の王になるべきです!」

「僕はならない」

 きっぱりと言い切った。そして、悪戯っぽく笑いながら言った。

「実はね、内緒だけど僕はこの式典が終ったら、そのまま故郷に帰らずに旅立ってしまおうと思っていたんだ。クドゥス(イスラエル)に僕にリラを教えてくれた師匠が今も住んでいるはずだから」

「では、ドブリスの継承権を投げ捨ててこの地を去るおつもりですか!?」

「もともと僕にはそんな資質はないよ。僕の今の望みはリラをもっと上手に弾けるようになりたいっていうことだけなんだ。これ以上他の人の思惑に乗るつもりもないし。
そんなことに担ぎ出される前にさっさと逃亡するつもりなんだ。だから、君がドブリスを治めてくれればいい。君ならきっと立派にあの国を守ってくれるはずだから」

 ユーキは微笑みながらも、ロンディウムに入ったときのことを思い出して、胸が痛んだ。

 この強固で活気ある都を支え、君臨しているのがケイなのだと思った。途中見てきたブリガンテスの各都市の富裕な様子や人々の明るい笑顔に胸をつかれていた。ドブリスでは人々の顔はどこか不安そうで、タナタスの市場で取引されている物も次第に先細っているのを目の当たりにしていて、何も出来ない自分に歯噛みしていたから、この風景はさらに心に沁みた。

 この先ガリアを一つにまとめて守っていけるのはケイしかいないだろう。

 活気に満ちたロンディウムを目の当たりにしてユーキはケイの手を取ってはいけないのだと改めて悟った。彼はガリア全土の王となってこの地を治め、妃を娶り、子供を作っていくべき人間だった。それを邪魔するような人間が入り込んではいけないのだ。


 諦めなくてはいけない。

 
 そう思った。

 生け贄の泉で救いを求めた時、ユーキの頭に浮かんだ面影はケイだった。

 ケイに愛していると言われて、困惑するしかなかった自分。けれど次第にほだされ、惹かれていって、いつの間にか彼を愛していたことにようやく気がついた。

 そして、全てを失いそうになった生け贄の泉での刹那、一番大切で喪いたくないと思った大切な想い。

 けれどこの想いはユーキの心の中だけに押しつぶしておくしかないのだ。ユーキのすべき事は彼への熱い思いを心の中にしまって、彼の前から立ち去るのみ。

 ただ一度だけ。

 一度だけ彼に会ってから去りたい。そう思ってここに来たのだから。

 ユーキはケイの戴冠式に臨んで、そう決意していたのだった。
【40】