【4】





 

数日後、ケイはようやく一人で街へと出かけることが出来た。

ここ数日間はタナタスが用意していた様々な歓迎の儀式やこの街へきた理由、つまり様々な決まりごとをまとめる必要があったからだが、それさえ一段落すれば自由に街へと出かけられる。

朝早く、用意されたぬるいエールとぱりぱりと焼き立ての皮の固いパンと一椀のシチューの食事を摂ると、ごく目立たない服装に着替え、街へと出かけた。

 イダは護衛をつけるように勧めたが、ケイは行動の自由を欲しがった。部下よりも武術の腕前は格段に上なのだから、なまじな部下をつけられては足手まといになりかねない。そう言うと、強引に単独行動をもぎとった。

「ヤハンが仕掛けてきたらどうするつもりですか?」

 イダがぶつぶつとぼやいていたが、ケイはあっさりと無視をした。

 街へと入り、昨日あの音楽が聞こえてきた場所へと歩いていった。あの音楽は旧市街の方から聞こえてきたようだった。

 地図を調べ、この街のことを改めて頭に叩き込んで歩いているのだが、あの音楽が聞こえそうな場所が見つからない。おそらく広場か市場の片隅で楽師が奏でていたのではないかと予測していたのだが。

「失礼。少々ものをお尋ねしてもいいでしょうか?」

 市場で果物を並べて売っている、売っている林檎と同じような赤い頬をした人のよさそうな中年の婦人に声を掛けた。

「はい、なんでございましょう?」

 婦人は声を掛けてくれた人物が極上の美貌を持つ青年だったことに気をよくして、笑顔を見せた。

「実は先日この辺りで聞いたことのない音楽を聞いたのですが、いったいどこで演奏されていたのでしょうか?」

「音楽・・・・・ですか?」

 婦人は首をかしげていたが、はっとしたように顔を強張らせ、ぱたぱたと自分の顔の前で手を振った。

「いえいえ、そんな音楽は聞いたことがありませんよ。何かのお間違いでは?」

「いえ、確かにこのあたりで聞こえたのですが・・・・・」

「申し訳ないですけどね、お若いお方。あたしは忙しいんだ。他所に行って聞いてくださいな」

 そういうと、今までの愛想のよい態度が嘘だったかのように冷たくあしらい、必要もないのに綺麗に並べられている林檎をもう一度並べなおし始めて、ケイの方を二度と向こうとはしなかった。

 ケイは眉をひそめると、その場を離れた。しばらく市場の中を歩いて行った所で、露店を開いている老人に同じ質問をしてみた。

 すると、ここでもまったく同じ反応が返ってきたのだった。はじめはごく親切な態度だったのに、その質問をしたとたんにケイを追い払ったのだ。邪険な態度で余所者は邪魔をするなという乱暴な言葉までつけて。

「いったいこれはどういうことだ?」

 先日のターダッドの態度も不思議だったが、こんなふうに平民たちまで同じ態度だとはさらに謎を呼んでしまう。ターダッドが言わなかったのは敵国人であるケイに知られたくないことなので教えなかったと考えられたが、その命令を市場の中まで徹底させているほど重大な問題なのだろうか?

何かこの国の人間以外に知られたくない事情があるらしかった。

「・・・・・面白い」

 ケイは不敵に微笑んでつぶやいた。このように知られまいとすることには更に知りたくなるのは人の性だった。

「ぜひともあの音色の持ち主に会う事にしましょう!」

 ケイは決意を新たにして、密かに市場の中から情報を探索し始めたのだった。

 

 ケイはそれ以上市場にいる者に尋ねようとはしなかった。不審がられて彼の姿を見覚えられてはこの先 自由にこの街を動いて情報を得ることが困難になってしまう。

 ゆっくりと市場の中を歩き回り、音楽が演奏されそうな場所を捜し歩いた。更にどこかであの楽器のことを話している人間はいないかと聞き耳をすませていた。

 タナタスの街は、古きよき都市の雰囲気を持っていて、とても穏やかで美しい。

 あの城門を入ってすぐの秩序のない雑然とした風景も貴族たちの余裕のなさもこのあたりの市街地にはまったく見られない。

 それよりもロウムに支配されていた頃の名残が色濃く残っており、風雅そのものだった。裕福な商人たちはゆったりと歩きあるいは露店の喫茶でゆるゆると飲み物をすすりながら、商売のことを話し合っている。街を行く婦人たちは、あるものは琥珀の玉を手に持ちあるいは早咲きの花を持ってそぞろ歩きながら市場の買い物を楽しんでいた。

 まるで外の戦いなど縁がないような穏やかな時間が過ぎていく。今までは名君の誉れ高い王ソーケル・モリオスの下で平和を謳歌していたのだろう。だが、それも長くはないことには気がついていない。いや、気がついていても気がつかないふりをしているのかもしれなかったが。

 そんなことを思いふけりながら歩いていたときだった。

その言葉がケイの耳に聞こえたのは、ほんの偶然のことだった。

圭が市場の終わりまで来て引き返そうかと考えていた時、後ろで子供たちが話しているのが聞こえたのだ。

「・・・・・今日、あの方がいらっしゃるのはどこだった?」

「北のムーサイの祭祠だよ。楽しみだね!リラを・・・・・」

「しっ!よそ者がいるよ。そんな大きな声でしゃべっちゃだめだってば」

 たったそれだけの言葉が聞こえて、あとは声をひそめた。そしてケイの方を心配そうに見ていた。ケイが何も聞かなかったふりをしていると、子供たちが動き出した。

 ケイにはそれで十分だった。ムーサイとは、ロウムの時代から崇拝されている音楽を司る女神たちのことであり、その祠では歌や演奏が奉納されるのは一般的なことだった。

 ぱたぱたと急ぎ足で子供たちは北の方向へと進んでいる。ケイは周囲の様子に気を配りながら何気ない振りでその子供たちの後をつけた。

ゆっくりと歩いていてもケイの足の方が速い。きっとケイのお目当ての場所に連れて行ってもらえるに違いなかった。

 しばらく行くと急に道は開け、白い石造りの小ぶりな神殿が現れた。

 数人の若い女神たちが踊り歌い楽器を演奏している石像が祭られた祭壇には早咲きの花や果物が捧げられ、さらに数枚の金貨や銀貨や銅貨、それから繊細な細工が施されたトルク(首飾り)や指輪などの装飾品が綺麗な布地の上に積み上げられて奉納されていた。その祭壇の前にはささやかながら舞台らしきものがしつらえてある。 

 かなりの人数の人々がさりげない様子で何かが始まるのを待っている。それも飲み物や軽食を傍らに置いてかなりの時間待ち続けているらしいのに、何がいつ始まるのかは誰も声に出しては言わなかった。まるで待つのは当然といった様子で。

 ケイも周囲にいる人に何が始まるのかとは聞かず、長身のからだが周囲から目立たないようにと建物の影に隠れて待っていた。この街の人々の神経質な様子で、ここで何が始まるのかなどと聞けば、よそ者は追い出されるだろうということは十分予想がつくことだったので。

 ざわりと人々がざわめいた。

ケイが潜んでいる場所の反対側から人が近づいてくるのがわかった。その人は、街の者が黙って大きく道を開けていく間を、まるで王者が道を横切るかのような態度で、ムーサイの神殿へと進んで行った。

そして、その手には布に包まれた楽器らしいものが大切そうに握られていた。