遠くから十数騎の騎士がこちらへとやってくる。

 ヤハンを射た矢はその中の騎士がいしゆみを放ったものらしい。

 部下だった男たちはヤハンが射られたのを見て大慌てで逃げ出していて、もう誰も残っていない。彼らはヤハンのことをボスとして認めていたわけではなく、単に腕っ節の暴力が怖くてしかたなく付いてきていたことがよく分かる行動だった。

 ヤハンは騎馬の人々がやってくるのを呆然と見ていた。背中の激痛をこらえ、時折咳き込んでは口に溜まった血を吐き出しながら。どうやら矢は肺まで達していて、肺の中まで傷ついているらしかった。

 いったい彼らは何者なのか? その答えはすぐに与えられた。

「ユーキっ!!」

 先頭の馬から転がるようにして下りてきた騎士は、そのまま倒れているユーキの元へと走りよった。

「ユーキっ!大丈夫ですか!?」

 大急ぎで馬を飛ばして駆けつけてきたケイだった。

「目を開けて!どうか目を覚ましてください!!」

 彼はユーキのからだを抱き起こし、ユーキが息をしていないことを知ると真っ青になった。

「息を吹き込んでください!今ならまだ間に合う!」

 そばに座り込んだままのコーワンが必死で叫んだ。彼もまた手下たちの荒っぽい仕業のせいで、ぜいぜいと息を切らして、近寄ろうにもその場を動けなかったのだ。

 ケイは急いでユーキの顎を上げさせると、口移しで息を吹き込んだ。何度も、何度も。

 すると止まっていたユーキの胸が動き息がふっと吸い込まれて息をし始めた。けれど次の瞬間、今度は背中を丸めて苦しそうに咳き込みはじめてしまって、ケイはあわてて背中を撫でさすって息が収まる手助けをすることになった。

「ユーキ!大丈夫ですか!?」

 意識のもどってきたユーキの耳元に、よく知った声が緊迫した口調で叫んでいるのが聞こえてきた。

 そんなはずはない。彼は死んでいると聞かされた。では、自分はもう死んでいて既に歓びの野マーグメルドの入り口にきているというのか?

「・・・・・ケ・・・・・イ?」

 のどがつぶされてしまって、ほとんど声が出せない。それでも、なんとか必死で声を出した。自分を呼んでいる男が誰なのかを確かめるために。

 ユーキはもうわずかにしか見えない目を必死で見張って、自分を抱く男の顔を探し出す。

「ユーキ!僕はここです!すぐに療法師にみせてあげますからね!」

 膝の裏に手が差し入れられ、力の強い腕に抱き上げられているらしかったが、触れている感触さえ鈍い。もう感覚のほとんどが死んでいるのかもしれなかった。

 だがそんなことにひるんではいられない。ユーキはもう動かなくなりかかっている腕を必死で動かして、自分を抱き上げて運んでくれている男の顔へと伸ばした。

 端正な顔立ち。だが、ごわごわとほこりにまみれた肌とざらざらと指に触る髭は、ユーキを助け出すために戦場から大急ぎでやってきたためのものなのだろうか。

「・・・・・君、無事だった・・・・・のか?君は戦死したって、聞か・・・・・された。コバーが代わりに指揮をすることになったって・・・・・」

「ええ、無事ですよ。コバーなら戦いの途中に僕に切りかかってきましたが、逆に返り討ちにしてやりました」

「戦いは・・・・・勝ったの?」

「勝ちましたよ。ボーディガンは取り逃がしましたが、彼らを自分たちの領地へと追い落としました」

「・・・・・そう・・・・・よかった・・・・・」

「今度こそ君をここから連れ出すために僕は戻ってきました。どうぞ、僕と一緒にブリガンテスへ来てください。愛しています、ユーキ!!」

「うん・・・・・。僕も・・・・・」

 ユーキはほほえんでみせたが、ふっと微笑みを消して今度こそ戻れない闇の中へと彼の意識は滑り落ちていった。






「早く儀王様をこちらへ!」

 一緒に来た騎士たちによって、その場にブランケットが広げられ、すばやく手当ての準備が整えられた。強引に彼らに連れて来られた療法師が呼び寄せられた。そっとブランケットの上に横たえられたユーキは真っ白な顔色になっていて、かろうじて息をしていているように見えた。

 やってきた兵士たちは仮の宿営地のそばには焚き火を焚き、更にこの場で十分な治療が出来るように天幕を立てる準備をしていた。

「この男は向こうに縛っておけ」

 ようやく立ち上がったコーワンは、追いついてきた部下たちに次々に命令を放っていた。ケイは彼らのほうを見ようともしない。彼の無言の非難をコーワンは黙って受け入れて動いていた。

「ま、待ってくれ!話がある!」

 兵士たちに荒々しく引き起こされたヤハンが叫んだ。

 引きずって連れて行かれようとするのを、暴れて逃れたとたんに激しく咳き込んで口から再び血を吐いた。

「僕に何か用だとでも?今は彼の命を救う事だけが重要だ。君にかかわっている暇は無い。君を殺すことさえ剣の穢れだ。さっさと野垂れ死んでしまいたまえ」

 ケイはまるで汚いものでも見るような冷たい眼をしてちらりと肩越しに振り向いたが、すぐに目線をユーキの方に戻した。こんな男のことよりもまずユーキの安否の方が気に掛かる。この男がユーキのしたことは許せないが、それは後のことだ。

「そ、そんな!」

 ヤハンは咳き込みながら必死でケイの足元に擦り寄った。

「俺がやったことは全てあんたのためだったんですぜ」

「・・・・・なんですって!?」

「ワコウは自分がドブリスの王になれると信じていたでしょうが?あれは俺が入れ知恵してやったんだ。ターダッドが戦であんたに切りかかるつもりなのは分かっていたから、きっと返り討ちになるはずだ。そうしたら、ドブリスの王になるものがいなくなる。だから、あんたがなればいいってな!」

 ヤハンは得意そうに言った。

「でも、あいつがドブリスの王になれっこねえ。戦地から帰ってきたあんたかそれとも諸侯の誰かがワコウを成敗するだろうって考えたのさ。だがそんな知恵を俺が思いつくはずないじゃねえか。全て教えてもらったことだったんだ。
 あんたの父親に、ですぜ!」

「・・・・・僕の・・・・・父?」

「そうさ!ブリガンテスの王。ターナー・トゥゲスト、あんたの親父さんさ」

 ヤハンは下卑た笑いを浮かべてみせた。

「そんなばかな!」

「嘘じゃねえ!前々からブリガンテスがドブリスを手に入れたがっていたのはあんたもよく知っているはずだ。王は『海の狼』たちとターダッド・コバーが手を結ぼうとしているのを知ったらしくて、俺の所に密使を寄こしたんだ。コバーを追い落とすための策を細かく教えてきて、言われたとおりにすればドブリスは『海の狼』たちからの凶悪な手から逃れられる、ってな!」

 俺は『海の狼』ってのが嫌いなんだ!とヤハンは憎憎しげに言った。

「ワコウもターダッドには誠実なふりをして隠していたが、ドブリスの王になりたがっているのは前々から知っていた。あいつは小心者だから俺の手を汚しておいて、自分だけ口をつぐんでいい子になっているつもりだったんだ。

 まあ俺も自分のふところがあったかくなるんならそれでも構わねぇって思ってたが、あいつはケチだし、王になっても持ちつ持たれつの関係のままでいられるかどうか分からなかったからな。ドブリスの王になってもこのまま俺にうまい汁が吸えるか正直不安だったのさ。邪魔なヤツの口を塞ぐってことはよくあるこった」

 ヤハンはへつらった笑いを見せた。

「だから今回の話は渡りに船だったわけよ」

 ヤハンは咳をするとまた話を続けていく。こうなったら全てを吐き出すつもりになったらしい

「あんたの親父さんは使いのものにたくさんの金貨の袋を持たせていて、俺に一袋置いていったぜ。頼んだ仕事がうまく行ったら同じ袋を二つ分くれるって言ってな。それだけの金があれば、どこにでも行って贅沢三昧が出来るってもんだ」

「それで自分の国を売るようなマネをしたわけですか」

 ケイの声音はさらに冷ややかだった。

「別に国を売るなんて大そうなことじゃねぇ。ガリアを守るための・・・・・えーと、何て言ったかな。そうそう、俺ンとこに来たやつは『大事の前の小事』って言ってだぜ。第一ターダッドもワコウもこの国の王なんてガラじゃねぇよ。『海の狼』たちと仲良くなろうってヤツは全部許さねぇ。だったらブリガンテスと手を組んだ方がまだマシってモンさ。

 それにな。あんたの親父さんはずーっ前からこの国を狙っていたんだぜ。ほれ、あれだ。
以前コバー一族に密使を送って、モリオスの一族を滅ぼすための秘策を授けたのもあの方だ。つまり儀王の親の仇ってェヤツの中に、あんたも入っているわけなんだぜ?」

 ケイの顔がみるみるうちに強張っていった。

「あのモリオスの最後の生き残りさえ死ねば、このドブリスの王位につけるような適当に人間はもう誰もいない。コバー一族にはもうめぼしいやつはいない。ターダッドが謀略でうまく殺していたからな。ワコウも王にはなれねぇ。そうなったらドブリス王家に血の繋がりがなくても、『海の狼』たちを撃退した英雄がこのドブリスの王位に就ける。諸侯も街の者もみんなすんなりと受け入れられるだろうってな!」

 ヤハンはまた咳き込んだ。だんだん息が苦しそうになって、ぜいぜいとのどを鳴らしていた。

「なあ。俺はちゃんとあんたの役に立っただろう?だったら俺の手当てもしてくれよ。もう儀王のユーキ・モリオスは助からねぇ。あんた以外ドブリスの王は考えられなくなるんだぜ。手の中にドブリスの王座が落ちてく・・・・・」

 ヤハンは最後まで言う事は出来なかった。

 ケイの剣が抜かれたかと思うと、あっという間にヤハンの首が飛んで落ち、ころころと転がっていってヒースの草むらの中で止まった。
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