ふらふらとした様子で、ユーキはコーワンと一緒に馬に乗って泉へと向かった。本来の儀式ならば、儀王は徒歩で泉まで行くことになっていた。しかし、ヤハンが与えた薬がかなり効いてきていて、ユーキの意識が朦朧となっていてすでに自分ひとりで歩かせるのは無理な状態になっていた。
しかたなくヤハンはコーワンに命令してユーキと馬に相乗りをさせたのだ。コーワンは小さな声でユーキの意識が消えないように励まし続けた。
「もうすぐ俺の部下がこっちにやってきます。あと少しですよ。それまでの辛抱ですから!」
「・・・・・うん」
ユーキはうなずいてみせたが、頭の中で自分の様子を客観的に見ている自分がいるのを知っていた。
――助かるまい。――
薬師の知識を持っている理性はそう判断した。先ほど解毒薬と言われて飲まされた薬が効いてくるのと、薬酒の効果で息が止まるのとどちらが先か。
しかし、必死で自分を助けてくれようとする人間がいる以上、みずから命を投げ出すような真似はするまいと決意していた。それがこれまで何人もの前の儀王たちを見送ってきた者の勤めだろうから。
「着いたぞ」
ヤハンがコーワンの馬までやってきて、ユーキを引き摺り下ろした。
「手荒なまねはするなよ!この人は儀王様なんだぞ!」
コーワンが怒鳴った。
「それがどうした!こいつはここで死ぬんだ。多少キズが出来たからって問題があるわけじゃない。さっさと済ませて帰るんだ」
ヤハンはそう言うと、ユーキを引っ張っていって泉のそばに放り出した。
コーワンは、歯噛みしていた。予定ではチューダーの老人から預けられた兵士たちがやってきて、彼を救い出すはずなのに、まだ誰も姿を現さないのだ。このままではユーキを救い出せなくなってしまう。
「で、ですが、もう少し待ってみてはどうですかね。もうじき見届け人の方々がいらっしゃるはずで・・・・・」
「別に死ぬ前の姿を見せなきゃいけないわけでもないだろうよ。ちゃんと儀式どおりに儀王が死んでいるのをやつらに確認させればいいだけだ」
そう言うと、ヤハンは取り出した儀式用の白い麻で出来たロープをユーキの首に巻きつけた。
「し、しかし・・・・・!」
「おい、お前さっきからごちゃごちゃと邪魔してくるな。もしかして、さっき言っていた見届け人がやってくるって言うのは本当の事か!?」
「そ、そりゃ、本当ですって。もうすぐ来ると思いますよ」
そう言いながらコーワンは丘の向こうをきょろきょろと探すふりをしながら、手探りで腰にひそませてある短剣をまさぐった。いざとなったら一人でもここにいる者全てと戦うつもりだった。
「おい」
ヤハンがあごをしゃくって見せると、いつの間にかコーワンの背後に回っていた男が彼を羽交い絞めにして首に短剣を突きつけてきた。
「おとなしくしていろよ。お前がなんでここに来たのかは、こっちのカタを済ませてからゆっくりと聞いてやるからな!」
ヤハンがにやにや笑いながら言い捨てると、ユーキの方に向き直った。ヤハンの手がロープにかかった。
「ユーキ様!」
コーワンが怒鳴った。その声にふっとユーキの顔が上がった。
それまでぼんやりとされるがままになっていたユーキは、伸びてきたヤハンの手をつかんで払いのけると思いがけないすばやさで立ち上がった。
「こ、この!」
ヤハンは、かっとなってユーキを殴りつけようと仕掛けていった。だが、逆にユーキはその腕を掴みあげた。相手の力を逆に利用して、くるりと腕をねじり上げ、彼がバランスを崩し勢い余って顔から倒れると、膝を使ってヤハンのからだを地面に釘付けにして見せた。どこをどう掴んでいるせいなのか、不思議なことに大柄で力の強いヤハンをなんなく押さえ込んでいて、彼がどうあがいても手を外す事は出来なかった。
「な、なんだと!?馬鹿なっ!!」
「動かないように!」
いつの間にかユーキの手にはヤハンの短剣が握られていた。もみ合っていた間に抜き取っていたらしい。
「僕にもこれくらいのことは出来るんですよ。さあ!その人を自由にして!」
ヤハンの顔は泥に押し付けられていて汚れていたが、その憤怒の表情は誰からもよく分かった。
コーワンを羽交い絞めにしている男がヤハンをはばかっているのかためらっているのを知ると、ユーキはすっと短剣の刃を滑らせてみせた。短剣はヤハンの太い首に赤い筋をつき、そこからじんわりと血が滲み出してしたたり落ちていった。
「は、早くそいつを解放しろ!」
ヤハンはうろたえて怒鳴りつけた。他人の血が流されても平気な男が自分の血が流れる事は苦手らしい。
「コーワン、もうここから立ち去って下さい」
ユーキがかすれ声で言った。
「僕はもうだめらしい。せめてあなただけでも生きていて欲しい」
「ユーキ様!もしや・・・・・!」
彼の視線が微妙にコーワンからずれていることに気がついた。見えているふりはしているけれど、もう彼の目からは視力が失われているようだった。
「早く!」
ユーキが怒鳴りつけた。
「貴様ぁ〜!!」
ヤハンは二人の話を聞いていて、彼が弱っているらしいことに気がついた。確かに薬の効き目はもう十分に効いているはずだった。ならば彼の手に怯える必要はない。ヤハンはユーキの手から短刀をもぎとろうとして渾身の力で暴れ、ふとユーキの力が緩んだ瞬間に腕を振りほどいて立ち上がった。
「このぉ〜〜!!」
凶暴なこぶしがユーキめがけて振り下ろされようとしたが、ひょいとユーキは身を逃れさせた。ぶん!ぶん!何度も腕を振り回したが、そのたびにユーキは間一髪で逃れてみせた。
「この!目が見えないっていうなら大人しくしろ!」
「まったく見えないわけじゃないさ」
ユーキが叫んだ。
ヤハンはぜいぜいと息を切らしながらユーキを追いかけていたが、彼が動いた瞬間に首に巻きつけられたままだった白いロープに手が掛かった。とっさに掴んでぐいっと引っ張るとユーキのからだはバランスを崩して倒れ掛かった。
「よくも手間をかけさせやがって!」
ヤハンはいまいましげにうなると、息を整えるまもなく両手で力任せにロープを引っ張った。
「・・・・・ぐ・・・・・っ!」
ユーキの喉が鳴った。
―― もうだめだ・・・・・――
ユーキは頭の中にとくとくと脈が響くのを聞いていた。息も出来ず、もがいてもヤハンの剛力には敵う事はない。
目の前を黒い雲が覆っていき、耳も聞えなくなっていく。そのとき、遠くで馬のひづめの音が聞こえた気がした。だが、それが自分の幻覚なのか、本物のひづめの音なのかも定かではなくなっている。そして、その音が本物であれば、自分にとって何を意味しているのか知る前に、闇の中へと飲み込まれていった。
「やめろぉ〜〜!!!!」
コーワンが叫んだ。
ユーキの白い手が自分の首を絞めているロープを引っかいていたが、その手がぐったりと垂れ下がっていったのを見て息をのんだ。
助けにきたはずの自分が目の前にいるのに、みすみす彼を死なせてしまったのか!?
コーワンは、自分を捕まえようとしている男たちを必死でけん制しながら、ぼろぼろと泣いていた。
自分はまた助ける事が出来なかったのか!?あのセバーンの戦いの時に祖国エセックスを救えなかったように。
「うぎゃぁ〜〜っ!!」
突然、悲鳴が上った。
彼の背中には一本の矢が突き立っていた。
それはまるでそこから矢が生えてきたかのようにさえ見える鷹の矢羽根がふるふると震えていた。
「ひ、ひぃぃぃぃ! い、痛ぇ〜〜〜〜っ!!!」
悲鳴を上げて飛び上がったのは、ヤハンだった。
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