「・・・・・おい、本当に薬は弱くしておいたんだろうな!?」
ぼんやりとした頭にこもったような声が聞えたが、頭の中にもやが掛かっているようでユーキには誰の声なのか分からなかった。
いったい僕はどうしていたんだろう?
まとまらない頭で何とか考えてみた。
ああそうだ。城門を出る前に薬酒を飲まされてしまい、少し歩いていく間に薬が効いたらしくだんだんもうろうとなっていって、もうすぐ目的地に着くというところで、ヤハンに道から外れた木立の中に引っ張り込まれて・・・・・?
「い、痛い・・・・・」
下半身が重く、苦しい。自分の身に何が起こっているのか?
「これじゃ、楽しめないじゃねぇか!まるで人形を抱いているみてぇだぞ!」
誰だ・・・・・?誰が僕の顔のすぐ近くで怒鳴っている?
「確かに薬は減らしてあるはずですぜ。そうじゃなきゃ儀王さんもとうの昔にくたばっているはずで」
「言い訳はするな!」
何をしたのか、柔らかいものを棒で叩いたような鈍い音がした。それに続いて情けない泣き声も。
「ああ、こうしてやりゃあいいか」
大きな男の分厚くて硬い掌がユーキの首を掴んだ。ぐっと締めてくると息が出来ない苦しさに身をもがかせめちゃくちゃに暴れた。
「おっ、こりゃ面白いぜ」
すでに死ぬ覚悟は出来ていてもからだは生きる事に貪欲で、必死に生きるための抵抗をする。首に巻きついた強い手をなんとか振り解こうとあらがって、爪を立ててかきむしったがまったく外れなかった。次第に頭がぼぅっとなりがんがんと耳鳴りがして、ふうっと目の前が暗くなり・・・・・。
「おっと、これ以上はまずいぞ」
そんな声と共に勢いよくのどに空気が入ってきて、その冷たさにむせ返った。
「ごほっ・・・・・!ごほ、ごほっ!」
からだを丸めてなんとかしのごうしても、からだは重石に押さえられているかのように動かなかった。ヒューヒューとのどが鳴る。あえぎながらなんとか眼を開いて、自分の身に何が起きているのか知ろうとしたが、目をあけたとたんにぎゅっと目を閉じてしまった。目の前が真っ白に光っているようでまぶしくてほとんど何も見えない。
「ヤハンの旦那。いいかげんにしてくださいよ。そろそろ儀王さまを泉に連れて行かないとワコウ様にひどい眼にあわされますって」
先ほど情けない泣き声をしていた男らしかった。でもユーキにはその声もわんわんと響いていて、どこか遠くからこだましているようで現実感がない。
「放っておけ!こいつの始末は俺に任されたんだ。俺の邪魔するヤツはブッ殺すまでよ」
「ですが、旦那・・・・・」
「また殴られたいか?それとも殺されたいか?」
ひぇっという叫びが上がり、男の足音が遠ざかった。
またぐっと首に強い力がかかってきた。だが今度はユーキには抵抗するほどの力が残っていない。このまま絞められてももうかきむしることさえ出来るかどうか。
では僕は儀王として正式な儀式を受けることもなく、こんな道端で無意味に死んでいくのか。
両親や親族の仇をとることも出来ず、新王を決める事も出来ず、まして、ケイにもう一度会うことも叶わなかった。
・・・・・もう、いい。
自分の肉体に何が起こっているのかさえもうどうでもよくなっていた。
それよりも、ユーキは最後まで自分の望みを叶わなかった事が残念だった。
そうしてそのまま、闇の中へずるずると意識が沈んでいくのに身を任せていった。
「あ〜ぁあ!いいのかしらねぇ〜。儀王様を生贄の泉まで連れて行くはずの人がこんなところで勝手な事をしちゃって〜。まさか儀式をほったらかして、草陰に儀王様を引きずり込んで悪戯する人がいるなんてねぇ。知らないわよ〜ぉ、あたしワコウ様に言いつけちゃおうかしらぁ〜?」
突然、ユーキの首を絞めていたヤハンの後ろから声高にからかう声がした。
甘ったるい女言葉、だが、太くどすの利いている間違いなく男の声。
ぎょっとなってワコウが振り向くと城の中で知った顔の男が立っていて、面白そうにこちらを見ていた。
「なんだと!?うるさいっ!フールふぜいがなぜこんなとこに来ているんだ!?」
「あらん。もちろん見学に決まっているじゃありませんこと?もうじきこちらに大勢の方が儀式を見届けにいらっしゃるから、あたしもそれに便乗したきただけなんですけどねぇ」
「な、なんだと。これから誰が来るって!?」
ワコウはユーキの上からそそくさと立ち上がると服を直した。壊れた人形のように倒れて動かないでいるユーキはそのままにして。
「おい、道化。それは本当のことだろうな!?」
「そりゃ、もう少し待てば分かることですけどぉ。ヤハン様がお貴族様たちに儀式を見せなくちゃならなくなってぇ、こちらにいらっしゃいますのよぉ。皆さんいらっしゃったら驚かれるわねぇ。まさか儀王様が泉に到着していないのに薬を飲まされている上に、儀式係のはずの方がこんなところで不埒なまねをしているなんて!きっと神様に祟られるわよぉ」
「おいっ!」
どたどたとした足音をたてながらワコウがコーワンに殴りかかっていった。だが彼は悪い足を引きずりながらもすばやく逃げまわっていて、捕まえられるようなヘマはしなかった。ヤハンの荒っぽい足音が響くのと一緒に、チリンチリンというかわいい鈴の音や野太い声で「おほほほほ・・・・・」と気味の悪い笑い声を高らかに上げているのが倒れているユーキの耳にも聞こえていた。
「いいんですかねぇ。あたしは先触れなのよ?あたしに何かするとますます自分が罰せられるようなことをしていたって白状するようなもんよぉ」
「うるさい!黙れ!!」
「あたしにどなっていないでさっさとやるべきことをやったらどうですの?儀式のやり方にそってねぇ?皆さんがやってくる前に儀王様を泉まで連れていかれた方がいいんじゃないですか。ねぇヤハンの旦那。早くしないと、もうじき皆さん来ますよぉ〜」
ヤハンはぶつぶつと何やら不満をこぼしていたが、それ以上フールのからかいに構わずユーキの腕を掴むと強引に引きずり上げて立ち上がらせようとした。
だが、それまでにさんざんな目にあっていたユーキのからだが動くはずもなく、ぐにゃりと地面に臥してしまって起き上がれなかった。
「おい、さっさと起きろ!」
ぱんと平手打ちがユーキの頬に鳴った。だが、それはかえって逆効果で、彼はさらにふらりと意識をとぎれさせ、あわててヤハンがゆすぶると朦朧とした状態で目を開けた。
「そりゃまずいですって。そんな状態の人にそんなことをしても立てませんよ。それより水でも差し上げちゃどうです?」
先ほどまで道化た女言葉を使っていたコーワンは、いつのまにか普通のしゃべりに戻している。どうやらヤハンをからかって怒らせるだけのものだったらしい。
「おまえがやれ!」
「あたしがですかぁ?」
嫌そうな声をしてみせたが、彼はユーキのそばによると意外にも優しい手つきで上体を起き上がらせてまめまめしく世話を焼きはじめた。
「ほらほら、儀王様。しっかりなすってくださいよ」
そしてこっそりとユーキの手元に皮袋を押し付けた。
「お飲みなさい。解毒薬が入っています」
ユーキにそうささやいた。
なぜ彼が解毒薬を持っているのか?
ユーキは、頭の中のもやは晴れなくてぼぉっとしたままだったが、かろうじて相手の言う事は分かった。喉をつぶされてかすかすにかすれた声でようやくささやいて答えた。
「・・・・・眼が見えないんだ」
「なんですって!?」
「さっき飲まされた薬のせいだ。あれにはキツネの手袋が入っているから」
薬草には瞳孔を拡散させて、視力を奪う効果もあったらしい。
「そうですか・・・・・。そりゃまずいな・・・・・。とにかく!今は早く解毒薬を飲んで。体内の毒を消さなくちゃいけない!早く、あいつに気付かれる前に!」
コーワンはユーキの口元に皮袋をあてがうと、急いで飲むように命じた。ユーキは急かされるままに素直に皮袋の中の液体を飲み込んだ。薬は甘みでごまかしていたが、飲み終わった後で喉や舌の上にひりひりと強い苦味や刺激臭を残していったので、ユーキは顔をしかめた。
「・・・・・苦い」
「それで助かるんですから、文句は言わないでくださいよ。文句を言うだけの余裕があるなら助かるかもしれない。
ねえ、ユーキ様。もうすぐ私たちの仲間があなたを助けに来ます。それまで私がなんとかあのヤハンたちから時間を稼ぎますから、あなたもどうか気を確かに持っていてくださいよ」
「・・・・・わかった」
ユーキは自分を救おうとしている人物が誰なのかも分からなかった。しかし、自分が死ぬ前に彼がとばっちりを食って殺されなければいいと願っていた。
儀式用の薬を与えられて、すでにこれほど症状が出ている人間に解毒薬を与えても、毒の効果を消す前に命の炎が消えてしまう事が多い。薬草に精通しているユーキはそれをよく知っていた。
それに、用済みとなった儀王など、誰が必死で助けるというのか。
それを望む人間がいるとしたら、あのケイ・トゥゲストくらいかもしれないが、彼は先ほど戦死したとヤハンが言っていた。
ならば、命を永らえることになんと価値があるというのだろう?彼にはもう会えないというのに。
「会えない・・・・・?」
自分はなぜ彼が死んだことに深い失望感を感じているのだろう?
ユーキは自分の心の動きの不思議さに困惑していた。
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