ケイは満月の光を頼りにタナタスへの道をひたすら走り続けた。彼の後に続くのは数十騎の騎士のみ。イダはケイが残していった軍勢の指揮をとらなくてはならず、自分のかわりに腕の立つ騎士たちをケイの身を守る盾として付き添わせた。

 普段の騎行なら2日はかかる距離を1日で踏破し、タナタスの城壁が見えたのは戦場から走り出した次の日の夕方だった。

 途中食事を摂るのも休憩をするのも最低限。馬がつぶれるのを怖れて全力疾走はしなかったが、タナタスについたときには馬も人も疲労困憊の状態でたどり着いた。

 前回ここに到着したときには歓迎の杯を捧げられたが、今回の到着には歓迎するどころか出迎える者もいない。逆に城門を守っていたわずかな兵士たちがこのたびの埃にまみれ疲れきった集団を胡散臭げに押しとどめたくらいだった。

「ブリガンテスのケイ・トゥゲストだ!入城の許可を求める!」

 城門で誰何してきた兵士にそう叫び返した。もしここに詰めている兵士たちがコバーの命令を忠実に守るつもりになっていれば、ケイは城壁の上から矢の洗礼を受けるかもしれなかった。

「ケイ・トゥゲスト殿なら今頃はブリガンデスと戦っているはずだ!嘘をつくな!」

 仰天した兵士が城門の狭間から叫び返してきた。

「戦いは既に我がガリアの勝利で終っている。火急の用事があってこちらに戻ってきた。現在仮王となられている、ユーキ・モリオス殿に大至急お会いしたい!」

 ケイの声は城壁を守っている兵士たちをたちまち従わせる迫力を持っていた。






「・・・・・というわけで、ターダッド・コバー殿はこのドブリスをブリガンテスの強大な手から守るために必死の戦いを続けられ、ついに力尽きて敵兵の刃にかかられた!
ついてはこの国の次代の王を選ばなくてはならないが、その一番の候補として私、ワコウが名乗りを上げる!」

 ワコウはふんぞり返って広間に集まっている貴族たちに宣言した。もっともほとんどの貴族はチューダーの老人のように『海の狼』たちとの戦いに出向いていて、ここに残っているのは引退した老人かまだ家督をついでいない年若い跡継ぎたち・・・・・あるいは戦に出られない傷病者や何らかの理由があって残った者くらいだった。

 今回の戦いはそれほど戦える人間を総動員したものだったのだ。

 そんな留守中に、なぜ新たな王を決めなくてはならないのか?ここに集められたものたちは一様に同じことを考えていた。

 おそらく戦いに参加していた者たちが戻ってきてはまずいから、まるで泥棒のように王位を盗み取ろうとしているのだろうとは誰もが考え付く事。

 だが、それが正式な儀式を経たものであれ、どさくさにまぎれた儀式を行ったものであれ、一度神と契約を結んで王を選べば、それは取り消す事が出来ない。

 ワコウはそれを狙って、いまこの時点で王位を請求しているのだろう。

「いずれボーディガンを海に追い返した軍勢が戻ってくるが、そのときには正式な王として彼らを歓迎し招きいれねばならない。
 そのためにも、即刻、私の戴冠式を・・・・・」

「ユーキ様がおられる!」

 貴族の中から、しゃがれた叫び声が響いた。戦いには老いぼれすぎて参加できなかった貴族の声だった。彼の叫びに同意のつぶやきが続いた。

 しかし、その声にもワコウは動じなかった。

「ユーキ・モリオス殿はターダッド殿が残した命令書に従って、儀王としてガリアの危機を招いた罪を負って儀式を行うことになり、犠王としてその身を生贄にささげられる!」


「そんなことはさせない!」


 広間の入り口から声が響いた。

 全員がぎょっとなって広間の入り口を振り向くと、そこには頭から真っ白に埃を被って、疲れきって息を切らしているが眼だけは爛々と光らせた男が立っていた。

「ケイ・トゥゲスト殿だ・・・・・」

 誰からとなく呟きがもれた。ざわざわとささやきが波のように広間中に広がっていく。

 戦いは勝ったのか?それとも負けてしまって彼はここに逃げ込んできたのだろうか?

 不安げな視線がワコウのそばへと歩み寄るケイの一挙一動に眼を凝らしていた。

「ブリガンテスのトゥゲスト殿。戦いはどうなったのでしょうか?」

 震える声で老貴族が尋ねた。

「戦いはガリアの勝利で終りました」

 ケイは淡々と勝利を宣言した。だが、大広間で息を呑んで耳をそばだてて聞いていた人たちの隅々までその声は届いた。

 深いため息の後、一気に人々から歓声が上がった。手に手を取って広間に集う人々は喜びあった。肩を抱き合うもの、腕を振り回してガリアが勝つのは間違いなかったのだと叫ぶもの、急いで街の誰彼へと知らせようと広間を飛び出そうとするもの・・・・・。一気に広間の中は活気付いた。

「ただし!」

 ケイは手を上げると、人々の騒ぎを鎮めた。はっとなって人々がケイに注目する。

「残念だがボーディガンは逃げました。彼は僅かな手勢を連れて自分の領地へと逃げ帰ったのです。この戦いは完全に終ったものではないことは確かです。
 平和は彼がまたガリアを侵攻しようとするまでの猶予でしかない」

「それでも、ガリアが勝ったことには間違いないのですね!?」

「そうです」

 ケイはうなずいた。

「では、なぜこんなに急いでお帰りになられたのですか?それも僅かな手勢で」

 そうだ。と人々が口々につぶやいた。不安を感じたのか、人々の喜んでいた顔が曇ってくる。

「タナタスからユーキ殿を連れ出すために戻ってきた。ワコウがよからぬ陰謀を企んでいると知ったのためです」

「よ、よからぬですと!?」

 ワコウはケイの突然の出現で呆然としていたが、自分への非難の言葉を聞いてすぐさま猛烈に抗議を始めた。

「わ、私のどこが悪いというのですか!?私はこのたなたすが混乱するのを避けるために最善の行動をとろうとしていただけだ!
 コバー殿がなくなった以上、後継者を早く決めなければならないのは当たり前の事だ。私にその権利があるのだから、国王に名乗り出るのも当然のこと!

それを他国者のあなたにどうこう言われる筋合いではない!我々ドブリスの国のことは自分たちで決める。あなたに口を出して欲しくはない。ボーディガンたちとの戦いが終った以上さっさと国へお帰りいただこう!」

 ワコウのわめきちらしていく弁舌に、広間にいた人々の中からとまどいながらも同意の呟きが漏れた。

「確かに、後継者を決めるのはドブリスの者の権利。しかし私の言っているのはそのことではない。
では聞く。ワコウ殿はなぜコバー殿が亡くなられたのをどうして知っているのか!?」

「なっ・・・・・!」

「コバー殿が亡くなられたのは2日前。我々の軍がボーディガンの軍勢に総攻撃を開始した直後だった。その知らせはまだこちらに届いていないはず。ガリアの勝利もまだ届いていなかったのに、ワコウ殿はどうしてコバー殿の死を知っているのだろうか!?」

 ケイの言葉にワコウがぎょっとなった。

「それとも戦いの最中にコバー殿が亡くなられることを知っていたとでも言うのだろうか?戦の最中に私に切りかかれば味方に囲まれているのだから、安心しきっているはず。剣の腕前がなくても私を殺す事が出来ると。そんな卑怯で無謀なそそのかしを彼に吹き込んだのは誰なのか」

 ワコウのそばにいた人たちはさっと身を離した。まるで罪がうつるのを避けるかのように。

「もう一つ。ワコウ殿の手兵は今度の戦いに出ていなかったようだが。あなたが国王になるためにここに残しておく必要があったのだろうか?ここに残っている者たちを力で従えて、強引に王座に付くために」

「そ、それはタナタスの守備のために残しておいただけだが・・・・・」

「しかしコバー殿も他の貴族の方々もこの戦いに全兵力をノルマンとの戦いに振り向けている。あなただけがしていない。ここの守備に兵士を残しておくような余力はないはずだ。ここでクーデターを起こすつもりだったから兵士を残しておいたと思われても仕方ないのではないか?」

 ワコウはぐっと詰まった。右手が不穏に動く。

「言っておきますが、僕の口を封じるつもりでその兵士たちを戦わせるつもりでしたら、ただちにあなたの命は無いと思ってもらおう。僕も自分の身の安全を確保せずにここに来ているわけではないのだから!」

 そう言うとケイは手を振り上げた。さっと広間の二階から弓を構えた騎士の姿が現れた。広間でケイがしゃべっている間に戦闘態勢を整えたのはケイと一緒にやってきた直属の騎士たちだった。

「まもなく続々と諸侯たちが戻ってきます。あなたの企みを実行に移すのは不可能だ。諸侯たちがあなたを承認することなどないでしょうから」

 ワコウはケイの言葉にごくりと唾をのむと、弓を引き絞っている騎士たちを見回した。そして、広間で自分の方を嫌悪の表情で見つめている人々の顔をうろうろとさまよった。

 そこにいるのは、つい先ほどまで尊大な表情で大広間に集まっている人々に長広舌を振るっていた人間と同じとは見えない、卑小な男だった。

「トゥゲスト殿。この後は我々ドブリスの人間に任せてもらえまいか?」

 先ほどの老貴族がケイに申し出た。

「ここにいる者たちだけでもワコウのことはなんとか出来ますでな。どうかドブリスのことはドブリスに任せていただきたい」

「ドブリスのことはドブリスに任せよ、ですか!?」

 ケイは老貴族の言葉に冷ややかに笑った。広間の中にいた者たちは一気に室内の温度が下がっていく気がした。それはケイが連れて来た騎士たちにも同様で、彼らの顔がすうっと白くなった。

 彼らは、ケイ・トゥゲストという人間の過酷さもよく知っているのだ。

「ユーキ殿を儀王のままにし、コバーやワコウのやることを放っておいた人たちが、一国の国を動かしていく力などないように思えますが。こんな事態になる前に、この国の王としてもっとも相応しい者を選んでいたはずだ。
 ワコウのことはユーキ殿をこちらにお連れしてから私が決めます。それまで彼の身柄を預けるだけの事。決して逃すことのないように。もし、逃がしたりした時は・・・・・」

 ケイはそれ以上は言わなかったが、聞いている者たちにとってはそんな事態になったときにはドブリスの運命がどうなるか考えたくもなかった。

 老貴族や何人かの人間はは不安そうにワコウの方を見やった。先ほど彼が言った言葉を思い出したからだ。

 突然、堰を切ったかのようにワコウがけたたましく嗤い出した。

「そうか!お前が急いでここに戻ってきたのは、犠王のユーキを助けるためだったのか!だが、残念だったな。今頃彼は死んでいるはずだ。既にヤハンが彼を生贄の泉まで連れ出していった。今頃は泉で絞め殺されて喉をかき切られている頃だろうよ」

 さっとケイの表情が変わり、一瞬にして彼の気配が鋭く危険なものに変わった。

ぎょっとなって周囲にいる者たちが身を引いた。彼のまわりに近づけないような殺気が立っていた。

ワコウも、嗤うのをやめた。

「彼が死んでいたら・・・・・!」

 ケイはきしるようにして言葉をこぼした。

 だが、その先の言葉は言わず、身を翻すと広間を走り出した。

 広間にいた誰もが、ブリガンテスのケイ・トゥゲストの噂をひやりと思い出していた。

 曰く、一夜にして街を焼き尽くした殺戮者。曰く、自分を裏切るものには容赦をしない暴君。

 それがあながち大げさな噂ではないことを示すような殺気だった。

「もしあの方が亡くなっていたら、このドブリスの命運はないものと覚悟せねばならぬかもしれんな」

 老貴族がつぶやいた。
 




「こっちっす!」

 広間を走り出たケイを呼び止めるものがいた。元気な馬を引き、みずからも馬に乗っているガランだった。

「俺が案内するっす!」

「君は・・・・・?」

「儀王の館でユーキ様のお世話を勤めているガランっす。泉にはコーワン様が急いで行かれていますからきっと大丈夫っすよ!」

 ケイはその言葉に答えず、無言で馬にまたがりガランの先導でタナタスの街路をひた走っていく。

 間に合うか、それとも、間に合わないのか。

 ケイは心の中で必死になって今まで一度も祈った事のない神に祈りを捧げていた。
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