「ユーキ様!大変です!」

 炉辺で楽器の手入れをしていた彼の元に、ガランが走ってきた。顔はこわばり引きつっている。

「どうしたんだい?そんなに息せき切って」

「ソ、ソラがさらわれました!」

「なんだって!?相手は誰なんだ」

「分かりません。突然大勢でやってきて、イクシーの家からさらっていったそうです」

「それは・・・・・」

ユーキは考え込んだ。ソラをさらっても何の益などないはず。彼は単に元儀王候補であったに過ぎない。ではなぜさらわれたのか?

理由は分かる。おそらくユーキに何かをさせようと考えている者たちだろう。

だが、ソラをさらってまでユーキを必要とすることとは何か?そして、それを企んでいるのは誰か?
コバーはボーディガンたちとの戦いに赴いている。その留守中に動き出した者たちは誰の命令で動いているのだろう?

 ガタン!

そのときだった。館の扉が乱暴に開けられ、何人もの足音が響いてきたのは。

「ガラン。君はここにいちゃまずい。逃げろ!」

「だめっすよ!ユーキ様も一緒に逃げましょう!」

「僕は殺されないだろう。僕はここに残ってソラのことを彼らに聞かないといけない。でも、君は逃げないとだめだ!」

「そ、そんな!」

近づいてくる荒々しい足音は、ただの訪問者のものとは思えない。

「ガラン!隠れろ!!」

 ユーキは顔をしかめてガランに命令した。もう彼をここから逃がすだけの時間がない!

「えっ!?で、でも・・・・・」

 ガランがうろたえてどうすればいいのか迷っているのを見て、ユーキはとっさに彼のみぞおちにこぶしを叩き込んだ。

「ぐ・・・・・ふっ!」

 ガランは腹をかかえた。気絶まではしなかったが、痛みで動けなくなってその場にへたへたとうずくまってしまった。

「ユーキ様ぁ〜!」

 何がなんだか分からない彼は、うらめしそうに言った。

「しっ!黙っているんだ」

ユーキは急いで彼のからだを、暖炉へと押し込んだ。夏なので火をつけていないが、灰で息苦しいかもしれなかったが、殺されるよりはましだろう。

 ユーキが元の場所に戻った時、部屋の中に荒々しい足音をたてながら男たちが入ってきた。

「なんですか、あなたたちは。ここは儀王の館ですよ」

 ユーキの威厳ある落ち着いた様子に男たちはわずかにたじろいだが、すぐにふてぶてしい態度に戻った。

「俺たちと一緒にきてもらおう!」

 そう言うと、中の一人がいきなりユーキの腕をとらえて後ろ手に縛り上げた。

「な、何をす・・・・・!」

 ユーキが抗議しようとすると、すっぽりと頭に布袋をかぶせて縛ると外から声がもれないようにした。

「おい。どこかに召使がいたら殺しておけ!見られてはまずい」

 そう言い捨てて部下を数人残すと、いかにも力がありそうな筋肉の盛り上がった大男がユーキを担ぎ上げて館の外へと運び出していった。

「おい。誰かいたか?」

「いや、いないようだ。儀王の館は普段召使を置いていないというのは本当なんだな」

 残された男たちはそんなことを言い合っていた。まさかユーキが彼らが来る直前に暖炉の中に人を隠していたとはついに気づかずに、そのまま館から立ち去っていった。

「た、助かった〜!」

 暖炉の中からガランがススと灰だらけで咳き込みながら出てきた。咳やくしゃみが出そうなのを必死でこらえていたので、ようやく外に出られてほっとしたとたんに咳が止まらなくなっていた。

「しかし、どうしよう。ユーキ様が危ないじゃないか!俺一人じゃどうしようもないぞ。どうやったらユーキ様を救えるかなぁ・・・・・?」

 ガランはなけなしの頭を振り絞り、うーんうーんと唸りながら考えていた。

「あ、そうだ!あの人に頼めばいいんだ!」

 ぽんと手を打つと、ガランは一散に館の外へと駆け出していった。



「縄を解け!」

 かなりの間揺られながら運ばれていた悠季は、ようやく降ろされて頭から袋がはずされた。
 ユーキが周囲を見回すと、解放された場所は昔ユーキたちの一族が住んでいたあの廃墟だった。

「ソラはどこにいるんです!?」

 ユーキは息を整える時間も惜しんで男たちに向かって叫んだ。
 
「ここにいる」

 手荒く扱われたのか、顔のあちこちを赤く腫らしたソラを引きずって数人の男たちが奥からやってきた。彼らを束ねているのはヤハンだった。

「その子を放してください!その子は儀王とはもう無関係です!」

 ユーキが叫んだ。

「そうはいかないんだ」

 さらに男たちの陰から姿を現したのは、ワコウだった。

「・・・・・ワコウ!なぜこんなマネをするんですか!?僕に用があるのなら、城に呼べばいいではありませんか!」

「しかしこれは表ざたに出来ない事だからねぇ」 

 ワコウはそう言うと卑しげな笑いを浮かべた。

「ねえ、儀王殿。知ってるかい?ケイ・トゥゲストが死んだそうだよ」

「ケイが・・・・・死んだっだですって!?」

 一瞬にして顔が蒼白になった。ユーキが全力で救おうとした彼が、こんなにもあっさりと死ぬなんて?!

「・・・・・嘘だ!」

 ユーキはのどにつかえたような固まりを抑えて、かすれた声でささやいた。

 そんなことがあるはずがない!彼は大事な使命があるはずだ。このガリアを統一して、『海の狼』たちに荒らされない地を作るという使命が!

「本当のことさ。彼はね・・・・・」

 ユーキのこわばった顔を無視し、ワコウは得々としゃべり続けていた。

 現在戦いは、相手側の大軍勢にも負けず、こちらも互角の戦いをしていること。そして、大軍の彼らと対峙しようとしており、もうすぐ始まる戦いが激しいものになるはずだということは、誰もが分かっている。

 これはガリアの未来を賭けた戦いなのだから。

 しかしその前哨戦で、戦いのかなめであるケイ・トゥゲストが敵の攻撃によって死んでしまった。

 このままではこちらの士気が衰えて、敗戦が予想される。それで、ターダッド・コバーが次の指導者として名乗りを挙げていた。だが、指揮をするためには王としての威儀が求められ、今のままでは諸侯を束ねていくことが難しい・・・・・。

 ワコウは自分の憶測も交えた話を、長々と自分が満足するまでしゃべり続けた。しまいには聞いている者にも、そして彼自身にさえもどこからが真実の情報で、どこからが推測なのか分からなくなってしまった。

「・・・・・えー、だから、こいつが必要になったんだ!」
 
「ソラが必要ですって!?」

「そうだ。こいつを儀王にして、コバー殿の戴冠式をさせれば正式なドブリスの王となる。そうすれば動揺している諸侯を束ねて『海の狼』に立ち向かう指導者になることが出来る。

コバー殿ならば彼らと話が通じるだろう。そして、この戦いは和平条約を結んで終ることになる。コバー王の力によってな!」

「そんなはずがない!彼らが条約などによって、素直に自分たちの場所に戻っていくはずがないじゃないか!」

「向こうから密使が来ているそうだ。それによると、ベオルンステッドまで分割してもらえればそれで他の部族への名分も立つので同盟を結びたいそうだ。ドブリスの王とな。だから、コバー殿が正式な儀式を経て王になることが必要なのだ」

「しかし今は僕が儀王だ!僕の許しがなければコバー殿は王としては認められない!これは国の掟が定めている。もしソラを儀王にして儀式をしようとしても僕が彼を次の候補者と認めていなければ、ソラは儀王の候補になることさえ出来ない。一度候補から降りたとなると、尚更だ」

「そんなことは誰も問題にはしないさ。戴冠式に儀王という肩書きの人間がいればいいんだ。それが誰だって構わない。形だけ、いればいいんだ。そして戴冠式さえ済んで諸侯と『ゲッシュ』さえ結べば儀王なんて用なしになる。館に押し込んでおくなり、密かに殺すなりしてもな。儀王なんてものは、諸侯を掴んでおくための飾りに過ぎないんだからな」

 ワコウは言い放った。

 彼にとっては儀王という古くからあるしきたりなど、ぼろきれのように捨て去って構わないものらしかった。

「それから、お前には他に役目がある。ボーディガン一族の下へ人質となるという役目がな!彼らはモリオス一族から一人、人質を差し出すことを要求している。だからお前には館からこっそりと出てきてもらったわけなんだ!」

 ボーディガンたちがユーキをガリア侵攻の際の人質とするつもりで彼を要求したのか、それともただコバーからの依頼でこっそりと殺すつもりで呼び寄せたのかは分からない。

 いずれにせよ彼らのところに行くということになれば、殺されるのは間違いないことだった。しかしそれでは自分の命だけでなく、ガリアまでも危険に晒してしまう!

 彼らと同盟を結ぼうとするような王をいただく事は、いずれ自分たちの身を危険にさらす事にも等しい。彼は『海の狼』たちにガリアを明け渡すことになるだろう。

「しかし、それでは・・・・・!」

 ユーキが抗議しようとしたときだった。

 ばたばたと走ってくる足音が響き、召使らしい男がワコウのそばに駆け寄ると、なにやら耳打ちしていた。

「なっ・・・・・なんだと!?」

 ワコウはその内容に驚愕していた。

 何があったのか、ちらりとユーキを見てからうろうろと歩き回っては何やら考え込んでいる様子だった。そして、ぼそぼそとヤハンと相談していたあげく、意を決したらしくユーキに向き直った。

「どうやらお前をボーディガンのところにやるのは中止になったようだ。ボーディガンたちは戦いで敗走し始めたらしいからな」

「それは・・・・・よかった!」

 その言葉を聞いて、ユーキの表情が明るくなった。

 ガリアの勝利。

 これで『海の狼』たちの脅威から逃れられる。それが何時までの平和かは分からなかったが。

 ケイの死は無駄にならなかったのだ。

 そう考えて、ユーキは自分の中にある凶暴な悲しみをなだめようとあがいていた。

 どうしてこんなにも彼の死を聞いたことがつらく、認めがたいのだろう?

「となると、お前が生きていると諸侯の誰かがお前を儀王の役目から解いて、改めて王にしようと画策するかもしれない。コバー殿も戦いに行かれる前にそれを懸念していた。
 戦場からコバー殿が戻ってくるまでに、お前には死んでもらわないといけない。コバー殿を王として迎え入れるために万全の準備をしておくようにと言われているからな。心配の種をなくし邪魔なものは取り除いておけ、とな」

 モリオスの血筋と、出陣前のごたごたを王として仕切ってみせたユーキの手腕を警戒しているのだろう。

「待ってください!」

「命乞いは無駄な事だぞ」

「分かっています。こうなったら逃げ隠れなどしません。僕を殺すつもりなら殺せばいい。しかし、ソラは解放してやってください。僕がいればいいことでしょう?次の儀王候補などあなた方はもう必要ないと思っているのですから」

「マミー!だめだ!俺を助けるためにそんなこと言うな!」

 ソラが叫んだが、とたんに彼を縛っている者の一人がソラを平手打ちにして黙らせた。

「乱暴はやめてください!」

「お前に選択の余地があると思っているのか?」

 ヤハンが嘲り笑った。

「僕は王冠のありかを知っているんですよ?もしここで彼を殺せば僕は決して王冠の場所を言いません!戴冠式が王冠なしになってもいいのですか?」

 彼はぐっと詰まって黙り込んだ。
【32】