戦いは早朝に始まり、夕方には決着がついた。

『海の狼』の軍勢は、長弓の掃射によって動揺している所に騎馬隊が入り込み、引き裂いていった場所から次々に崩されて行った。彼らは追いまくられてしまった獲物のように、騎馬隊にあちこちを咬み裂かれ軍勢を分断されていった。

ついに軍勢の端の兵士が数人逃げ始めたのをきっかけとして支えきれなくなった軍勢は、立て直す事が出来なくなり、最後には総崩れになっていった。

何人もの名のある族長が戦死し、ついにボーディガンはごくわずかの側近だけを従えて、自分たちの本拠地へとほうほうの態で逃げ出していった。

後に残されたのは多数の壊れたり血に塗れている武器と兵士たちの死体と、助けを求めうめいている重傷者たちばかり。

 ケイを襲おうとしていた兵士は、ボーディガンたちを無事に逃がすためにケイを殺すように命じられた奇襲兵だったらしい。


「やめろ!」

 警告の叫びを上げたのは、ケイも知らない部族の兵士の一人だった。本来、自分の部族の者以外を守ろうとするはずもない兵士だった。
だが、彼や他にも近くにいたものたちは、すぐさまケイを守ろうと駆けつけてきた。

 そして、ケイに血のこびりついた剣を振りかざしてきた男は、続々とケイの周辺に走りよって来た者たちによって切り伏せられた。

彼らにとって、ケイは単にこの戦いの指揮者というだけではなく、もっと大切な人間として認められているようだった。

 ケイは『海の狼』たちが総崩れになってもと来た道を逃げ出していっても、深追いすることを禁じた。確かに味方の意気は高まっていたが、深追いすればボーディガン以外の『海の狼』がこの機会を狙って出てくることも考えられたからだ。彼ら『海の狼』たちは一つの国家を成しているわけではない。ある時は同盟し、あるときは決別し、その時々の思惑によって戦いを仕掛けてくるのだ。

 ケイはまだ敵の血がこびりついた軍装のまま、兵士たちや各地の族長や諸侯たちの歓呼と祝福の声を浴びながら丘の上の陣地に迎えられた。

「ガリアの王、ケイ・トゥゲスト!」

 誰かが叫んだ。

 それは、ケイがガリアの支配者である事を望む声が出た瞬間でもあった。

 しかし、ケイは無表情のままで、そんな声などまるで聞えなかったかのように無視した。

 彼はまだブリガンテスの後継者でしかなく、彼の父がブリガンテスを統治している。このとこが父王に知られた場合、凶と出るか吉とでるか、分かったものではない。もしかすると、ケイの足をすくうものにもなりかねない危険なものだったのだから。

 それよりも、彼には他に考えるべき事があった。彼の心はすでにタナタスにいるユーキの元へと飛んでいた。


 明日にはここをイダたちに任せてタナタスに戻るつもりだった。

 ユーキの身は安全なのか。彼は無事に過ごしているか。

 チューダーの老人の打った手を信じていないわけではなかったが、ケイ自身の手配で彼の安全を確認していなかったのがとてももどかしかった。

 彼の姿をこの目で確認し、この手に抱きしめるまでは落ち着かなかった。戦の間は忘れていたことが一気に戻ってきていた。

 ケイはこれからの打ち合わせを終え主だった族長との挨拶を済ませると、設けられていた自分用の宿舎に戻ってきた。とは言っても、ここに住んでいる者の粗末で小さな小屋を借り上げただけのものだったが、星空の下で眠る兵士たちよりはよほどましな待遇だと言えるだろう。

 ようやくわき腹の傷の手当てをしてもらうことが出来る。軽傷だからと放っておいて、逃げていった者への追撃方法やあちこちに残っている残党への警戒を指示しているうちに簡単な手当てしかできなかったのだ。

 夜も更けてくると、ようやく静かな時が流れ始める。焚き火の周りで今日の戦いの様子を声高に語り合うものたちや傷の痛みにうめいている負傷者もいたが、夜が更けるに従って静かになっていった。

 だが。

時折、遠くの茂みの方からけたたましい叫び声が上がり、突然ぷつりと消える。

 それは、残党を捜している兵士たちが、敵兵を見つけて殺した時のものだった。いつ誰が聞いても嫌な声だったが、警戒のためには必要なことだった。

 焚き火を囲んで警備しながら談笑していた兵士たちも、声を聞いた瞬間 顔を強張らせ口をつぐんだ。だがすぐにまた元のように笑い声とにぎやかな話に戻っていった。

 ケイはそんな悲痛な声にも動じなかった。殺されていった残兵を気の毒に思うこともあざけることもしなかった。殺されたあの兵士と同じ運命が自分の身に降りかかっていたかもしれなかったし、もしかしたらそれは明日にはやってくる運命かもしれないのだから。

 世話係に傷を綺麗な水で清めさせ、修道士からもらってきたぷんと強い薬草の匂いがする軟膏を塗って、清潔なモスリンの布で包帯を巻かせた。その癖のある匂いは、以前ユーキと出会った薬草畑のことを思い出させるもので、彼の目元にはふっとやさしい色が浮かんだ。

「おい、入ってもいいかな?」

 戸口の警備兵たちが止めようとする声が聞え、それを叱り付ける声がした。そしてすぐに、乱暴に小屋の戸が開き、チューダーの老人がケイに声をかけてきた。

「わしの手のものから連絡があった。まずいことになったようだ」

 老人は挨拶も戦勝祝いも言わず、いきなり用件を切り出してきた。

「どうかしましたか?」

 ケイは世話係にワインの用意をさせようとしたが、老人はいらだたしいげに断ると世話係や警護の兵士たちを離すように頼んだ。
そして、ケイが彼らを小屋の外に出すのをもどかしげに待っていたが、誰もいなくなったと見て取るとひそひそと小さな声で話し始めた。

「ここにターダッド・コバーがやって来ておったし、どうやらタナタスへと隠れて連絡していない様子だったので安心しておったのだが、どうやら奴の他にも危険な者があの地タナタスに残っていたらしい」

「どういうことですか?」
 ケイは眉をひそめて、話の続きをうながした。

 老人はタナタスの様子を調べさせていた者からの連絡で、どうやら彼をそそのかしていたらしい人物がいることを突き止めたのだという。

「コバー一族には王に成り代わろうとする野心があったが、ターダッド自身にはそれほど人望がなく諸侯たちからの支持も得ていなかった。その上ターダッドは優柔不断で大それたことをやる決断がつく性格とは思えん。なのに、大胆な計画でターダッドは王の後継者として見做されるようになっている。それが気になって調べさせていたのだが、どうやらどうやらタナタスにはターダッド以外にも王座を狙って陰であれこれと陰謀を企て、彼を操っていた者がいたらしい」

「誰ですか?」

「ワコウだ。彼は今まで従順な家令として王に仕えていたが、陰ではいろいろと企んでいたようだな。
ターダッド以外の者がタナタスの王位を狙うとしたら、当然 縁者である彼も王位を狙うだけの資格がある。やつはターダッドを利用して自分が王になろうと思ったのだろう」

「しかし、彼には動かせる軍隊はないはずでしょう?ターダッドが死ねば彼の力もなくなるはずだ」

「いや、ヤハンが彼と組んだらしい。ヤハンならターダッドの兵士たちに命令し使う事が出来る。少なくもとワコウが王位につくまでの間くらいは、ごまかしておくことが出来るだろう。王位についてしまえば、彼自身が王の財産も兵士たちも動かすことが出来るようになるからな」

「そんな詐欺まがいの手で王位につくつもりなのですか!?あの男は!」

 ケイは思わずうなっていた。思わぬところに狼の威を借りる狐がいたようなものだった。

「やつはターダッドが死んだことを知ったので、自分が王位を受け継ぐのに邪魔なユーキ殿をどうにか排除しようと動き出したようだ。となると、ユーキ殿が危ないかもしれん」

「なんですって!?」

 ケイは叫んだ。

そんなことが起きないように保護してくれていたはずではないのか?

「わしの不手際だ。ターダッドが亡くなった今、ユーキ殿の命を望む者がいるとは他にいると考えなかったがまずかったようだ。すまぬ。急いでユーキ殿を警護するようにと兵士を差し向かわせておる」

 ケイは最後まで聞かず、あわただしく上着を羽織ってぎゅっとベルトを締めると厚手のクロークを纏って、宿舎を出た。

「おい、ケイ!いったいどうするつもりだ!?」

「これからタナタスに戻ります!」

「無茶を言うな!今からでは夜どおし駆けることになる。夜道に馬を走らせるのは危険だ!ここは起伏が大きい上に、まだあちこちに残兵が残っている危険があるぞ!おぬしがブリガンテスの王子で、この戦いを勝利へと導いたものだと、もし彼らに知られたらそれこそとんでもないことになる!」

 老人が叫んだ。

必死で止めようとしていたがケイはどんどん出かける準備を進めていった。そこへイダが声を聞きつけて姿を見せた。そして老人から事情を聞くと彼も顔色を変えてケイを止めようと必死になった。

「おい殿下、無茶をしてはどうしようもないぞ!」

ケイの断固とした様子を見るとあわてて叫んだ。

「今夜は満月です。道は見える!急がなければ間に合わないかもしれない!」

ケイは馬に飛び乗った。

「ま、待ってくれ!」

 イダはあわてて馬の轡を押さえた。

「どうしてもと言うのなら、少しだけ待て!今夜一晩では着けないだろう。水と食料と警護の兵士を連れて戻ってくる。彼らを同行しないというのなら力づくでも止めるぞ!」

 ケイにもイダの心配は分かったのだろう。黙って馬を下りると、彼があわただしく用意しに駆けていくのを待った。

「この、ロバ小僧!少しは周囲に心配をさせないように気をつけろ!」

 チューダーの老人はケイを怒鳴りつけた。

「しかし・・・・・」

「ああ、わかっとる。止めはせん。止めて止まるようならロバ小僧とは呼ばんからな!だが、おぬしが途中で危ういことになっては元も子もない。おぬしはこれからのガリアになくてはならない人間なのだから、十分気をつけていくのだぞ。特に途中のウィダス渓谷のあたりは残兵が残っている可能性が高いから、気をつけることだ」

「はい。ご忠告ありがとうございます」


 ケイは警護のための数人の騎士と共に密かに夜の戦場を走り抜けて、タナタスへの道をひた走っていったのだった。
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