冬の到来を感じさせるような冷たい風が吹き抜けていく。
ケイたちの軍勢は見張りのものからの情報で、ボーディガンたちがやってくるという方向に向かって、一番有利な場所に展開していた。
ボーディガンら『海の狼』たちはケイたちよりも大人数でやってきているが、ほとんどが歩兵で構成されている。一方こちらの軍勢には優秀な騎馬隊が含まれている。彼らをうまく働かせることが出来れば十分に勝利する可能性が高い。
ボーディガンたちはこれまでドブリスに向かう途中の前哨戦で全て勝利している。途中で出会った村では値打ちのあるものは全て奪った上で全て焼き払われ、逃げ遅れた者達は全て皆殺しにされていた。伝令から届けられた知らせでも、彼らの意気は上々で、すでにこの地を征服できると信じて勇んでいるらしい。
身を伏せてボーディガンたちがやってくるのを待っているガリアの軍勢は、臨戦態勢になって獲物を前にした猟犬のように主人の一言を待っている。
ケイの一言を。
「おい。虹が出ているぞ。あれは今日ボーディガンが天国へ渡るための橋だろうよ」
イダが皆の緊張を解そうと軽口を叩いた。
「いや。あれは虹が消えて足だけになっているんだ。きっと神様もボーディガンが天国に来るのを嫌がって虹の橋を切ったに違いない」
誰かが返答し、あちこちからくすくすと笑い声がこぼれた。
どうやら緊張はしていても、恐怖で身が硬くなっているわけではないようだった。
やがて、遠くの丘の向こうから、きらきらと光るものが現れた。あれはボーディガンの軍勢の槍かそれとも兜か。
次第に光るものが増えていき、やがてただの固まりがうごめいているに過ぎなかったものが、思わず息を呑むほどの大軍勢だと分かるようになった。
迎え撃つガリアの軍勢に緊張が走っていった。斥候の予想よりもはるかに多い。どうやら幾つかに分散していた軍勢がまとまったものらしい。おそらくガリア側が迎え撃つ準備をしていることを察知したのだろう。
彼らは光る槍をかかえ、片手には自分たちの部族を表す彩色をほどこした盾を持って進軍していた。
だが、このあたりが決戦の地になるとは思っていないのか、さほど緊張感がない。あるいは、この大群を頼んで、ガリア勢を見下しているのかもしれなかったが。
新兵や奥地から来てまだケイのことを知らない者たちが不安げにケイの方をちらりと見たが、愛馬にまたがり落ち着いた様子で敵への攻撃のタイミングを図っている彼の姿を見て、ほっとした様子でまた目を敵の方へと戻した。
ケイはゆっくりと愛剣を鞘から抜き放った。ボーディガンは更に近づいてくる。彼らとの距離をはかっていたが、彼らの顔の見分けが付くようになり、その一人がなにやら隣の兵士に笑いかけているのを見てとるや、さっと愛剣を天へと突き上げた。
たちまちその合図に応えてガリア軍の弓隊が動いた。彼らの手から放たれた矢は雨のように進撃してくるボーディガンたち海の狼の上に降り注いだ。
数秒間、敵の戦列はにわか雨に打たれてざわめく麦畑のようになった。こちらにまでかすかに悲鳴が聞こえてきて兵士たちが次々と倒れていくのが見えた。しかし、その隙間を生き残った兵士たちが埋め、喚声を上げてこちらへと突き進んできた!
しばらくの間 雨が降らなかった大地に砂埃が舞い、がちゃがちゃという鎧や槍の音が響いてくる。
『海の狼』たちが持つ弓は射程距離が短い。彼らが矢を放つ前に、ガリア軍の長弓隊はもう一度矢を放って彼らに手ひどい被害を与えた。しかし、その後で今度は『海の狼』たちの矢が放たれ始め、お返しとばかりにガリア軍の兵士たちを倒していった。
高々と剣を振り上げた。
「ガリアのために!」
ケイは鬨の声を張り上げた。
彼の声は、軍勢の中に大きく響いていき、それに応じた声が次々と広がっていく。ブリガンテスやイケニもカムルーもなく、そしてまたドブリスもなかった。ガリアのためにという言葉が共に戦うものたちの共通の思いとなってほとばしる。
「ガリアのために!」
騎馬隊のものたちが叫びながら先頭を切って『海の狼』たちに向かって突進していく。その勢いはまるで津波が大地を覆うかのようだった。
敵軍は、一瞬ぎょっとしたように立ち止まり、それを恥じたかのように剣や槍を構えなおすと、騎馬隊に立ち向かっていった。
騎馬隊に続いて歩兵たちが参戦し、ついに両軍は激突した。
まるで大きな二匹の獣がうなり、お互いの喉もとをめがけて飛びかかっていくかのように。ついに運命の一戦が始まったのだった。
雷鳴のような響きをたてながら衝突した両軍の戦闘の中、激しく振り上げられる馬の頭の列や楯の縁や剣の刃にきらめく光がまるで嵐の中の稲光のようにケイの目に飛び込んできた。
そして、列になって壁のように押し寄せてくる敵兵のかっと見開かれた目や叫びを上げる口が次々と目の前でぶれるように動いていく。
両軍の激しい衝突で、綺麗に咲いていた足元の草や花は踏みにじられた。とどろくひづめの音。あわただしく走っていく人々の足音が、丘をゆるがす。
赤い血飛沫が乾いた大地を濡らしていく。大地は敵味方の分けへだてなくそれらを貪欲に飲み込んでいき、ついには泥濘と化し、また踏みつけられていく。
戦いの中でケイは自分を倒そうとするサクソン人を次々と倒していった。足元からするりと短剣を突き出してきたまだ若い赤毛の男をからだをひねってやりすごすと、彼の姿は次の瞬間には軍馬に踏み潰されそこに最初からいなかったかのように姿が消えてしまった。
そのときだった。
「お前さえいなければ・・・・・!」
そんな叫びと共に、ケイの後ろからきらりと光るものが突き出された。
背後には味方しかいないはずだったが、ケイは無意識のうちに背後にいるはずの『彼』に注意していたのだろう。
ケイはかろうじてからだをよじって光るものから身をかわした。熱くわき腹に走るものがあり、それはすぐに痛みに変わって、自分が剣に刺されたのを知った。
自分を襲ったものが誰なのかも見もせずにそちらに向かって剣を振ると、強い手ごたえがあった。
「ぎゃっ!」
濁った叫び声が上がった。後ろを振り向くと、ケイを殺そうとして逆に斬られたのは、目を血走らせたターダッド・コバーだった。
「こ、この・・・・・!の、呪ってやる!」
コバーは馬上から憎憎しげな顔をしてケイを睨みつけていたが、すぐに顔は空白なものとなり馬から滑り落ちて、混乱の中に消えていった。
それっきり、ケイは彼の姿を見つけられなかった。
ケイが震える指で刺された場所を探ってみると、鎧があったために剣がすべったようで、傷はさほど重傷でもないことが感じられてほっと胸を撫で下ろした。
「確かに見たぞ!あの卑怯者め。味方を背後から刺そうとするとは!ケイ・トゥゲスト殿。大事ありませんか?」
「ええ、どうやら浅手だったようです」
ケイにそう声を掛けてきたのはイケニやダマスの族長だった。
「ご無事でなによりでした。やつはどうやらこの戦いのどさくさにまぎれて、邪魔なトゥゲスト殿を殺そうとしたらしいですな」
「そうかもしれません」
「ふん。卑怯者には自業自得の結末よ」
そう言うと、彼らはうなずきあっていた。
「もう少しでボーディガンたちの盾が崩れます。もう一働きをお願いしたい」
「承知した」
そして彼らはまた戦いへと駆け戻っていった。
ケイはちらりと自分を殺そうとした男がいたあたりを見たが、その姿はすでに戦闘の中に埋もれて見つける事は出来なかった。
この結果をどうとればいいのか。ケイは自分がドブリスの王になるはずの男を殺したことに複雑な感慨があった。
これでユーキが儀王として、次の王を選ぶ事はない。少なくともしばらくの間彼が生贄にされることはないはずだった。次の王を選出するまでは。
そして、その時間を利用して彼を儀王から外す事もケイの手腕ならば可能だろう。
はしなくも自分がやろうとしていた計画と同じような結末を迎えた事になるが、何かが引っかかってまだこのまま終らないような予感がして素直に喜べなかった。
何かを忘れている。
「この!ガリアの悪魔め!」
ケイが馬を止めて戦況を見回していると、藪の中からサクソンの兵士が飛び出して切りかかってきた。もじゃもじゃとした髪にちらちらと白いものが混じっている男は長年ボーディガンについて戦ってきた歴戦の勇士なのだろう。
あちこちに血のこびりついた大剣を振り上げると、ケイを馬から引きずり落とそうとした。
「やめろ!」
ケイの隣で誰かの叫び声が響いた。
【30】