しらせを運んできた騎士の鎖帷子は泥にまみれ、疲れ果てた様子で馬の口からは白い泡がこびりついている。
興奮して動き回り、後ろ脚を蹴上げる馬から逃げようと、広間の者たちは騒ぎ押しあいへしあいして広間中を逃げ惑った。
なんてことをするんだ!
この馬をどうにかしろ!
いったい何事が起こったんだ!
闖入者に向かってそんなことを口々にののしりながら。
しかし騎士は彼らの叱責にも頓着せず、王座に座っていたターダッドのもとへと走りよった。
「申し上げます!私は『海の狼』たちの居留地との境界線を警備している者です!彼らが攻め込んできました!どうか早く援軍をお送りください!」
「なんだって!?」
その言葉を聞いた者達はぎょっとなり、今までのざわめきが高まった。
「どういうことか言ってみよ」
ターダッドが震える声で命令した。
「ボーディガンの一族が大挙して境界線を越え、こちらに向かって進軍してきます!数日中にはこの地に現れる事でしょう!」
広間にいた者たちは、一気に蜂の巣をつついたかのように騒ぎ出した。
急いでタナタスから逃げ出す算段を考え始める者、ボーディガンの恐ろしさを声高に喋り始める者、そして戦いの赴くための準備を従者に命じる者。右往左往して混乱は最高潮になった。
「落ち着け!落ち着くのだ!きっとそれは戦いのためにやってきたのではない。彼らは我々と同盟を結ぶために来たに違いないのだ!」
ターダッドが叫んだ。
「いえ、違います!」
知らせを運んできた騎士は叫び返した。
「やつらは重装備でよく手入れされて光る武器をたくさん持参しています。遠くから見ると丘一面が煌めいているようにさえ見えました。やつらが我らと戦いにやってきたのは間違いありません。進んでいく方向にあった村々は全て焼き払われ続けています!我々が滅ぼされるまで、彼らは退く事はないでしょう!ですから、すぐに応戦のご命令を!」
「・・・・・し、しかしだな。彼らにどんな用件でドブリスにやってきたのか聞いてからでは・・・・・、いや、それよりもまず私の戴冠式を・・・・・」
この緊急事態にうろたえて、適当な命令を考え付けない様子だった。
「ターダッド・コバー。我々はボーディガンとの戦いに赴くつもりだが、お前はどうするつもりなのだ!?」
その様子を見かねたらしく、チューダーの老人が叫んだ。
「どう、とは?」
「お前も戦うのか聞いておる」
「・・・・・いや、しかし。彼らがドブリスを侵略するはずがないのだが。彼らがこの地にやってくるのは私が王になってブリガンテスを手に入れるために・・・・・」
あわてて口を閉ざした。まるでこぼれた言葉を取り返したいとでもいう様子で、手で口を押さえた。
「ほう?どうやら面白い事をしゃべっていたようだが?」
人々がざわめきだした。
「い、いや。なんでもない。それより私の戴冠式を執り行ったらすぐに戦いに出かける!すぐに支度を!」
「ばかなことをいうな!そんなヒマがあったらさっさとやつらを迎え撃つ準備をせんかい!・・・・・それとも?」
チューダーの老人が猫なで声を尋ねた。
「ボーディガンたちはお前を殺さないという取引でもしているのかな?今までここにいる者たちが誰もしなかった同盟をしているからとでも言うのかな?そんなことをすれば、彼らをガリアに引き渡す事になるのが分かりきっている同盟を?」
ぎょっとなったように、諸侯の中に動揺が走った。一気に裏切り者を見るような冷たい視線に変わっていくのが、うろたえきっているターダッドにも分かる。
「そ、そんなことはない!ただですな・・・・・」
ターダッドはおろおろと言い訳を呟いていた。
そのときだった。ユーキの凛と張った声が響いた。
「使いのもの、ご苦労だった。
さあみんな、戦いの準備を始めようではないか!
ワコウ、家令として出来る限りの兵糧や武器の準備をするように!この戦いはドブリスにとって、もっとも重大なものになるだろうから。
ドブリスは全力を挙げて、ボーディガンたちをガリアの外へと追い返すことを宣言する。
そのために全ての兵士たちを決戦の地へと向かわせることにする。急いで兵士たちを集めよ!
諸侯の方々もドブリスとの古き『誓い』の名において、戦える兵士全てに召集をかけて頂きたい!」
「承知した」
チューダーの老人が間髪いれずに応答し、彼の声に同意し承諾する声が次々とあがった。
「で、でしゃばるな!儀王の分際で!」
ターダッドがわめいた
「言ったでしょう?今は私が王なのだと」
ターダッドの怒声にもユーキは平然としていた。
「あなたも出陣の準備をなさってください。ここで王となるのにふさわしいことを見せていただきます。戴冠式は戦いに勝利した後で喜んで執り行いましょう!」
「そうそう。お前が我ら諸侯との『誓い』にふさわしい力を持っているのなら、ぜひこの戦いで見せてもらおうではないか。その後でならいくらでも我らは誓いをたてようよ」
チューダーの老人はそう言うと、さっさと広間から歩き出した。
「ご老人!どちらへ参られる?」
「決まっておろうが。あのロバ小僧が布陣している地へな」
「ケイ・トゥゲストがですか!?彼はドブリスから逃げ出した男ですよ?そんな男が戦いに参加するとは思えませんね。むしろあいつはこの地を離れた事に安堵して、さっさとロンディニウムへと逃げ帰っているでしょうよ」
ふんと鼻を鳴らしてターダッドが言った。
「そんなはずはない!」
彼の嘲り声はチューダー老人の声にかぶさって消えた。
「あの男は確かに頑固なロバだがな。しかし、やつは自分のやるべきことはわきまえた悪知恵の働くロバよ。今頃は彼の下にもボーディガンら海の狼たちが大挙してここガリアに攻めてきている情報を得ているだろうよ。そして、ブリガンテスの精鋭を集めてやつらに対抗すべく戦場に向かっているはずだ!わしの知っているケイ・トゥゲストとはそんな男よ」
チューダーの老人は当然のことだというように言った。
「さて、諸侯の方々よ。我らと一緒に行くか?」
ぐるりと広間を見渡すと、当然のようにチューダーの老人に付き従おうとしているものたちがいる。それははじめ数人だったが、やがて周りの様子をうかがい、意を決して次々と歩き出し広間から出て行く。
「どうぞご武運をお祈りします!彼と一緒に戦って『海の狼』たちを海の彼方へと追い散らしてくださいますように。神はあなた方に必ずや勝利をもたらしてくださるでしょう!」
ユーキが言った。
「かたじけない。ドブリスの王よ」
チューダーの老人はユーキに向かって王に向かってする会釈をしてみせた。儀王である彼はタナタスの地を離れられない。だが、彼を現在の王と認めてみせたのだ。
彼に従う諸侯や戦士たちも老人にならってお辞儀をし、次々と広間を出て行った。
最後には全ての諸侯が戦いに向けて動き出したのだった。
「ま、待ってくれ!私に考えがある・・・・・!」
ターダッドが叫んだが誰もその言葉には耳を傾けなかった。
「言っておくが」
まだ広間に残っていたチューダーの老人が厳しい口調で言った。
「儀王殿を生け贄にして勝利を祈ろうなどと考えているのだったら、それは止めておいた方がいいぞ。戦いの前に儀王の血を神に捧げても意味はないはずだ。むしろ、逆に不吉になる。お前がこの戦いに勝ちたくないと思っているのなら別だがな」
その意味深な言葉にターダッドはあわてて首を横に振った。そんなことをしたらターダッドが海の狼たちと怪しげな密約を交わそうとしていたのが明白になるのだぞと、老人は釘を差したのだ。
「ならば、おぬしも早く戦の準備をした方がいいぞ。早く来ないとおぬしが到着する前に戦いはあの男の勝利で終わってしまうかもしれんからな!」
そう言い捨てると、今度こそ後を振り返らずに広間を出て行った。
城の前の広場には老人のための馬が用意されていた。彼を護衛するための騎士たちもすでに騎乗して老人の出立を待っている。
老人はあたりを見回し、そこに一人の男を見出した。
うなずいてみせると、彼を側へと招きよせた。
「私に何か御用でしょうか?」
「すまぬが戦いに出かけている間に、ターダッドの手のものかあるいは他の思惑を持つものが儀王殿を害することがないように見張っていてはくれぬか」
「しかし、今の私には何の権力もありませんが」
「手のものを何人か残す。彼が殺されればあのロバ小僧が崩れるかもしれん。せっかくやつの命を張って救っってくれた儀王殿をあの世に行かせるわけにはいかぬ。そんなことをしたらロバ小僧に『伊達に年をくっていたのか』と馬鹿にされるのがオチだからな。おぬしだったら任せられる。どうか我らがいない間、彼の身の安全をよろしく頼む」
「承知いたしました」
男はうなずくと、不自由な足をかばってからだがかしぐような歩き方をしながら、興奮して戦いに赴く人々を見送ろうと集まっている人たちの間へとまぎれて消えていった。
【28】