大広間には王の危篤を聞いた者たちが次々に集まってきており、人いきれで暑いくらいにふくれ上がっていた。その数は先ほどユーキが入ってきたときの倍以上になっていたのではないかと思われた。
その中はダムノニやカムルー、イケニやチューダーの諸侯たちも混ざっていた。もちろん、ユーキを追ってやってきたケイの姿もそこにあった。
奥との境界を示すタピストリーの影からユーキの腕を掴んだまま現れたターダッドは、こちらに向き直った彼らに一瞬誇らしげな顔をしてから宣言した。
「国王ソーケル・モリオスは亡くなられた!彼の魂に平安がありますように!」
広間にいる者たちからもつぶやきのように同じ言葉がこぼれ、ざわざわとざわめきが高まっていく。
「ここにいる犠王殿が私、ターダッド・コバーを次の王として指名した!」
ぐいっとユーキを前に押し出した。蒼白な顔をしたユーキがふらふらしながら人々の前に姿をさらした。
「戴冠式は3日後となる。その間に諸侯は私と誓いを済ませるように!」
広間にいた人々はざわざわとざわめき、ためらいがちにターダッド・コバーに向かってお辞儀をした。
「新王に栄光あれ!」
ヤハンの嬉しそうなだみ声が広間に響き渡る。そしてそれに追従する人々の声が続く。さらに、遅れながら他の人々の、いかにもしかたがなくてといった調子が分かる呟きがだらだらと続いた。
その声に応えるように、ターダッドが手を上げた。そして傲慢な態度のままで、おもむろに広間の一角を指差した。
「そこにいるケイ・ブリガンテスを捕らえよ!!ブリガンテスはドブリスの友ではないのだから、彼らは拘留してしかるべきときに処刑する。ターダッド・コバーの戴冠に花を添えることにしよう!」
ざわりと、一気に大広間の中が騒がしくなった。前もって準備してあったのか、突如として完全武装の兵士たちがケイの側へと現れた。
「ドブリスの新王は、客の安全を守らないつもりなのか!?」
イダが叫んだ。
「ブリガンテスが持ち込んだ条約には不備があった。それに我がドブリスはまだ条約を締結していないのだから抗議は出来ないぞ!」
締結していなかったのは、ケイが使っていた口実のせいだった。ここドブリスに長く滞在するための方便としてあれこれと理由をつけて引き伸ばしていたのだから。
その口実をターダッドは逆に自分のために利用したのだ。
「詭弁だ!王子は入場の際に歓迎の杯を渡されているんだぞ!?」
「それは家来が勝手に行った事だ。モリオス一族もコバー一族も出迎えには加わってはいないではないか!だから、客としてタナタスに迎え入れているわけではないことに気がついてもらおうか。
さあ、彼らを捕らえよ!」
兵士たちはケイやイダたちブリガンテスから来たものたちを取り囲んだ。それを見ていた周囲の人々は息を呑んであとずさった。巻き込まれるのを怖れて、ぐるりと彼らの周りが広く開いた。
緊迫した空気が満ちる。ブリガンテスのケイ王子は、名うての剣の使い手だと知られている。最初に手を出した兵士は間違いなく殺される事だろう。兵士たちはじりじりと隙をねらって相手の出方をうかがっていた。
彼の周囲にはブリガンテスからやってきた騎士たちがあっという間にケイを取り囲んで守っていた。彼らの表情は真剣でありながら落ち着いたものであり、相手の兵士たちを気迫で威圧していた。
彼らに剣を向けるタナタスの兵士たちは無意識のうちにひるんでしまい、足が動かなかった。ケイを捕らえるには、騎士たちを全て殺さなければケイを捕らえることは出来ないだろう。そう思えた。
「待ちなさい!」
広間に声が響いた。
それまで人形のように立っていただけのユーキが、まるで息を吹き返したかのように覇気のある声を出していた。彼の澄んだテノールは知らず知らずに人を従わせるような威厳に満ちていた。
「ケイ・トゥゲストは私、ユーキ・モリオスの客だ。私が彼に歓迎の杯を捧げた。だから、間違いなくドブリスの客となっている。手を出してはならない!」
「嘘をつくな!この男を助けたいからでたらめを言っているのだろう!お前はこの男にどうやら惚れているようだからな!」
ターダッドがわめいた。
「嘘ではない!私は彼に蜜酒を渡し、彼は杯を受けている!モリオス一族の名誉にかけて嘘はついていない!・・・・・それに私と彼との関係がどうこう言う事はこの際関係ないことだ」
ユーキはさっと顔を赤らめながら、挑発は無視して言葉を続けた。
「だ、だが、コバー一族は歓待しているわけではないぞ!」
ターダッドはうろたえて叫んだ。
ユーキはターダッドのそばによると、彼の目をしっかりと見据えて言った。
「コバー殿。僕があなたを王と指名して欲しいのなら、王としてふさわしい寛大な態度を見せて欲しい。ここは自らの懐に入ってきた客人を快く送り出して欲しいと思います」
「この私に命令するつもりか!?」
ターダッドは怒鳴った。
「今現在のドブリスの王はこの僕。儀王であるユーキ・モリオスだ。そう掟で定められている。新王の戴冠式が行われて、僕があなたを祝福するまでは、偽王は真王となり王の代行となるのが決まりです。あなたはまだ王としての権限を持っていませんよ。又従兄弟殿」
又従兄弟と呼ばれて、ターダッドは実に嫌な顔をした。犠王と血が少しでも繋がっていることなど彼にとっては考えてたくもないことなのだろう。
「では改めて王の代行としてユーキ・モリオスが命じる。ターダッド・コバー、命令に従うように!」
ユーキは凛として言い切った。
「な、なんだと・・・・・こ、この・・・・・!」
ターダッドは赤くなったり青くなったりしながら口をパクパク動かしていた。どうやらのどに言葉が詰まってしまったらしい。
「そ、そんな命令に従ういわれはないぞ!・・・・・そ、そうだ!そんな邪魔な儀王の制度など私が消してやる!」
やっと口からは激しい勢いで言い捨てたが、自分の失言に気がついてぱっと口を塞いだ。
「あなたが王になってからご存分に制度を変えなさい。ですが今は僕の言うことの方が正当な行為となります」
ユーキはそう言うと、周囲の諸侯を見渡してうなずいた。すると、諸侯たちも黙ってうなずき、あるいは軽く会釈してみせた。
「儀王の祝福も無く、王冠も持たない王が果たして正統なドブリスの王として認められるのか。そして、諸侯の支持もなくドブリスの王となれるのか、賢いあなたにはお分かりになるはず」
「お前などに勝手に言わせておく私ではないぞ!わ、私が王なのだから、誰からの命令も受けない!」
言い張ってはみたものの、ターダッドは唸っているばかりで、動けなかった。
興味深げに諸侯たちがこの成り行きを見守っていた。新王が儀王から祝福されなければ。ドブリスの王位は正当に継承されない。そうなれば諸侯たちから『誓い』を得ることは出来ず諸侯たちとの友好関係は破棄されることになる。
そろそろドブリスに隷属させられているのにうんざりしている諸侯が、この機会を逃すはずがない。この先の結果を真剣なおももちで見つめていた。
真っ赤な顔をしてそわそわと足を踏み変えているターダッドは、どのように事態をどう収拾すればいいのか決めかねている様子だった。
「新王になられるのなら、ここは立派な対応をしていただきたいものですな!」
諸侯の誰かがそう言ってのけた。それに賛同するようなつぶやきが続く。
「我々の誓いを受けるつもりでおられるのなら、ですがなぁ!」
諸侯の中の長老格の人物がうんざりした様子で言った。
ターダッドは言葉を失って、うなっているばかりだった。そこへ、背後からそっとヤハンが擦り寄ってきて、耳元にささやきかけた。
「ここはひとまずブリガンテスの連中を帰しましょう。まず王になることが先決です。それからでなければドブリスの兵士たちや諸侯たちの一族の兵士を自由に動かす事が出来ません」
「そ、そうか。そうだったな」
ターダッドはその言葉に力を得て、ケイたちに向かって叫んだ。
「ではお前たちは帰るがいい!」
だが、彼は最後に未練たらしく、定型句の旅立ちの祝福の言葉は言わなかった。
ほうっと広間にいた誰かの口からため息が漏れた。それは一人二人のものではなく、ケイ・トゥゲストの命を惜しむものが少なくない事を教えていた。
ユーキは壇上から降りていくと、ケイのそばへと歩み寄った。
「ケイ。どうかご無事で故国へとお帰り下さいますように」
「・・・・・ユーキっ!」
ポーカーフェイスは崩れ、ケイの目は血走り、手が小刻みに震えていた。彼が何に動揺していることはユーキにもよく分かっていた。
彼にはユーキが犠王として死ぬ事を止められなかったのだから。
「僕の力はここまでだ。タナタスを出るまでは保障できる。でも、その後ターダッドの追っ手が行くのを止める事は出来ない。早くここを出て欲しい」
ユーキは小さな声で囁いた。
「僕がここを出れば、君は犠王として死ぬのではありませんか!それを黙って見逃せと!?」
「でもここで感情のままに全てを台無しにすることは出来ないよ。どうか君の成すべき事をして欲しい」
「だが、君を置いていくなどとは・・・・・!」
「君がしなければいけないことはすでに定まっているのだから。ここで間違わないで!」
ぴしりと筋が通った言葉がケイの動揺に冷水をかけることになった。
「・・・・・そうして君は、僕の心も殺すのですね。ひどい人だ!」
「でも、僕のいう事を聞いてくれるだろう?」
「・・・・・それしか今は出来ないのでしょうかね」
ケイはポーカーフェイスを取り戻してうなずいた。それを見て、ふわりとユーキが微笑んだ。いかにも嬉しいという様子で。
「それでこそ僕が愛したケイだ」
ケイは目を見張ると、ぎゅっとユーキのからだを抱きしめた。出来る事ならこのまま彼をさらって行きたかった!それがだめならここで彼の唇に思いのたけをこめた口づけを贈りたかった。しかし、それをすればさらに彼の立場を悪くしてしまうだろう。
彼を救い出すのなら、少しでも彼の時間を稼ぐことが必要なのだから!
「必ず、必ず君を迎えに来ます!君が殺される前にここに戻ってきましょう!どうかそれまで待っていてください」
抱きしめたからだは震えていた。
「うん。待っているよ。ケイ」
「愛しています!」
もう一度ぎゅっと抱きしめると、ケイはユーキの手を取って接吻した。
「それでは、ドブリスの王のもてなしに心から感謝し、故国への旅路に就くことに致しましょう」
折り目正しく美しい作法で挨拶した。それはもっとも丁寧な王への挨拶だった。
「どうぞ、道中のご無事をお祈りします。神のご加護がありますように」
ユーキが定まった言葉で旅立ちを祝福する。それは心からの願いでもあったが。
ケイはさっと背を向けるともう二度と振り返ることなく城の外へと走り出した。イダや一緒にやってきた騎士たちが彼に続いた。
彼らは待たせておいた馬に飛び乗ると、あっという間に城門の外へ、そしてタナタスの外へと出て行ったのだった。
ユーキはそれを城の入り口まで見送ると、王冠のありかを告げるために城の中へと戻っていった。
大広間に集まっている戸惑ったままの人々の前には、すでに自分の椅子であるかのようにふんぞり返って王座に座っているターダッドがいた。
「おい、ヤハン。急いでグレバムに駐留している兵士どもに命令しろ!彼らに替え馬はいない。いずれ逃げ出す速度は遅くなるだろう。そこを狙うのだ!」
ユーキが戻ってきたのを待っていたかのように、ターダッドが命令した。
そのうそぶきを聞いてユーキは青くなった。これほどあからさまに暗殺の指令を下すとは!ユーキが考えている以上に、ケイの安全が危ういということになる。
「なんて卑怯な真似を!それがドブリスの王のすることですか!?」
ターダッドに掴みかかろうとしたが、あっさりと背後からヤハンに抱きとめられてしまった。
「お前が抗議しようが抵抗しようが事は動かない。さっさと素直に王冠のありかを吐け!」
ぎりっと腕がねじ上げられた。
「い、痛っ!」
「これ以上痛い目にあいたいのか!?このままでは腕が折れるぞ」
ヤハンは必要以上にユーキの腕や肩に力を加えて、ユーキの顔をゆがむのを愉しんでいる様子だった。
「おい、ヤハン。お前の趣味は後にしろ。まず王冠の場所を知ることが大切だ。彼のことなら、戴冠式を無事に終えてから好きにすればいい」
「・・・・・はぁ。そうですか」
しぶしぶといった様子で、ユーキの腕を放した。
「それで。おい、素直に教える気になったか?」
ユーキはしびれてしまった腕をさすると、のろのろと口を開いた。
「王冠のある場所は・・・・・」
そこにどかどかと広間に馬ごと飛び込んできた者が現れた!
大広間に集まった者たちは何事かと注目し、ターダッドやヤハンたちの手も止まった。
「申し上げます!王に火急の用件を申し上げるためにご無礼致します!」
そう言ってはみたものの、現在はタナタスに王はいないのだから伝言を渡す相手がいない。ターダッドが『私が王だ!』と言い出す前に、さっとユーキが進み出た。
「僕が聞こう。用件を早く言いなさい!」
王の代理となって、ユーキが命じた。
「はっ!それでは・・・・・!」
その知らせの内容に、大広間はあっという間に蜂の巣をつついたような大騒ぎとなったのだった。
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