城の大広間は鳴り響いていた音を聞きつけた人々で溢れていた。

本当にソーケル王は亡くなったのか。そして、後継者はどうするのか。

口々に自分の推測や憶測を並べている声がざわざわと響いている。

そのとき、大広間の扉が開き、一人の青年が入ってきた。


儀王殿が!
儀王様が来られた!
儀王様がおいでになられた・・・・・!


 ユーキの姿を見たものが口々にささやいていく。その密かな声は大広間の入り口から奥へとさざ波のように人々の間に広がっていった。

 ユーキが城の奥へ進んでいくと、人々は彼のためにさっと道を開け、頭を垂れた。まるで風に麦の穂がなびくように動いていった様子は、まるで触れてはいけないものから身をさけているかのようにも、神聖なものを畏れあがめるかのようにも見えた。

「犠王殿。どうぞ王の枕元へ」

 どこからかワコウが現れてユーキを王の寝室へと案内していき、先導されて城の奥へと入っていった。

 そのうしろ姿が消えるまで大広間に集っているものたちは誰一人として目を離すことはなかった。彼の姿が消えるとともに誰からともなくついた幾つものため息が風のように人々の間を過ぎていき、何やらうそ寒い感じを与えたのだった。

 ソーケル王が末期を過ごすための部屋は、城の奥にある。
 彼は誰からも害することのないように厳重に守られた部屋で眠っている。

 ユーキが部屋に入ると、窓は厳重に閉ざされていて、ベッドには帳が厚く垂れ込め、蝋燭の明かりだけが中にいる人間たちをゆらゆらと照らし出していた。

 寝室の中にはユーキが来る前に、すでに何人もの人間が控えていた。これから王の最後の言葉を聞き取り、間違いなく遺言を執行するための長老たちだった。

 蝋燭に照らし出された人々の影が、どこからか入ってくるわずかな風にあおられてゆらゆらと動き回っていた。それはまるで影たちが無言のままで激しい論争をしているかのように見えた。実際には部屋にいるものは誰一人として動こうとしていなかったし、口を開くものはいなかったのだが。

「ソーケル王。儀王が参りました」

 ユーキが声をかけた。だが、ベッドの中は沈黙だけが支配していて、返事は返ってこなかった。

 ユーキが枕元に近づいてみると、伯父王は既に息絶えていたのだった。

「伯父上、こんなに早く亡くなられていたとは・・・・・!」

 遺言は儀王に託されるもの。なぜその前に自分が呼ばれなかったのか。

「なぜもっと早くに僕を呼ばなかったのですか?」

 ユーキはワコウをなじった。

 外に出かけるときには必ず行き先を残してあった。知らせがあればすぐに館の誰かが迎えに来てくれたはずだったのだから。

「急のことでしたので・・・・・」

 ワコウが平然とした顔でそう言った。ユーキの怒りに対して、詫びるつもりなど最初からなかったようだった。

 それでは、なぜこの場にターダッドがいるのだろうか?王の臨終の場には誰よりも一番最初に呼ばれるのが儀王のはず。まだ候補者のターダッドがここにいられる資格はないのだ。

 王の遺言を聞き取るのが儀王の最も重要な役目。それなのに、ワコウはなぜ役割を果たさなかったのか?

 それとも彼が遺言を残していかなかったのはこの間会ったときに言われたように、ユーキに全てを託していったから、ユーキが来るのを待つ必要がなかった・・・・・とでも言うのだろうか?

 彼は深い悲しみの中でぼんやりと考えていて、いつもならすぐにおかしいと思う事実に気がつかなかった。

 ソーケル王は、ユーキの決意を一番理解している人ではあったが、同時にユーキを儀王から外すことが出来ないことをずっと悔やんでいた。出来れば儀王をやめさせて彼を王の後継者として指名したいと考えていたようだったが、ユーキの頑固さのせいと側近たちの意見を無視できなくて望みはついえてしまった。

 臨終の床では、そのことを言うのではないかと思っていたのに。

「先ほど王は私を後継者として指名しました」

 影の中から進み出たターダッドが、ユーキに向かってぬけぬけと宣言した。

「・・・・・あなたが、ですか?王はすでに亡くなっていますよ!?僕が立ち会わなくては王の遺言が無効なのはご存知のはず」

「長老たちはすでに認めています」

 ターダッドの言葉にユーキは眉をひそめた。

 周囲にいる長老たちを見回してみると、彼らは後ろめたい様子でユーキの視線からあわてて目を逸らした。

「僕がお見舞いをしていた つい先ほどまでは生きていらっしゃったのですよ。ところが急に容態が悪くなられましてね。それで犠王殿が間に合わなかったので直接僕に言い渡してくださったわけです。ですから、私が次の王なのです」

 周囲の気まずい様子に動じず、白々しい調子でターダッドは言った。

「跡継ぎの決定には、全ての候補者が集うはずですが。・・・・・ここにはもう一人の候補、ソホンがいないようですね」

「ソホンですか。ソホンねぇ・・・・・」

 ターダッドが嫌な笑い方をした。

「彼ならここには来られませんよ。昨日『海の狼』たちと内通しているのが分かりまして、王の命令で処刑しました。彼の首は今ごろ城の外に謀反人として掲げられている頃でしょうよ」

「・・・・・なんですって!?」

 ユーキはぎりっと歯を食いしばった。この男は自分が王になるためにまた他人を犠牲にしたのだろうか!?
臨終の床にあるソーケル王を儀王への遺言を妨げて無念のうちに死なせ、邪魔な他の候補者を適当な罪名をつけて殺して排除する。

 それは以前にも行われた事。そう、ユーキの一族が滅ぼされたときにも、こうして罠が仕掛けられ、陥れられたのだから。

「犠王殿。あなたに出来る事は僕にさっさと王冠を渡して僕を次代の王だと宣言してもらうことだけですよ。来なさい!」

 そう言うと、まだ王の魂を安らかにするための終油の儀式も終らないまま、ユーキの腕を掴み部屋の外へと引きずり出した。

「さあ、広間に集まっている人たちの前で宣言しなさい!ターダッド・コバーが次の王だと!」

大広間に続く長い廊下を強引に引っ張りながら高慢な口調でユーキに命令した。

「・・・・・あなた方コバーの一族は、こんな手で僕の父を陥れたんですか?」

 きしるような声でユーキがつぶやいた。

「あの事件の時、父の一番大きな容疑は敵対していた部族からの貢物と思われる品物が館にあったことだった。だが、あれはあなたの一族の一人が館に密かに持ち込んだものに違いないんだ。父がもらったと証言したものはもっと価値の低い土産だけのはずだったから」

「・・・・・ほう?」

 ユーキの言葉にターダッドが足を止めた。

「僕はずっと調べていた。僕の一族がなぜ滅ぼされなくてはならなかったのか。調べているうちに、コバーの一族が陰で動いていたことが浮かび上がってきた。
 王妃をそそのかしたのもあなたの父親。そして父たちを陥れたのも・・・・・!」

「ああ。そう言えば確かにそんなこともあったようだね。私の父はどうしても王位に就きたかったらしい。だからあの手この手を使って邪魔者は排除していったようだ」

 ターダッドが嫌な含み笑いをしてみせた。

「お前の父は確かにソーケル王に気に入られていた。あのままだと間違いなく自分の息子が成人するまでの中継ぎの王として、彼を指名するはずだったそうだよ。父が聞いたうわさによると、二人の間には密約が交わされていたとも言われているしね。
 私の父は自分が次の王に選ばれないのが許せなかったのだろうよ。だからお前の父を殺したのだよ。

・・・・・父はうまくやったよ。もっとも簡単なことだったかもしれないがね。君の父親は正直で曲がった事が嫌いな男だったし、自分がそんな罠に陥れられるとは考えていなかったのだろうからな。馬鹿正直に部族の者から品物をもらったと証言してしまったのだからねぇ。
 お前の一族を滅ぼし、ソーケル王の一人息子も死んでしまったし、ソーケル王が私の父を後継者に指名すればついに父の野望は達成するはずだった」

 そこで言葉を切ると、ふっと苦笑してみせた。

「・・・・・だが、そんな父も自分の病気には勝てなかったのだ。

父が急な病で亡くなったとき、私の手を握り締めて『お前は絶対に王座に就け』と、くどくどとかきくどいていったよ」

 ターダッドは悔しそうに唇をゆがめた。

「もっとも私自身がそんな死に際の世迷い言を聞かなくても当然王になるつもりで行動するつもりだったけどね。
・・・・・ところで、そんな過去の残骸のような出来事を君に吹き込んだのは、ソホンかな?」

 彼には誰がユーキに真実を話したのか分かったらしい。

「でもねぇ。そうすると、君は知らないのかな。彼もまた自分に利益を得られると思って我々一族に加担した人間だったんだけどね」

 にやりとしたり顔でそんなことを言った。

「そんな・・・・・!」

 ユーキは絶句した。

 ソホンは儀王になってからもユーキに優しい声を掛けてくれ、何かと気を配ってくれた人間だった。そして、あの事件の事を詳しく語り、父を救えなかったと懺悔してくれた彼もまた、親の敵の一人だったというのだろうか!?

「君はソホンに言いくるめられて、王の候補にするように頼まれたのかな?あいつも結構策士だったからね。でもまあ、もう邪魔をすることも出来なくなったわけだが」

 ターダッドは肩をすくめてたいしたことはないと示して見せた。

「・・・・・僕はあなたを王になど指名はしない!あなたのような人間をこの国の王にしたら、ガリアは破滅してしまう!」

 ユーキはきっぱりと言い切った。

「しかし、他にもう候補者はいないんだよ?だったら、さっさと自分のやるべき役目を果たす事だ。それとも、儀王としての役割を放棄すると言うつもりなのかい?しかしね儀王殿、君の出来ることはもうないんだ。何もしないでここで殺されるか、それとも儀王として役目を終えて死ぬか。君に出来ることはそのどちらかなんだよ」

 コバーはまるで愛の囁きのように甘く、ユーキの耳に毒の言葉を吹き込んだ。

「君にはもう他に手はないのだ。ここで拒んで死んでも私は痛くも痒くもないのだよ。君がいなくなったのは、死ぬのが怖くなって逃げたからだと言えばいい。違う犠王を見つくろって、次の犠王だと皆の前で宣言すればいいだけのことだ。君は犠王の座から逃げた臆病者としてののしられることだろうねぇ。名誉あるモリオス一族のすえ、偉大なるソーケル・モリオス王の甥ともあろう者が・・・・・。ねぇ?」

 そう言って低く嘲り笑った。ユーキの顔がみるみるうちに蒼白になって強張っていった。

 この男はモリオス一族の名誉まで穢そうというのか?

「自分のやるべきことは決まったかな?さあ、それで行こうではないか。お前の最後の舞台が待っているぞ。犠王殿!」

 そう言うと、ほとんど抵抗する気力も失せているユーキを引きずって大広間へと足を踏み入れたのだった。
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