ケイの副官であるイダは、ある意味母国ブリガンテスの命令とケイへの忠誠との板ばさみになっていた。

 ケイがドブリスから帰国しようとしないのはあの儀王殿に心を惹かれているからだと分かっている。ここに残っているのはそれが一番の理由だろう。

 だから、なぜ帰国しないのかとブリガンテスの王から叱責する手紙が届いており、命令に逆らう正当な理由がないのに帰国しないのは実にまずい。

 だが一方、タナタスの王宮内部がどこか不安定なのも分かっている。それは、確かな情報は無くても薄い氷の下で何かが動いているような不穏な気分を誘うもので、もどかしさがいらだちに繋がっていき、街の人々の態度もどこかそわそわと落ち着かず浮ついている。

 政治のことは分からないイダにも、ここで帰ってしまってはせっかくドブリスの首都にやってきた甲斐がないのかもしれないと思えるような何かがあった。

 ケイ王子が諸侯と呼ばれる有力な貴族たちと次々に会っているのもこのためだろう。表面上に出てこないドブリスの軋みをどうするのか、そして先日聞いたワコウの話をどうするのか。もっともあくまでもそれはケイの態度やわずかな言葉の切れ端から覗けるケイの考えを推測するものでしかないが。

 一切考えを他人に洩らそうとはしない殿下は、確かに支配者としての孤独な器を持っていた。

 だが、イダも分からないからといって手をこまねいているわけにはいかない。本国ブリガンテスに不利益をもたらすわけにはいかないのだ。今回の使節に武官としてきているが、副官になっている以上、殿下の身の安全と共に、もし戦争になった場合、ブリガンテスに少しでも有利な情報を手に入れなくてはならない。

 その情報を得るために、イダはケイから頼まれた雑用を断らなかった。雑用と思うその一つ一つがケイの打つ手だと気がついたので。




 その日、イダは殿下に頼まれて市場で買い求めたという珍しい果物の籠を持って、ユーキのところへと出かけた。本当は自分で届けたかったらしいが、チューダーの長老につかまってしまい放してもらえそうにないということで、代わりに渡しておいて欲しいと言われたのだ。

 その言葉の裏には、彼の身が安全なままかどうか調べて欲しいということもあったのだろう。

「自分の身の安全も危うくなりかけているっていうのに、他国の人間の心配までするか?これも恋に目をふさがれたっていうやつかね?」

 イダはぶつぶつとこぼしながらも、自ら籠を下げて儀王の館へと赴いた館はこの前来た時と同じように閑散としていて、人の気配が少ない。

「どちらさまっすか?」

 館ではぶっきらぼうな青年がイダを出迎えた。

 警護しているつもりなのか、イダが中に入ろうとするのを頑固に止めようとしている。

 こんなひょろひょろのやつじゃ警護の役には立ちそうも無いが。

と、イダはじろじろと青年を眺め回した。

「俺はイダというんだ。儀王殿にお目にかかりたいんだがね。取り次いじゃもらえないかい?」

「儀王様の館には普通の人は入れないっす。それに儀王様にはお会いできないことになってるっすけどね」

「儀王殿は俺のことをご存知だ。せめて俺が来たことだけでもお知らせしてくれないかね」

 だが青年は断固としてイダを館の中に入れようとしなかった。

 これは多少無理をしても押し通るかと考えていた時、声がかかった。

「ガラン。その人はいいんだ」

 イダとガランの言い合いが聞えたのか、中からユーキが現れた。

「儀王様!素性の知れないものを近づけては・・・・・!」

 ガランと呼ばれた青年が抗議したが、ユーキは手を振って彼を下がらせた。

「失礼しました。このところここも物騒なのでガランも気が立っているのです。どうぞ中へ」

 ユーキはイダに謝罪すると、みずから客室へと案内した。

 儀王の館の中もほとんど人の気配が無かった。本来、貴族の館であればもっと召使が控えているのが普通なのだが、廊下や部屋の中に控えているはずの人影がない。

それでも、この間ここに来た時の誰もいない荒れた様子に比べればまだましだった。





 以前、イダが儀王の館に来た時。

 それは、殿下が真っ青な顔をして帰ってきた晩の事だった。

 夜になっても帰ってこない殿下を捜しに宿舎から出て城壁の外に出て、大きな荷物を抱えて足早に戻ってきた殿下に出会った。彼は強張った顔のままイダに向かって

「彼を僕のベッドに」

 と、一言だけ言った。

 腕の中に大きな荷物を持ってきたと思っていたものは、実は気を失ったままの誰かを大事そうに毛布にくるんで抱えていたのだった。

 ベッドにその誰かを横たえ、覆ってあった毛布を開くと、中にくるまれていたのは青年だと知った。どうやら殿下のお遊びが過ぎて、どこぞのお相手を失神させたのか、くらいに思っていたのだが・・・・・。

 彼が普通の事情で失神したわけではないことはすぐに分かった。どうして気を失い熱を出して眠ったままなのかも・・・・・推察がつく。彼の某所の傷の手当てや看病を殿下は他の誰にもさせなかったのだから。

 ケイが運んできた青年が『儀王』だと聞いて仰天した。

 そんな相手と何があったのか?そしてなぜ彼をここに連れ帰ったのか。イダが問い詰めてもケイ王子は何も言わなかった。

 先日のワコウとの会話の中に出てきた『儀王』と、ケイ王子の抱えてきた彼と同一人物であることはすぐに見当がついた。とっさにとんでもないことになったらしいと察しがついた。

 おかげでイダはあれこれと推理し自分ひとりで後始末に回るはめになった。結果としてそれがよかったのかもしれない、とは後で思ったことだったが。

 この不始末がドブリスに知られるのはまずかった。急いで儀王の館というのをうろ覚えの記憶の中から捜し出して、殿下がいた形跡を消しにでかけた。もし、このことを知っている者が他にいるのであれば、この世から消す事も密かに・・・・・考えていた。

 館は何とか見つかった。不思議なことに召使が誰もいなかった館の中の後始末も簡単に済んで、ほっとして急いで帰ろうとした。が、そこで思いもかけぬ光景まで見ることになった。

 突然不審な人間が何人もやってきたのであわてて庭に隠れて見ていると、彼らは荒っぽく館の中を探し回り始めたのだ。
「おい、よく捜すんだ!きっとここに隠してあるはずなんだから!」

 首謀者らしい男が声を殺して叫んだ。

「でもこれほど捜してもないってことは、どこか他に隠してるんじゃないですかい?それとも俺たちよりも先に誰かがここに来て儀王ともどもアレを攫っていったんじゃ・・・・・」

「・・・・・まさか!今だったら儀王を殺害するようなやつはいないだろう。やつはきっとどこかに出かけているか隠れているんだろうよ」

 お互いをののしりながらしつこく探し回った挙句、彼らは何の収穫も無く帰っていった。

 ようやく人の気配がなくなった頃にイダは隠れていた場所から出てきたが、どうやら複雑な事情を持っているらしい『儀王』という人間を自分たちの宿舎にかくまっているケイ王子を呪いたい気分になってしまった。

「まったく!ただでさえ厄介な立場にいるっていうのに、これ以上問題を増やしてどうするつもりかね」

 深く深くため息が出る。

 イダは宿舎に帰ると、殿下に事の次第を報告した。

「そうでしたか。ご苦労様でした」

 そう言うとまた儀王殿が寝ている部屋へと引き返し、何の命令も下そうとはしなかった。そうなると、イダとしては黙っているわけにはいかなくなる。

「いいかい。俺は一応あんたの味方のつもりだぜ。だが、この件に関しちゃきっちりと言わせてもらう。今回俺はあんたの副官としてここに来ているんだからな!

あんたがこの『儀王』さんに入れ込んでいるのは分かった。彼にとんでもないことをやらかしたらしいが、まあそれは自業自得ってもんだ。自分で何とかしてもらいたい。・・・・・と言いたいところだが、それがもとで俺たちまで巻き込まれるのはごめんだぜ。あんたを無事ブリガンテスに帰国させるのが俺たちの役目なんだからな。自分で自分の首を絞めるような真似はするんじゃねぇぜ」

「・・・・・ええ、分かっています」

「だったら、この件がばれないようにしろ。少なくとも彼が目を覚ますまでだ。儀王殿が起きればどうなるか分からんが、とりあえず今はドブリスに弱みを握られるような真似はしたくない。何もなかったように振舞うんだ」

「・・・・・君は僕にどうしろというのですか?」

「まず寝ろ。あの晩から寝ていないし食事も摂っていないんだろう?その上諸侯との会合をすっぽかし続けていては何かあったのかとかんぐられてしまう。あんたがいない間は俺がここで看病する。だからいいか、あんたは平静を装っていて欲しい。

それに、この際あんたは彼に顔を見られないほうがいい。彼は平静にあんたと会えないだろう?」

「・・・・・ええ。きっと僕の顔を見ればののしるか怯えるか・・・・・それとも殺そうとするかもしれませんね。同然の事だ。僕はそれを望んだようなものだから・・・・・」

 ケイは力なく苦笑した。

 彼の顔は連日の不眠の看病のためにやつれ、声まで力なくかすれていた。あの覇気溢れているはずのブリガンテスの貴公子が見る影もない有様になっている。

「分かりました。僕が外に行っている間だけ看病を代わってください。彼が目覚めそうになるまでは僕が自分で看病したいので」

 そう言ってイダに看病を任せ、元のようなポーカーフェイスに自分を立て直し、いつもどおりの冷静で頭の切れるブリガンテスの王子としての顔を取り戻して見せた。

 看病は2日間に及び、その間ずっとケイはユーキのそばを離れようとはしなかった。

 そして、ようやくユーキは目を覚ましたとき。



 彼が最初に目を開けて目にしたのはイダだった。

【24】