「もしかして、それはソーケル王から預かったものなのですか?」

「そう。この間お会いした時にお預かりしたんだ。もし自分が亡くなったときは、正当な後継者に渡すようにと命じられた」

 ケイは絶句した。

 あまりにもあっけなく言われた言葉は、彼がこの先の王位を動かす重要な位置にあることを示していた。だが、本当に彼は分かっているのだろうか?

「本当は儀王に王冠を預ける時というのは、王の臨終の床で、次の王に王冠を渡す役目を果たすだけなのだけど、王は僕にもっと早く預けられたんだ。

王は僕に王冠を預けるときに、僕自身がこの王冠を自分のものにしてもよいとおっしゃった。つまり僕が儀王を降りて次代の王になってもよいとね。でも、僕はそんなことをしたくはないし、そんな器じゃないからねぇ」

 ユーキは笑いながらごく軽い調子で言っていたが、その発言の内容は重い。

「僕にそんなことを言ってもいいのですか?僕がその情報をドブリスに不利なことに利用するとは考えないのですか?」

「そうだねぇ。君は僕を篭絡してブリガンテスに有利な方向へと操作する事も出来る。あるいは王冠を奪取して自分の傀儡になれそうな者に渡す事も出来る。でも、君はそれをしないだろう?」

 澄んだ瞳で問い返されて、ケイはぐっと詰まった。

「君の交渉の仕方や戦いのやり方は、噂話や対戦した人の話をあちこちから聞いているよ。巧妙で人の心を突いた戦法をとったり、思い切り強硬な手立てでとある一族を滅ぼしたりしていて残酷な戦士だと言われているね。
でも、それによって速やかに戦争を終結させることになっていて、味方の兵士たちをあまり殺さずに済むようにしているわけだし、滅ぼした一族のことだって、戦いに関与していない女や子供たちにはきちんと手を差し伸べているよね。

 君は本質的に戦いを嫌っている人だ、と僕は考えているんだ。だから、僕を利用して逆に戦いを仕掛けるようなことはしないよね?」

「それはどうでしょう。戦いを仕掛けることによって、ドブリスを得ることが出来るなら僕はいくらでも悪辣な手を使うはずですよ」

 ケイはすねたように言った。

「この国はそんな無茶な戦いを仕掛けなくても既にブリガンテスの手に落ちたも同然のはずだ。むしろ混乱を深めて、『海の狼』たちを呼び込むような隙は見せたくはないだろう?

 ここでは、話し合いとお互いの条約とで済ませることが出来る。条約を破る事は、ソーケル王もその後継者もやらないはずだ。そんなことをしたら自分で自分の首を絞めることになる。
僕の役目はそれをわきまえている人間に王冠を渡すことなんだ。このガリアに平和をもたらそうとしている、君と協力できそうな人物にね」

 ケイは動揺した。いや、感動したと言ってもいい。

 自分のやってきたことをこんなふうに肯定的に捉えてくれる人間は初めてだったからだ。亡くなった祖父ならば分かってくれただろうが、父では効率的な戦の仕方を評価してくれてはいるものの、ケイの夢まで知ろうとはしないだろう。

 ケイの願いは、何とかしてより少ない犠牲でこのガリアという島国を『海の狼』から守ろうとすることだった。そのために踏みにじる国の痛み、殺す人間の罪は甘んじて受けるつもりだった。

 残虐な王子、情け容赦なく敵を屠る冷酷な人間。戦の作法も無視する無法者などという不本意なレッテルは甘んじて受けよう。そう決意していた。

そして一方では、自分の心の願いを分かってもらえる人は現れないだろうと諦めていた。

 だが。

「・・・・・ここにいた!」

 無邪気で無垢な人となり。世間知らずで初心で人との駆け引きなど知りもしない。そう思っていた人は、深い洞察力と本質を見抜く鋭い観察力を持っていたのだ。

 彼が無垢で無邪気に見えていたのは、隔離された環境にいたために、恋愛に対して奥手で口説の文句さえ知らなかったせいだったのだ。

 ケイがユーキを失いたくないと思ったのはほとんど衝動的な理由からと言ってもいいもので、強姦という手を使っても死なせたくなかった。

 彼を愛したから。

 そう思っていた。しかしそれだけではなかった。ケイ・トゥゲストという理解されにくい人物をまるで明かりで照らし出すように分かってくれる人間だったから、失いたくないと思ったのだ。

 このような人間は二度と自分の前に現れないかもしれない。本能的にそう考えていたのかもしれなかった。

 ユーキがもしドブリスの後継者だったら、ケイはすぐにこの資質に気がついていたかもしれない。だがそのときは、もしかしたらドブリスとブリガンテスの覇権を争う敵同士になっていたかもしれなかったが。

 この人をもっと知りたいと。この人ともっと親しくなりたいと。親しくなって、そして恋人として愛し合いたいと・・・・・!

 ケイが真剣に彼を欲した瞬間だったのかもしれない。







 ユーキはその日の夕方までケイの居館にいて、夕暮れにまぎれて自分の館へと戻った。

 イダが密かに調べたように、館を荒らしまわった者たちはすでに引き上げた様子で、館に仕えている者たちが中を片付けてあった。中が安全なのを確認した後で、ケイはユーキを送り届けた。

 護衛を残していくことも申し出たのだが、それはユーキから断られた。確かにブリガンテスの兵士が儀王の館にいることは不自然で、だからと言ってドブリスの兵士に命じれば、いつ刺客に成り代わるか分からない。やむをえず館に一人残して引き上げる事になった。

 ケイは館を立ち去る時にユーキに一つの頼みを請い願った。

「ユーキ、また以前のように僕と会ってくださいませんか?
 君には触れないし、君の意に沿わぬことはしないと誓います!ただ君の音楽を聴いて、君と話をしたいだけなんです。
・・・・・それとも・・・・・もう僕と会いたくはないでしょうか」

 最後の言葉がぽつりとつぶやかれ、その言葉の寂しそうな余韻がユーキの心を揺さぶった。

「・・・・・僕とまた会いたい?」

「はい」

 ケイは深くとうなずいていた。暗闇が広がる中、ユーキはケイの目を覗き込んだ。そこには真剣な表情をし、なんとか『イエス』の言葉を聞きたいと願っている目があった。

普段のポーカーフェイスは外れていて、必死に懇願している子供のように・・・・・。

だからこそ、ユーキもつい言ったのだろう。

「この間も言ったように、友人として、だったら・・・・」

「それで結構です!」

「それに、僕にどれくらいの時間が残っているかどうか分からないし・・・・・」

「それでも構いません!」

「それじゃあ・・・・・会ってもいいけど・・・・・」

 ユーキの言葉にケイはほっとした様子でいかにも嬉しそうに笑った。
その満面の笑いは、内心彼にほだされてしまったと悔やんでいたユーキの気持ちをなだめるものがあった。


 ただし、ケイの心の中では、『友人でいる』という言葉の前に『今は』という言葉と、『いつかは』という言葉を付け加えていたのかもしれなかったが、それはユーキが知らなくて幸いというものだったといえるだろう。
【22】