どうしてこんなに気持ちが悪いのだろう?
ユーキはうっとうしい重さの、鈍く痛むからだをもてあましながら、のろのろと目を開けた。どうやら目に当たってきた朝日のまぶしさに起こされたらしい。
「おお、目を覚まされましたか?」
「・・・・・ここは・・・・・?」
きょろきょろとあたりを見回すと、そこは見たことのない部屋だった。
「ここは我々ブリガンテスの者たちが住まいとして提供されている屋敷ですがね」
「・・・・・どうして僕はここに?」
のどがかすれていて、声がほとんど出てこない。
それでユーキは自分の身に何がおきたのかを思い出した。
「・・・・・そうか、僕は・・・・・!」
ぱっと上体を起こしたとたん、からだを走り抜ける鈍い痛みにうめいた。ついでにくらりと目まいも。ぱふんとまた枕に頭を落とすと思わずため息が出た。
「ああ、まだ動かない方がいいですよ。手荒く扱われてしまったようですからね」
「・・・・・あなたは?」
声をかけてくれた者は、察しよくユーキに飲み物の入ったカップを渡して飲ませてくれた。中身は・・・・・水で割ったワインだった。
「俺は、イダ と言います。ブリガンテスの近衛をやっているものでして。今回、ケイ・トゥゲスト殿下のお目付けを任されていたんですが、今回はウチの殿下がとんでもないことをやらかしまして・・・・・」
イダは穏やかに言いながら、ユーキのからだにあまり触れないように巧みに、楽な態勢をとれるよう彼のからだの下に幾つかのクッションを入れて、上体を起き上がらせてくれた。
「本当に申し訳ないことだとは思ってますがね、お詫びはバカ殿下から後ほどたっぷりとさせますよ。まずあなたのからだを治す方を優先したいと思いましたんでね」
「・・・・・僕はどうしてここにいるんですか?」
「殿下を捜しに出かけて、あなたと殿下を発見したんですよ。気を失っているあなたをそのまま放っておけないし、誰かを呼ぶわけにも行きませんでしたからね。密かにここにお連れして看病していたというわけで。
本当は女の人に看病を頼んだ方がよかったんでしょうが、何しろ事情が事情ですからここの人に頼むわけにはいかないってことで、殿下と俺が看病を引き受けていたってわけです」
客として来ている他国のそれも敵対国の人間が、ドブリスの重要な人間を傷つけたとなれば、外交問題になる。それどころか、これを名目にして使節の全員が殺されてしまうことも今の状況ではあり得ることだ。イダの判断は冷静だった。
「・・・・・僕はもう帰らないと」
ユーキは痛むからだを我慢して起き上がろうと、かけてある毛布を持ち上げてベッドから立ち上がろうとしたが、まるで砂袋を詰め込まれたようにからだが重くて動かない。
「しかし、まだ熱が引いていないでしょう?あなたは2日も眠ったままだったんですよ。ああ今日はもう夕方になっているから、2日半ってことになりますね」
「・・・・・2日半、ですか」
ユーキはびっくりした。窓から見えている朝日だと思っていた光は夕日だという。では、あの長い夜が明けたばかりの朝ではなかったのだ。
「・・・・・館に帰れなくてここに泊まっていたというのなら、それが2日でも3日でも同じことですね」
ユーキは苦笑した。
「僕がいまさら遠慮しても仕方ないわけですね」
「まあ、そういうわけです」
イダも笑った。
「じゃあ、もう少しからだが動くようになるまでご厄介になることにします」
「はい。どうぞ遠慮なく。誰かにここにいることを知らせる必要がありますか?使いなら出せますが」
「そうですね。・・・・・ではのちほどお願いします」
「分かりました。では、スープをお持ちしましょう。まず体力を戻さないとね」
イダが立ち上がった。
「あの!イダさん」
「イダでいいですよ。何か御用ですか?」
「あの、・・・・・彼はどうしていますか?」
「バカ殿下ですか?向こうの部屋でブリガンテスの代表らしく外交をしてますよ。ずーっとあなたのそばにくっついていたもので、本来のお役目がおろそかになっていましたんでね。俺が尻を叩いてやりました。
それと、あなたのことに関してでしたら、すっかりしぼんでますよ。あののっぽが縮んで見えるくらいだ。あとで笑ってやってください」
「・・・・・そうですか」
イダが部屋を出て行った後、ユーキはじっと窓から次第に影が濃くなっていく外の景色を見つめていたが、その目は夕日を愉しむものではなく、まして美しい春の花々を鑑賞するものではないようだった。
持ってきてもらった美味しいスープを飲み、もう一度ベッドに横になると、とろとろと眠気が差してきていつの間にか眠っていた。それだけからだが弱っていたのだろう。
イダがケイを呼んできてくれた頃にはすっかり日が暮れていた。
「それじゃ呼んできますかね。どうかお手柔らかにお願いしますよ。」
「・・・・・はあ」
「俺は隣に控えていますから」
「分かりました」
イダは隣の部屋へと行き、何かを誰かと話していたが、やがて彼と入れ違いに背の高い青年が入ってきた。
しかし。
最初、誰なのかと思った。やつれて影が薄く見えるその男は、ユーキが覚えていた傲慢なほどに自信に溢れていたケイ・トゥゲストという男とは別人に見えた。
「ユーキ」
おどおどと視線が定まらず、背中は丸まり、肩は落ちて手が小刻みに震えている。
「どうぞ座ってください」
ユーキがそう言うと、彼はおずおずとベッドのそばの椅子に座り、持っていた剣をユーキのすぐ隣のテーブルに置いた。
「珍しいですね。あなたが剣を手元から離すなんて。・・・・・さわっても?」
ユーキが伺うようにケイを見ると、彼は黙ってうなずいた。
ユーキはそっと剣の柄をつかんだ。彼の剣は、金や銀を使った精緻な細工をほどこされていた。彼の身を飾る装飾品のように見えながら、機能的なつくりをしていてこれが実用品であることを明らかにしている。すらりと鞘を抜くと、中から出てくるのは銀色に光を跳ね返す、鍛え抜かれた剛剣。
彼の剣はケイ・トゥゲストという人物を如実にあらわしたものだった。
不意にユーキは剣をケイの喉下に突きつけた。剣の先がケイの肌にふれて、かすかに切れたようだった。だが、ケイは動かなかった。まるでそれを待ち望んでいるようにさえ見えた。
「どうぞ僕を罰してください」
低く抑えた声が、彼の口からきしりながらこぼれ落ちた。
「・・・・・なぜですか?」
「なぜ・・・・・って!僕はあなたを強姦したんですよ?」
「ああ、そうなりますね」
ユーキの意外な言葉に、ケイは目をしばたたかせた。
「・・・・・なぜそんなに落ち着いているんですか?僕は君にひどい事をしたんですよ?君は僕を憎んで、そして・・・・・僕を殺そうとしてもおかしくないはずだ。君にはそうするだけの権利がある!」
断罪を待つ罪人のように、彼は頭を下げた。まるで罪人が罪を裁かれるのを待っているかのように。
「ケイ。ずいぶん無茶なことを考えましたね」
ユーキはついっと剣を手元に引いて、元通りに鞘へと戻した。そっと自分の膝の上に剣を置くと、ふっとため息がこぼれた。
「あなたはブリガンテスの世継ぎなんですよ?もし僕がこのまま剣を突き出して怪我をさせたら国にいる人たちが悲しむでしょうに。殺されても構わなかったのですか?」
「君がそれを望むなら」
「この剣であなたに怪我させたりしたら、僕は儀王のままではいられない。だから、あえて剣を持たせようとして僕の手の届くここに置いたのではないですか?」
ぎくりとケイの肩が揺れた。
「ずいぶんと捨て身な方法ですね。やり手の策謀家と噂に聞くブリガンテスの王子らしくないやり方だ。それに・・・・・もし僕が君の暴力に屈したせいで、気が変になったりしたらどうするつもりだったのですか?」
「君は逃げたりはしない人です。僕のしたことに自分から逃げるようなことはないはずですね。あなたならきっと立ち向かう人だと分かっていましたから」
ユーキはその言葉にため息をついてみせた。
「ですから僕はどのような強引な方法をとってでも、儀王をやめさせようと思ったのです。自分でも無謀な方法だったと反省しています」
ケイはしぶしぶとそう答えた。
「でも、それほどのことをしてもらうような価値は僕にはありませんよ?」
「そんなことはありません!」
ケイは叫んだ。
「君はぜひ生きているべきだ!こんな儀式の生贄として殺されるような人ではないはずです!」
「そうやって買いかぶられても困りますけどね」
ユーキは困惑した。ブリガンテスの王子が自分の命を賭けてまで救おうとする自分のどこに、それほどの価値を見出したのだろうか?
「他の誰が替わりになって死んでもいい。それが理不尽なことであろうが僕の我がままであろうが君には生きて欲しかったんです!」
「それは困ります。僕は人を殺したくないから儀王をやめないのですよ?それなのに、あなたを殺して儀王を降りる?本末転倒もいいとこだ」
「・・・・・しかし!」
「ありがたいと思います。あなたが僕を本当に惜しんでくださることは。ですが、たとえどんなことをされてもこの決心だけは曲げられないんです」
「それでは君はいずれ殺されることになるではありませんか!」
「ええ。ですがこれが僕の戦いでもあるんです。誰にも邪魔はさせません!」
ユーキはおだやかに微笑んでいたが、その目には誰からの命令も拒む強い決意が見えた。
【20】