「コバー殿の秘策とは何ですか?」
ケイが尋ねると、ワコウがきょろきょろと周囲に目をやり、イダの方をちらりと睨んでから、小さい声で言った。
「あなた様です」
「僕、ですか?」
ケイはひょいと眉を上げて見せた。
「つまり、僕を『海の狼』たちへの貢物にするつもりですか」
「ばかな!城門の前で歓迎の杯を与えたものが、裏切るのか!?それは大きな掟破りだろう!」
イダが叫んだ。
家の前で酒杯を家の主が捧げるのは、古くからの慣習であった。客へのねぎらいと共に安全を保障する意味合いもある。城への招待となれば、王ではなくても、一族の誰かがやってきて杯を渡すのが慣わしだった。
主が杯を捧げ、客が杯を受ける。それはたとえ敵同士であっても、家の敷居を出るまでは、殺意を持たないという誓いの証でもあったのだ。
慣習を破るものは、神の加護を失うとともに、不運を背負い込む事になる、と言われている。それは卑怯者には誰もが背を向けるということを意味しているのだ。だから誰も慣習破りをやろうとはしない。
相手の信頼を破棄するような行為をするはずがないのだ。
「イダ」
ケイがちらりと目線を向けると、イダは黙ってまた椅子に座り込んだ。
「人は自分の利に叶うとしたら、どんなことだってやるものですよ。たとえ裏切りや卑怯な真似だとしても、です。
しかし、コバー殿に慣習を無視するような勇気がよくありましたね」
ワコウは気ぜわしくうなずいてみせた。
「実は、ケイ・トゥゲスト殿の一行を迎えに出た者たちの中には、一人としてモリオスの血を引くものはおりません。当然、コバー殿の一族の血を引くものも、です。トゥゲスト殿に杯を捧げた乙女も、血縁者ではないのです」
「それは詭弁だろう!」
イダが小さな声でののしった。しかし、ケイから厳しい視線を向けられると静かになった。
「つまり一族のものは誰も歓迎しなかったのだから、敵に売り渡しても掟をやぶることにはならないと言うわけですね。それで諸侯たちが納得するとも思えないが・・・・・」
ケイは無表情のままワコウとの話を続けた。
「はい。ですが、彼以外に王の後を継げるものがおりませんので、結局は承諾することでしょう。
アクエ・スリスの戦いでソーケル王が怪我をされて以来ベッドから起き上がれなくなる日が多くなり、政務を執れなくなって、コバー殿はすでに王であるかのように振舞っております。
彼は自分の味方にならないような者たちを次々に罠に陥れてこの地から追放したり、殺させたりしていました。
ですから今現在、彼以外にこの地に居る者の中でモリオス王を継げるものは、ほとんどいないのです」
「それで、コバー殿は僕を彼らに引き渡して、彼らの協力を得てガリアを制してから、どうするつもりなのでしょうかね。『海の狼』ともあろう者たちが、そのままおとなしくガリアから引き上げるとも思えないが」
『海の狼」たちが、この肥沃なガリアの地を指をくわえて見ているだけのはずはないのだ。それも戦いの後となれば、言うまでも無い。
「ガリアの一部を分割することとボーディガン王の娘をコバー殿が王妃として迎え入れる密約が既になされております」
「ボーディガン王の・・・・・」
『海の狼』と呼ばれる人々の中でも、とりわけ強大な勢力を誇る一族の長。彼ならば他の一族に命令することも可能だろう。しかし・・・・・。
「『海の狼』たちは血族の絆が強いと聞いております。婚姻関係を結んだ以上、娘婿や孫の住む土地は侵さないはずだとコバー殿は我々に言っています。しかし、本当に大丈夫なのか我々は不安を抱えているのです。
『海の狼』たちは自分たち一族の中では強い結びつきを持っていますが、それが政略結婚で結びついた相手とも信頼が築けるのかどうか。
ガリアを征服するまではボーディガン王もコバー殿との同盟も守るでしょう。しかし、征服した後は・・・・・?」
ワコウはそこで言葉をとぎらせ、続きをケイが答えた。
「確かに、彼らがその後も同盟を守るのかどうかは疑問ですね。特にコバー殿の妻となったボーディガン王の娘に息子が生まれたら、その子にドブリスを継がせて後見に入るという目的で、あっという間にガリアを蹂躙することもありえることだ」
そのとき、コバーがどうなっているかは・・・・・暗黙のうちに部屋の中にいる者には分かっていた。
「それで、僕にどうしろと言うのですか?」
ケイがワコウに尋ねると、彼は必死な形相で言った。
「どうか、ブリガンテスの軍勢をこの地に・・・・・!」
「何の目的で?」
「それはもちろん、コバー殿の野望を打ち砕き、ガリアの平和を守っていただきたい!」
「僕はここに和平使節として入っているのですがね。その僕に条約を破れと?」
「ガリアが『海の狼』に蹂躙されるよりはましでしょう。どうか、我々を助けていただきたい!」
ワコウは熱心にケイに訴えた。
「本当にそれだけですか?」
ケイの冷ややかな声がワコウを鼻白ませた。
「そ、そうですが・・・・・」
「ではうかがいますが、僕が条約を破りこの地に軍勢を呼び寄せてコバー殿を討ち取ったとして、その後この地を誰が支配する事になるのでしょうね?」
「そ、それは・・・・・」
「先ほど君はコバー殿以外にソーケル王の後を継いでドブリスを治められる者はいないと言った。それではここに王になれる者はいないことになる。
僕は単なる略奪者であり、簒奪者となってしまう。そんなことをする施政者についてくる者はいなくなってしまう。
それとも僕に条約破りをさせて諸侯たちの反乱を招き、混乱に乗じてドブリスを手に入れようとしている誰かがいるということなのでしょうか?」
ワコウは今や真っ青になってそわそわと目を逸らしていた。
ケイに『海の狼』の話をすれば、すぐさま自分の話に乗ってくれると思っていたらしい。
「い、いえ。実はコバー殿の代わりに王になれる者はおります!」
ワコウはあわてて答えた。
「ほう?先ほど君はいないと言っていたようだが?」
「い、今のままではいないと言うことになるのです。彼は現在王を継げる身分を持っていませんから。しかし、どうにかして身分を快復すれば、立派な王位継承権を持っている人物はいるのです!」
「そのように人物がいたのですか?」
ケイは城の中で逢った人物全ての顔と身分を頭の中で思い返していた。
だが、その中の誰も該当するとは考えられない。これはどうもワコウの苦し紛れに引っ張り出した架空の人物ではないのか考えていると、ワコウは額ににじんだ汗を拭きながら言った。
「ソーケル王の妹の息子です。彼は今、確か・・・・・23歳です」
「ほう?」
ソーケル王の甥ということになる。ケイよりも一つ年上の人物。
確かに王位継承権を持つものとしては充分王に近い。だがなぜ今まで会ったことがないのだろう?
「ケイ殿もそれで彼を捜されていたのでしょう?」
ケイはひょいと眉を上げて彼の次の言葉を待った。
「ユーキ・モリオス。現在はギオウとなられているお方ですよ」
ワコウはしたり顔で言った。
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