「反逆者、ですか」
「ええ」
ユーキは短く答えたが、そのことについては触れて欲しくないらしく、顔を背けると奥へと姿を消した。かたことと奥のほうで音をさせていたかと思うと、精緻な意匠をほどこしてある木のカップになみなみと蜜酒ミードを注いで持ってきてくれた。
「どうぞ」
だが、ケイの手は出なかった。
「花の蜜をなめようとしたのはのどが渇いていたせいではありませんか?これに毒は入っていませんよ」
そう言うと、ユーキは一口飲んで見せた。王族は初めて出された食物には必ず毒見が必要とされる。それでユーキが毒見をするのを待っていると思ったらしい。
ケイが手を出さなかったのは、彼がなぜ急に杯を差し出したのかとっさに分からなかっただけ・・・・・いや単に彼の立ち居振る舞いに見とれていただけだったのだが。
「・・・・・ありがとうございます」
ケイは彼の手からカップを受け取りユーキの口をつけたところから一口すすった。ミードは芳醇で丁寧に仕込んであって
ほんのりとほのかに林檎の香りがする。どうやら、香り付けに林檎を使ったものらしい。冷暗所に長く寝かせてあったらしく極上の味がする。
もっとも彼が味見してくれたものだと考えたからこそ、余計に甘美なものに思えたのかもしれなかったが。
「とても美味しいですね。林檎の風味がするのがとてもいい」
「そうですか?お口に合ったようでよかったです」
にっこりと笑う顔にまた魅了された。
「渇きは癒されました。ありがとう」
ユーキは目を見張った。それは、家を訪問した時、家の主人からもてなされた酒に対して行う客の、答礼の言葉だったのだ。
「どういたしまして。あなたの喜びは私の喜びです」
ユーキは微笑みながらしきたりどおりそう返した。
ケイが半分ジョークで言ったこの言葉はユーキにとっては深い意味があったのだが、ケイがその意味を知るのはもっと先のこととなる。
「さて。ではリラをお聞かせしましょうか」
ユーキは棚に載せてあった包みを持ち出して布を開き、中から楽器を取り出した。
「綺麗なものですね!」
ケイが感嘆の声を上げた。それはこの間ユーキが演奏した木の楽器だった。今改めて近くで見てみるとつややかな木で出来た美術品ともいえるような逸品だった。
「ごらんになりますか?」
「よろしいのですか?」
「どうぞ」
差し出された楽器を手に取ると、その軽さに驚いた。どうやら薄い板を張り合わせて作られている楽器らしい。
軽く指で叩くと良く響く音がする。表面は滑らかでとろりと蜂蜜色のつやを出しているニスが塗られ、微かに木目の模様が透けて見える。裏を返すとそこには周囲にびっしりと模様が彫りこまれていた。
「これは、東方の意匠のようですね」
「ええ、アラベスクですね。僕に楽器の弾き方を教えてくれてこの楽器を譲って下さった師匠は、ダール・アルイスラーム(イスラム圏)からファールス(ペルシア)果てはクドゥス(エルサレム)までを旅してこられた人でした。ですが、この楽器自体は東方のものではないそうです。もともとはシッキリーヤ(シチリア)の職人が作っていたものを買受けたとおっしゃってました。僕がこの楽器の音に惚れ込んだもので無理を言って譲っていただたいのです」
「楽器の名前はリラでしたか?」
「ええ、リラ(Lyre)です」
ユーキの指が愛しそうに楽器に触れた。
「この子が僕の生きがいです」
そう言って我が子を慈しむように大切に抱き上げた。
「あなたがこの子の音色を気に入られたようで嬉しいですよ。何か曲目のリクエストはありますか?」
「・・・・・いえ、あなたの好きなもので結構です」
ユーキはうなずくと、数歩ケイの前から離れて楽器を構え調弦をし、まるで祈るかのようにじっとうつむいていたが、意を決したかのように弓を構えて弾き始めた。
神殿で聴いた曲や聴いたことのない曲が次から次へと演奏された。どの曲もケイを惹きつけてやまないものばかりだった。
ケイは楽しく夢想した。
もし、自分がこの地に生まれていたとしたら、こんなふうに音楽に身を捧げていたかもしれない、と。
そして彼と一緒にきっとこの曲に合わせて合奏をしたいと思っただろう。
それはとても楽しい夢だった。
しかし、実際にはケイはブリガンテスの王子として生まれていて、その両手は物心ついたころから血に染まっている。その汚れは既に染み付いて消えることはないし、これからも血に塗れていくに違いない。そのことをよく知っているし、覚悟して忘れることはない。だからこそこの自然に膝を折りたくなるような暖かく許しに満ちた音色に、惹かれてやまないのかもしれなかった。
ふっと弓が下ろされ、ユーキは演奏を止めた。そのまま丁寧にリンネルの布に楽器を包み始めた。
「そろそろ帰った方がいいでしょう。時間が経ちすぎますから」
ケイに向かって微笑みながら、この場所を離れるように促した。
彼が、欲しい・・・・・!
突然、目もくらむような願望がふつふつとケイの心に湧き上がってくる。
いや願望ではない。これは渇望だ。やみくもに手の中に攫いこんで決して逃がさないように抱え込みたい凶暴な衝動がこみ上げてくる。
「あの・・・・・どうかしましたか?」
ふと我に返ると、ユーキは心配そうにケイの顔を覗き込んでいいた。
「ああ、いや。すみません、あまりに演奏が素晴らしかったので、魂が歓びの野マーグメルドの近くまで遊びにいってしまったようです」
くすりとユーキが笑った。
「お世辞でもそんなふうに言っていただけて嬉しいですよ」
「世辞など僕は言いませんよ!しかし・・・・・ああ、僕は聞き惚れてしまって拍手もしませんでしたね。申し訳ありません。失礼な聞き手だった」
「とんでもない、あなたのうっとりしていた顔だけで、充分なものでした。まして、拍手を忘れるほど聞き惚れてもらっていたなんて光栄です。」
微笑んだ顔は何の疑いも皮肉もどこかに忘れてきたかのように無防備で無垢なものだった。
「ところでですが・・・・・」
「何か?」
「この間神殿であなたの演奏を聴いた時、人々はあなたに金貨や装身具を渡していましたね。あれがあなたの演奏を聴かせていただいたお礼ということなのでしょう?僕も何かあなたにお礼がしたいのですが、これを・・・・・」
ケイは自分の首にかかっている金の首飾りトルクをはずして渡そうとした。
「いけません。ここは神殿ではない。それにここで演奏をして見せたのはお礼をもらいたいためではありません。首飾りは外さないで」
ユーキは差し出そうとするトルクを押さえた。
当然のことながら彼の手はケイの胸を押さえることになり、圭の胸は動悸で高鳴った。大軍を前にしても動じたことのなかったケイは、彼の手が触れたことだけで大いにうろたえてしまった。ただポーカーフェイスは完璧で、ユーキに動揺を悟られる事はなかったが。
「あー、ですがそれでは僕の気が済みません!それではまた演奏を聴かせて貰うことが出来ないではありませんか!」
「・・・・・は?」
きょとんとした顔がふいに幼くなった。
「つまり、またリラを聴きたいと?」
「ここであなたとまた会って、話をして、リラも聴きたいということです!」
ケイは会いたいというところを強く言ったのだが・・・・・、その意味については彼の中で素通りしたらしい。
「では、今度何かあなたの好きな話をしていただけませんか?僕はどうやら人と話すことと新しい知識を知る事に飢えていたようです。あなたがお話をしてくださるのなら、それを代価としていただきたいと思います」
「分かりました。ありがとうございます。では今度あなたが興味を持つような話を考えてきましょう!」
「ええ、楽しみにしていますよ。ブリガンテスのトウゲスト殿」
「ケイ、です」
「はい?」
「ですから、ケイと呼んでいただけませんか?」
「ですが・・・・・」
「あなたの演奏をお聴きするのも僕が話をするのも、お互いに友人同士としてでしょう?でしたら、ぜひ僕のことをケイと呼んでいただけませんか?」
ケイは彼の手をとらんばかりにして懇願した。
「それほどあなたがおっしゃるのなら、お呼びしますが・・・・・。ケイ殿」
「ケイ、ですよ。友人ならば呼び捨てでしょう?僕もあなたのことをユーキと呼んでも構いませんか?」
「・・・・・どうぞ」
「ありがとう。それでは、ユーキ。次回は何時会っていただけますか?」
「次回、ですか?」
ケイのあまりにせっかちな言葉に、ユーキは笑い出していた。
【11】