【3】
ケイたちの一行は、その夜 歓迎の宴でもてなされた。
宴席にはこのタナタスと同盟関係にあるという、周辺のダムノニややカムルーの諸侯も招かれていた。このドブリス王国の首都タナタスがいかに周囲に力を持っているかをアピールするつもりもあるのだろう。
宴会場は沢山のあたたかな光を放つ蜜蝋燭で照らし出されていた。蔦やマンネンロウや月桂樹の葉で編んだ飾り綱のかぐわしい匂いが暖炉で燃えている木の煙の匂いと混じって心地よい雰囲気をかもし出していた。
固ゆでのアヒルの卵や貯蔵してあった魚の燻製を盛った最初の皿がテーブルに運ばれ、続いて古くからこの街に伝わっているという、豊富な食材を生かした数々の料理が所狭しと並べられた。それに黄金や真紅のワインや芳醇なミードやあわ立つエールが人々の前に供された。
王であるソーケル・モリオスはこの宴会の最初にお付の屈強な男に支えられて出てくると、ケイたちに歓迎の言葉を述べた。
その姿を見たケイは、表情にこそ出さなかったが内心では大きな衝撃を受けていた。以前アクエ・スリスの激しい戦いにおいては、老いたりと言えどもソーケル王は雄雄しい戦士としての姿を見せていた。ところがこの衰え切った姿はどうしたことか。肌は古びた羊皮紙のように黄ばみ、頬はたるみ目の下にはどす黒い隈が出来ている。
ケイだけではなく、招かれた諸侯の中にも動揺が起こっていたようだった。その影響の大きさを自分でも分かっているのか、王はまもなく宴会の途中で退席する無礼を詫びると、よろよろとした足取りで、帳の陰の自らの寝室へと引き取っていった。
その後の宴会を仕切っていたのは、王の甥にあたるターダッド・コバーだった。彼はケイたちにこの国の栄光や伝統を口にし、偉大なる先祖の功績を讃える歌を楽師たちに歌わせてタナタスの素晴らしさを誇示した。しかし、ケイたちの国ブリガンテスにとっては力がすべてであり、既に衰退してしまったロウムの栄光に支えられた過去の功績などには何の魅力も感じられなかった。
「どうやら今現在この国を動かしているのはあの男らしいが。やれやれ、ソーケル王がお元気だったら、敵国人である我らにこんなものを見せて敵対感を煽ることなどしなかったでしょうに。何を勘違いしてるんだか、あの男は」
ケイの隣に陣取ったイダは、小さな声で苦々しげに囁いた。
「確かターダッドは我々との戦いの時、後衛に廻って直接は戦っていなかったはず。我々の恐ろしさを肌で感じなかったからでしょう。彼の頭の中はどうやってこの国の支配権を得るか、それだけしかないようだ。この見世物も我々に見せているというより、ダムノニやカムルーの諸侯に見せるためのものでしょう」
ケイもシニカルに口元をゆがめて、杯を口に運んだ。
「この国のもので良いと思ったのはこの酒や料理くらいのものでしょうかね」
ケイの横には酒の酌をしてくれるかわいい少年が控えており、ケイにその気があればそのまま寝室へと同行することも承知するつもりらしかった。だがケイは酒を注いでもらおうとするだけで、彼の熱い視線には目もくれない。
「あいかわらず冷たいねぇ、殿下は。その子がおめがねにかなわなくたって、微笑むくらいしてやっても減りゃしないのに」
だが、ケイの目には酌をしてくれる少年は媚を売っているだけの浅薄な気性が見えて食指をそそるものではなく、目を向ける気もうせていた。
いつまでもだらだらと続くように思えた宴会も、ようやくお開きになりそうな気配が見えてきた。召使らしい人物が出てきてぱんぱんと手を叩き、歌や演奏をしていたものたちを下げさせた。
「いかがだったでしょうか?ケイ殿下。わが国の歌や踊りはお気に召したでしょうか?」
酔いで赤くほてった顔に愛想笑いを浮かべたターダッドは、そう尋ねた。
「ええ、結構でしたよ。ですが、少々気になったことがあるのですが、伺ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、なんなりと」
ターダッドは伽をさせる人間を所望されると思っているのか、愛想よくケイの周囲へと目を配った。
「実はこちらへ来る途中で、聞いたことのないような音楽が聞こえました。この国独特の楽器ではないかと思うのですが、今ここでは演奏されなかったようですね」
「・・・・・楽器、ですか?」
ターダッドは目をぱちくりさせて、ケイの質問を繰り返した。そして、ケイたちを迎えに行った者の一人を呼び寄せるとこそこそと問いただした。
家来は途中で圭が兵士に質問していたことを告げたらしい。すると、途端にターダッドの赤い顔が青ざめた。
「い、いや。ケイ殿下、そんな楽器はないようですよ。きっと何かの聞き間違いでしょう。わが国にはそんな楽器はありません」
きっぱりと平静な様子で答えたが、その目はうろうろと定まらずケイの方を見ようとはしなかった。
ケイはその答えに更なる疑問と好奇心をそそられたが、それ以上は追求しようとはしなかった。
「・・・・・そうですか。それは失礼致しました。それではこれとは別に、一つお願いがあるのですが、聞き入れていただけませんか?」
「はあ、どうぞ。承りましょう」
用心深くうなずいた。
「さすがにタナタスはガリアの麗しい花と言われるだけのことはある街のようです。ぜひあちこちと見物させていただきたいのですが、許可していただけるでしょうか?」
「おお、それは構いませんとも。どうぞお好きなところを見ていってください。わが国は古く素晴らしい文化に満ちています。ケイ殿下のお気に召すものが必ずあると思いますよ。皆様の安全はこの私ターダッド・コバーが保証いたします」
ケイは満足そうに微笑んでうなずいて見せた。
「聞いたか?諸君!タナタスはこの街での我々の身の安全を保障してくれた!安心して見物させてもらえるそうだぞ」
すばやくイダが叫び、同行した騎士たちも立ち上がると、ターダッドの寛容さを褒め称えた。
それを見たターダッドはいかにも嬉しそうな顔をしていたが、その側に控えていたヤハンという部下は逆に苦々しげな顔をしてみせた。
「どうやらあのヤハンというヤツは、我々をこの滞在中にどうにかしようと企んでいるようですね。ケイ王子がブリガンテスの世継ぎであり歴戦の戦上手だということを知って、心が動いたのでしょう。暗殺するつもりなのか、人質とするつもりなのか。いずれの方法をとっても自国に有利なことになると計算しているようだ。何とか外交の礼儀の手袋から戦の刃を抜き出したいらしい」
周囲の人間を観察していたイダは、ケイに向かって囁いた。
「心の動きをあからさまに表情に出しているのだから、彼は我々にとって手ごわい敵ではないということです。本物の敵ならこんな時には表情をあからさまには見せないものですよ」
ケイはポーカーフェイスのままで答えた。
「タナタスが我々の安全を保障した以上、もし万が一のことがあればこの城塞都市にブリガンテスが攻め込む口実を作ってしまうってことに、彼は気がついているんでしょうかね?」
イダが更に囁くと、
「気がついているはずはないでしょう。もし気がついているなら、諸侯のいる前で許可などしなかったはずだ。諸侯が聞いた以上ターダッドはこの約束を厳守することが求められている。ソーケル王ならうまくごまかしたでしょうね。しかし、これで我々の行動も自由になった。
イダ、ブリガンテスへの連絡はどうなっていますか?」
「お任せください。いつでも動けるようになっております」
圭はうなずくと、宿舎として決められた部屋へと引き取ったのだった。