お や す み
どのような話の流れからこのような話になったのだったのだったか。
「僕はおばあちゃん子でねぇ」
悠季がなつかしそうに話し出した。
「小さい頃に亡くなっているから、細かい事までは覚えていないんだ。でも、ずいぶんかわいがってもらっていたことは記憶してるよ。
君も行ったから知っていると思うけど、越後の冬はとても寒くて湿気があるから、夜寝る時は布団がとても冷たいんだ。
僕は小さい頃、おばあちゃんの布団にもぐり込ませてもらっては一緒に寝ていたものだよ」
悠季の育った環境が穏やかで慈愛に満ちていたことは、折々の思い出話の中から滲み出してくる。僕は宝物のような悠季の話を拝聴し、頭の中の悠季専用の記憶の箱に大切にしまいこんだ。
「父さんから聞いた雪女郎の話だって、実はおばあちゃんから聞かされた話なんだそうだ。
僕が怖くて母さんの布団にもぐりこんだのと同じように、父さんもおばあちゃんの布団にもぐりこんで寝たんだって。
僕が姉さんたちにからかわれているのを知って、父さんがこっそりと白状してくれたんだ」
そうですか、君はそんなふうに誰かのぬくもりで慰めてもらうすべを持っていたのですね。
僕とはまるで違う、という言葉を圭は飲み込んだ。
言ってもせん無いこと。いや、負け惜しみにしか思えない言葉だ。
僕は幼い頃、添い寝の記憶がないのだから。
桐院家では、子供は幼いうちに一人前の部屋を与えられる。当然そこでは一人きりで寝る事が求められており、伊沢もはつも僕に添い寝することは許されなかった。
燦子母上が僕と添い寝するなど考えられない。
だから、僕は子供の頃誰かと一緒に寝た記憶がないのだ。
僕が誰かとベッドを共にすると言えば、それは大人になってからであり、当然のことのようにセックスを伴ったベッドインを意味した。
僕が女と関係を持ったとき、その温かなぬくもりに癒しを求めたことを認めるのもやぶさかでもないが、僕の恋心がことごとく打ち砕かれてからというもの、ベッドインとは即物的な快楽と欲望のはけ口と同義語になっていた。
初めて男性と関係を持った相手、リッチー。彼との体験はとても慰めと労わりに満ちたものだった。だから彼と別れた後、新たな人間とあたたかな関係を結べないかと心の底に願っていたことも認めよう。
だが、何人もの相手と夜を共にしていくうちに、苦い思いとともに心のよりどころをセックスに求める愚を知ってしまった。
新宿で、ウィーンで、そしてベルリンで。
僕は幾人もの男たちと夜を共にし、夜明けまでベッドを共にし、朝になってあっさりと分かれたことだろう。互いに肉体の快楽を享受すればそれで構わないと割り切った関係だった。
もちろん、そんな僕の態度を不満に思う者もいたが、彼らは大人であり、世間体という鎧を纏う身であることを自覚しており、たいていの場合は苦笑しつつ容認してくれた。
・・・・・もっとも、例外は何時の場合もあるものだ。僕との関係を恋だと思い込んで愁嘆場を演じる者もいて、彼らをうまくあしらうのにうんざりしたが。
やむを得ない事情でベルリンから日本に帰ることになり、富士見町に腰を据えることになったが、僕の性情は変わってはいなかった。周囲に自分を認めさせるためのセンサーを張り巡らしていた緊張から性欲まで気が回らず新宿に出かける余裕はなかったが、いずれ出掛けていたことだろう。
あるいはMHKを退団して再び欧州に再度旅立っていた方が先だったかもしれないが。
そんな時見つけた、悠季。彼との奇跡のような出会い。
バイオリンの音色に惚れ込んで、やみくもに探し回る日々が続いた。
バイオリンの音色に出会うことなく偶然に悠季に出会ったとしたら、はたして今のようにのめり込む様に惚れ込む事があっただろうか?
たとえば、駅や喫茶店で。
好みのタイプだと思い、アプローチしたいと思うことはあっただろうが、それ以上の情熱的な進展があったとは思えない。
いや、おそらく惚れ込んだに違いないが、それはセックスできるかどうかの相手として誘いかける方が先で、自分の音楽のパートナーとして唯一の人間なのだと思い定めるまではいかなかったはずだ。
その意味では、あの富士見川の岸辺で僕に聞かせてくれた悠季のバイオリンの音色は、サイレンの声のように僕を彼に縛り付けるものだったと言えなくもない。
あの悪魔に魅入られたような六月最後の夜を過ぎたあと、悠季とようやくのことで和解にこぎつけた。それは、薄氷を踏むような危うい友情を装った日々が続くことが約束されたことでもあった。
どうにも身動きが出来ないような立場になってしまい、悠季とどうやったら恋人になってもらえるか暗中模索していた頃、チャンスはやってきたのだ、
じりじりと暑い夏の数日。火事でアパートを消失された悠季が僕のマンションに緊急避難してくることになり、熱中症で弱ったからだを癒していた。
悠季は僕がまた獣性をむき出して襲い掛かるのではないかとおびえているのはよく分かっていた。
僕のやせ我慢を受け入れて一緒のベッドに寝る事になることになったのは、彼の人柄のためだ。彼は本来善意でしか回りを見ていない。人を疑ったり悪意を持って対することはないのだろう。だから他人との言葉の駆け引きなど彼は考えた事もないのだ。
今から考えればおかしみを誘われるものだが、僕たちは一つベッドの中で互いを意識しながらもまったく気にしないという見せかけの態度で平静な振りをし続けていたのだ。
緊張して僕が強姦に至った晩のことを思い出しては惧れと共に快感のリフレインに戸惑っていた悠季。その彼の様子をすぐそばで窺いながら必死の演技で淡々とごく普通の態度を装い続けていた僕。
――もっともそのさりげなさも風呂での数度の自慰行為の後のものだったのだが。――
親しい肉親との添い寝の経験がある悠季は、ごく自然な態度で僕の腕の中に落ちてきた。僕のやせ我慢に気付かず、緊張を解いて僕に寄り添ってみせたのだ。温かく手に馴染むようなしなやかさのからだで。
そして・・・・・。
僕はその心地良さに魅了されてしまったのだ。
添い寝の経験がない僕が、彼を抱きしめているのに逆に抱きしめられているような穏やかな安寧をもらっている。
泣きたくなるような優しさがしみ込んで来て、僕をとらえて放さない。麻薬に溺れきった者のように悠季のぬくもりにすがりつき離れたくなかった。
その抗いがたい魅力。
後日、悠季がマンションのすぐ下の部屋に越してくることになって、少しずつ僕との距離を縮めていって喜んだのだったが・・・・・。しかし、その距離はあくまでも親しいけれどごく一般的な友人を目指していると知った時、僕の中で微妙に均衡をとっていた何かが崩れていった。
彼は僕とセックスを含めた恋人になることを拒んでいる。そう思うのも無理はない。
自業自得だ。
焦燥と恋慕にはらわたを引きちぎられる思いを重ねた忍耐の日々。その間中、僕は彼と数日間過ごした夏の日の添い寝の記憶だけを心の慰めとした。
その想いは、悠季が僕とベッドを共にしてくれるようになっても同じで、僕の喜びと苦痛は続いていた。
彼は僕の部屋に泊まる事を好まない。彼は朝起きた時、僕と顔を合わせるのが苦手なのだ。
気まずさと照れと羞恥心。そして、後悔。
だが僕はそれに気がつかないふりをする。いや、むしろ愛しくて愛しくてたまらない思いが増していく。
だから僕は彼に耽溺し、彼を疲れ果てて帰れなくなるまで抱きしめて、その魅力に身をひたすことを望んだ。
もっとも、それを許してくれるのは、彼のスケジュールが次の日に何もない休日であることと、いくらかアルコールが入っていて気分がリラックスしているときに限っていた。
それに、タガが外れた晩を過ごした次の日からしばらくの間、悠季はまるで針鼠のように警戒してしまい、夜遅くまで練習することもなく僕の部屋から帰るというつらい罰までついてしまったのが・・・・・思い出すと自分でも情けないことだった。
そして、今。
悠季は僕の腕の中で眠ってくれる。この奇跡の宝石のように大切な時間。
添い寝を知らなかった僕は、一番大切なぬくもりをこの手の中に持ちえることが出来た。悠季を抱きしめて、とろとろと柔らかな眠りに引き込まれていく時、僕はこの世の全てのものに感謝を捧げる。
どうぞこの平穏な日々がいつまでも続きますように。
おやすみなさい、悠季。