「大変よ、亡くなったんやて」

 まだ営業時間には早く、2階にあるゲイバー『花音』は始まっていない。いつもの開始時間前の掃除中に、ママの千種があわてた顔でやってきた。

「誰が亡くなったん?」

 誰か得意客の一人が亡くなったのかと、カオリは思っていた。そうじゃなければ経営者の千種が動揺するとは思えない。

「ここのビルのオーナーのおじいちゃんが亡くなったんやて」

「ええ〜〜っ!?」

 カオリは両手を口に当てて野太い声で驚きの声をあげた。



 オーナーである老人は、長くナンバでこの貸しビルを持っており、時折非常階段や共用スペースの掃除をしているのを見かけたことがある。

 きさくで気のいい老人で、ニューハーフであるカオリたちに対してもごく普通に接してくれて、笑顔を向けてくれる態度に好感を持っていた。

「そやったら、ここのビルはどうなってしまうの?もしかして追い出されてしまう?」

「大丈夫。おじいちゃんが店子を追い出すようなことはするなてお孫さんに言ってあったそうやから、このまま商売を続けられそうや」

「そらよかったわぁ」

「ほんまにねぇ。あのおじいちゃんは、『もうこのビルは古くなってるし、このビルから上がってくる家賃は自分の口を養えればええだけやから、がめつうしなくてええんや』言うて、この界隈の相場よりもずっと安う家賃を抑えてくれはったんよ。それはえらいありがたいて思うてたのよ。
それでね、お葬式に行こうと思ってるんやけど、みんなも行ってくれる?」

「そら、行ってもええけど・・・・・」

 カオリは思わず口ごもっていた。

 あの老人の葬式に行くのは構わない。好意を持っていたし、このビルのオーナーであるのだから義理としても行くべきかもしれない。

 ただ、ごく普通に暮らしている人々にとって、大柄でいかにも男性にしか見えないカオリたちが女装して化粧をした姿で押しかけてきたのを見て、どう思うか。これまでの経験からして、あまりいい場面になったことがないのだ。

「ええんよ。あのおじいちゃんはほとんど身内らしい身内がおらへんのやて。たった一人いるのが東京に住んでいる孫息子だけなんやて。そやから誰もお葬式に行かへんてことになると、とても寂しいんやないかと思うんよ」

 千種と老人との付き合いは長い方ではない。それでも、老人が身内の少ない寂しい身の上だということは知っていたらしい。

「おじいちゃんの最後はにぎやかに送ってあげなかわいそうやろ?」

 千種の言葉に店の女の子たちはいっせいにうなずいた。






 葬儀会場に出向くと、ビルの3階にあるバー【indigo】の野田や、1階の中華料理店【王林】の店主 ワンも来ていた。貸しビルの店子が勢ぞろいで送ってあげることになったようだった。

 一方、遺族の席には千種が言ったように、たった一人の青年が座っているだけの寂しい葬儀だった。

 亡くなった老人の娘の息子だという青年は、座っていても背が高いことは容易に分かる。おそらくカオリと同じか少し低いくらいかもしれない。

 普段カオリが男性を見るときはまず身長を見る。カオリの夢は、自分より背が高くてたくましい男性がやさしい恋人になってくれて、優しく抱いてくれること。

 ただ、カオリの身長が180センチほどあるために、その夢は叶えられたことはほとんどない。

 たった一人、理想の身長を持ったたくましい男性を知っているが、絶対にその人間を恋人にしたいとは思わない。

 現在ヤクザになっている高校時代の同級生である辰巳剛士は、体型だけなら理想的だが性格の悪さは高校時代からよく分かっている。彼は自分が興味をひく人間にのみ目を向けていろいろと動くが、興味がなくなったとなったらあっさりと見捨ててまったく省みようとはしない。

 それはもうきっぱりとしたもので、たとえ相手がすがりつこうがうらみを述べようが気にしないし、無駄にまとわり付いて邪魔をしようものなら、ヤクザである今なら消すことさえいとわないだろう。

 例えそれが昨日まで気に入っていた愛人であろうと、気に入らなくなればあっさりと捨てて忘れてしまうような我儘な性格をしている。

 できれば辰巳の影に近づくことさえ避けたいと思っているくらいだった。・・・・・出来る事ならば。

「かっこええ人やね」

 カオリと同様、店にいる子が遺族の青年を見ていて感心したように言った。確かに小さく見える頭や広い肩幅はたくましく、ぴんと背筋を伸ばしているからだのバランスが綺麗だった。

 顔もとても整っている。女性なら誰もが振り返り、男性ならうらやましく思うようなりりしい美貌。

 だが、彼の顔色はひどく悪く精気がない。どこかからだを悪くしているのではないかと思われた。身に着けている礼服は借り物かそれとも買ったときよりも痩せてしまったのか、あちこちがダブついていて身に合っていないため余計に野暮ったく見えた。

「顔は悪くあらへんのにねぇ。まあ、たった一人の身内が亡うなったんやから、気落ちしてはるのはしょうがないやろうけど」

「あら、カオリはああいうのが好みやったの?」

「嫌やわ。アタシはもう少し溌剌としたタイプが好みやから」

「うちはああいう暗いタイプが好きや。なんや慰めてあげないとあかんて気になるし」

「・・・・・ちょっとあんたら、お葬式の最中に不謹慎やで」

 千種が小さな声でたしなめてきた。小さな声であっても、口々に感想を言い合っているのが聞こえたらしく、青年がこちらを向いていた。

 カオリたちは肩をすくめて無駄口をやめた。



「このたびは祖父の葬儀に出席していただきまして、ありがとうございました」

 神埼秀一と名乗った青年は、会葬者であるカオリや千種たちに丁寧な挨拶をしてくれた。彼はカオリの女装した男たちにしか見えないような姿にも驚かず、軽蔑する表情も見せなかった。

 しかし関東の言葉でしゃべる神崎の表情は乏しく、どこか投げやりにさえ見えていて、印象を薄くそして多少悪くしている。

 だから、カオリの記憶の中で、【神崎秀一】という青年に対する関心と興味はそこで終わった・・・・・はずだった。










「おい、おるか?」

 もうすぐ閉店という深夜、いや夜明け近くの花音に、いきなり辰巳がやってきた。

 機嫌よさそうな彼が、用事があって捜している相手が自分であることを知ると思わず腰が引けた。

「な、なんやの?」

 高校時代からワルで手が付けられなかった辰巳は、高校卒業後にそれまで寄宿していたヤクザの桐山組に入り、その頭のよさと容赦のなさで頭角を現して、27歳の若さで若頭にのし上っていた。

 桐山組の縄張りは大きくこのあたりにも入っているのは知っていたし、彼が下っ端の舎弟や若頭補佐の平をつれてみかじめ料の回収に『花音』に来たときに出くわしたこともあるが、辰巳の方で無視していて、今までカオリに話しかけてきたことはない。

 数日前このビルの4階にある夜逃げしたクラブ【ミモザ】にやってきて、騒がしく舎弟たちに家捜しをさせていた。

 そして次はあわただしく工務店や内装屋を入れさせると、リフォームさせている様子だった。いったい何事が起こるのかと店の女の子たちと噂していたのだから。

 そのリフォームも昨日で済んだようで、どうなるのかと思っていた矢先に、やって来た辰巳から自分に命令が下されたのだ。それはもう依頼とか頼みではない。はっきりと命令だった。

「お前ならええ。上にいるやつの面倒をみたってやれ」

「神崎秀一さん、やね」

「・・・・・なんで知ってる?」

 辰巳の声が鋭くなったのを聞いて、思わず背中に鳥肌が立ち手が汗ばんできた。

「こ、この間のおじいちゃんのお葬式で挨拶してはったから」

「ああ、そうやったな。まあいい。それよりも頼みやが・・・・・」

 頼みというのは、4階に住むことになったという神埼が、その部屋で寝こんでいるので面倒を見て欲しいというものだった。

「寝込んでるって・・・・・病気なの?」

「そうやない。昨日の晩、ワシが張り切りすぎたんや。つまりまあ、ヤり過ぎて疲れ果てて寝ているってことやな」

 満足そうな笑いをふくんだ辰巳の言葉にカオリは驚きのあまり、持っていたライターを握りつぶしそうになった。

 ――― 辰巳はもてる。

 彼がヤクザであることは、このナンバで暮らしている水商売の女たちにはマイナスにはならない。むしろ若くして桐山組の若頭になっていることは彼がやり手である証拠で、その財力と権力に彼女達は魅力を感じているのだ。

 だが、それは辰巳の魅力のごく一部分でしかない。

 彼自身のたくましいからだや精悍な顔立ち、全身から立ち上るような精気とフェロモンが女たちを炎にふらふらとやってくる蛾のように惹きつけている。

 彼は次々と相手を取り替えて付き合って、気が変わるとあっさりと次の女性に乗り換えてしまい、女性の名前さえ覚えていない。

 カオリが知っているだけでも、この界隈で辰巳と付き合っていたという女性は両手に余る。

 そんな女殺しの男のはずが、男を相手にした・・・・・?

 知っている限り、今まで辰巳が男性を情事の対象にしたことはなかったと思う。

 それにしても、神崎が自分の意思で辰巳に抱かれたのだろうか?葬式の時の印象だけしかないが、彼の恋愛対象が同性だとは思えなかった。

 ニューハーフであるカオリたちにとって、そのあたりを見極めることが重要なのだから。

「合鍵はこれや。かかった費用はこっちで全て払う。今行ったところで気を失ったように寝とる。起きられへんやろうから行っても無駄や。昼くらいになれば起きれるやろ。中に入ってあいつの面倒をみたってやれ」

「わ、分かったわ」

 カオリは思わずこくこくとうなずいていた。







 そして昼近くになって、カオリはどうやら辰巳にヤられてしまったらしい神崎の面倒を見るために4階へと足を延ばした。しかしドアをノックしても返事はない。

 渡された合鍵で開けて中に入ると、特有の青臭い臭いがむっとこもっていた。いかにも一晩ヤってましたという様子があからさまのままで。

 カオリは急いで部屋の奥にある窓を開けた。カーテンを引き窓ガラスを開けると、部屋の中の様子が良く見える。

 この部屋に不釣合いなくらいの大きなダブルベッドの中央には、葬式で出会った青年の姿があり、ベッドの下には引き裂かれたらしい無残なシャツやジーンズ類が散乱していた。

 うつ伏せで眠っている彼の肩や首筋のあちこちにはくっきりと赤い痕が残されていた。疲れ果てて眠っているはずのその姿には、どこか情事の後のけだるげな色香を感じさせるものがあって、思わずドキドキした。

 それだけではない。

「これって・・・・・もしかして拳銃の弾の痕やないの?」

 確か、神崎秀一という青年はついこの間まで東京で警察官をしていたはずだった。葬式でそう言っていたと思う。だが、青年は自分が思っていたよりもずっと殺伐とした生き方をしていたらしいことを知った。

「い、いけない。起きる前に準備しとかないけないわね」

 辰巳の補佐である平は有能で、業者を使いたった3日間でこの部屋の中を荒れたクラブの跡から一般的なマンションとして住むことが出来るようにリフォームさせたらしい。

 しかし、その平も日用の細々とした品物にまでは気が回らなかったのだろう。

 カオリは急いで魅力的な青年の顔から目を外すと、部屋の中に足りない日用品を書き出して行った。

「シャンプーにリンス。ボディーソープにバスタオル、歯ブラシ、それから・・・・・」

 リストは大量になり、メモし終わっても神崎は目を覚まさなかった。それで、バスタブに適温のお湯が張られているのを確認してから、近くにあるスーパーに買い物へと出かけていった。

 両手にかなりの重量になってしまった大荷物をかかえて持ち帰っても、カオリのたくましい腕はものともしていなかった。部屋に入ると、ようやく秀一は目を覚ましたらしく、からだを起こしてカオリに挨拶してくれた。

 葬式の時と別人のような冴えたまなざし。ヤクザにヤられたのが初めてだろうに、そのトラウマを感じさせない穏やかさに・・・・・驚いた。

 彼の笑顔は見る者全てを惹きつける。

 それは、カオリたちニューハーフ対しても変わらない。おそらく生来の性格なのだろう。普通の女性に対すると同様に、やさしく接してくれる。










 「一目惚れってこういうことを言うんやろうなぁ」

 秀一のことを知るにつれてますます好きになっていく。

 きっと彼だったら、恋人になってくれればやさしくて誠実で頼もしいだろうと思う。

 しかし、辰巳が彼を手に入れていて、自分のものだと宣言している。そんな相手に手を出せばどうなるか。カオリは辰巳が怖くてそれ以上積極的に動くことさえ考えられない。

 辰巳が飽きて手を放してくれればいいと切実に願ってはいても、その日がいつ来るかも分からない。

 でもそんな日がいつか来るのではないかと期待して待っていることは構わないではないか。

「ねえ秀一さん、お食事を作って持っていくのって迷惑なのかしら?」

「いや。カオリさんの作る料理はとても美味しいから迷惑じゃないよ。ただ、カオリさんの負担にならなければいいと思っているけど」

 誰にでもやさしい秀一の笑顔。特に女性や子供には。

 ただし、辰巳には決して向けることはないだろう、笑顔。

「ほな、また持ってくるわね」

 カオリは足取りも軽く自分の住むアパートまで帰って行った。

 こんな乙女のような純情も悪くないんやないかと思いながら。

2008.5/13 up

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乙女の祈り

すみません、主人公達がほとんど出てませんね(;^_^A
物語の最初のあたりをカオリの視線から書いた物です。

「真昼の月」を私が書こうと思うとき、何が一番難しいかと言えば、この作品が大阪を舞台にしていることです。
主人公以外のほとんどが、関西弁をしゃべります。(T^T)
関東出身の私にとって、難しいったらありません。何しろ大阪に行ったこともないんですから・・・・・。←本当の話
関西の方から見て、かなり言葉がアヤシイと思いますが、そこはナンチャッテなんだと思ってご勘弁願います。m(_ _)m