「この出演というのは、僕が絶対に出なければいけないんですか?僕が聞いていた話ではテーマ曲の録音だけのはずだったんですが」

守村が困惑した様子で言い出したのは予想の範囲だった。

「ドラマのメインテーマに必要なアイテムなのでこのシーンが作られているんです。最終回ではなぜバイオリン曲の必要があったのかという謎解きもあるので演奏していただくことになっています」

ドラマの大まかな内容説明を始めた。

「『愛と哀しみのボレロ』という映画が昔あったのをご存じでしょうか?

ラヴェルのボレロを効果的に使って様々な人間模様を描いていき、最後には大河のように全てが集約する・・・・・。そんなイメージで今回の恋愛ドラマを作ってみたいと考えたわけです。

要所でバイオリンが物語を動かすポイントになっていくような話なんですよ」

「・・・・・はあ」

もともと彼はあまりドラマを見ない人間なのだろう。もしかしたらテレビ自体もあまり見ないのかもしれない。

沢口が熱っぽく語ってみせても返事がおざなりだったのは、沢口の手掛けたドラマを見たことがないことも関係しているのかもしれない。

「バイオリンというのは・・・・・これはバイオリニストの方には釈迦に説法と言うべきことですが、実に綺麗な楽器だと思っています。フォルムはもちろん音色も、そして弾いている人間の姿も実にストイックで美しい。

僕は素人ですので、音についてはコメントを差し控えさせていただきますが、バイオリンというのは人間の声にとても近い楽器だと言うじゃありませんか?実に感情を表現し心をふるわす・・・・・!

映像に携わる人間としては、バイオリンはビジュアル的にも『人』を表現するために使ってみたい素材なんですよ」

「でしたら僕が出演しなくても、録音だけは僕がしておいて誰かが・・・・・例えば出演する女優さんがバイオリンを持って弾く真似をしても同じでしょう?わざわざ僕が映る必要はないと思います」

「そこです!

沢口がきっぱりと断言してみせると、守村は子供のように目を見開いて、ぱちぱちとまばたきした。

あまりに素直な反応に思わず笑みがこぼれそうなほどに無邪気に。

「確かに真似だけならバイオリンを弾いた事のない女優にだってそれなりに上手に弾いているように似せて見せられますよ。

今は合成が発達していますからね。手先だけ別の人間に弾かせて女優の顔を映す時にはアップにして、弾いているバイオリニストの全身像を映さなければいいんですから。

しかしですね。視聴者の目というのは馬鹿に出来ませんよ。ちょっとした違いを見つけて、あっという間にこれはインチキだ、手を抜いていると勘づいて引いてしまうんです。

そうなればもうだめなんですよ。ドラマの内容まで嘘くさいものに見えてしまう」

プロの凄み、気迫というものは作り物では出せないものなのだと沢口は説明した。

自分は撮影のプロである以上、まがい物を出したくないのだと。

「ベストの映像が撮れると言うのに、わざわざ苦労して偽物を出す必要がありますか?我々が思い描いた理想の『絵』を作り出すためにあなたが必要なんです!」

「あー・・・・・ですが、桐ノ院さんからの強い要請があったから急遽僕に代えたのでしょう?

最初は女性バイオリニストのKさんを指定していたんですよね。彼女だったら確かに演奏シーンだって見ていて楽しいでしょうけど、僕の場合は男ですからね。あまり見ても楽しいと言えないと思いますけど」

「いやいや、そんなことはありませんよ。守村さんの演奏している姿は、CMの時もMHKでのコンチェルトも拝見していますが、演奏している姿はとてもりりしくて格好よかったですよ。惚れ込みましたとも」

沢口の言葉に守村は苦笑して首を振ってみせた。あまり出来の良くない冗談を言われたとでもいうように。

本当はここで喜んでもらえるはずだったのに肩すかしをくらった気分になったが、ここは気を取り直して言葉を継いだ。

「最初の予定では、我々の頭の中ではCDオリジナルのソリストである守村さんを指名する予定でした。

しかし以前、Fテレビのとある番組への出演をお願いした事があるのですが、あっさりとお断りになられたことがありましたので、テレビ出演をされない方なのかと考えて候補から下ろさせていただきました。

ですから、このたびは引き受けていただけるとうかがって大喜びしたんですよ」

「えっ!断ったことがある・・・・・んですか?」

「はい」

沢口はオファーをかけた日時と依頼した番組名を言った。

「それは・・・・・大変失礼しました」

守村は恐縮して頭を下げた。

「失礼ですが、もしかするとこのことを守村さんはご存じなかったのでしょうか?」

彼の態度にピンとくるものがあった沢口が尋ねてみると、彼はすまなそうにうなずいた。

「僕が知らないうちにオファーを断るなどあってはならないことです。マネージャーにきつく言っておきますから、もうそんなことはさせません。申し訳ありませんでした」

「いえいえ、お気になさらないで下さい。以前お願いしようとした番組はバラエティ色が強いものでしたから、音楽家としての活動には役に立たないとマネージャーの方は判断されたのでしょう。

確かに守村さんの人気に乗ろうとした気配がありますからね。ですが、今回は違いますよ」

沢口はにこやかな表情で守村の謝罪を受け入れたが、内心では確信していた。以前の断りは、やはり桐ノ院の一存で行われたことだったのだと。

あの件は守村一人へのオファーだったことと音楽家としてのキャリアを積むのに必要のないと判断して断ったのだろう。

あるいは、沢口の悪評を聞いたためにこっそりと処理したのか。

しかし今回の仕事では、自分の楽曲を思うままに編曲をした上で守村のバイオリンによって演奏されるといううまみがあるから引き受けたのだと思われた。

いずれにしても、以前の桐ノ院の独断がバレたことで守村にとっては沢口に引け目、つまり貸しがあると考えるだろうからこちらには都合がよくなった。

契約を断りにくくなった上に、あれこれと彼に持ちかけることも可能となる。

守村との距離を詰めて、あわよくば口説くチャンスも手に入れるかもしれないと沢口が考えている事を、桐ノ院は気がついているのだろうか?

「先ほどからお話をうかがっていると、なんだか演奏家としての僕の音はどうでもいいかのように、軽く考えられているように思えるのですが、今回のエンディングに僕の演奏する姿だけが必要だから依頼されたのでしょうか?」

演奏よりもイメージやビジュアルが優先するのか?と言外に非難している。

バイオリニストとしての誇りと自負がうかがえる言葉だった。

「プロとして素晴らしい演奏をしていただけるのは言わずもがなのことですから、こちらもわざわざ良い演奏をしていただきたいと強調する必要はないと思いまして、あえてつけ加えませんでした。

守村さんの演奏はもちろんのこと、演奏する姿も全て含めた上でドラマに必要だと判断したんですよ」

当然のことだ。プロデューサーとしての沢口は、貪欲に多くのものをとり込もうとしているのだから。

「そ、そうなんですか。失礼なことを申し上げました」

ぽっと目元が赤くなって目を伏せた姿は、実に純情で愛らしかった。

「守村さん、今回のオファーは演奏家守村悠季という存在を日本中の人たちにより深く知ってもらえるチャンスだと思っています。

以前のCMでお名前と顔は認知されていますが、どんな演奏をするのかはあまり知られていないでしょう?

クラシックコンサートになど縁がない人々にも、あなたのことに興味を持ってもらえる企画だと自負しています。

もちろん、ドラマ自体の出来不出来によって曲の評判も左右されてしまうでしょうが、私もドラマの沢口の呼ばれている人間です。必ず評判を呼ぶような作品に仕上げて見せるつもりです。

ですから、どうか手を貸していただけませんか?」

「そう、ですね。僕はともかく、桐ノ院さんの素晴らしい曲を多くの人たちの耳に届けることが出来ればきっとアルバムも好きになってもらえるでしょう。僕が協力させてもらえるのはとてもありがたいことだと思います」

「そうでしょう?魅力的な曲を魅力的な音楽家が奏でる。その姿を見て、きっと惚れ込む人が多数出てきますよ。第一号はかく言う私ですよ」

「あはは・・・・・。プロデューサーの方がそんなふうに冗談をおっしゃるくらいなら、自信があるんでしょう。幸先がいい話ですね」

「・・・・・あー、まあ。そうですね」

沢口の長広舌は空回りに終わってしまった。

かなり分かりやすいやり方で口説いていたつもりが、本人は自分が口説かれているということに気がついていないらしい。

沢口は天を仰ぎたい気分をこらえて、密かにため息をかみつぶしていた。

ゲイであり、桐ノ院圭の恋人だと聞いていたから、この手の誘い文句に対して、なびくなり拒絶するなり、何らかのリアクションを見せると思っていたのだが、こんな風に気がつかなくて肩すかしをくらうということがあるとは思ってもいなかった。

これは難物だ。口説きがいがあるというものじゃないか?

沢口はファイターであり、壁が高ければ高いほど熱くなって張り切るのが性分と言う男だったから、どうあってもモノにしてやろうじゃないかと新たな意欲が湧いてくる。

「僕はドラマの事はよくわかりませんが、僕のバイオリンがお役に立てるというのなら、協力させていただきます。よろしくお願いします」

守村は綺麗な笑顔を浮かべて、沢口に手を差しのべてきた。

「こちらこそどうぞよろしくお願いします。ご一緒に良い作品に作り上げましょう!」

彼が出してきた手を両手でがっちり包みこむようにして握手した。ほっそりとしていても、バイオリニストらしいしっかりと握力のある手だった。

どさくさにまぎれてそっと手の甲を撫でると、彼の手は実になめらかな肌をしていた。もっと違うところはどうなのだろうか触れてみたいと願うほどに。

どうぞ、よろしく。

沢口は心の中で機嫌良くつぶやいていた。

きっとこちらを向かせてみせますよ。と。



しかし沢口は、守村の笑い顔がかなりひきつっていたことに、まったく気がついていなかったのだった。









半年後、沢口プロデュースのドラマがFテレビから放映された。

ドラマ作りでは定評のある沢口の演出と、今人気の江崎沖也、織部涼子という旬の俳優を揃えたドラマは、ぐいぐいと先へ引っ張っていく脚本とも相まって高視聴率を得た。

次回へのドラマの内容への関心とともに、ファンたちの興味を引いたのはエンディングの凝った作りだった。

出演者たちのいくつかのカットに合わせてバイオリンが甘く切ない曲を奏でているのだが、演奏者の手や演奏する青年の横顔をちらりと映すという、なんとも見る者の気を引く思わせぶりなものだった。

更に、守村の名前は音楽担当者たちの中に入っているのに、エンディングシーンに演奏者としてのテロップが流れないという巧妙な手を使ったため、テレビ局にはあのバイオリニストは誰なのかと言う問い合わせが殺到した。

そして最終回では視聴率はドラマ制作者たちに金一封が出るほどの視聴率を叩き出し、最終回ではついに全身を見せた守村の姿が全国ネットで放映されて一気に人気を博し、あちこちから演奏依頼が舞い込むことになった。




ところで。

ありとあらゆる機会をとらえて守村を攻略しようと努力していたにもかかわらず、沢口はついに最後まで守村を口説く事が出来なかった。

残念ながら彼の背後には桐ノ院圭という頭の切れる男が、沢口を警戒して用心深く応対してきたので。

桐ノ院は水面下ではあれこれと画策を巡らし、この手のことに疎くて無防備な恋人に気づかれることなく守りきってみせたのだった。


しかしいつか必ずと心に決めて、彼は次のチャンスをうかがっている。






沢口は懲りることを知らない男なのだった。

2011.7/22up

以前、フジミストのサイト様に差し上げた「魅惑の手」の続編です。

NANA様、リクエストをいただきまして、ありがとうございました。

実は、「魅惑の手」の原本が手元に残っていないので(パソコンクラッシュのせい)どんな話だったのか、ちょっとあいまいで(苦笑)

サイト様が撤退されているために、こちらに戻していただくこともできないので、『どんな話ですか?』という問い合わせにはお応えできない状態です。(凹)

ですので、「魅惑の手」を知らなくても分かる、独立した話になっています。

内容的には、沢口プロデューサーのしたたかさや悪辣さがもっと出るとよかったんですが、私の腕ではこんな程度でしょうか。とほほ・・・・・。

もっと詳しく書いてみたいのですが、時期的にあまり時間が使えないため、これ以上置いておくと更にUPする時期が遅くなるので、とりあえず沢口視線ということでUPさせていただきました。

ちなみに背景は魔術師のイメージ(笑)

悪い魔法使い(沢口)に、たぶらかされようとしているお姫様(悠季)←をい(爆)