「寝室に鏡が欲しいのです」
圭は身だしなみを理由にして悠季に言い出し、承知させた。
洗面所の鏡では小さすぎるし、クローゼットの中の鏡では蛍光灯のために白昼光での色身の違いが分かりにくい。わざわざ階下の鏡を見に行くもの大変だと言いくるめて。
しかし、本当のところを言えばどのスーツにどのネクタイを合わせるかまで把握しているから、明かりが違うことにさほど困難は感じない。今のままでも服を合わせるには十分だ、とは内心考えていたのだが
――――― それは口にしない。
「鏡は夜見るものじゃないって、かわいがってくれたばあちゃんが教えてくれたんだよ。鏡は夜になったら覆っておくものだって。迷信かもしれないけど。
いずれにせよ、夜中にトイレに目が覚めた時、鏡に自分の動く姿が見えてぎょっとなるのは願い下げだよ」
そう言って、最初悠季は渋っていた。
悠季は幼い頃に、かわいがってくれた祖母に様々なことを口伝えで教わっていたらしい。
鏡は本来、邪を祓う物で身を守るための祭器だった。昼間光が満ちているときは邪悪なものを吸い込んで中に取り込み、人々を守ってくれる。
しかし、夜になったら邪を吸い込む力は衰え、逆に取り込んだ邪を吐き出してしまうと言い伝えられてきている。
圭は家が元公家であり陰陽道にも詳しかったから、こういう有職故事も知っていた。だからそのあたりにも配慮して、鏡面を収納出来るように工夫することにしたのだった。
「伊沢さん?この間注文していた鏡ですが、早めに設置してもらうことは可能ですか?・・・・・出来る?結構。よろしくお願いします」
伊沢邸は戦前の建物で、今どきの家の壁のように石膏ボードに壁紙を貼ったものではなくて、綺麗な無垢材の羽目板に囲まれている。重厚で落ち着くものであったが、その半面硬くて何かを壁に何かを貼ろうとしたときにはかなり厄介なものに化してしまう。簡単に壁に何かを取り付けることが出来ないのだ。
鏡は壁にぶら下げたり貼り付けるものではなく、壁に直接はめ込むという大掛かりなものになった。更には鏡に覆いとなる引き戸までが付けてあった。
そう、簡単に閉じることができて―――音もなく開くことも出来る。
工事は順調に一日で終わり、悠季が大学から帰ったときには既に鏡が寝室に備え付けられていた。
「へえ。ずいぶんと大きな鏡を入れたものだね」
悠季が関心したように言った。
ベッドのそばの壁にはめ込まれた鏡にはからだの大部分がすんなりと映る。ここには以前、悠季が留学中で留守の時は悠季にナイショで数多くの秘蔵の写真を飾って心の慰めとしていたし、帰国してからはオヨ子の写真を飾っている場所。
オヨ子の写真はベッドのすぐ横の壁へと移動させていた。
「これならスーツを着た姿が全部映るからコーディネイトも楽そうだ。やはり君って凝ってるんだねぇ」
悠季はそう言って納得していた。
ぺッドの上に乗り上がり、ベッドボードに背を預けて座ると、鏡はすぐ真正面にくる。
「鏡を開けたままにしたら、朝自分の寝ぼけ顔と対面してしまうんだね。気をつけなきゃいけないや」
と笑ってみせた。
数日後。
「明日は二人ともオフですから、ゆっくりと出来ますね」
「うん、久しぶりだよね」
早めに夕食をすませ、二人して音楽室でワインを楽しんだ。ゆったりと過ぎる時間の中で、ほんのりと酔いを浮かべた悠季がけだるげにソファーに座っている。
極上の時間。
軽い愛撫とたあいない睦言、ついばむようなキスとで、悠季が少しずつ目を潤ませていく。
互いをむさぼろうとするような情熱的なものではないが、こういう誘いと前戯は悠季が好んでいるもので決して先を拒むことができないものなのだ。
「ベッドへ行きましょう」
「・・・・・うん」
二人は明かりを消して二階へと上がった。
寝室は既に圭の手によって準備を整えられていた。
ベッドサイドの明かりはごく絞ってあり、カバーを外したリネンのシーツの白さだけが目に入る。
圭は悠季をベッドに座らせるとそのままそっと押し倒して言った。
「今日は僕の好きなようにやらせてくれませんか?」
「え?なんだか怖いなぁ」
少しひるんだような顔をしたが、すぐに微笑んで両腕を伸ばして圭の肩へと投げかけた。
「お手柔らかに頼むよ」
「君が最高の悦びを得られるようにしますよ」
「それが怖いんだって」
くすくすと笑いながら圭の唇が降りてくるのを待っていた。
「・・・・・け、圭・・・・・っ!」
甘やかなあえぎが圭の耳をうつ。
しっとりと濡れた肌がほんのりと色づいていて、全身で圭の愛撫を受け止めている。
こうやって圭との交歓に没頭している姿のなんと麗しいことか。
今、悠季はうつ伏せて、腰だけを高く掲げていて、自分の姿を想像するのが恥ずかしいのか、顔をシーツに押し付けてぎゅっと目を閉じていた。
だからベッドサイドに置いた照明の光量を上げていっても気がつかなくて、圭は彼の艶姿を隅から隅まで見ることが出来た。
「ね、ねえ・・・・・。早く・・・・・!」
ねだる声がのどにからむ。
悠季の姿に見とれて愛撫が止まってしまった圭をとがめているようで、全身をくねらせて圭の怠慢をなじる。
なめらかな背中から細い腰へと手を撫で下ろすとひくりと背が波立った。ささいな愛撫にも敏感に反応して快感をむさぼろうとしている。
腰骨を抱えると、ぐいっとからだを浮き上がらせると裏帆掛けに圭の膝の上に落とした。
「ひっ・・・・・!」
急激な動きは悠季を高みに押し上げたようで、熱くて狭い悠季の中がぎゅっと搾られた。
「ま、まだです!」
圭はぎりっと歯を食いしばると、熱く脈打っている悠季の昂ぶりを握ってせき止めた。
「い、嫌だ!い、いかせて!・・・・・圭、けいっ!・・・・・も、もうだめ・・・・・!」
「もう少し・・・・・もう少し感じていてください。君の悩ましい姿を見ていたい」
ふるふると悠季の頭が振られた。ぱさぱさと圭の肩の上に髪の毛が打ち付けられる。まるで全身で圭を非難しているかのように。
「腕を僕の首に回して。・・・・・そう、そのほうが動き易いでしょう?」
「も、もう、動けない。足に力が入らないよ・・・・・」
どこか舌足らずな甘い声。その声に更に圭の欲情はふくらむ。
「腰を使って。そう、もう少し」
動けないといいながらも、悠季は圭のささやきにゆっくりと腰を動かしてみせた。自分の動きに快感を煽られ、またぎゅっと引き締められた。
「・・・・・悠季、君はとても綺麗ですね」
「・・・・・・・・・・えっ?」
「目を開けてごらんなさい」
目を開けたとたんに悠季は真っ赤になって全身を硬直させた。
「け、け、圭っ!!!」
悠季の目の前にあったのは、鏡に映る全身で圭にしがみついて快楽をむさぼっている自分の姿。
眼鏡をかけていないにもかかわらず、少々のコンプレックスを感じている白くて細いからだが圭にからみついて、薔薇色に色づいて立ち上がったペニスさえはっきりと映し出されていた。
圭の長い指がそこにからみついていて、愛しそうに撫で回している。
しかもその奥の、圭を喜んで食い締めている状態までぼんやりと見えるような・・・・・。
悠季は目の前の光景に目がくらんだ。
「・・・・・うっ。そんなに締め付けられては・・・・・!」
圭がうめいた。悠季は衝撃で最奥に飲み込んでいる圭を締め付けていた。
「・・・・・い、嫌だ!!」
あわてて圭の上から逃げようとした腰の動きはそのままどん欲に快感を得てしまい、悠季の脳髄を真っ白に染め上げ、背中をのけぞらせた。
「あっ・・・・・ああっ・・・・・!!」
熱く迸るものは、圭の手に受け止められた。その動きさえ圭の目に入っているのだろうと思うと、羞恥で身もだえしたくなる。
けれど、その恥ずかしささえ快楽のスパイスとなってしまって・・・・・。
次の朝は悠季にとって腰の立たない朝となった。
「君、最初からこういうことを考えて鏡を入れたんじゃないのかい?」
悠季の激怒は大変なもので、場合によってはこぶしで殴ることも家出も辞さずといった様子で圭に詰め寄った。
「まさか。誤解です。たまたま鏡を閉めておくのを忘れていただけのことですよ」
困りきった様子で圭は弁明につとめていた。
「本当かな。君のことだから、こういうことに使う為を考えて僕を説得したんじゃないかと思ったよ」
悠季の疑いは変わらず、深い。
「それほど疑われるのでしたら鏡は取り外しても構わないです。君も重宝していたようですので、便利でいいと思っていたのですが・・・・・」
悠季がネクタイを締めるのに助かると言って、つい数日前に嬉しそうにしていたのを二人とも覚えていた。
「・・・・・そりゃ確かにクローゼットの中よりは外の方が明るくていいけどね。だからあった方がいいとは思うけど」
「それに鏡をしまうことを忘れていたのは君も同じでしょう?今度から鏡が閉めてあるかとどうか確認してから休めばよろしいのではありませんか?」
「そうか、そうだね。今度から絶対にそうする!」
悠季はぐっと手を握ってうなずいてみせた。
そして、毎晩寝る前に鏡の扉を閉めるのは悠季の役目となった。
しかし。
人間、毎日同じことをやっていても、つい忘れるということもあるわけで。
それが緊急の事柄ではなければ、もっと起こりやすいことであって。
圭は待っている。
悠季が鏡の引き戸を閉めるのを忘れて寝てしまう日を。
アコ様のキリ番リクエスト「mirror」です。
マドリスト様らしく、伊沢邸の間取りが入っているお話とのことでしたので、
鏡の場所にこだわってみました。その使い方がどうにも・・・・・(苦笑)
すっかり圭が変態っぽくなってます。あ、前からですか。(爆)
このお話の前に、「鏡」という話があります。
下からどうぞ!
2008.12/6 up