メヴェンナのみっつの月

 惑星メヴェンナのみっつめの月が昇り、涼やかな緑がかった光で地表を洗っている。
 この光でも十分に計器を読み取ることができるのだが、トリコーダーを注意深くしまうと圭は池のほとりに坐り込んでしまった。
 いうなれば圭にとって監獄であるこの場所の、ほぼ中心を示す池のほとりに。


 結局のところ、気のめいる一日中、役に立ちそうなものは何も発見できなかった。
 そして、航宙船<ウィーン>から何の連絡もないまま、すでに二度の定時連絡時刻がきて、そして去ってしまった。
 疑いもなく、こちらから送っているビーコン(無線標識)も受信されておらず、先方では、いま圭がどこにいるのか、わからないのだ。
 また、圭が窮地に追い込まれていることも、まだ知らないのだろう。
 次の定時連絡時刻になったので、圭は規定どおり、しかし現実には応答を期待せずに、パチンと通信機を開き<ウィーン>へ呼びかけを試みた。


 静かだ―――聞こえるのは小さな昆虫の奏でているであろう、かすかな夜の森の音楽・・・そして、苔の香りを含む大気のかすかな動きに優しく揺れる、長くて優雅で繊細なパンデラの葉のざわめきのシンフォニー・・・。
 もし圭が囚われの身でなかったら、もし使命に失敗しかけてるのでなかったら―――この林間の空地は平和で美しい楽園でしかなかっただろう。




 トラブルの最初の兆候は、インターコム越しに届いた通信士の声だった。
「船長、第六宇宙基地のロスマッティ提督からA級保安通信が入ります」
 二十分後、南郷船長は高級士官たちを作戦室に集め、こうたずねた。
「諸君は、宇宙連邦軍の開発した新型兵器のことを聞いているか―――暗号名は<エクスカリバー>だ」
 トップシークレットの兵器<エクスカリバー>は、最終テストと評価を受けるため宇宙連邦の航宙船<フジミ>によって、第七コロニーの研究所から第六宇宙基地へ輸送中であった。
 その途中で<フジミ>は偽の救難信号におびき寄せられ、アンドリア人の反乱者たちとの戦闘に巻き込まれ損傷を受けてしまった。
 <フジミ>の船長は何とかシャトル(連絡船)に<エクスカリバー>を載せて離船させ、船を大破されながも十二時間近くにわたってアンドリア人たちの動きを抑えた・・・という。
 かくしてそのシャトルを探し出して<エクスカリバー>を回収する任務が<ウィーン>に与えられたのだ。


 その後、数日間に五回ほど<ウィーン>は半物質の残滓と思われる痕跡を発見し、それをたどったが、五回とも痕跡が無の中へ消えている事実を確認しただけだった。
 <ウィーン>は一日二十四時間絶え間なく鋭敏なセンサーによる綿密な監視の目を光らせながら、捜査範囲をさらにひろげたが、手がかりはまったくつかめず、時間の経過とともに絶望感がつのっていった。
 しかしやがて、問題のシャトルから射出された記録付きのマーカー(標識)を走査装置がとらえた。
 メッセージは、当該シャトルは小遊星と衝突して損傷し、最寄のMクラス惑星メヴェンナへの着陸を試みる・・・と、伝えていた。
 

 副長である圭はメヴェンナに関して入手可能な情報をすべて集め作戦会議に提出した。
 メヴェンナの地表六分の一は陸地であり、陸地の大半は森林である。地質学的には特殊な惑星で、珍しい鉱物を数多く含んでいるだがあまり価値があるものはない。そして、とりわけピレティマイトの含有量が顕著だ。
 この情報を伝えたとき圭は南郷船長と視線を合わせたのだが、船長は小声で悪態をついていた。ピレティマイトには通信を妨害する性質があったからだ。


 メヴェンナでは、ヒューマノイド(人間型)の生命体は進化していない。しかしここには、著しく多岐にわたる種族の小規模なコロニー散在していた。
自然の美しさに恵まれながら、文明の存在しないこの惑星は、自然回帰主義者や社会的な進歩や工業的発展に反感を持つものにとって、まさに『楽園』といえよう。
「生命反応が多すぎるため、当該シャトルの乗員を探すにしても―――あるいはメヴェンナまでシャトルを追ってきたアンドレア人を探すにしても―――本船のセンサーはあまり役に立たないのではないか―――と、僕は思います」
 圭は会議でそう発言した。
 そのうえ、<ウィーン>はメヴェンナを何度か周回したが、通信による呼びかけには何の応答もなかった。
「ようし」
 と南郷船長はいった。
「捜索すべき地域がこれほど広大では、転送降下して無意味だ。本船のシャトルを片っ端から送りだして、低空飛行による調査をおこないたい。桐ノ院中佐、陸地を区分してくれないか。きみもシャトルをひとつ指揮してもらいたい」




 シャトルでの捜索を開始してそろそろ、十時間というとき。圭のシャトルは眼下の下生えのなかに真新しい切れ目をみつけた。
 乗り物が緊急着陸したような跡に見えるが、シャトル自体があそこにあるなら当然のジュラニウム反応がなかった。
「着陸して調べます」
 そういって圭は現在位置を通報するため、<ウィーン>を呼び出そうとしたが、返ってきたのはカリカリという空電音だけだった。何度か呼びかけた後で圭はあきらめた。捜索を始めてから、ピレティマイトの妨害をかいくぐって、本船と連絡できたのは一度しかなかったのだ。


 着陸すると圭と二名の同乗者はその地域を捜索した。
「こいつは間違いありませんよ、副長」
 十五分が過ぎたころ同乗の少尉がいった。
「そのようです」
 圭はトリコーダーを操作しながらいった。
「反物質排出のかすかな痕跡が認められます」

 やがて、同乗者のひとりが何かを見つけ、もうひとりに発見したものを示した。
 圭も二人の方へ歩き出したとたん、奇妙なブーンという音が聞こえた。なんとなく異常を感じた圭は、二人の仲間の名前を呼んだ。
 その瞬間に、圭の目の前で二人の仲間の姿が突然に―――ぱっと―――消えてしまった。
 二人の立っていた場所に慎重に近づいていった圭はその地点にたどり着かぬうちに強い力で足を止められてしまった。
 そして二人の仲間が立っていた地点にはフィールド(力場)が作動しており、二人ともその力場の中で分解してしまったのだ・・・というおぞましい事実を悟ったである。
 あの二人がそれに捕らえられたのは、事故なのか、あるいは何者かの意図によるものなのか―――知るすべもない。


 圭は一時間程かけて問題の力場の有効範囲を確かめた。円形でほぼ一平方マイルの広さである。
 シャトルを浮揚させてみたが、樹木の梢ぎりぎりの高さまでしか上昇できない。
 かくして囚われの身となってしまったとはいえ、圭には依然として果たさねばならない任務がある。
 <エクスカリバー>の痕跡を求めて、異常と思われる点を片端から検査するという努力のいる作業にとりかかった。
 これまでのところ、収穫はまったくない。
 そして、今、心身ともにぐったりと疲れ果てて、この池のほとりに坐りこんでいるのだ。


 今夜はもう何もする気になれない。ただひたすら、休息をとり、何とか眠るよう努めるつもりだった。
 だがそうするのは、星影がきらきらとやさしく燐光を瞬きかけてくる、このやわらかくて誘惑的な森の草の上ではなく、あの狭いシャトルに閉じこもってだ。
 多分明日になれば、もっとはっきりした頭で問題と取り組むことができ、今まで見逃していた手がかりを発見できるかもしれない。


 水の安全性はすでに確認済みだったので、池のふちにひざまずいた圭は手に水を掬い取ってたっぷりと飲んだ。冷たくて新鮮な水は苔と月光の味がする。
手が水面に起こした波紋は静まり、そこに映る自分の顔と三つの月がみえた。
 ぼんやりと疲れた目でそれを見ているうちに、ふと、圭は自分の心がいたずらを仕掛けたのかと思った。
 深い池の底に、月と同じようにほの皓い非現実的な少年のような顔がみえたのだ。
 一瞬、自分の正気を疑った圭はまばたきして水面に身をのりだしたが、その顔は消えなかった。
 そばで軽い葉ずれの音がした。びくっとして振り返った圭は、水中の顔が反射像にすぎなかったことを舌打ちするような思いで悟った。
 だが自分の正気を疑う気持ちは依然として残った。到底現実のものとは思えない者が自分の傍らに存在していたからだ。

 小柄ではないがきゃしゃな感じがする青年で、パンデラの葉をつづった奇妙な衣装をまとっている。やわらかそうなセピアの髪がふんわりと顔を縁取り、めがねの奥で吸い込まれそうな瞳がこちらを見つめていた。


 かなりたってから圭は無理やり口を開いた。自分の耳にさえおかしく響く声だ。
「きみは誰ですか?」
「知らないのかい?僕はきみのパートナーだよ」
 まるで水面を渡る細波のように魅力的で音楽的なテノールだった。
 圭はわが耳を疑った。
「今、なんと言ったのです?」
「きみのパートナーだといったんだよ。自分の運命を知るためじゃなかったら、誰もトラインの夜に『魔法の池』をのぞいたりしない」
 圭は疑問をひとつずつ取り上げてゆくことに決めた。
「まず、トラインです。その、トラインとは何か、説明してください」
「説明するまでもないよ―――見ればわかるんだから」
 かれは空を指差した。
「ほら、メヴェンナのみっつの月が、天蓋の中心を指し示す三角形を作って並んでいる」
 幻想的な言葉で語られているが、どうやらこれは天文現象のことらしい・・・と気づいた。


 かれはさらに話を続けた。
「こんな夜に『魔法の池』をのぞくと自分の運命が見えるんだよ。ちょうど、今のきみみたいに」
「僕は決してそんなことをしていたわけではありません」
 かれは”そんなこと信じられないよ”という表情で小首を傾げて微笑んだ。
「きみはいったい誰なんです?」
「僕はきみの・・・」
 圭はすばやくさえぎった。
「名前はないのですか?」
 かれはびっくりした表情で答えた。
「もちろん名前はあるよ―――悠季だよ。きみも名前を持っているかい?」
「僕は桐ノ院圭です」
「桐ノ院圭。いい名前だね。韻とリズムがあるよ。星たちに教えたら、星たちがたちあがって大空いっぱいに『桐ノ院圭と悠季はパートナーです』って書いてくれるよ」
「僕たちはパートナーではありません」
 圭は不機嫌にいった。
「きみの目はみかけほどには深く物事をみないんだね。僕をただの森の精だとしかみていないんだ。ほんとの姿を見ることができないんだね。
 ほんとのところ・・・僕は邪悪な魔法使いに魔法をかけられたんだ。ただの森の精みたいにされて、ここに閉じ込められてしまう前の僕は権勢を誇る森の王様だったんだよ」
「もしきみがそれほどの権力を持つ王様だったのなら、どうして、魔法使いなどに魔法をかけられたりしたのですか?」
 圭はかすかな嘲りをこめていい、そのあとですぐ、そのようなおろかな質問をしてしまったことを恥じた。
 「王様だって少しは眠らなくてはならないんだよ」
 悠季は悲しげに、
「それに相手はとても悪い魔法使いで、悪い仲間もいたんだよ」
 と続け、次の瞬間、ぱっと顔を輝かせた。
「でも、きみが協力してくれたら魔法は破ることができるんだ」
 そういって悠季は圭の顔を見つめた。
「魔法を破りたくないかい?たぶんきみはこのままの僕のほうがいいんだね?」
 圭が沈黙していると悠季はさらにいった。
「ちがうのかい。それなら、僕の洞窟に来てよ」
 悠季は圭の手をとり、引っ張っていこうとした。
「だめです!」
 圭はあわてて手を振りほどいた。何もわからぬまま、この奇妙で魅惑的な申し出を受けるわけにはいかない。
 悠季はくるりと向き直り、思いつめた目で圭を見つめた。
「きみはどうしても来なくてはならないんだ。トラインの指し示した運命なんだから」
「僕はそんな運命に従う気はありません」
 圭はきっぱりといった。
「洞窟だろうと池のどこだろうと魔法のかけられた王様と行く気はありません」
「きみは夢の街から運命をみいだすために、はるばるやってきったんだろう?」
 圭は悠季に鋭い視線をむけた。”夢の街”その言葉は偶然だろうか?「そしてきみはそれを見つけたんだ。だから、僕の洞窟に来なくてはならないんだ」
 悠季は冷静に続けた。
「これは命令だよ」
「僕はきみの命令は受けません」
「ああ、きみは自分が指揮を執りたいんだね」
「指揮?ここには、きみのほかにも誰かいるんですか?」
「誰かって、僕のようなもの?」
 悠季は小首を少し傾げた。
「僕ひとりだよ?なぜそんなことを聞くんだい?」
「さきほど、なんとなくですが、監視されてるような気がしましたので」
「精霊たちが見ているんだ」
 悠季は答えた。
「あの連中はきみの頬に影を落とすまつげの一本一本まで見ているし、ため息のひとつひとつまで全部聞いているんだよ」
 悠季は圭を見つめている。これは警告なのだろうか?