【 5 】
ある日、朽ちかけた我の社に、その孤独な男の子はやってきた。
人間の年齢はよく分からない。本当は男の子というよりももっと年長なのかもしれなかったが、われには幼子のように純粋で綺麗な魂を持ったヒトに見えたのだ。
彼は心にひどい痛みを抱えていたのだろう。ひどく寂しく切ない、けれどとても美しいな光を放っていた。その光は我になぜか懐かしい思いを感じさせた。
遠い昔、彼に似たものに会っていたのだろうか?今のわれには思い出すことも出来なかったが。
ここに来た彼がどんな事情を抱えているのかはわからない。神の身にはヒトの世の理は判りづらい。
われが幼いヒトの姿を形作り男の子と話してみると、彼がここに来るようになった理由を語りだした。初めての一人暮らしの孤独に耐えかね、けれど人見知りのせいで他人と交わるのをためらっていたために、われの社がわずかに故郷をしのばせる風情を持っていたからだったと知った。
やさしげな風貌や繊細な話しぶりも魅力的だったが、特に魅力的だったのは彼が境内で弾いてくれたバイオリンの音色だった。その豊かな響きはわれの心をうるおし、失いかけていたパワーをよみがえらせていくようだった。
だからこの子を手元におきたいと思った。
《またきてくれる?あなたのバイオリンはとてもすてきだから》
「ええ〜、僕のバイオリンなんてたいしたことないのに。そう言ってもらえると嬉しいなぁ」
彼は嬉しそうに笑っていた。
彼を気に入った。昔のような強大な力は既に喪っているとは言え、人間一人を連れさらってわれの空間に連れ込むことくらいならまだ出来る。次にきたときは・・・・・。
けれど、もう彼は社には来なかった。
われの考えていたことに気がついて逃げたのか?それとも他の理由のせいなのか。
けれどそのわけを探ることは今のわれには無理だった。
そうしていつしか月日は過ぎ去り、われのいる社は更に忘れ去られたままで、このまま朽ちはてて消えていくのだろうと思っていた。
しかし最近、思いがけないことが起きるようになった。今まで見向きもしなかった子供たちがちらほらと社へとやってくるようになったのだ。子供たちはなにやら小さな本のようなものを手にしており、すぐに立ち去っていく。
いったいどういうことなのだろうと思っていると、
「よし、ゲット!へえ、こんなところにも神社があったんだ。何の神様なのかな?」
などと言っている。
まだ幼い孫の付き添いなのか老人も一緒にやってきたときには、社の有様を見てついでというように掃除などをしてくれていったりする。人々が立ち止まってくれることで、消失していくまでに少なくなっていた神威はわずかながらも回復し、一息つくことが出来た。
それでもやがて滅びていくのをとどめることは出来そうもなく、虚空に散逸していくのは時間の問題に思えていたが、ある一人の子供が社の石段に忘れていった小さな本のようなもののおかげで生き延びる道を見出すことができた。
われが生まれた頃にはまるで考えられなかったもの。電網の世界だった。
子供たちが手にしていたのは、電波を利用したからくり玩具だった。いや、今風に言わなくては。ネットゲームをするためのタブレットだった。
好奇心に駆られ、恐る恐るどんなものなのかと目に見えぬ世界の奥へと探検に行けば、そこは概念の世界。しかし間違いなく存在する世界だった。広く底が知れない、不思議な世界。
思いがけないことには、われと同じように入り込んでいた他の神にも会うことができた。それも日本の神だけではなく、他国の神も、だ。彼らもまた現実の世界では神として存在しにくくなったために、こちらへと居を移してきたのだ。
最初はただの緊急避難するための手段だと考えていたのだが、思いがけずこの世界は居心地よく、人間とのかかわりもやり方次第なのだということを知った。
もともと神とは形のあるものではないのだから、神威を広げるために社は必要ない。われもそちらに本体を移すことを決意した。
そんなときだった。
思いがけずまたあの時の男の子に再会することになったのだ。
「へえ、まだこの神社って残っていたんだ」
バイオリンを手にした若い男性は、確かに昔、我の居る社にやってきていたあの男の子だった。
あの頃はどこか暗い影をにじませていたけれど、今は自信に満ちた明るく輝いたオーラを纏っていた。
問わず語りに彼はわれの前で彼が過ごしてきた時間や今の状況を話してくれた。
ようやく大学生活に慣れてくるようになって友達も出来、市民オーケストラに所属するようになって忙しくなると、通学路から外れた我の社には来なくなっていたこと。
そして大学を卒業し、一時はあきらめかけていたプロのバイオリニストへの夢をかなえることが出来て、イタリアへ留学し、今はまた富士見町に戻って生活していること。などなど・・・・・。
そして、たまたまこの近くを通ったので、寄ってみたこと。
「またここに住むようになっているんだから、ここの神社も鎮守様ということだなぁ。すっかりご無沙汰しちゃって申し訳ない。またおまいりに来ます」
そう言って、手を合わせて帰っていった。
また彼に会うことができる。
・・・・・会うだけでいいのか?われは自分に問いかける。
――――彼がほしい。
以前にも増して綺麗になっている彼を手元に置きたいと渇望する自分がいる。
出来るだろうか?ああ、少しだけ力を取り戻している今なら、間違いなく彼を引き込むことができるだろう。
そして、われは準備をととのえる。
悠季が昔とまったく変わらないわれの姿を見ても疑問に思わないように。そして七日間、われの元へと通ってくるように道を創り出す。神威を込めた道を。
そして、彼の理想の音色を奏でるバイオリンを虚空から引き出して渡し、演奏させる。弾けば弾くほど彼はわれと同化していき、満願の七日が過ぎれば元の世界には戻れなくなり、われのものになる。
ああ、なんとうれしいことか!
計画はうまくいくはずだった。
それなのに、思いがけない邪魔者が入ってきた。
悠季と一緒に住んでいる男に気づかれて加茂氏を呼ばれてしまったのだ。どうやら彼の住む屋敷にはそれなりに力を持ったモノがいたらしい。
そして・・・・・。
ああ、わかっている。一番の敗因はわれ自身が策に溺れたことだった。
悠季がわたしの誘いに乗ってみずからわれのところへと『来る』と言えばわれの勝ちで、例え加茂氏が邪魔をしても退けることが出来た。
しかし悠季がわれの誘いを退けるなら連れて行くことは出来ない。
そんな呪いを動かした。
こちらにも枷を掛けることで、呪いはより強力になる。われにもっと力があるときならばそんな細工は必要なかったのだが、今のわれがより強い力を動かすために使わざるを得なかった。
どんな人間でも、一度成功の味を知れば、そこから手を離すことは出来ない。それまで多くの人間たちとかかわってきていたわたしにとってはそれが当然のことだった。だから悠季も間違いなく堕ちてくるだろうと思ったのだ。
再会してすぐにありったけの加護を与え、有頂天にさせたつもりだった。われからの力を喪うことを恐れてしまうように。
そして迷っていた彼には更に強力な言葉で罠をかけた。引き返すことができないように。嘘ではない。しかし真実ではない言葉で。
なのに悠季は全力で作り上げたバイオリンよりも、今持っているバイオリンを選んだのだ。
彼は自分自身で勝ち取ったもの以外は必要としていなかった。われが思っていた以上の潔さで、迷うことなく加護を放り捨てた。
それは退魔の力。
大昔、人間がまだ神の力を素直に受け入れていた時代ならあったことだけれど、今もそんな力を持っている人間がいたとは。
拒絶されたなら、彼に対する強制力は失ってしまう。
失敗した。
失敗した!
失敗した!!
われ自身が仕掛けた罠のせいで、もう悠季に手を出すことが出来なくなった。もし手を出そうとすれば何倍もの力で撥ね返されて、われのすべてが消失してしまう。そのように仕組んだのはわれ自身。
われがあきらめて潔く身を引いたと悠季やあの男は思っただろう。だが本当のところはどうしようもなくて体裁を取り繕って退散しただけのこと。
これ以上醜態をさらすのを嫌ってそのまま電網の世界へと身を移した。
ああ、悠季にわれの本性を見せて嫌われたくなかった・・・・・などという理由も、まあ、ほんの少し。
そして。
社から退去するのを急いで、本当によかったとつくづく胸をなでおろしたものだ。
なんと加茂氏は翌朝にはわたしが居た社をお祓いをし、即刻取り壊させてしまったのだから。もし電網の世界に身を移していなければひとたまりもなく消えうせてしまっていたにちがいない。
インターネットの世界にはいろいろなものがある。中には音楽や映像を配信するというサービスもあった。さらには携帯を使ったアプリというものも。われにとってそれは目の前で見たり聞いたりするのと同じこと。
その中にあの悠季が演奏している映像を発見した。彼がこだわっていた仲間との演奏は、彼が何を望み何を目指しているのか知ることとなった。そして彼のソロ演奏は社の前で演奏してくれていたものとほぼ同様のパワーを与えてくれた。
・・・・・これはいいものを見つけた!
われはネットの世界を巡り、彼の演奏を探す。しかしまだプロとしての活動を始めたばかりの彼の映像は少なく、ひどく不満の残る検索結果となった。
ならば、もっと増えるようにすればいいではないか。
われはせっせとネットの世界の中を探り、人々に彼の演奏に魅力を感じるように、そして映像をたくさん入れられるように手を尽くす。次第にアップデートされて増えていく彼の演奏映像に満足する。
これでいい。われのところへと少しずつ力が注がれていくのがわかる。
神威が回復するのも時間の問題だ。
待っているがいい。
われの巫子。いま少ししたらあなたを迎えに行く。
われを排除したとして安心しきっている、祭祀器の武器の名を持つ古き血筋の者よ。
今はそなたの手にゆだねておく。
しかしいつかきっと、悠季を取り戻してみせる!
覚悟しておくがよい。
お待たせしまして申し訳ありませんでした! 難産の末にようやく「怪談」完結です。 ハローウィンまでに完結したかったのですが、間に合わず遅れました。 お分かりかと思いますが、小泉八雲の小説の中の耳なし芳一をヒントに作り出しました。 ブラックな圭と人外の存在との対決をやってみたかったんですが、ちょっと、いえ、かなりぬるかったかも? |
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2016.11/11 UP