「全くさ、自分の家の前くらい、雪かきしたっていいだろうにね。」
そういって白い息を吐きながら、手馴れた手つきで門の外の道路の雪を大きなシャベルで除けていく悠季が言った。
もうそろそろ春の声も聞こえようかという3月上旬。東京にしては珍しく大雪となった昨夜の雪が、今朝は朝日を浴びて白銀の輝きを放っていた。
幸いにもぼくらは揃って休日だったので、慣れない雪で混乱している交通網に煩わされる事もなく、こうして雪かきにいそしんでいるわけなのだが。
「こういう水っぽい雪は溶けやすいから、すぐに表面が解けてまた凍ってそこいら一面スケートリンクになっちゃうぞ。」
だからと言って、一体どこまで雪を除けるおつもりですか?悠季。大事な指が霜焼けにでもなったら・・・・・・・
そんな思いも手伝って、ついついぼくも真剣になり、以外に早く悠季の合格をもらって部屋へと戻った。
そうしてすっかり冷えた身体を温めるために、熱い紅茶とクッキーというティータイムをすごして暖房の効いた部屋のソファにくつろいでいた悠季は、気がつけば可愛らしい寝息をたてていた。
そういえば昨夜も・・今朝方まで寝かさなかったのは勿論このぼく自身であるわけなのだが。
ぼくは静かに寝室へ行き毛布を手にして戻ると、ソファに身を投げ出している悠季の身体をふんわりと毛布で包んだ。そしてぼくは悠季の寝顔を眺める為に床に座り込み、肘をソファにかけ、顎に手をついてしばし悠季の寝顔に見入っていた。
こうしてこの人と暮らすようになって何年になるだろうか。
あの出会いの日から今日まで、勿論平坦ではなかった道のりを二人で手を携えて乗り越えてきた日々は、甘くもあり切なくもあり、またある時は苦しくもあったのも事実だ。
だがぼくらはそれでも今なお互いに恋心を抱き、愛を囁きあう。小さな日常の幸せをかみ締め、同性同士ではあっても明らかに暖かな「家庭」を育んできた。
きっと世間の人間から見れば同性同士の間柄で「家庭」だなどと・・・・と思うかもしれない。だが。
ここにあるのはぼくと悠季というカップルの生活であり、すなわちそれは「家庭」であると、ぼくは思っている。愛し合うもの同士が共に暮らす。互いに尊敬し、助け合い、励ましあい、叱咤し合い・・・・・・・・・
そして二人で作る食事を二人でとり。この幸福極まりない時を過ごせるぼくは、幼少期に決して得ることのできなかったやすらぎを、悠季との暮らしの中に見出した。
ぼくは端から見れば恵まれた生い立ちだと思われるのが当然であろうとは思う。経済的にも社会的地位にも恵まれた家庭。だがそれは、家庭が家庭として機能する為には大して重用な事ではない。
その点において悠季は本当の意味での「家庭」の中で育まれたわけだ。今の彼があるのは、健やかな家庭に育った賜物であるし、その恩恵としてぼくも「家庭」というものの安らぎと愛に満ちた人生を享受できているのだから。
ねぇ、悠季。
ぼくは時々思うのですよ。
きみの音を初めて聴いた時、この音を奏でる人間は男性であろうが女性であろうが構わないと、そう、思った。だから。
もしきみが、女性であったなら・・・ぼくはきみをこれほどまでに愛し得ただろうか、と・・・・ぼくは女性に対して恋愛感情を持ち得ないと、そう思って生きてきた。
しかし相手がもしきみだったら?あの市民センターで、やわらかな声で皆に指示を出していたあの声が、女性のものだったら?
・ ・・・それでもきっと、ぼくはきみを一目見るなり恋していたことでしょう。
きみという魂の前に跪き、きみに愛と許しを請うていた事でしょう。
きみの魂。きみの心。
それは形がどうであれ、きみがきみであることに、なんら影響を及ぼすことはない。
きみの魂に触れる為にぼくは愛を囁き、必死にきみをかき口説く言葉を惜しまなかったでしょう。
ですから悠季。
この先二人の人生の先に別れが来ても、ぼくはきっとひたすら待つ。
幾度となく、幾度となく、時さえも超え。
ぼくらの魂は惹かれあい、求め合い、結び合う為に輪廻を繰り返す。
もしかしたら今こうしてここにいるぼくたち自身、はるか時を越えて再会を果たした魂と魂なのでは・・と、ぼくは思うのですよ。
あの夕暮れの富士見川の散歩道で聴いた、きみのバイオリンの音。
あれを聴いたその瞬間に、ぼくは雷に打たれたような喜びが身体を駆け抜けるのを感じた。それまでの人生の中で、それは静かにスイッチを押されるのを待っていただけなのだと、こうして二人が廻り合い、愛し合うのははるか遠い過去からの理であったのだと・・・・
おかしいですか?悠季。
いえ。おかしくなどありませんよ。
なぜならぼくの魂は、既にきみの魂の傍から決して離れることのできないものになっているのだから。
たとえ「死」という形而下での別離の時を迎えようとも、それは次の出会いへの序曲にすぎないでしょう。
勿論今あるこの生の全てを、きみと音楽とともに高みを目指し続ける事こそ本望ですがね。
でも、悠季。
忘れないで。
ぼくの、声。
ぼくの、体温。
ぼくの、魂。
ぼくは安らかな寝息をたてている愛しい人のくちびるに、決して違わぬ契約の印を押し当てた。
そうして静かに、静かに。
誰もが知っているであろう子守唄を、低く低く悠季の耳元で歌った。
おやすみ、悠季。
今はただ。
おやすみ。
愛しいひと。