げっぱく
月白

つきしろ









「ねえ、圭。裏の空き地のことだけど」

僕が買い物から帰ってきて話し出したのは、先ほど立ち話で聞いたちょっと変わった話題だった。

「裏の空き地ですか。あそこは隣家の敷地でしょう?」

僕らの住んでいる家と他の2軒に挟まれている真ん中に、一坪ほどの小さな空き地がある。そこはどこからも入れるような通路はなく、家の塀に囲まれた奇妙なデッドスペースになっていた。

そんな状況のせいで、誰からも手入れがされていなくて気になってはいたけど、他人の持ち物であるなら僕がとやかく言うことではないし、僕らもオーケストラの仕事で留守にすることも多い関係上、そのまま見て見ぬふりをしていたというのが現状だった。

今までは。

「あれってウチの所有らしいんだけど」

「・・・・・初耳ですね。伊沢からはあそこの土地のことはまったく聞いていません。もしうちの所有ならば、あのような中途半端な状態にせずにフェンスの中に入れてあるはずですよ」

「でもさ、お隣の西郷さんが前々から気になっていたもので、思い切って市役所に問い合わせたそうなんだ。そうしたら登記はここになっているんだってさ」

「ふむ。それはおかしいですね。伊沢に聞いてみましょう」

そうして圭はさっそく連絡をしてみたところ、意外な事実を教えて貰った。

『本来あそこの土地は誰のものでもないのですよ』

と、言われたそうだ。

伊沢さんの話によると、明治大正の頃までは土地の登記というのはかなりあいまいなものがあって、特にその土地のお堂や稲荷道祖神などが祀られたところは地域に住む人々の共有地ということになっているところがあって、きちんとした所有者はいなかったらしい。

でも近年になって不明瞭な所有が認められなくなってきたために、伊沢家が所有する土地として登記をしていたけど、道路からの参詣用の通路の部分は他の土地所有者のものになっていたそうだ。

そして、しばらく前に参道部分も使って家を建てたために道が消失してしまっていて、社だけが残されて住宅に囲まれた不思議な空間が出来てしまったということのようだった。その後、建物は伊沢家から桐院家の所有になっているけど、あの場所だけは住宅地ではなくて、雑地の扱いになっているという。

「ということは、あそこには何かあるってこと?」

「土地神の社があったと記憶しているそうですが、何が祀られていたのかまでは覚えていないそうです」

渋い顔で話してくれた。

以前の僕がさらわれかけた事件のトラウマとでもいうべきなのか。圭は神とか神社とかこの手の話には拒否反応を示す。また僕に何かあったら大変だと思うらしい。

「ちょっと思い出したことがあるので、詳しく調べてからまた連絡してくれると言っていましたが・・・・・」

正確には、他にもあの場所には何かいわくがあったらしいそうで、きちんと調べたうえでお知らせすると言ってたらしい。

「とにかく、そのようなあいまいな存在が身近にあるのは気に入りません。きちんとお祓いをしてあそこから撤去したほうが安心できますので」

きっぱりと言い切って、どこかに連絡していたみたいだ。以前の事件で縁が出来た加茂さん、かな?

でも、ばあちゃん子だった僕にとっては、そんな神様が気の毒に思えるんだよなぁ。昔はこの辺りで人々に親しまれ敬われていたはずの存在が、忘れられてほったらかしになっているのって悲しいじゃないか。せめて近くにいる者として、敬意を示すくらいのことをしてもいいと思ったんだ。

数日後、小雨が続く天気がようやく回復したから、バイオリンの練習の合間に庭の草むしりをやって、そのついでに空き地のそばへとやってきた。

「お邪魔しますよ」

いままで近づいたことがなかったから分からなかったけど、ちらりと雑草越しに屋根が見えた。その屋根に向かって声をかけてから、塀を乗り越えて草ぼうぼうになっている空き地に入り込んだ。

何年もそのままなら草刈が大変だろうと思っていたけど、意外にも下に砂利が敷き詰めてあったせいで、入って見たときには多く見えた雑草も、手に負えないほどはびこっているというわけではなかったのがわかって助かった。

「きよめさせていただきます」

手を合わせてからいざ掃除開始。丈の高いキリン草なんかは引っこ抜いて、低い草は草刈鎌でさっと刈り取って完了。

そうやって綺麗にしてみると、土地の中央に鎮座していたのは小さめな祠で、中をのぞくとツタのようなものが入ってしまっていたし、泥やほこりにまみれてひどい状態になっていた。奥には石の像らしいものと、中央に大きめな木の箱が置いてあるのが見えた。

木の箱はそーっと祠の中から取り出すと、ほこりにまみれていた表面を持ってきた布で乾拭きした。
中身については開けないでおいたけど、蓋に何か書いてあった。函の中に何が入っているかついてだろうけど、達筆すぎて読むことが出来なかった。

「確かこういう神様に関係した像はお酒で洗えばいいんだったっけ」

祠の中に無造作に安置してあった石像は持ってきた日本酒で洗ってあげた。

用意してきたバケツと雑巾でもって祠の中と外を拭いて、石像を元の場所へと戻した。木の箱も同様に戻した。

ついでに庭に生えていた花を摘んできてコップに活けて、塩と米と水を供える。オマケに貰い物のお饅頭も一つ一緒にお供えした。

「うん、きれいになった」

手を合わせてご挨拶して、気が済んだ。

「ここの神様ってお稲荷さんかなあ?」

だとしたら狐が祠の前にあるはずだけど、無くなってしまったのかも。石像を見ても摩耗していて、何の神様なのかなんて全然わからなかったし。

僕はまた塀を乗り越えてバケツや雑巾を片付けて、夕飯の買い物に出かけることにした。




今日の夕食は圭の好きな和食のつもりで、だいたいの準備を済ませて帰りを待っていたんだけど、予定よりも遅いみたいだ。

待っている間になんだか疲れが出てきたみたいで、ちょっとだけのつもりで音楽室のソファーに横になった。草むしりに張り切りすぎちゃったんだろうか。




コンコン・・・・・。コンコン・・・・・。




玄関のドアがノックされている。

「あれ、圭かな?」

急いでソファーから起き上がって、廊下をばたばたと玄関に向かう。

考えてみたら、圭ならドアの鍵を持っているし、ノックではなくてドアベルを鳴らすはずだ。

なのに、その時はそんなことなどまったく思い浮かばなくて、そのままドアのロックを開けてドアを開いた。

「お帰り、け・・・・・!?」

ドアを開けると、煌々と輝く真円の月が見え、月を背景に立っていたのは圭じゃなくて、小学校の低学年くらいの女の子で。

・・・・・あれ? 今夜って満月だったっけ。

「突然にお邪魔して申し訳ございません」

女の子はちょっと古風で大人びた口調で挨拶して頭を下げてきた。

「はい、どちらさま?」

こんな時間に来るなんて、迷子なのかな?

「こちらの裏手におりますものでございまして、いろいろとお世話になりましたゆえ、お礼とご挨拶に伺いました」

・・・・・裏の家にこんな女の子がいたかな?

「長年顧みられなかったもので、このまま朽ちて消えてしまうのではないかと案じておりましたが、幸いあなた様のお手で助けていただきまして安堵しております。お心づくしを感謝いたします」

ますます不思議なことをいう。

いったい何を言っているのかと考えていて、僕はとんでもないことを思いついてしまった。

「もしかして・・・・・いや、そんなことないとは思うけど・・・・・まさかだけど、きみは裏の祠のなかの神様・・・・・とか?」

「はい!」

嬉しそうにうなずかれてしまった。

「ええ〜!?」

自分で言ったことだけど、本当かい?冗談じゃなく?つまり僕の目の前にいるのは人間ではないってことになるんだよね。

「あなた様に害を及ぼそうなどとは、決して考えておりませんのでどうぞご安心くださいませ」

子供の口から出てくる古風で丁寧すぎる言葉は違和感がありすぎる。妙に怖いんだ。

「もう少しくだけた言い方がよろしいのですか?」

僕が変な顔をしたのか、気を使ってくれたみたいだ。

「・・・・・そうして下さい」

「わかりました。

それじゃあ。えー、今日来た用件だけど。
お掃除してくれたお礼の他に、せっかく縁が出来たんだから、これからもよろしくできないかなって思ってきたわけ。ボクは音楽を守るものでもあるから」

うっ、がらりと変わったよ。なんとも軽い口調なんで、思わずコケた。

「あー・・・・・ただね、圭が嫌がるかもしれないんだ。少し前にちょっとトラウマになるようなことがあったからね」

「ああ、荒ぶる神あのもののことね。大丈夫、ボクはヒトに害を成すような存在じゃない。少なくとも普段はね。もしボクが悪いものだったらここの大家さんが敷地の中に入れてくれないから」

なるほど、玄関の額絵はこそりとも音を立てない。

「きみがここにやってきてからずっと会いたいと思ってたんだ。きみのバイオリンはとても心地よいからね。ファンになっちゃった。あのものがきみを欲しがるのも無理ないと思ったもの」

「あは、それはありがとうございます」

神様が僕のファンなんだってさ。

「でもねー、きみは危ういんだよ。あのものはまだきみに未練たっぷり残ってるから、またちょっかいを出してくるかもしれない」

「え?でもあそこの神社はもうなくなってるから、問題ないんじゃない・・・かな?」

「いろいろと道はあるんだ。人間と違って肉体がない存在だからね。だからまだ生きてるというか、存在しているの」

「それじゃあ」

「うん、きみを狙ってまた」

「圭が危ないじゃないか!」

思わず相手の言葉をぶった切って叫んでしまった。

恨みはきっと圭に向く。直感のように思いついた。僕を守ろうとあの神社を壊したんだ。恨まれるに違いない。

「圭を助けてもらえませんか?神様なんでしょう?僕にできることならどんなことでも」

「あーストップ!だめだめ。そんなことを言っちゃ」

困ったものだと首をふって止めてきた。

「あのねー、きみはうかつすぎ。人ではないものへの請願は注意しないといけないの。口に出した言葉はそのままきっちり縛られるよ。特に『どんなことでも』なんて簡単に言うことじゃない」

びしりと指さしで僕をたしなめてきた。

「でも、人間とは違うものの相手なんてどうすればいいのか、僕には彼を守る方法がわからない」

「あー、そうねー。うーん・・・・・」

女の子は腕を組んで考え込んでいた。

「あのさ。きみの弱みにつけこむようで悪いんだけど、ボクの加護を受ける?それなりにちからがあるからきみと彼を守護することができるよ。それにボクはあれみたいに、きみにボクのところに来いなんてことは言わないしね。ただ、守護のお礼というかなんというか、時々バイオリンを聞かせてもらえばうれしいんだけど」

そう言ったところで、ことりと家のどこかで音がした。女の子は絵の方を向いて何かを聞き取っているようなしぐさをしてうなずいた。

「ああ、そうね。なるほど、無理強いしちゃダメよね」

うんうんと何かを納得した様子だ。

「ここで急いで決めたりしないようにって、家の管理人が言ってるから、今日はこれで帰ります。あちらのかたパートナーと相談していただいて、よいお返事を待ってます」

なんだかどこかの保険のセールスのようなセリフを言ってにっこりと笑ってみせた。

「わかった。圭と相談するよ」

「それでは」

ぺこりと頭を下げると扉はゆっくりと閉じていき






「悠季」


「・・・・・えっ!?」

目を開けると目の前に圭の顔があったんだ。ああ、びっくりした。

ええと、今玄関で誰かと話していたつもりだったけど・・・・・夢、だったのかな?

「悠季、こんなところで寝ては風邪をひきますよ」

僕は音楽室のソファーでうたたねをしている格好だったんだ。

「圭、帰ってたんだ。お帰り」

手を伸ばして彼の首を引き寄せるとチュッとお帰りのキスをして、ただいまのキスをかえしてもらった。

「はい、ただいま帰りました。ドアに鍵がかかっていませんでしたから、そのまま入りました。不用心ですよ。気を付けてください」

「う、うん。気を付ける」

あれ?いつの間に開けてたんだろう。買い物から帰ったときには鍵をかけた記憶があるのに。それとも勘違いしてたのかな。

「疲れているなら夕飯の支度は僕がしますよ」

「あ、待って。もうほとんど出来てるんだ。あとは煮物とかを温めるだけだから、きみは風呂に入っててよ」

圭が入っている間に、夕食の仕上げをしなくちゃ。

・・・・・あれ?

何か相談しなきゃいけないことがあった気がするけど、なんだったのかな・・・・・。

僕は首をかしげて悩んだけど、思い出せない。

まあ、いいか。そのうち思い出すだろうし。

それ以上悩むのをやめて台所に向かって行ったんだけど、ちらりと窓の外をみると、猫の爪のような月が空にあるのが見えた。

やっぱり夢だったんだなと僕は思い、中断していた夕食の用意を再開することにした。









それから数日後のこと。

その日、圭は東京郊外にコンサートの打ち合わせに出かけていて、夕方には帰ることになっていた。

僕の方は一日練習漬けで家にいたから、帰ってきたら一緒に食事をしようと買い物に行こうとしたところで留守電が入っていることに気が付いた。練習が佳境に入ったときらしく、電話が入っていたことに気が付かなかったんだ。

《僕です。予定よりも遅くなりそうです。僕の帰りを待たずに先に休んでいてください。きみと一緒に食事が出来ないのが残念ですが。愛していますよ、悠季》

やさしいバリトンの声がちょっと残念な知らせを伝えてくれた。

圭が食べないんだったら、料理は手抜きにしてもいいか。もっとも僕が練習に夢中になるあまり雑な食事にしたりすると、あとで圭にきっちりお説教をされるから、家にあるものでささっと済ませてしまうくらいにしようか。

僕は買い物をやめて冷蔵庫の中を漁った。圭がデパートで買ってきたハムがあるから焼いてやろうか。卵はあるから卵かけご飯、いや、みそ汁くらい作って卵を落として、くらいならいいかな。

ささっと食事を済ませて、シャワーを浴びて、今日はもうバイオリンを手に取る気分じゃないから、どうしよう。先に寝てしまおうか。

圭は遅くなるっていうんだし。ちらりと留守電が吹き込まれていた電話機を眺めたんだけど、あの後は何もかかってこない。

圭が仕事で遅くなるってことは今までも何回もあったことなのに、なんだか今夜は胸の辺りがザワザワとざわめいているようで落ち着かない。

時計を見ると、まだ終電の時間にはなっていない。もっともローカル線ではもっと早くに終電になるのかも。もしタクシーに乗るなら、また連絡してくるだろうし。

なんて考えていたけど、なんだか気になって仕方がない。いっそ僕の方から電話してみようか。でも、いったい何て言えばいいんだ?きみが帰ってこないから心配で電話してみました、なんて。子供じゃないんだから、圭が逆に気を使ってしまうかも。

でも、どうしても気になる。

ええい、思い切って電話してみよう。

でも、いざ圭の携帯にかけてみると《おかけになった番号は、ただいま出ることが出来ません》というアナウンスが聞こえて、つながらない。

じりじりと焦げるような焦燥感が胸の奥に居座っていて、このまま眠ることなんてできそうもない。

どうしよう?どうしたらいいんだ・・・・・。

このままじゃだめだ。でもぐるぐると頭の中は空転していて、何もいい案が浮かばずうろうろと部屋の中を歩き回るだけ。

その時だった。

僕の携帯が鳴り出したんだ。

「もしもし、圭!?」

あわててスマホを手に取った。

《もしもし、僕です。今〇〇線に乗っています。遅くなりますが、必ず帰ります》

伝言サービスからのメッセージだったんだけど、なんだ?この時間。表示されているのを見ると、圭がこれを吹き込んだのはもう2時間以上前なんだ。それが今頃になって僕に届いた・・・・・。いったいどうなっているんだ?

ますます不安になってきてしまい、もう一度電話をかけようとしたときだった。窓の外に車のライトが見え、家の前に停まったのがわかった。

「圭!?」

僕は急いで玄関から出て門のところまで行ってみると、タクシーが止まっていて、中から降りてきたのは見慣れた背の高い姿。

「お帰り、圭」

「・・・・・ああ、悠季。ただいま帰りました」

なんだか声が固い。

「何かあった?」

「ええ、まあ。中で話します」

夜中に玄関前で立ち話なんていただけないよね。圭は僕の背中を押すようにして玄関を入ると、急いで鍵をかけ、くるりと振り向いて僕に抱き着いてきた。

「ああ、きみだ・・・・・!」

なんだかさっきから様子が変だ。

「圭?」

不審に思っていると、いきなりくちびるがふさがれた。

「あ、んむ・・・・・んん・・・・・」

強引なやり方に抗議するつもりで、背中をどんどん叩いたけどキスはだんだん深いものになっていって、僕の中にも熱がたまってくる。

するりと圭の手が僕のパジャマのズボンに入ろうとしたところで必死でからだを引き離した。

「ストップ!光一郎さんに失礼だろ」

「・・・・・そうでしたね」

僕はいつもらしくない圭の態度に怒って見せたけど、どうやら今のはただふざけたわけじゃないようで、普段のようなほがらかさが見えないんだ。

「ソファーに座っててよ。お茶を入れるから」

圭の背中を押して音楽室に入ったんだけど。

「いえ、茶よりもきみの方がいいです」

「僕のほうが・・・・・って」

こちらへと手を差し出されて、その上に僕の手をのせるとぐいっと引っ張り込まれて、ソファーに座った圭の膝の上に抱き寄せられていた。

「いったいどうしたんだい?」

何がここまで圭の態度をおかしくしているんだろう。

「あー、実はですね・・・・・」

そして圭はためらいがちに今夜起きたことを話し出してくれたんだけど、その顛末を聞いて絶句してしまった。

乗った電車が走っていったのは知らない路線で。不思議な駅に停まり、そしてぞっとするような光景を目にした。もしそこに降りたとしたら、もう戻れなくなっていただろうと言った。よく無事だったと心から思ったそうだ。


「ようやく無事に元の世界に戻って、目的地の駅に到着したとたんに、宅島やきみからのメールが次々と届いてきました。それで携帯が使えなくなっていたことに気が付いたのです」

降りた駅からはまだ都内への電車が動いていたけど、どうにも乗る気になれなくて、タクシーでここまで帰ってきたそうだ。

「本当に無事で帰ってこれてよかったよ」

話を聞いて、僕が感じたのは深い安堵とこみあげてくる怒り。

「きみのおかげですよ。僕を助けてくれた存在は、きみが座所を清め手入れをしてくれたお礼だと告げてきましたから」

「え?あ、もしかして裏の!」

「はい」

「それって・・・・・」

今頃になって僕は思い出した。不思議な女の子が礼だといって挨拶に来たことを。

「思い出したよ。その子にあやうい立場にいるから、自分の加護を受けないかって言われたんだ。きみと相談して欲しいって」

僕はてっきり夢だと思っていた、あの出会いのことを話した。

「なるほど、そうですか。では加茂氏に相談してみてもいいかもしれませんね」

少し考え込んでいたが、首を振って僕の方に向き直った。

「ですが、今はこちらが優先です」

と、圭は言って、僕の肩に手を回してきた。

「シャワーを浴びてきます。悠季、今夜は僕に付き合っていただけませんか?」

不安なことや緊張がはじけて、性的なことに針が振れるってよくあることだ。だったら僕はそれに付き合うだけだ。

「シャワーはいいよ。きみの匂いは好きだしさ。それにどうせドロドロになっちゃうんだろうから」

圭は目を丸くして、それからにっこりと笑った。

「それでは二階へ行きましょう」

僕たちは手に手をとって、そのまま寝室へと向かった。










「・・・・・あ・・・・・はぁ・・・・・ふぅん・・・・・」

僕はもう何度かのセックスでもうヘロヘロになっていた。

最初は彼自身を僕の口でなめしゃぶってイかせて、僕も指でアナルをほぐされながら彼の口の中でほとばしらせて。

腰を上げて背後から自ら彼を迎え入れて腰を振ってたら、圭が奥まで突き入れられてイイところをこすられたものだから、ひいっと声を上げながら、彼をぎゅっと締め付けてシーツをかきむしりながらすすり泣いた。

体位を変え、何度も高みへと押し上げられて、甘い悲鳴を上げていた。

明日はどうなってもいいと腹をくくって圭と抱き合ったけど、やはりこれはベッドから出られないことになるだろう。

「何を考えているんです?こちらに集中して」

「あ・・・・・ああっ!」

ぐいっと揺すりあげたものだから、何度目かの絶頂に放り上げられてしまう。

もう出るモノも出なくなっていて。太ももは引き攣っているし、腕も上がらないし力も入らない。

これっていわゆるドライオーガズムっていうんだよなぁ。なんて、とろけた頭でぼんやり思う。

うっすらと目を開けて圭を見れば、僕がつけたキスマークが点々と見える。あそこのは・・・・・あちゃー歯型かな?アザになるな、これは。痛そうだよ。

夢中になって僕の方もタガがはずれてたんだよな。

でも・・・・・。やっぱり言わずにはいられない。

「きみは僕のものだ。誰にもやらない。誰にも渡さない。どこにもいかせない」

うわごとのように何度も繰り返した。

「ええ、僕はきみのものです」

やさしい声を耳に受けながら、僕は安堵のため息をついて深い淵へと落ちていった。









翌朝は、やっぱり思った通りになっていた。

腰が重くて鉛でも詰め込んだようになっていて、ベッドから起き上がれない。関節も無茶をしたみたいで動くと痛い。

それに引きかえ圭ときたらご機嫌な様子で、昼過ぎになってようやく起きられるようになった僕に、ブランチだと言って、はちみつを入れたホットミルクと卵とハムの入ったサンドイッチを作って持ってきてくれるタフさかげん。

どうしてこうも体力に差があるんだろうか。

食事をすると少しはましになってきた。エネルギーが底の状態だったのかも。シャワーを浴びて、用意してもらっていた服を着た。圭が心配してパンツまではかせてくれようとしたんだけど、さすがにそれはノーサンキュー。

階段を降りて、音楽室のソファーに腰を下ろしてほっと溜息をついた。

最近、体力が落ちたんだろうか。それとも圭がもっとタフになったのかも?うーん。

「夕食は僕が作りますから、今日はゆっくりしていてください」

「うん、頼むよ。久々に無茶をしちゃったから、僕はちょっとね」

「すみません」

「調子に乗っちゃった僕も同様だけどね」

思わず苦笑した。

「買い物に行きますが、夕飯のリクエストはありますか?」

「うーん、さっぱりしたものがいいかな。おまかせするよ」

「わかりました」

タフな男は昨夜の疲れなどみじんも感じさせない様子で富士見銀座へ買い物に出かけていった。

僕の方は腰をかばいながらピアノの椅子にドーナツクッションをのせて座り、バイオリンを手に取った。

本当は、昨日の続きをやりたかったんだけど、腕も足もだるいし、どうにも集中が出来なかったんで、今日のところは指がなまらない程度の練習で切り上げることにして、弾き始めた。

ふっと意識が戻ってきて、部屋に焼き魚のいい匂いがするのに気づいた。軽い練習のつもりだったけど、いつの間にか集中していたらしい。

圭はいつの間にか買い物から帰ってきて、食事の用意をしてくれていたんだ。

まもなくいいタイミングで音楽室のドアがノックされて、圭が声をかけてきた。

「悠季、食事の用意が出来ましたよ」

「うん、ありがとう」

夕食に圭が用意してくれたのは、白身魚の西京漬けと胡瓜の酢の物にナスの煮びたしだった。美味しくいただいて、二人で食器を洗って、僕も風呂に入ってベッドに入る。

さすがに今日のお相手は出来そうにないから、おやすみのキスをしてそのまま眠るつもりだった。

「悠季」

圭が掛け布団を開いて呼んだから、彼の腕の中に身を寄せて腕枕に身を落ちつけた。

触れてくる肌のぬくもりとにおいとが昨夜の狂乱を思い出させてちょっと胸がざわざわと騒ぐけど、もうこれ以上は体力的に無理だから目をつぶって眠ることだけを考える。

このあたたかさがもう少しのところで失うところだったのだ。もしまた昨夜のようなことがあったら・・・・・と思うとぞくりと胸が冷えた。

そのとき、パジャマの上着の裾から圭の手が入ってきて僕の肌をたどり始めた。背中をゆっくりと、まるで猫でも撫でているように。

「圭っ?」

「きみの体調が悪くて、これ以上のことは無理だとわかっていますから無茶は言いません。ただ少しだけ触れさせてください」

「・・・・・いいけど」

確かにその手は欲望をかきたてるものではなくて。やさしい大きな手に愛撫されていくと、自分のからだがこわばっていたんだと気が付く。

「大丈夫。きみがいるなら僕は大丈夫」

小さくささやくような声で、そう聞こえた。

僕が内心不安でピリピリしていたことなんてお見通しなんだ。

もしかしたら昨日の出来事は圭のとってトラウマになってしまうんじゃないかなんて思ってたけど、彼はそんなにやわな男じゃないんだ。少なくともそう信じてほしいと願ってる?

だったら、むやみに僕が悩んでいることなんてないのかも。

僕よりも体温の高い圭のおかげでとてもあたたかい。僕はぬくもりにつつまれてそのまま眠りへと落ちていった。




翌朝、朝食をとりながら僕たちは今日のスケジュールの打ち合わせをしていた。

「午後から用事がありまして出かけなくてはなりませんが、大丈夫ですか?」

「あー、僕なら大丈夫だから。車で行くんだろ?気をつけていっといで」

「いえ、電車の方が便利なところですから乗っていきます。すぐ戻りますよ」

「え?でも、その・・・・・」

怖い思いをしたのに、大丈夫なのか?

「最強のお守りを持っていますから」

濃厚なキスをしかけてきた圭は、いつもの様子で出かけていった。

お守りってなんだろう?

僕は不思議に思いながらも、音楽室に行ってバイオリンを手に取り、そのまま曲の中へとダイブした。








「悠季」

声をかけられて我に返った。もうずいぶんと日が傾いている。

「ああ、お帰り」

「ただいま戻りました」

「今日はどこに行ってたんだい?」

「打ち合わせの続きをやりに、一昨日と同じところに行ってきました。何もありませんでしたよ。やはりトンネルも河もありませんでしたね」



ぎょっとなった。



「何やってるんだよ!あそこへまた出かけるなんて危ないじゃないか」

「大丈夫ですよ。加茂氏にきちんと相談した上でのことです。
あのようなことが起きたのは時と場所がたまたま合ったからで、何度も出来ることではないそうですし、僕としてもトラウマになりそうなことなど、早く消去しておきたいと思ったのですよ」

怖いと思えばいつまでも引きずらないようにってことなんだろうけど、度胸があるというか、恐れ知らずというか。

「それから神社があった場所にも行きまして、思い通りにはさせないと宣言してきましたよ。まあ、今はもう駐車場になっていますから、知らない誰かに見られたら、何やら独り言ををぶつぶつと言っているかなり怪しい男に思えたかもしれませんがね」

「・・・・・圭」

ずいぶんと好戦的になってるよなあ。今回の事はよほど腹立たしかったのかも。

でもそれ以上のことは何もなく、僕たちは無事平穏な生活に戻っていった。





ただ・・・・・一つだけ頭が痛いことができた。


数日後に風呂から上がってきた圭はいつものようにマッパのまま出てきて部屋を横切って行ったんだけど、その背中をみてギョッとなった。

キスマークだけじゃない。肩口にはっきり歯型だってわかるあざがわかるんだ!数日前より色がくっきり鮮やかに浮き上がってしてるし。

ちょつと待った。

確か、今日はスポーツジムへ行って、少し泳いでから帰ってきたって言ってたよな。

こんな姿で泳ぎに行ったって!?キスマークと歯型がばっちりついてるじゃないか。みんなに何て言われてたか・・・・・

「ああこれですか。効果抜群のお守りですよ。僕がきみのものだという証拠でもありますし」

「けいっ!!」

にこやかに言う確信犯な言葉に、僕は頭を抱えて座り込んでしまったのだった。



























月白(げっぱく)とは、月の光を思わせる限りなく薄い青みを含んだ白色のことで、背景でこの色を使っています。

月白を「つきしろ」と読むと、月が東の空に昇るの際に空がだんだん明るく白んでいく様子を指し、特に月見客が十五夜を待ち焦がれる思いを表現するそうです。

ところで、祠の中に入っていたものは、有名な神様の仏像という設定です。

名前は出しませんでしたが、『琵琶、江ノ島、七福神』で検索すればすぐに出てくるメジャーな神様のつもりです。



2021.1/6 UP