今、僕の目の前には、ひと房の葡萄がある。
ダイニングテーブルの上、クリスタルカットのお皿にのって。
事の次第は今日福山先生のところに伺った時、帰り際に奥様から手渡された紙袋だった。
『到来ものなんだけれど、良かったら召し上がってちょうだい。うちのひとは、皮が面倒だの種があるだの言って食べないのよ』
丁重にお礼をのべて、持ち帰って開けてみるとそれは見事なマスカットが一房、白い紙に包まれて入っていた。
みっしりと実をつけたそれは意外な重さで、片手では零れそうなほどだ。
鮮やかなうすみどり。
ひとつひとつの実はウズラの卵よりもおおきい。
こうやって透明なガラスにのせてあるのを見ていると、果物というよりも鉱物のようだ。半透明の翡翠で精巧に造られた、うすみどりの宝玉。
端然とした冷たさまで感じられる。
なんだか、僕のよく知っている誰かさんみたいだなぁ、と、苦笑してしまった。
この一見冷たいようにもみえる鉱物質の、半透明のうすみどりは、彼のイメージに似通っている。彼の中身はまったくそうじゃないのだけれど。さて、この果物の宝石はどうなのかな?
ぷつり と一つ、房から実をはずす。
目の前にかざしてみてもやっぱり宝石のようだけれど、指先に伝わる弾力が、これが鉱物ではないと訴えている。
そっと口に含んで、滑らかなその表面を舌でなぞってみる。
名前の由来であるムスクの香りはあまりしない。
けど…なんだかこの舌触りというか、この感触は、どこかで…いや、なにかに似てやしないか?
行儀が悪いのは承知の上で、それを軽く前歯で噛んで固定し、つるりとした表面をなおも舌先で撫でてみる。
滑らかな舌触り。充実した中身が窺い知れる、その弾力。
これは…確かに、なにかに似て…
あ!!
それに思い至って、あまりのことに顔が熱くなるのがわかった。
思わず実をささえていた歯に力が入って、その表皮がぷつりと裂けた。
口中に溢れだす鮮烈なその香り、その果汁。
「うわー、甘い!」
誰もいないのはわかっているけど、味に関しての感想を口にださなくちゃ、照れと自己嫌悪半分ずつで突っ伏してしまいそうだ。
判ってしまったのは、その感触がなにに似ていたか。
…圭だ。
いや、正しくは、圭のアレ。
アレの先端。
行為の時の、育ちきったアレの先端部の感触にそっくりだったんだ…。
思い出してしまうと、今度はその時の記憶が溢れだしてくる。
『悠季…悠季…!』
僕の名を呼ぶ、少しかすれて上擦ったバリトン。僕の髪を掻き乱す長い指。
鼓動が速くなってくるのが判る。
…圭は今、演奏旅行中だというのに…。
もう、この時間ならホテルに戻っているだろうか。
ああ、声がききたい!
今、たまらなく彼の声が聴きたい。
目を閉じて息を整え、身体に灯ってしまった火を消そうとしたその時。
電話が鳴った。
悠季Side (マスカット)