「そんなことは絶対にあり得ません」
圭の声に思わず振り向いた。
いつもの冷静な声がひどく尖って聞こえたのだ。
オーケストラ団員への簡単な注意の言葉としても、普段の圭ならば使わないようなきつい言葉遣いでもある。
何かトラブルでもあったのかな?
僕は頭の中であれこれ考える。
ついこの間各楽器パートのリーダー会議をやったけど、問題の報告はなかったからオーケストラの中では今のところは何もない、はず。
そっと立ち上がると宅島くんのところへ行って、ひそひそと質問する。最近オーケストラの経営か興行のことで何かトラブルがなかったか聞いた。そっちの関係には疎いから。
案の定というべきか、どうやら来年度のツアー契約内容で細かい揉め事が起きていたらしい。
それでもなんとか解決の糸口が見えてきたらしくて、心配はなくなったそうだ。ただ、何がきっかけだったのか、そのなごりが団員さんの言葉から圭の逆鱗に触れてたまたま口調に出てきたようだ。
つまり、ストレス疲れが今回の言葉を言わせたってこと、みたいな。
ごめんね。このところ僕の続けざまのコンサート旅行のせいで、その・・・・・夜の相手が出来ないことが多かったのも関係があるんだよね。たぶん。
うーん、これはまた休暇旅行が必要なのかな?
スケジュール表を見て・・・・・、ありゃ、二人ともまとまった空きが無い。まったくないわけじゃないけど、すれ違いが多くて近いところでは・・・・・えーと明後日の一日くらいか。これじゃあ日帰り旅行が関の山かも。その後は二週間ほど先になってしまう。
とはいえ無いよりはましかな?
僕は考えたうえでひとつうなずくと、圭のところへと歩いていって声をかけた。
「圭、ちょっと頼みがあるんだけど」
「それでドライブですか」
「うん、急に運転手を頼んじゃってごめんね」
「きみとのデートでしたら喜んで」
僕はうまく圭を誘い出し、日帰りのドライブ旅行へと出かけることに成功したんだ。
「それで行く先はT山公園でしたか」
「うん、桜が見事なんだって」
「・・・・・は?さくら、ですか?紅葉ではなく?」
まあ、そう思うのも無理ないよね。なんたって今は秋なんだから。僕だって話を聞いてええ〜?って思ったんだ。
どうやらテレビで放映されていたらしくて、この話を団員さんがスマホを検索して見せてもらった公園の映像はとても綺麗だったんだ。
特に今年は花の時期が遅れて、桜と紅葉が競演してラッキーなんだそうだ。
「秋に咲く珍しい桜なんだってさ。もちろん春にも咲くらしいけど。もっともソメイヨシノと違って豪華に群れ咲く花じゃないみたいだけどね」
それで、気分転換に見てみたいと頼んだんだ。今取り組んでいる曲の構想がうまくまとまらないからって理由をつけて。
圭はカーナビに場所を打ち込み、高速に乗って関東を北上。迷うことなく順調に目的地に到着した。
「このあたりですかね」
駐車場から広い公園の中を散策していって、桜がまとまって植えてあるという広場へと向かう。
「あ、あれはソメイヨシノじゃないかな」
もうすでにきれいに紅葉している木々が並んでいた。その外周にも常緑樹の木に混じって赤く色づいた木々の林が続いている。
そして、その一角にお目当ての桜の木々が並んでいた。
ソメイヨシノの並木道に比べればたいした数はない。
枝に咲いている花も春に咲くソメイヨシノのような華麗さはない。
けれど、白く可憐に咲くその花々は、目を奪うものだった。
「なんというか・・・・・、かわいい花なんだけど、すごみみたいなものがある気がする」
「背景の紅葉の見事さと春とは違う冴えた空の青さのせいなのでしょうが、桜の懸命さが伝わってくるような気がします」
うん、そうだよね。これから暖かくなって木々が芽吹いてくる春を寿いでさざめくような喜びを示しているような花々ではなくて、今年の名残と感謝を表しているようなそんな切ない感じがあるんだ。
哀愁ということなのかな。それとも哀歓?圭ならもっとふさわしい言葉を知っているだろう。
でも今は感じるほうが大切だ。
「・・・・・きれいだよね」
あ、マスネのエレジーを弾いたらきっと似合うかも。それとも他には・・・・・。
「ええ、見にきてよかったと思います」
圭も感じたのかな。何か言いたげに僕の方を見てるけど。
僕たちはけっこう広い公園の中をたわいない雑談を交わしながら歩いていった。カエデやソメイヨシノの赤く染まった葉の華麗さや銀杏の葉が黄金色に輝きながら散り落ちていくのを眺め、枯葉の柔らかな音を楽しみながら踏みしめていく。明るい日差しの中にも風の冷たさに冬が近づいていくのを感じながら二人だけのときを楽しんだ。
もちろん公園には紅葉を見に来ている人たちも何人かいたんだけど、平日だったせいもあるのか、このあたりにはそれほどの人出はなくて静かだったのはとてもラッキーだった。
駐車場へと戻って、さてこのあとはどうしよう?
「悠季、せっかくですからこの先にある温泉宿に泊まって行きませんか?」
「え?でもきみのスケジュールだと明日は予定が入っているんじゃないのかい?」
僕の方は空いてるんだけどね。本当は壽人のレッスンが入ってたんだけど、他の日に変えてきたからゆっくりできるんだ。
「僕の予定を午後に変えました。明日の朝、ゆっくり帰っても間に合います」
って、にっこり。
「なら宿はお任せするよ」
「はい」
圭は嬉しそうな顔でいそいそとスマホを取り出した。この手の機会を逃すやつじゃないから、きっと宿もひそかに探していたのかも。
「部屋を押さえました。それではこのあたりを少し観光してから宿に向かいましょうか」
「あー、パンツは・・・・・コンビニで買えるか」
「着替えなどは前もって車のトランクに入れておいたものがあります。いつでも泊りがけで出かけられるようにと」
「・・・・・さすがだね」
圭の用意周到さにあきれながら、僕たちは車に乗り込んだんだった。
そして、圭が急遽予約した宿はさすがと言うか、やはりと言うか、このあたりの老舗の旅館だった。
着替えの入った小さなバッグを仲居さんに持ってもらうのが申し訳ないくらいで、案内された部屋は、二間続きの和洋室で、手前はソファーやテーブルがあって、奥の部屋にはローベッドというらしい布団に近い低いダブルベッドが据えられていた。
圭としては残念だったみたいだけど部屋に露天風呂はなかった。
でもこの部屋は庭に面していて、その庭にはあの十月桜が植えてあったんだ。夕暮れでライトアップされた十月桜は昼間に見たものと印象が違ってた。あくまでもはかなくて可憐な感じだった。灯りがあっても昼間とは違う暗闇の中に、星が地上に落ちてきたような点々と白く浮き上がる様子が愛らしい。
「ここでも十月桜に会えたね」
「ええ。ですが今はこちらの方が魅力的です」
圭はそう返事をしながら、嬉しそうに僕にキスをした。
紅葉の季節に合わせてUPするつもりだったのですが、諸事情により遅れに遅れました。 このままだと年越しになってしまう!(汗) 大掃除を兼ねて(笑)出してみました。 |
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2017.12/26up