「夢見るバイオリニスト」 感想文

今回の「夢見るバイオリニスト」は、悠季が圭と出会う前の話を一部追想を交えて書かれたものでした。

本当にごく普通のちょっとシャイな青年が挫折や淡い恋を募らせていた青春のひとこま・・・・・。

もし、電柱大魔王(←ひどい言い方)と出会わなかったら、ごく普通に(たぶん先生として)就職し、ごく普通に結婚し(川島さんじゃないと思うけど)子供が出来たりして、ごくごく平凡な人生を過ごすことになっていたんじゃないかと思います。

あこがれていたプロの音楽家には、とうとうなれなくて、『昔ね、パパはプロのバイオリニストになりたかったんだよ』なんて子供に懐かしそうに話していたかもしれません。

悠季にとっては本当に圭と出会ったことは、本当に人生の転換点だったのだなぁと改めて思いました。

とは言っても、出会った当初は悠季にとっては災難が服を着てやってきたとしかおもえなかったでしょうが。(笑)



悠季の大学時代、プロのオーケストラーのオーディション挑戦は、実に切羽詰まったものでした。

父親との約束を果たさなければならないという思いと、母親の死の原因の一端を担っているという負い目は、絶対にプロにならなければならないという必死さだけが空回りする事態になっていました。

もともと他人に窮状を打ち明けることが出来ない性格もあって、自分がどの程度の腕を持っているのか、ライバルたちのレベルがどれほどのものか全く情報を得ることが出来なかった事が自分を追い詰める結果となってしまいました。

合格ラインに届いているのかどうかも分からずに突き進んでいった様子は、鬼気迫るものがありました。

【もし】や【たら】は言ってもしょうがないことではありますが、もしあの時福山助教授(当時)に相談する事が出来ていたら、オーディションがどの程度か聞く事が出来たのではないかと思いますし、ストレス性胃潰瘍から病院行きになり、オーディションをしくじるなんて結果にはならなかったかもしれません。

もっとも悠季にとっては福山先生は苦手で鬼門だったようで、相談どころではなかったようです。

福山先生の方も、言い出さない生徒ゆうきに歯がゆい思いをしながらも口出しが出来ず、「腰のすわっとらん音だ」と言うことで、なぜオーディションを受けたいのか動機を思い出させようとするのがせいぜいだったのでしょう。

悠季にとっては、たとえもっとやわらかな忠告であったとしても、不安とあせりとで周りが見えなくなっていた状態では、福山先生の言葉は耳を通り過ぎていく風に過ぎなかったかもしれません。

結果において弟子の挫折は福山先生にとっても指導の限界を苦く感じさせるものになったのではないでしょうか。

後日、悠季がフジミでチャイコフスキーのコンチェルトを弾く事になった時、

「お前の音は、お前独特の透明感があって好きだな」

という言葉を告げたのは、大学時代に言葉惜しみをした悔いが言わせたのかもしれないと思いました。




この悠季のバイオリンの中に響く透明感。

ニブい私は、今回の話を読んで初めて思い当った事があります。

福山先生の「越後へ帰れ」や「お前の耳にはたんぼの泥がつまっておるんだろう!」という常套句は、弟子の誰にでも使いまわして言うセリフだと思っていたのです。

例えば、徳島出身の弟子には「阿波へ帰れ」岡山出身の弟子には「備前へ帰れ」というふうに。

でも違っていたのですね。

この言葉を使い始めたのが、悠季が一年の時の学内コンクールの時「ユモレスク」で金賞をとったあとからだったと聞いて、あの言葉は「お前の原点の音を思い出せ」という意味だったのだと気が付きました。

悠季が今その事に気が付いているのかどうかは分かりませんが。(笑)

もうひとつの言葉。「お前の耳には田んぼの泥がつまっておるのだろう」というセリフは悠季が間違った方向を向いているといった意味だったのでしょうか?

悠季は大学入学後、言葉のなまりと共に自分の音を都会の洗練された演奏に変えようとしていましたが、福山先生にとっては、それは改良ではなく改悪でしかなく、悠季本来の魅力的な音が聞きやすいが平凡な音へと変わっていくことが悔しく思われたのでしょう。

気負いこんで臨んだ次年度の学内コンクールではあえなく落選し、自信があったはずの「G線上のアリア」の評価がBであった理由も改悪の結果だったのかもしれません。

そうして、悠季がオーディションを受ける事が出来ず、プロになれなかった手ひどい挫折は、後に言うところの「僕なんて」病につながったのに間違いないと思います。

それは音楽家として強いプライドを持つ彼にとって、プロになれなかった理由が健康や金銭的な問題が原因だということでは、自分が許せなかったということかもしれません。

プロになれなかったのは自分にバイオリニストとしての才能がなかったのだと言い聞かせることで、苦い現実を呑み込もうとしたのではないでしょうか。

上手な由布子ちゃんへの敗北感。音大に進んでからは周囲にいる幼稚園の頃からバイオリンを習っているらしい連中との比較。

絶対音感を持っていないというコンプレックス。

自分には持っていないものばかりを羅列して。

様々な理由を並べたてることで理性で感情をねじり伏せ、プロへの道を断念する事を納得しようとし、しかし彼の心の奥底にあるバイオリニストとしての才能や情熱は、無意識のうちに反抗し続け悠季の心をくすぶり続けさせて、フジミにのめり込むことでバランスをとっていたのかもしれません。

彼のプロにはなれなかった理由づけは、ついに自分の才能への強固な否定となってしまい、後にいろいろな問題を引き起こす原因になっていったのでしょう。

そんな悠季がいじらしくもせつなく愛おしくなるような話でした。




話のついでに、胃痛の話を。

自分も胃痛持ちで、少し前にピロリ菌退治をするまでは慢性胃潰瘍に悩まされていました。

今はかなり改善されていますが、悠季の胃痛の表現は我が身に思い返して痛かったです。

もっとも彼の場合は、ストレス性の胃潰瘍だけではなく、栄養失調もダウンした原因ではないかと思います。

モーツァルトにオーディション前日に行った時、かなり心配されていたようですが、ニコちゃんは不安がらせないようにと気を使って「ちょっと顔色が悪い」と言ったわけですが、きっと本当は今にも倒れそうなくらいひどい顔色だったに違いありません。

後日のロン・ティボー挑戦の際にも同様に貧血で倒れたことがありましたが、自分の症状に対してすぐに心当たりがついたのは、前にも同様なことがあったからなのですね。

音大受験の準備をしていたときにも、ひどく体重が落ちてダウンした事もあったようですが、自分のからだのことを考えずに無茶する性格はずっと変わっていなかったようです。

この辺りのことを栄養学に詳しいフジミストの方から少しお聞きしたのですが、悠季が少なくなった仕送りからレッスン代をやりくりするためと、胃痛によかれと思っていた食生活が、実は胃にはかえって良くない食生活だったらしいです。

牛乳、卵かけご飯や梅干し、お粥は一見胃によさそうですけど、どれも意外に胃に負担がかかるとか。

その上体重が成人男性として痩せすぎていて――ロン・ティボーのときに62kgだったということですから――おそらくこの時も同じか、もしかしたらもっと痩せていたと思われます。

こうなると、悠季の摂取していた栄養は生存のために使われていて、脳の活力も落ちていたはずだそうで。

自分が無謀な無茶をしているのだという事に気が付かなかったのかもしれません。

弓を取り落としたり、座り込んでしまったりとなるとそうとう危ない。

吐血する前にドクターストップがかかっただろうとお聞きしました。

(ニュアンスが違っていたらすみません。←私信)




それから気がついた事がもうひとつ。

悠季の住んでいたアパートですが、最初は宮島アパートではなかったのですね。

大学時代に石田さんに保証人になってもらったと書かれていて、でも新潟から上京してきたばかりの悠季の保証人になるなんて?と思っていたのですが、在学中にもっと安いアパートを探して引っ越していたから石田さんが保証人になったのですね。

短い話のはずなのに、ずいぶんと長い感想文になってしまいました。(苦笑)

次は本編の方で感想文を書きたいです。

早く出て欲しいですね!

2012.4/2 UP