音楽大学受験、ことにバイオリン課を狙っている者たちの世間とは、案外広いようで狭い。
音楽大学はいくつもあるが、最高学府である芸大や桐朋大学を受験しようとする者はある程度予想が付く。
それに続く邦立や武蔵野もまた同様に。
もともと音大へバイオリンで受験しようとする者の数は、大所帯のピアノに比べれば多くない。
一般大学の受験のように教科が同じならば、幾つもの大学を併願出来るから予想など出来る筈がないが、演奏実技が必須の音大では、受験できる大学の数は限られ、ほぼ一発勝負となる。
腕に自信があるたいていの受験生は、高校あるいは中学のころから腕試しにあちこちの音楽コンクールに参加している者が多く、常連になっている事が多い。
顔を知らなくても入賞者リストを見ていれば名前が記憶にあるのだ。
だから今年の受験者たちの中で、彼は芸大、彼女は桐朋、あっちは邦立、こっちは武蔵野を受けるだろうとある程度予想がつけられる。
もちろんそれは関東を中心に考えての事であって、西日本や北日本からの受験生もあるから多少は狂うが、それでもまったく未知の者がやってくることは少ない。
それでも、例外というものはあるもので、僕が邦立音大に合格し、初めてバイオリン科の学生が一堂に会しての顔合わせのとき、そんな人物に会うことになった。
「三月まで新潟で高校生をやってました守村です」
眼鏡をかけたひょろりとした青年がこう自己紹介をしたとたん、一斉に『うっそー!?』という驚きの声が上がった。
守村と名乗った彼はぎょっとたじろいで、色白な顔が真っ赤になった。
彼の言葉によると、高校まで音大付属ではない普通科の高校に通っていたそうで、彼にバイオリンを教えていたという教師は武蔵野音大を出ていたそうだがバイオリンを専門に教えていたわけではないらしい。
その上、まったく名前を聞いた事がないと思っていたら、コンクールには一度も出た事がないという。
そんな驚きの入学を果たした彼は、更に驚いたことに多くの学生が講師に師事する中で、福山助教授が担当になっていた。
一人の教授が受け持つ生徒に限りがある以上、彼は相当優秀なのだろうと推測ができた。
その考えは間違っていなかったようで、一年の時の学内コンクールでは目を見張るようなみずみずしい音色で金賞を受賞した。
しかし地方からやってきた者にはよく聞く話だが、全国から集まってきた多くの才能ある者たちに囲まれてコンプレックスで委縮し、自分らしさを見失ってしまうことがある。
彼も同様だったようで、学内コンクールの後は鳴かず飛ばずの成績に沈んでいった。
他人の事を気にしている場合ではない。自分のことをやっていればいいと言い聞かせても、彼の音楽が日に日に生彩を欠いていくのを知るのはなんとも惜しかった。
けれど僕と彼とは同じバイオリン科とは言ってもさほど親しくなく、よくつるんでいる住吉が何か忠告してやればいいのにとやきもきしていた。
しかし友達が何か言って解決するような問題なら、もっと早くに教師が教えていたことだろう。
特に福山助教授のがみがみと厳しい叱咤は有名だ。その怒声でも直らなかったのだから、無理だったのかもしれない。
福山先生が彼につけたあだなが『越後の頑固者』というのだということを後から知った。
そして月日は流れ、僕は選ばれた卒業コンサートでも彼は選ばれることはなく、そのまま卒業を迎えた。
公募があったオーケストラの欠員募集に、彼も応募したと知ってやる気になったかと密かに喜んでいたのだが、残念なことにストレス性の胃潰瘍でオーディション当日に病院行きになってしまったそうだ。
その年オーケストラに入団出来た者は僕の他にも何人かいたが、彼はその中に入ることはなかった。
『教師を目指すよ』
と彼は周囲の者たちに言っていたそうだが、音楽教師の就職先はオーケストラと同様さほど数はなく、卒業の時にも勤め先の学校がどこかに決まったとは聞かなかった。
だから守村の話はそこで終わり、彼の情報とはせいぜいが同窓会で会えるかどうかくらいだと思っていたのだが、思いがけないところから入ってくることになった。
僕は東京フィルの中に新米バイオリニストとして入り、右往左往しながらも何回かの演奏会を重ねていってようやくオーケストラにもなじんできた。
音楽で身を立てることが出来ない者が多い中で、自分の居場所を見つけたのだと―――たとえ安月給でもだ―――思うようになり始めた頃、日本音楽コンクールの受賞者の中に【守村悠季】の名前を見つけた。
同級生の名前ではあるが、二年も経っているのにその名前を見てすぐに彼だと分かったということは、やはり頭の隅に彼の事が残っていたということなのだろう。
しかし、本当にあの彼なのかと首をかしげてしまった。
上がり症でコンクールに対してひどいプレッシャーを感じるらしい彼が、果たして今頃、学生たちに混じってまでコンクールを受けるだろうか?と。
けれどガラコンサートでテレビで映っていた彼は確かに音大時代の同窓生の彼で、大学時代とは比べ物にならない清冽な音色で魅了してくれた。
プロになることをあきらめたと思っていた彼が、いったいどのような思いで今の道を選び、どのようにして今の音を手にしたのだろうか。
とは言え、日本音楽コンクールはこれからの若手を支援するものではあるが、その後のコンサート活動を援助してくれるものではない。
どうするのかと思っていたら、更にその後に驚きが待っていた。
ある日僕が東フィルの練習場に入っていくと、ゴシップ好きの先輩が楽しそうな顔で寄ってきた。
「なあ矢島、お前聞いたか?」
「何をです?」
「来年一月のブラームスのソリストが決まったそうだよ」
「ああ、海外から招くはずのソリストがキャンセルしてきたからって、穴埋めに捜していたバイオリニストですか。公募してたと思ってました。誰に決まったんですか?」
「それがあのスプラッシュコーラのCMに出ていた『守村悠季』だとさ。知ってるか?同じ邦立だよな」
「え?ええ、まあ。確かそうだったんじゃないかなぁ」
「どんなやつだ?」
「どんなって・・・・・。そんなに親しい間柄じゃなかったから僕は知りませんよ。大学時代はそんなに目立つ奴じゃなかったし」
詳しい情報など言うつもりはなかった。
この先輩に何か言えば針小棒大。あっという間に僕が言ったこととして団員たちに触れまわられてしまう事になるのは経験済みだったからだ。
「事務長のやつ、どうやら音楽性よりも話題性の方をとったらしいな。以前のCMで顔が売れてるから、若い女性客がやってくると思っているんだろうよ」
ぶつぶつと先輩のバイオリニストは不満を漏らした。
「でもこの間のM響とのシベリウスは好評だったようですね」
あ、まずい。気にしていた事がばれてしまう。
でも先輩はこき下ろす事の方が大切だったようで、僕の言葉など耳に入らなかったようでほっとした。
「ありゃなあ、指揮者の桐ノ院がリードしての演奏だったからよかったのさ。守村がM響に抜擢されたのだって桐ノ院が強引に推したに違いないんだ!何しろ桐ノ院圭というやつはサムソンと契約していて、世界中で人気が上がっているらしいし、M響の方でも我がままを聞かなきゃならないんだろうからな!」
ぺらぺらと一息に言ってのけた。
そうだろうか?確かに指揮者の推薦は影響力があるだろうが、それだけで初めてのM響抜擢に繋がるだろうか?
彼の演奏は素晴らしいものだった。
僕自身はちょうどその日は地方の演奏会に駆り出されていてコンサートを聞きに行く事は出来なかったが、テレビで見聞きしたシベリウスは圧巻だった。
日コンの頃よりも更に格段の成長を遂げていた彼は、指揮者の桐ノ院圭とぴったりと息の合ったシベリウスを聞かせてくれた。
何しろ東フィルの中でもうるさ型だと言われている団員の一人が彼等のコンサートを聞きに行き、(彼はちょうど地方公演のメンバーから外れていたのだ)翌日練習場にやって来た時に彼らの悪口を言わなかったことでも、その出来は分かる。
『まあ、よかったよ。あまり俺の好みじゃないがな』
という言葉だけしか言わなかった。
他のオーケストラに関しては口の悪い団員の事だったから、きっとさんざんにこき下ろすかと思っていたのだが。
次々と集まってきた他の団員たちも、今回の抜擢を『客寄せのための穴埋めソリストか、単なる事務局の気まぐれでしかないたろう』などと言いあっていたが、選ばれたのがたとえどんな理由であったとしても、素晴らしい演奏をすれば称賛は彼のものとなる。
もっとも、また彼の音に出会えることは楽しみではあるが、ソリストとして迎えられる彼を見るのは何とも複雑な思いがする。だがまあ、リハーサルにやってきたときには同窓生として喜んで迎えてやろうと思ってはいた。
とは言っても、彼の出番はまだ先の事なので、多忙な演奏活動にまぎれて頭の隅に追いやってしまって忘れていた。
そんな日々の後、更に驚愕のニュースが飛び込んできた。
なんと守村悠季がロン・ティボー国際音楽コンクールに優勝したというのだ!
オーケストラの誰もが今回思わぬ凱旋コンサートになったことを話題にしていた。
称賛もあればもちろん悪口もありだ。『事務局は安い出演料でうまいことやったじゃないか』という皮肉や、悪意あるやっかみも。
一番複雑な思いを感じていたのは僕だろうが。
いずれにせよ、ロン・ティボー国際バイオリンコンクール金賞を引っ提げて帰国した彼はいったいどれほどの成長を遂げて、素晴らしい演奏を披露してくれるのか期待する事にしよう。
いよいよ彼がこのオーケストラに来る日がやってきた。
「守村悠季です。どうぞよろしくお願いします」
彼は学生時代よりも格段に颯爽とした姿で練習場に入って来て、昔と変わらないはにかみ笑みを浮かべて挨拶してみせた。
かなり緊張しているようで、僕のことに気が付く余裕などないようだ。
まあいい。挨拶は後だ。
彼がどんな音を聞かせてくれるのか、そっちの方が先だ。
指揮者が合図し、練習場に流麗なブラームスのコンチェルトが流れはじめる。
彼がバイオリンを構え、
そして、リハーサルが始まった。
テレビでバイオリニストH氏のコメントの中で、芸大や桐朋を受験する者はコンクール上位の常連なので、ある程度見当がつくと言う話をしていました。 |
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2012.1/25up