TOKYO JUNGLE











夜が明けた時、僕の世界はすべて変わっていた。

いや、これはただの比喩ではない。

僕の目の前にあったのは、本当に一面の廃墟だったのだから。

















 それはいつもと同じような一日の終わりだった。


いつものようにM響の練習場に出かけ、いつものように楽団員たちから無視されながら見学を続け、練習が終わるといつものように誰からも声をかけられることなく帰宅する・・・・・。

僕は孤独だったが、それはいつものことであり、さほど堪えることもない。

だが、その日は少しだけ精神的に疲れていたのかもしれない。

まっすぐに家に帰らずにふらりと新宿で途中下車し、昔いきつけだったバーに立ち寄った。そこで少々酒を過ごして終電に乗り遅れ、とうとうそのまま近くにあったホテルに泊ってしまうという、普段の僕ならやるはずのないことをしてしまった。


 もしあの日僕がそのまま家に帰っていたらいったいどうなっていたのかと考えないこともない。もっとも、考えたところでどうなるということもないのだが。


なぜなら、翌朝目を覚ました僕が目にしたのは、薄汚く崩れかけた壁にぼろぼろになったカーテンやベッド、あちこちに得体のしれないものが転がっている床だったのだから。



 いったい何が起こったのか、最初はまったく分からなかった。誰かが冗談でこんな廃墟に連れて来たのかと思ったりした。それも性質の悪い悪戯で、だ。

しかし、部屋を出た僕は、更に目を疑うような光景を目にしていた。どこもかしこもいったいどれくらい放置されていたのかと思うほど、目を覆うようなひどい荒廃した光景が広がっていたからだ。

だが、よく見ればあちこちに記憶を刺激するものがある。

例えばそれはホテルのロビーに置いてあったはずの彫刻が苔におおわれている姿であり、あるいは元あった場所から落ちて来たらしいホテルのエンブレムだったりする。

それで僕は急いであたりを歩き回ってみた。するとそこにあったのは、更に多くの証拠。廃墟に見えたものは昨夜僕が泊ったはずのホテルであり、まるで数十年たった後の世界に飛ばされてしまったかのようだった。


「・・・・・ばかな」


思わずつぶやいていた。

この状況がいったい何を意味するのか。

僕は急いで廃墟を出て周囲を歩き回っていった。

だが、歩いても歩いても僕の目の前にあるのはぼろぼろの建物や壊れた自動車の残骸、朽ちた家具やその他、元は何だったかも分からなくなっているあれこれ。

誰一人僕以外の人間に会う事はなかったのだった。

しかし、人間のかわりのように、いたるところで動物たちを見かけた。

鳥たちや犬や猫なら分かる。だが、その他にもインパラやシマウマの姿まで見かけて目を見張った。

アフリカの動物たちを日本に放ち、野生化させてしまったかのように場慣れた様子を見せていた。

そう、まるでここがジャングルであるかのように。

彼等は動物園から逃げ出して、そのまま棲みついて繁栄してしまったのだろうか。

だとしたら・・・・・そうだ。動物園にいたのは無害なものばかりではないはずだ。草食獣がいるのなら、もしかしたら肉食獣も・・・・・?

嫌な予感は当たってしまった。

しばらく歩いていたところで、突然たてがみも堂々とした雄ライオンに出くわしたのだから!

ぎょっとなって辺りを見回したが、逃げられる場所はなかった。

建物には扉はないし、手頃な高い木もない。走って逃げたところでライオンの足にはかなうまい。

もうだめかと思った。あっけなく食い殺されるだろうと。

だが、ライオンは僕の姿を見かけても襲ってくる事はなかった。

空腹ではなかったのか、それともうさんくさいモノに手を出すのを控えたのか。

ちらりと僕の方を見ると、大きなあくびを一つして興味を失ったかのようにくるりと背中を向けてそのまま歩み去っていった。

僕は思わず安堵のため息をこぼした。緊張で肩がこわばっていた事に気がつく。

「助かった・・・・・!」

だが、この先どうなるかは分からない。

僕は気を取り直し、周囲を見回して警戒しながらまた探索の続きに戻った。

かなりの距離を歩き回って僕が手にした情報はといえば、ここには人間の姿がまったくないようだということだけだったのだ。

人間らしき骨などもないところを見ると、動物たちに襲われたり、病気などでこの街が絶滅したというわけではないらしい。

どこかへ逃げだしたのかとも思ったが、店舗だったらしい場所には品物が並べられていたのが見て取れたから、この考えも違うのだろう。もっとも、原型をとどめているものはほとんどなかったが。

となると、ここの街に居たはずの者たちはいったいどこへ消えてしまったのだろうか?

僕は食糧店だったらしい店に入っていった。この店の棚にも食料品が並べられたままになっていたらしい。

しかし時間は食べ物を容赦なく腐らせていて、今はカビにまみれた残骸か、ここに入り込んできた動物たちに食べられてしまったのか、袋しか残っていなかった。

それでも、缶詰はそのままの形で残っていた。

賞味期限を見たが・・・・・無駄な事だろう。間違いなくとっくに過ぎているはずだ。これが作られてから何年経っているのかさえ分からないのだから。

だが、僕が食べられそうなものといったらこれくらいしかないのではないだろうか?

僕は引き出しをあさって、中から缶切りを探しあてたときには思わず歓声を上げていた。

急いで缶の一つを開いてみた。恐る恐る指を入れて中の汁の味をみた。

桃缶だったそれは脳がしびれるほどに甘美で、僕を感激させた。急いで探し当てて来たフォークで桃に突き刺してかぶりつくと、汁も残らず飲み干した。

他の缶を持てるだけ持って、今朝目が覚めたホテルへと引き返した。

水も必要だがと思案していたが、それは他の動物たちから教えられた。

思いがけないところに水が湧いていて、動物たちが飲んでいたのだ。僕もすくって飲んでみると、美味しかった。

これで大丈夫。しばらくは生きていられる。少なくともこの先の食料は手に入ったのだから。

都会派だと思っていた自分に、思いがけずサバイバルの適応性があったことが面白かった。
 




それからしばらくの間の僕の生活と言えば、毎日食料になりそうなものや役に立ちそうなものを探して集め、他に誰かいないかを探し回るといった日々だった。

成城の実家があった場所まで足を延ばしてみたが、そこは新宿よりも更にひどい廃墟だった。人はおろか、建物もほとんど崩れ落ちて何も無くなっていたのだ。

僕はすごすごと元来た道へと戻っていった。

少なくとも、新宿ではまだ食料らしきものが見つかるからだった。

その後も遠くまで歩き回ってみても、誰ひとりとしてみつかることはなかった。まるで突然に人間が全てこの場所からいなくなってしまったかのように思えた。

どうして僕一人がここにいるのか。

なぜここに人間がいなくなって、かなりの年数が経っているように見えるのか。

それとも僕がどこかまったく違う世界に迷い込んでしまったのか・・・・・?

夜、一人で焚き火にあたっていると、どうしようもなくそのことを思わずにはいられない。

このままだといつか缶詰も見つけられなくなるだろう。服や靴もいずれだめになる。

となればどうしたら生きていくことができるのだろうか。自分がロビンソン・クルーソーのように、たった一人で生き抜いていくことが出来るとはとうてい思えなかった。

このジャングルは動物たちのものであり、僕はそこに入り込んできてしまった邪魔者・・・・・。そんな気分が次第に増していく。

 あの、ライオンと遭遇したあとも、僕は何回か他の肉食獣たちとも遭遇していた。トラや狼、野生化した犬たちの群れ・・・・・。

だが不思議なことにいずれも僕を害する事はなく、僕の姿を見ても知らない振りで僕の横を通り過ぎていく。

彼等にとって僕は何より楽に手に入る狩の獲物でしかないはずなのに。

これも僕がここに来てから遭遇した多くの謎の中のひとつだった。




夜になると、動物たちは活発な活動を開始する。

あちこちから動物たちの叫び声がこだましていく。

はじめのうちは緊張して眠れなかったが、次第に動物の鳴き声を聞き分けられるようになると、ぐっすりと眠ることができるようになった。

ふと、ライオンの群れらしい幾つもの吠え声が聞こえた。きっと狩りが始まったのだろう。

そして、しばらくすると甲高いシカか何かの悲鳴が聞こえ・・・・・、一瞬、張り詰めた緊張が静寂を強要する。肉食獣の狩りが成功したのだ。

だがしばらくすると、何事もなかったかのように、前にも増していっそう大きなざわめきが始まる。

そんなことの繰り返しだ。本当にここは弱肉強食のジャングルなのだ。







動物というのは、本当に本能に忠実な生き物だ。


―――産めよ、増やせよ、地に満てよ。―――


まるで聖書の教えを忠実に守っているかのように、あちこちで求愛を繰り返している。

今のところ誰にも会えないが、もしどこかで女性が見つかったとする。

しかし、それを僕は手放しで喜ぶ事が出来るだろうか?

人間に会えたという感激はあるだろう。仲間が出来たという喜びもまたあるだろう。だが、彼女を恋人にすることは出来ないだろう。

アダムとイブのように結婚し子供を作ることが事が出来ればこの世界はまた人間で溢れることも出来るかもしれない。

だが、僕はゲイだ。

少なくとも女と子供を作るためだけにセックスをすることなどとうてい考える事は出来なかった。

ならばもうこの世界においては、人間と言う種は滅びているとしか言えないのではないか?

そんなことを考えて、次第に気分が落ち込んでいく。

このまま僕が消え去っても、この世界では何の問題もないのだろう、と。

つい先日、廃商店の中をあさっていた時、サバイバルナイフを手に入れた。いろいろな用途に使って重宝していたが・・・・・このままこれを首にすべらせたらどうなるのだろう? 

ここに人間が誰ひとりいなくなるだけで、僕のからだは肉食獣がきれいさっぱり消してくれることだろう。そして、僕は孤独から解放される・・・・・。

などという、らちの無い事を考えたりもした。

以前、僕が孤独でも平気だなどと考えていたのはただの概念に過ぎなかった。

人は必ず誰かとつながっており、たった一人で生きていくことなど出来はしなかったのだ。

世界にたった一人だという事実は、僕をむき出しにして寒風の中に置き去りにされたような苦痛と切なさの中に晒してくれたのだった。

そう、僕は飢えていたのだ。

 食料がないというわけではなかった。あれからも缶詰のたぐいやその他長期保存がきいた食べ物が見つかって、当分飢え死にする心配はなかった。服や靴もまあなんとか。

だが、心が何よりも必要とするものが見つけられなかったのだ。

僕の職業は指揮者だ。

何よりも音楽を愛し、誰よりも音楽を必要とする者だ。だが、誰ひとり人間の姿がないこの世界に、音楽などどこにもあるはずがなかった。

美しい鳥の鳴き声や自然界の音なら満ち溢れているが、人間がいるからこそ奏でられる音楽は、どこにも見つけることが出来なかった。

人と、人が奏でる音楽を欲して僕は飢え渇いていたが、手に入れられる可能性はなさそうだった。


ここは僕一人だけが生き残った世界なのだから!






「さて、寝ることにしようか」

いつの頃か、僕にはひとりごとを言う癖がついた。

自分から何もしゃべらなければ何日でも言葉を聞くことがないからだ。自分の言葉ではあっても、人間の声が聞きたいと無意識のうちに考えていたのかもしれなかった。

ともし火を小さくし、寝床としているベッドに向かったその時だった。

どこからともなく聞こえてきた音。

それは、間違いなくバイオリンの音色だった。

それまで騒々しかった動物たちの鳴き交わす声はぴたりと止み、しんと静まり返った夜の闇の中に澄んだバイオリンの音色だけが響く。動物たちも美しい音色に聞き惚れているかのようだった。

 なんという曲だったか。

だが、そんなことはささいなことに思えた。

僕はむさぼるようにしてバイオリンに聞き入っていた。

いつしか頬に涙が流れていることにも気がつかないまま。

そのバイオリンの音色はおだやかで、そして敬虔であり、切ない音だった。

誰に聞かせるためではなく、まるで人間ホモ・サピエンスという種族に捧げるレクイエムのようだった。




バイオリンは数曲弾き終わると、唐突に止んだ。

僕はまだ続くのだろうと耳を澄ませていたのだが、動物たちまた大きく騒ぎだしたことでようやくバイオリンの音が聞こえなくなったことに気がついた。

まるでバイオリンが聞こえていた間、鳴くのを止めていたことに腹を立てているかのように、今までよりも騒々しく鳴き声が響く。

僕がどんなに声を張り上げても今のバイオリン奏者の元に声を届ける事は出来ないだろうと思えるほどに。

それでも僕は叫ばずにはいられなかった。

「今のバイオリンを弾いていた方。どうかもう一度弾いてください。僕以外に誰かがここにおられるのならどうか姿を見せて下さい!」

 だが、相手からの応えはなかった。









僕は心に決めた。

あのバイオリンを弾いていた人を、僕以外の生存者を、必ず探し出そうと。

相手が男でも女でも構わなかった。子供でも老人でも、結構。

仲間としての人間を探すのが目的ではない。

僕はあのバイオリンの音に恋をしていたのだ。


きっと、その人に会う。





それがこの世界を生きていくための僕の力となった。


















またまた、少々ダークなお話です。

悠季が全く出てきません。(爆)

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ゲームの「TOKYO JUNGLE」が元ネタとなっております。

人間がいなくなった世界で動物だけが生きぬいて繁殖していくゲームなので、話とは内容的に違っていますが。

動物たちはトラでもニワトリでも、繁殖するときに、「わぉ〜ん!」という鳴き声と共につがいになるのですが、
この遠吠えがバイオリンだったらどうだろう?という発想から思いつきました。←ひどい連想σ(^◇^;)








2012.7/3 UP