音高に入学してから、週末はフジミに参加して、そのまま、有のところにお泊まり、日曜の朝ごはんは、一緒に食べ、のんびり気ままに午後を満喫して、寮に戻る。もっとも、世界的人気指揮者の有は毎週いるとは限らないけど。それが、いつもの日常になり始めた、ある朝。

 ブランチと呼ぶべき時間になったしまった朝ごはんの席。

 一緒に食事をとる、ささやかな幸福にほんのすこしのいたずら心が沸いて出た。

「あのさ、この間、桐ノ院圭と桐院有、どっちが伝説の指揮者にふさわしいかって、話があってね」

 思った通り、有は、何をくだらない、といった顔をしてる。有にしてみれば、俗っぽいの一言で終わりにするだろうってものだし。

「授業、で、ですか」

「まさか、世間話、だよ。
 まあね、遠回しに噂を確かめたかったってのもあるんだろうけど」

「噂、ですか」

「桐院有と多田野千希が、従兄弟かってやつ」

 もちろん、火元は、有だ。

 有は、何年も前から、押しも押されぬ世界的指揮者で、今では夭逝した圭よりもキャリアを重ねてる。

 そんな有と一般人な、と思ってる僕の噂が流れたのは、全部、有のせいだ。『草薙』の譲渡を希望する某バイオリニストに、父と肩を並べる人物にしか譲らないとか言い出して、しつこい相手と次から次へと現れる希望者に、マネージャー経由でも相手をするのが面倒になって、僕の名前を出したんだ。

 おかげで、立派なファザコン扱いのオマケも自業自得だろ?。

「どうせ、ばれるんだから、否定するのも変かなって、開き直ってるけどね」

 そうすると、もれなくついてくる、あの守村悠季の甥ってレッテル。どっちかっていうと、同業である分、こっちのほうが重かったりする。子供なんだから、ほっといて欲しい。

 まぁ、音高なんて、それ専門の中にいるんだから、世間一般よりは、噂は流れやすいんだろう。

「それ、で?」

 あ、逃げたな。

「うーん、お互いが主張しあって、綺麗に、半分。
 圭派は、伝説とは、死んで初めて生まれるものである。故に、今はいない圭が伝説だって」

「有派は?」

「圭は既に過去の人であり、これ以上再評価されることはない。全ての記録は、有が塗り替えるのは確実である。故に、発展性のある有こそ伝説と呼ばれるにふさわしい」

「で、きみは」

「困っちゃったよ。僕がいれたほうが勝ちっていわれても、どっちにいれていいんだか。
 だって、有は、従兄弟で、圭は従兄弟の伯父さんでしょ。それに、同じ人間だって、知ってる」

「それで、どちら、です」

「・・・・・・そんなに、知りたいの」

「ええ、きみは、どちらを指揮者としてかってるか知りたいですから。
 ああ、きみのことです。飯田くんにいれることもありますね」

「まさか、そんなあからさまな逃げ、許してくれないよ」

「どちら、です」

 昔なら、このままベッドで聞き出します。の流れになるのは確実なパターン。

 言いながらも、予想通りに、有は僕の手の甲にいたずらを仕掛けてくる。感じさせるため、であることは、疑いもない。けど、有の思惑通りにはならないのである。残念ながら。

「有・・・・・・」

「言う気になりましたか」

 記憶にある、性感帯を間違いなくいたずらしてるのに、なんて、言おう。どういったら、有は傷つかない?

「有、くすぐったい」

 いたずらされて、挙げ句に感じて、恥ずかしがって、じゃなっくて、本当に、くすぐったいだけ。

 性感帯の刺激になるはずの行為も、子供相手では、高校生をそういっていいものか、自分の事ながら悩むところではあるけれど、ただのいたずら。

 有も、こうなるのが判ってて仕掛けてる節があって、残念がるでも、未練がある風でもなく、大人しく、手を放してくれる。

「千希、どちらに投じたのです」

「蒸し返す?」

「ええ、知りたいですから」

 答えに困ってるんだから、結果は分かってそうなものなのに、なんで聞きたがるかな。これも、困らせて楽しんでる一環だとしたら、いってやる。

「圭のほう」

 どっちだと思ってたのか、絶対に他の人には分からないだろうけど、この世の終わりに遭遇した人のように落ち込んでる。

「きみは、僕が嫌い?」

「違うよ」

 ちゃんと、全部言わないとずるいよね。でも、言ったら、どんなに顔がにやけるのか、予想がつくから、はずかしくって見たくなくって、わざと、よそを見ながら。

「だって、いうんだよ。
 伝説とは、謎があるから成立するんだって」

 わざわざ、続きをいうってことに、なにかあると察してくれたのか、口を挟まずに、おとなしく聞く気らしい。とっくに視線を外した意味にも気づいてるんだろう。

 うー、話したくないぞ。

「だって、僕は圭にあったことはないけど。有には、おしめを取り替えてもらって、ミルクに、離乳食、お風呂にだっていれてもらって。兄さんや姉さんより面倒をみてもらってるんじゃないか。
 それに、守村悠季を殊の外愛してる、ファザコンだってことも知ってる」

 面と向かって、きみは僕を愛してると言えないのは、申し訳なさから。

 なんのつもりか、ため息ひとつついて、立ち上がる気配に続いて、冷蔵庫のドアの開閉の音。
 何を出してくれるのか、斜め後ろから、サービスしてくれたのは、ガラスの器。

「はい、お好きでしょう」

「うん、ありがとう。
 ・・・・・・ついでに、料理は、玄人はだしで、そのうえ、財閥の御曹司のくせして、まめすぎる」

 有の味覚なら耐えられないはずの、僕に合わせたお子様仕様にして作る配慮までみせてくれる。

「千希に喜んでいただくために、15年努力してますからね」

「次は、ぜったいに、僕が作るからね」

 僕だって、有に手料理を食べてもらいたい。フジミがあるから、チャンスは日曜の朝、それも有は日本にいたりいなかったり。

「楽しみに待ってます」

 微笑んだ声に満足して、スプーンですくって口にいれれば、相変わらずに美味しい。

「レシピは同じなのに、どうしてきみが作ったほうがおいしんだろ?」

 いまの僕だって、料理の腕は悪くない。父さんだって、母さんに負けない腕だって誉めてくれる。なのに、どうして。

「愛情がこもってますから」

 しれっと、言われても、こっちだって、なれたもの。伊達に、生まれた時から、この男の口説き文句を子守歌に育ってはいないんだ。こんな言葉は挨拶代わり、さらっと流せる。

「だから、甘いんだ」

 睦言返しのつもりだったのに、有は本気で心配する。

「甘すぎますか?」

「ううん、ちょうどいいよ。甘いのは、きみの愛情」

 ほっとする気配は隠そうとしない。

 だから、僕の中では、もう話は終わっていて、胃袋で物事を考える、すべては食欲に優先されるお年頃だよ。いまだに背後にいる有のことなんか、きれいすっかり忘れて、意味なんか考えてもみなかった。

 不意に近づいてきた有に、なんの用だろ。くらいにしか思わないで、食べるのに夢中で、せいぜい、横取りするつもりだな、程度だった。

 なのに。

「それに、恋人、ですしね」

 耳元で、囁かれた変わらないバリトンは、朝の食卓には場違いで、刺激が強すぎた。

「う、わ、ひゃっ」

 自分でもどこから出した声か分からない、もう一度出せといわれても出せない声に驚いて、手にしていたガラスの器をほうり出さなかったのは、奇跡に近い。

 かけられた声に驚いた、と、いうより、自分の中の、昔、僕が守村悠季だった頃の、おぼろに残っている記憶に直結するなにかが刺激された、感じ。

 有にとっても、思わぬ反応だったみたいで、見開かれた目が、驚きの衝撃を物語ってる。

 それは、僕だって同じ。耳元で囁かれるなんて、挨拶みたいなもの。手の甲へのいたずらとなんら変わらないのに、いま、僕は、いたたまれない恥ずかしさを感じてる。あんな声をだしたことがだ。

 先に立ち直ったのは、有だった。こほんと、空咳を立てて、空気を変えて。

「こちらも、いかがですか」

 もうひとつ、サービスしてくる。

「最初から、こういうつもり、だったんだね」

 食べ物でごまかそうなんて、ずるいよ。

 気まずさを拗ねるふりしてごまかした。

「まさか、予定外の、きみがふってきた話題ですよ。
 これは、純粋に千希に食べてもらいたいと、それだけで用意しておいたものです」

「なんで、ふたつも」

「いずれと思ってるうちに、きみの味覚が変わる可能性がありますからね、できるだけ早くにと焦ってしまったんです」

 味覚?

「変わって、ないよ」

「気づいてないだけ、でしょう。一年前と比べても、甘さが控えめになって、砂糖の量が減ってます」

 そう、かな?全く、気づいてないけど?
 ああ、だから、さっき、あんな反応をしたんだ。
 って、ことは、毎回分量を変えるなんて事を、僕も知らないうちに、してたんだ?ほんと、まめ、すぎる。

「ねえ、千希、無理をしないで、ください」

 背中越しから手を取られ、貴婦人にするような甲へのキス。触れるか触れないか、その感触にぞくりとした。

「眠れるきみを、無理に、起こすつもりはありませんから。ゆっくりと、おとなになってくださってかまいません」

「だって、きみ」

 つらいんだろ?とは、聞けない。

 では、相手をしてくださいと言われたら、困るのは、僕だ。確かに僕は有に恋をしてる。でも、正直にいえば、セックスする恋人関係は、望んでない。多田野千希もかなりオクテらしい。今の、有と一緒にいて、会わなかった間の話をして、それだけの、きみにとっては中途半端な関係で満足してるんだ。

「ねえ、千希」

 手を放さないまま、有は椅子に戻り、手のひらに愛撫と呼ぶには子供じみた戯れを繰り返す。

「僕は、きみといられるだけで、満足してるんです。
 僕ひとりの為だけに咲き誇ることを望む花の蕾が、綻んでいくさまを慈しむのは、きみが思うより、楽しいものですよ?」

「ほんとうに?」

 有のポーカーフェイスも、又変わらずで。―――真意がどこにあるのか、僕には判らない。

 でも、昔ならいざ知らず、今更、有が他の男と・・・女とでも浮気するなんてことがあったら、間違いなく、僕も包丁の一つも振り回す。

 物騒な考えが伝わったのか、くすりと笑い。

「ええ。
 ねえ、先程、感じてくれましたね?」

 言葉は尋ねているけれど、事実の確認で・・・・・・さっき、甲のキスに背筋が騒いだのは、お見通しってこと。

「大丈夫です。例え、多田野千希もオクテでも、守村悠季とは違います。すでに綻び始め、一日一日と僕の為に花開くことを望んでいる蕾なのですから、いずれ、近いうちに、大輪の花を見せていただけるでしょう」

 ・・・・・・・確かに、頷きたくないけど。そうかも。

 いくら、オクテでも、会うたびにキスされてたら、そうだよね。

 見上げれば、見慣れているはずの僕でさえ、見ほれさせる微笑み――――に、ぞくり、ときた。 



 有の唇が動いている。なにかいってる。
 でも、なにも聞こえない。

 快感とはほど遠い、怯えを与える笑みに捕らえられている。

「な、に」

 なんで、どうして。

 恋人の笑顔に、怯えなきゃならないんだ?
 自分自身への問いかけを、有は誤解した。

「ですから、紳士的にふるまう努力はしますが、きみも、手折られる覚悟はしてくださいね」

 有の目は、笑って、いなかった。






 ・・・・・・・多田野千希が、標準的な思春期の少年と比べて性的成熟が遅いのは、おくてだからじゃなく。性欲を覚えたら最後、30、うん?15年?あの晩は数にいれるのか?いや、どっちでもいい、どっちでも同じだ。長く待たせた分の、それ相当の取り立てが待ってると、本能的に知ってたからだ。

 そうだよ、無意識のうちに、逃げてるんだ。

 有が、寛大なのも、3、4日、その日が早まろうと、1年待たされようと、30年分の取り立てを思えば、同じようなもの、だから?

 待てば待つだけ、或いは、待たせれば待たせるだけ、ツケを払うのは、僕、なのか?



 あ、は、ははは、は・・・・・

 し、・・・・・・死ぬ、かも・・・・・













2006.9/27 up
『週末の恋人』