今年11月13日土曜日にロン・ティボー国際バイオリンコンクールの本選が開催され、一人の日本人バイオリニストが優勝の栄誉を得た。
彼の名前は守村悠季。
新潟県出身の28歳である。
コンクールの参加資格規程は30歳までであることから事実上これが守村にとって最初にして最後の挑戦だったのだが、彼は唯一のチャンスを活用し、最大の成果と未来への足がかりを獲得することとなった。
守村悠季という人物のこれまでの経歴およびコンクール歴をみてみると、クラシックに馴染みのない一般人にとっても驚くべきものがある。
9歳という異例の遅さでバイオリンを始め、高校までは地元の音楽教室に通うだけで、専門的な音楽教育を受けていないというハンディを追っているにもかかわらず、邦立音楽大学に現役で入学している。
大学卒業後はプロの道には進まず中学の音楽教師になっていたのだが、一念発起してプロを目指すことにしたという変わり種でもある。
95年の日本音楽コンクールに挑戦すると、初めてのコンクールにもかかわらずいきなり第3位に入賞するという快挙をとげた。
その後イタリアの巨匠、エミリオ・ロスマッテイ氏の元に留学して研鑽を積み、二年後には母校のバイオリン講師となって戻ってきている。
その間にプロとしてどのような演奏活動をしたかと言えば、ニューヨーク在住のピアノパフォーマンスの生島高嶺と共演してライブCDを出したこと、スプラッシュコーラのCMのために結成されたブリリアントオーケストラのコンサートマスターとして参加したこと、そしてMHK交響楽団の定期公演で救援となった海外ソリストの代役として急遽抜擢されて見事な演奏を披露したことだけである。
そんな、いたって地味な経歴のバイオリニストが今回一躍大きなスポットライトを浴びることになった。
はたして彼の才能とはどれほどのものなのだろうか。
ロン・ティボーは運やまぐれで通用するようなコンクールではない。
世界から選りすぐった音楽的才能を持つ者たちだけが集う中、最優秀賞を得るということは並大抵のことではない。
彼の本格的な才能と音楽性の有無を問われるのはこれからの活躍にかかっているのだろう。
選ばれたバイオリニストはこれからどんな飛躍をみせ、我々に極上の音楽を届けてくれるのだろうか。
彼のこれからの活動を期待にすることにしたい。
「編集長、いかがでしょうか?」
渋い顔をしている編集長の顔色をうかがった。
いつもの『ボツ!』と言うときの顔よりはいいようだ。
口の曲がり具合は、機嫌のよい時のもの。・・・・・たぶん。
「うーん。まあお前にしちゃいい出来かな」
そう言いながらぼりぼりと背中をかいた。
「ありがとうございますっ!それって、採用してもらえるってことですよね!?」
「いや、ボツ」
あっさりと言ってのけると、原稿をひらりと返してきた。
「なんでですか?編集長だって、今いい出来だっておっしゃったじゃないですか」
「お前にしちゃいい出来だって言ったんだよ。
それにロン・ティボー優勝の彼については、都留島さんがとっくに名文を書きあげていて採用が決まってる。いい方を使うにきまってるだろうが」
「でもっ!私はずーっと守村さんに注目していたんですよ。私の記事をなんとか使ってもらうことは出来ないんでしょうか?」
諦めきれずに食い下がったみたのだけれど。
「注目してたって?まあ、彼は見た目ハンサムだから女たちにもてるんだろうし。ウチも記事にすれば売れるだろうしな。向こうも宣伝が楽でいいやな。うらやましいこった」
ったく、俗物なんだから!
タレントじゃないんですよ。音楽家なんですってば!
「ハンサムだからじゃないです。素敵な演奏なんです。素人の私にもよーくわかりますから!
コーラのCMの頃から彼の音のファンになってたんです。あ、でも彼が美形なのは確かに美形ですけど」
「へえ?CMで惚れたクチねえ・・・・・。
だとしても、ボツだな。都留島さんが彼のことを追っかけ始めたのは日本音楽コンクールの頃からだし、今回のロン・ティボーにも聞きに出かけているんだからあっちの方がうわてだよ。お前に勝ち目はないね」
「はあ、そうなんですか・・・・・」
「まあ熱と愛のこもった記事を書いてきたってことは認めてやるから、次でがんばれ」
「・・・・・はあい」
「あ、それから2か所ほど誤字があるぞ。ちゃんと確認しろよ」
「うう、・・・・・はい」
かくして、新米雑誌記者の力作はあえなくゴミ箱行きになってしまったのだった。