「もしかして、それは僕の事を少しでも愛してくださるようになったということでしょうか?」
「知らないよっ!」
ユーキが手の隙間から叫んだ。
「・・・・・ありがとう。ですが、僕を励まそうとしてそんな同情を寄せてくださらなくてもいいのですよ」
「同情なんかじゃないっ!」
ぱっと腕を外すと、ユーキは涙が溢れた目でケイの顔を 睨みつけてきた。
「ただの同情で僕を・・・・・そ、その、ご、強姦した男を好きになったなんて言うもんか!」
「では、なぜですか?」
ユーキはためらい目を逸らして話したがらなかった。けれど、ケイがいつまでも黙ったまま待っているので、ついに重い口を開いて話し始めた。
「・・・・・ワコウが、君が死んだと僕に言った時、嘘だ、絶対に嘘だって思った。でも、ワコウが嘘をついているとは思えなかったからね。僕はとても衝撃を受けた。自分でも信じられないくらいにね。君が死んだというのなら自分の命なんてどうでもよく感じてしまっていた。けれど、それがどうしてなのか分からなかった。
そのわけは、君が僕を助けに来てくれたときに分かったんだ。いつの間にか、僕は君を・・・・・愛してしまっていたんだって。
もしあの時、助けてくれたのが君じゃなかったら、僕は死の淵から戻っては来られなかったと思う」
「ユーキ・・・・・!」
ケイは自分の真下にある温かくて何にも変えがたい宝物をぎゅっと抱きしめた。もう二度と手に入れる事はないと思っていた、貴重な宝石を。
「でもね、それとこれとは違う。僕が君のそばにいるというのは。公式の場に僕がいてはいけないと思うんだ」
ケイが感激していたにもかかわらず、ユーキは彼のからだを抱きしめたままつれないことを言い出した。
ユーキはためらいがちに提案した。
「だからもし君がそれでも僕を望んでくれるというのなら、君が結婚してから、その・・・・・いつかこっそりここに戻ってくるよ。そして出来れば君の顔が見られればすごく嬉しいんだけど・・・・・」
「だめですっ!」
ケイは即刻拒否した。ユーキをそんな日陰者のような扱いになど出来るはずがない。
「君は自分の価値を分かっていない。君が僕を愛してくださると分かった以上、僕が手放すはずなどないでしょう?ですから、君を僕のそばから逃しません!」
「でも・・・・・っ!」
「どうか僕の鏡となって僕の傍にいてください。僕のすることを公平な目で見つめどんなに横暴な攻略をしても周りの人間に左右されず、僕の考えを理解して味方になっていて欲しいのです。
そんな人が僕のそばにいてくれさえすれば、僕はこれ以上は悪魔の王などとののしられることにはならないでしょうから。僕のためにここにいて下さい」
「そうか・・・・・。そうだよね」
ユーキはケイの孤独に思いをはせる。このままでは彼は孤立した独裁者になっていくだろう。その歯止めとなるのは自分しかいないのだろうか・・・・・?
「僕の跡継ぎのことは考えなくてもいいです。親族の中から出来のいい男の子を養子にして後継者に仕立てればいいだけのことです。王妃を迎えることは、必ずしなければいけないことではないのですよ」
「・・・・・そんなことは出来ないと思うけど」
家臣や親族たちなど反対する者たちにはことかかないだろう。
「僕を王にするというのなら、それくらいの我がままは納得してもらいます。もし出来ないというのなら、王になるのをやめて君と一緒にガリアを出てクドゥスへと出向いても構わない。ああ、いいですね。そうしましょうか?とても楽しそうだ」
「そんなことできるはずないじゃないか!」
ユーキはぎょっとなって叫んだ。
「出来ますよ。君と二人で手に手を取って逃避行すればいいだけの事です。ガリアを船で出て、アルモリカへと渡りフランクへと行きましょう。ルテティアにも行って見たいですね。それからアシアへと行けばいい。大丈夫、道中では僕が君の身を守りますから安心して旅を続けられる事を保障しますよ」
「あ、あの、ケイ!?」
ユーキが楽しそうなケイの様子に戸惑った。
「国を出ればしがらみを全て捨てて君と二人きりだ。自分たちのことだけを考えていればいい。何も思い煩うものはなくなるんです。
タナタスやブリガンテスのことも、そしてガリアのことも全て他所事となる。そうなったなら、家臣たちが僕の代わりとして誰かふさわしい人間を探し出してくれるでしょうよ」
「・・・・・卑怯者。そんなことを言われたら行けないじゃないか!」
ユーキはぼやいた。もしそんなことをしようとすれば、ブリガンテスのみならずガリアの中でどれほどの騒ぎが起こることになるか。そんな内乱を避けようと、ユーキはガリアを出ようと考えていたというのに。
口が達者で策士のケイに立ち向かえるはずはなかったのに、つい本音を言ってしまえば彼のペースには嵌ってしまうだけのことだった。
「君が僕のそばにいることを彼らにも認めさせます。心配しないで下さい。その方法は僕が考えます。君がここにいるべき正当な理由を考え付いてみせますから。僕のためを思うのならここにいて下さい」
縦横無尽の策略家の彼のこと、きっと家臣たちが思いも寄らない方法でユーキをロンディウムに住まわせる方法を考え出すのかもしれない。
楽しそうな彼の顔を見ながらユーキはため息をひとつこぼした。
「ケイ。あの・・・・・もし、本当に僕で役に立つのなら」
「僕のそばにいてくださるのですか?」
ケイがユーキの目を覗き込もうとすると、ユーキは恥じらいがちに目を伏せた。
「・・・・・うん。僕でよかったらずっとそばにいるよ」
「ユーキっ!」
ケイは感激のあまりユーキが苦しくなるほどに抱きしめた。首筋にそして鎖骨のあちこちに、抱きしめたまま唇を押し付けられる場所全てにキスを落としていった。
「ケ、ケイっ!?」
ユーキがあることに気が付き、うろたえて叫んだ。
「ど、どうして君・・・・・!」
真っ赤になって怒鳴った。
「僕が愛した人が、僕を愛していると告白してくださったのですから、当然の結果です」
ケイは平然とうそぶいてみせた。
「だからって・・・・・。そんな、即物的すぎるよ!」
ユーキが困惑したのは、彼の下腹に当たってくる熱くて固いモノ。
ケイはユーキが抗議にも構わず、そのまま抱き上げると奥の寝室へと入っていったのだった。
それからのロンディウムの宮廷はまるで煮立った鍋の中のように大変なことになった。
ケイの戴冠式の後に、諸侯や重臣たちの前でユーキをロンディウムに留めておくと爆弾宣言をしたために、ブリガンテスの家臣たちの間だけでなく、ユーキと共にやってきたドブリスの者たちも仰天する騒ぎとなった。
急いであちこちに早馬が飛ばされ、都タナタスから大慌てで重臣たちがやってきて、ケイの決意を変えさせようと努力した。
だが、ケイは自分の念願を叶えるためにありとあらゆる策略や手管を使ってドブリスとブリガンテスの主だった者たちを説得してみせた。
欲や名誉や利益、情誼から古い昔の恩義などまで持ち出してきて、次々に反対する者たちを口説き落としていった。その辛抱強かったり強引だったり悪辣だったりする彼の巧妙なやり方に、ユーキはひたすらあきれるやら感心するやらだった。
諸侯の誰彼がユーキのところにやって来ては、半ば泣き落としに近い口調でケイにあきらめてもらうようユーキの口から説得してくれないかと頼みにきたことさえ多々あった。だが、ユーキ自身もこのことに関しては決して譲らず、逆にケイの望みが叶うように諸侯や家臣たちを説得して回った。
たくさんのため息と愚痴と繰言と怒号の嵐の末、ユーキはロンディウムに留まる事になった。
ただし、表向きはブリガンテスの賓客であり、整えられ独立した館で過ごす事になった。
このことで、のちのち人々の口に彼は軟禁されて態のいい人質にされたのだと噂されることになった。ブリガンテスとタナタスとが戦争を避けるために、儀王がロンディウムに留められることになったのだろうと。
だが、実際にはユーキはケイ王のそばに【ただのユーキ】として侍ることになったのだ。身分はなく、ケイのお伽役。態のいい愛妾として。
つまりロンディウムの王宮には同じ名前を持っているがまったく違う身分の人間が二人いるという体裁を整え、実態は一人の人間という前代未聞の決着を得たのだった。
儀王ユーキ・モリオスが現れるのは年に数回ある諸侯の集まりの時だけで、普段は【ただのユーキ】がケイ王の傍らに離れることなく暮らしていた。
重臣たちや諸侯たちも口をつぐみ、宮廷に住む【ただのユーキ】が実はドブリスの儀王なのだという秘密をもらさないようにすることで、このとんでもない真実は隠されたのだった。
「ユーキ。少し僕の話を聞いてもらえませんか?」
「ん・・・・・?何?」
ようやく騒動が落ち着いた頃の事。
二人でベッドに安楽な格好でくつろいでいるとき、ケイが尋ねてきた。部屋の中には先ほどまでの濃密な時間の名残がただよっているが、息は既に整い肌のほてりも収まっていた。
「これからも僕は残虐な行為も卑怯な手立ても使うと思います。君が僕のそばにいるということは、僕のすることで君も僕と同じように恨まれ憎まれる可能性があるということです。君の身分を伏せている以上、僕に面と向かって言えない者たちから僕以上にののしられるかもしれない。
もちろん僕は全力で君の事を守るつもりですが、君の良心は痛みませんか?君はまっすぐな正義感の持ち主ですから」
「今更それを言い出したのは、僕をこの地にとりこにして僕がもう逃げないって分かったから言い出したのかい?」
ユーキは苦笑しながら言った。
「・・・・・そう・・・・・かもしれません」
目を伏せてケイが言った。
くすくすと笑いながらユーキはケイの髪をすいて、少し汗ばんだ額にキスした。
「僕はね、頑固者なんだ。一度自分で決めたことは絶対に途中で迷ったりしないよ。君が悪魔と罵られようと、僕がその手先だと石を投げられようと君に付いていくと決めたんだ。だから心配しないで。僕なら平気だから」
ケイは無言のままユーキの手を取って深い感謝を込めてキスした。
だが、彼には分かっていた。ユーキに強いることになる覚悟が並大抵なものではないことを。けれどユーキはそれでもいいと言ってくれたのだ。
そして、
ユーキは知らない。父王が行おうとした非道な計画をどうやって止めたか。
タナタスをブリガンテスが手中に収めるためには、ユーキ・モリオスという唯一の後継者を殺せばいいだけになっていた。軍隊も密偵たちもケイの命令よりも父王の命令を優先する。王太子だったケイには彼らを完璧に阻止できなかったのだ。
このままではユーキが殺されてしまう!自分はどうすればいいのか?
ケイは必死で考え、計画し、ついに追い詰められた末に実行したこと。
彼のために父を ―――――― したなどと。
ケイはただ微笑んでユーキを抱きしめて口をつぐむ。この事実は死ぬまでユーキの耳に入れるつもりはなかった。
秘密は永遠にケイの心の中に。
「ユーキ。君は、楽園を捨てて僕と共に荒野に歩みだしてくれるのですね」
「そんなたいそうなものじゃないよ。ただ、好きな人間と一緒にいたいというだけさ」
ユーキは微笑んでケイの温かいからだを抱きしめた。
「愛してます!ユーキ!僕の愛と真実は君のものです」
「うん。僕も、・・・・・愛してるよ」
ユーキは優しくささやいた。
こうして、二人はお互いに肩を並べて歩き出した。
やがて時が過ぎてゆき、時のはるか彼方にブリガンテスという国もドブリスという国も滅び消え去って行った。
ユーキ・モリオスの名前もケイ・トゥゲストの名前も人々の記憶から忘れ去られていき、かわりに人々の間に一つの物語が語られていくようになる。
それは、一人の偉大な王と影のように王のかたわらから片時も離れなかった一人の人間の話だった。
吟遊詩人たちは高らかに歌う。
偉大なる王はその残虐性な行為と容赦のない戦略とで人々に恐れと畏怖と共に語られ、同時にガリアを統一し長く平和をもたらした人間として尊敬とあこがれの存在となっていった。
もう一人の人間は性別さえ定かではなく、ある者は囚われの美しい姫君だと語り、ある者は亡命してきた東方の王子だと詠った。あるいは稀代の吟遊詩人という者も偉大なる魔法使いあるいは魔女だと言う者もあった。
ただ、この物語を語り歌うものたちが口を揃えて言っていたのは、その人間が終生 王のそばから離れず王を支え続け、王のなくてはならない存在だったということ。
その人間がいなくなった時、偉大だった王も斃れたという。
これは、そんな伝説の始まり。
【42】
2006.9/13 脱稿
The end