恋というものは、人を何よりもロマンチストにするものだ、としみじみ思う。
僕が悠季に恋する前は、誰よりもリアリストで現実主義者だった、と断言できる。
一夜の相手はもちろん、束の間恋人となった相手であっても別れてしまえばそれまでで、思い出すこともほとんどないという、今思い出してもひどく薄情な男だった。
それが今はどうだ。何を見ても何を聞いても、悠季のことを想起する。
風が吹けば彼のバイオリンを思い出し、空を見れば彼の言葉を思い出す。花を見ても、雪を見ても、思うことは悠季のことだ。
愛しい悠季。
出来ることなら、花屋にある限りの花を彼にプレゼントし、彼に似合う品々を全てプレゼントしてみたい。
けれど、やさしくて常識屋の彼は嬉しいけれどちょっと困るといった複雑な笑みを浮かべ、僕の散財をたしなめてくるに違いな
い。
僕を喜ばせてくれるものは、「物」ではないのだからと言って。
それでも僕は彼に贈りたい。それこそ彼が埋まってしまうほどに。彼がきっぱりと断ることがわかっていなければ、きっと僕はやっていたことだろう。
彼はすまなそうな顔をしながらも、僕のわがままに押し切られたりはしない。
それから、やんわりと言うだろう。貰うばかりでは受け取る側としては重苦しいのだと。返せない恩や想いは、苦しい重荷になってしまうから止めて欲しいと、僕が気を悪くしないように気を使いながらも、きっぱりと断ってくる。
頑固者の彼。
そんなとき、僕はといえば、彼の困り顔の愛らしさに見とれているというていたらく。そうしてまた悠季にたしなめられることだろう。
僕はただ彼の喜ぶ顔が見たいだけで、何の見返りも望んではいない。いや、彼の笑顔こそが何よりの見返りと喜びなのだ。しか し僕がそう言ってもうなずかない。彼はエゴイストにはなれないのだ。
とは言え彼の言葉にも一理ある。与えられるばかり一方では二人の関係をぎこちなくしてしまうだろう。
いつか罅を入れてしまうかもしれない危険をはらむ。まして、慣れは喜びをうすっぺらいものに変化させてしまうものだ。
だから、記念日だけは許して貰う。
彼の誕生日と結婚記念日。
その日ならば悠季も快く受け取ってくれる。
彼にどんなものを贈ろうか。どんなものなら喜んでもらえる?彼に似合うものはどこにあるだろう。
そんなことをいつも考え続けることの楽しさ。
そして、彼の手元に僕の贈り物が寄り添い、大切に使ってもらえることの喜び。品物を見た時にはいつも僕を思い出してくれるだろう。
彼は大切に手元において使ってくれるだろうから。
さあ、買い物に出かけよう。
今年の誕生日には今の彼にふさわしいと思う品を贈ろう。彼の年齢と同じ数の薔薇と一緒に。
さて何を贈ろうか。
まあつまり、圭のデレデレな話というわけです。(笑) |
---|
2014.2/3 up |
---|