お土産





ロン・ティボー優勝の副賞としてついてきたリサイタル・ツアーはようやく折り返しとなっている。明後日のリサイタルを終えたら一度日本に帰って、次は6月にまたパリにやってくることになる。

やれやれ、無事ここまで出来たなァとしみじみ思う。

僕たち3人はフランス各地を回っているうちにいろいろなトラブルにぶつかってきてたから、たいていのことには動じなくなってきている。

その日もそんな日だった。

「またですか?」

僕の質問に

「はい、また、です」

井上さんが苦笑しながら答えた。

今回のトラブルは待ち合わせ場所に主催者さんが来ないというものだった。連絡してみると、何かよくわからないトラブルで遅くなってるそうだった。

何度も出会っているから、こういうときの対処は決まっている。

まず会場の鍵をどこが預かっているかと開館時間を確認して、それから荷物を置きにホテルへと出向く。それから主催者さんが来るまでの時間をどこかでつぶすというマニュアルが出来ているくらいだ。

で、まず今回会場になっている教会は2時に開かれることは確認した。それから予約しているホテルに荷物を置きに行った。

ホテルのロビーで待っていてもよかったんだけど、今日のホテルのロビーはあまり居心地がよくなかった。部屋の方の居心地がいい事を願っているけど、入れるのはチェック・イン時間になってからだ。

それじゃちょっと早いけど昼食にしましょうと、源太郎さんと井上さんと3人で街へと繰り出したんだけど、今回はあまり運がよくなくて、期待していたレストランがまだ開いていなかった。

「30分ほど待ってくださいってことなんですけど、どこか他を捜しましょうか?」

井上さんがすまなさそうに言った。

「30分くらいならそのあたりの店を冷やかして歩いていてもいいんじゃないですか?」

「ああ、そうですね」

小さな街だったけど、素敵なお店がいくつもあるみたいだ。

源太郎さんの提案に僕も賛成して、3人でそのあたりをぶらぶらと歩き廻ることにした。くさなぎを持っていたけど、まあ普通に歩いている分には大丈夫だろう。

「あそこ、いいんじゃないですかね?」

源太郎さんが見つけた店の飾り窓から中をのぞいてみると、いろいろな品物が飾ってあった。

「骨董品屋さん、かな?」

「質屋さんかもしれませんよ」

「そうするとあそこにあるものは全部飾ってあるのは質草ってことですかね?」

「買い取ったものもあると思いますよ。入ってみますか?」

僕たちは興味しんしんでドアをくぐった。

質屋って聞いてどこか怪しげな雰囲気があるんじゃないかって勝手な想像をしていたけど、中は明るくて綺麗にディスプレイがしてあった。質屋っていうよりリサイクルショップって言った方がいいのかな。

「あらっ、アンティークのビーズがあるわ!」

井上さんが嬉しそうに言った。やっぱり飾りものに真っ先に目が行くのは女性ならではなんだろうなぁ。

井上さんをその場に残して僕は店の奥へと歩いた。ふと、目がとまったのは店の奥の棚に置いてある古びたバイオリンケースだった。

僕が興味を示したのに気がついたのだろう。店員が近づいてきて何か言った。

「そのバイオリンを売りに来たのかって聞いてきたんですよ」

「あは、これは僕の商売道具だから売れませんって言って下さい。それよりあそこのバイオリンケースの中身は何か聞いてみてくれますか?」

源太郎さんが達者に通訳してくれた。

「古いバイオリンだそうですが、開けて貰いますか?」

「そうしてもらってください」

店員が開いてくれたケースの中からは、結構綺麗なバイオリンが出て来た。

「アマーティ・・・・・みたいに見えますね。ても、ちょっと違うところもあるみたいだけど」

僕はそれほど古いバイオリンに詳しくないけれど、昔、圭が渡してくれたアマーティ写しによく似ていた。でもまさかこんな質屋(失礼だけど)に無造作に置かれているような品が有名なバイオリンとは思えない。

ニスは綺麗なところと摺れたところが混じっている。まるで古いバイオリンを修理するつもりで失敗したように見える。素人目にもそう見えるんだから、プロの鑑定人ならこれがいいものだとは絶対に思わないだろう。それともアマーティの偽物として作ったものだろうか。

「これに銘はないそうですから、あくまでも中古のバイオリンってことですね。それに買い取った時から音がよくないらしいんですよ。専門家にちょっと見て貰ったらしいですが、そこそこ古いものみたいだけど、いったいどこが壊れているのか、中を分解してみないときちんと直るかどうか分からなかったそうですよ。修理代が幾らかかるかも分からないってことで、そのままここに置かれているらしいですね」

「つまり使えないバイオリンってことですか」

「表面は綺麗だから、家のインテリアとして買わないかと言ってますよ。ずっと買い手がつかなくて店晒しだったので安くするそうです」

店員の説明は思いがけないものだった。

「バイオリニストとしては、バイオリンを家具にする気はありませんね。バイオリンは弾くものですから」

僕の言葉を聞いて、店員は肩をすくめてみせた。

「試しに弾いてみる事は出来るかどうか聞いてみて下さい」

「かまわないそうです」

僕はケースから取り出してF字孔から魂柱をのぞいた。歪んではいないようだ。でもスチール線に少しさびがあるように見える。それに弓はどこだ?

聞いて貰ったら弓はついてなかったそうだ。それじゃ手持ちでやるしかない。僕は自分のバイオリンケースを開けて弓とスチール線を取り出した。

弦を張り替えて、調弦をして、さて、どんなものかな?

「うーん、これは・・・・・」

結果は、バイオリンの内部にどこか亀裂でも入っているかのようにブレた音がした。音質はいいんだけど、音量はあまりない。グランド・アマーティの大きさだから普通のアマーティよりも音が大きくなるはずなのに。

魂柱がどうなっているのか、それとも他にもっと決定的なダメージがあるのか。確かに本格的にニカワを外して中を分解して修理しなければ分からないだろう。そこまでやるだけの価値があるのかどうかもわからない。つまり買うのは確かに賭けに近い。

でも、音はとても気に入った。もしこれがちゃんと直せて弾けるようになったら、弾いてみたい。

それにもしプロの僕が使えるものにならなくてもフジミのバイオリン箪笥に置けるんじゃないだろうか。うーん、ちょっと欲しいぞ。明後日、日本に帰るんだから、長旅の荷物にもならないしね。もっとも値段さえ折り合えばだけどね。

「これって幾らで売っているものなんですか?」

「3万フランだそうです。おおよそ60万円くらいですかね。中途半端な値段だ。買い手が出るはずがないなあ」

源太郎さんの言っているのは当然だった。億の値段がするような有名なバイオリンは論外だとしても、そこそこ中古のバイオリンで銘がなくても音がよければこれくらいの値段、あるいは100万円以上するものもいくらでもあるだろう。音が鳴らないからってインテリアの飾りものにするには60万円は高すぎる。

もっとも質屋に千万や億のバイオリンが並んでいるはずはないか。

「日本と違ってこれは定価じゃありませんからね。買い手と売り手の駆け引きがここから始まるってことですよ」

ああそうか。日本じゃ値切るっていう発想がないけど、こちらでは買値交渉もルールの内ってことなんだ。

「で、どうします?」

「どうする、とは?」

「買うつもりがあるのなら値切ってみせますよ」

「うーん、どうしようかなぁ。なんだか気になる音なんだよなァ。ここはマネージャーとも相談かな」

買うとしても現金ってわけにはいかないし、日本に持って帰ることも考えなきゃならないし。そこで井上さんを呼んで、改めて交渉ということになった。

「それじゃわたしが交渉しましょう。こういう買い物は慣れているんで任せて下さい。ここはポーカーフェイスが必要ですから、守村さんは隣りで何を言われても平然と聞いていてくださいね」

井上さんは張り切って、実に楽しそうに言った。腕まくりって感じだ。サバイバルのキャリアってこんなことにも長けているのかなァ。

そうして店長さんと井上さんは値段交渉を始めたんだけど、最初に井上さんが提示したのはなんと『5000フラン(約10万円)』だった!

「井上さんは『使えないってことなら装飾品ということでしょう。だったらこれくらいの値段で』って言ってますよ。

向こうは『あくまでもバイオリンとして売るんだからそんな値段では売れない』って言ってますねェ。守村さんが弾いたから強気に出ているんでしょう。言い値は1万5000フランだそうで。

井上さんは『バイオリンとして売ると言っても、うまく修理が出来るかどうか分からないのでしょう?買って修理するこちらにリスクが高い』と言ってますね。8000フランだと。

『仕入れ値だってそんな値段じゃない、いくら安くするって言ってもそこまでは安く出来ない』って言い張ってますね。ギリギリ1万3000フランだそうだ。

こっちの主張は『店晒しだったのなら、新たな品物を仕入れるためにも売った方がいいでしょう、私たちを逃すと買い手は出て来ないと思う』って言ってますよ。ふーん、1万フランですか。

おや、店長はこれ以上のディスカウントはしないって言い張ってますね」

源太郎さんは楽しそうに二人のやり取りを通訳してくれた。

うわぁ、ずいぶんとすごいやり取りをしているんだ。

「守村さん、このあたりが底値だと思いますが、どうされますか?」

僕としては3万フランでも買うつもりになっていたんだけどね。

「あ、そう言えばバイオリンを国外に持ち出す際には書類が必要だったんじゃないの?」

「ああ、そうでしたね。うかつでした。確かにこのままでは購入しても空港で没収されてしまう危険がありますね。それじゃあ1万3000フランにして書類一式をつけるっていう話で決めましょうか?」

「あー、はい。お願いします」

店に入るまでは新たなバイオリンを買うつもりなんてなかったのに、とうとう買う事になってしまったんだった。





「それでバイオリンを持ち帰って来たんですか」

僕の話を圭はとても楽しそうに聞いていた。僕が帰って来た時、バイオリンをもう一丁持っていたのでびっくりしていた。

ようやくリサイタル・ツアーから我が家である富士見町に戻ってきてほっとしているところ。

二人で食事をして、それから風呂の中で愛し合ってから二人並んで風呂につかりながらのんびりとツアー中にあった出来事を話し始めた。

「バイオリンを持って空港に行ったんだけど、いざバイオリンの書類を提出したら税関で問題になっちゃったんだ。ケースはボロいしバイオリンも状態がよくないのに、書類だけは立派なものになってせいなんだ。

それでおかしいって疑われちゃったんだよ。どうやらあのお店の店長が冗談でつけてくれたみたいだ。それとも井上さんに値切られたから嫌がらせのつもりだったのかな」

「それは大変でしたね。それでこのバイオリンをどうされるつもりですか?」

「うーん、まずどこかの修理屋さんに頼もうかなァって思ってる」

「確か来週に西大路さんのところにくさなぎのメンテナンスに行かれる予定だったでしょう。なぜ頼まれないのですか?」

「だってこんなぼろぼろのバイオリンを西大路さんに頼むのは悪いじゃないか」

「昔君が使っていたバイオリンを修理したとき、あまり出来がよくなかったでしょう。それを調整して貰ったら音がよくなったではありませんか。下手な修理屋に頼むよりは西大路さんに頼まれた方がよろしいのではありませんか?」

「そうか、そうだよね。うん、そうしよう。それで、来週は君も一緒に行けるよね?」

「ええ、もちろんです」



そうして僕たちは二人でくさなぎとあのバイオリン持って小諸に在住の西大路さんのところまでメンテナンスを頼みに行った。

いつものように機嫌のいい西大路さんはしゃべりたいことをしゃべっているので、お土産は奥さんに渡していつもお世話になっているお礼を述べた。

くさなぎのメンテナンスは一晩かかると言われて、この間と同じように近くの旅館を予約した。あのバイオリンの方は中を開いてみなきゃ分からないから、そのまま預けることになっている。

久しぶりに二人きりでのんびりして離れて暮らしていた寂しさを癒した。機嫌良く翌朝西大路さんのところに行ってくさなぎを渡して貰う事になっていたんだけど、話はとんでもない方向にいったんだった。

「いや〜、ずいぶんとすごいものを持ってきてくれたんですね!」

訪れた途端、西大路さんは興奮した様子でしゃべりだした。

「何か不都合でもありましたか?」

「不都合どころかとんでもないことになってましたよ!このバイオリンを守村さんは何だと思ってました?」

「さあ・・・・・、アマーティの写しか模造品じゃないかと思っていたんですが」

「そう、アマーティ。ただし本物のね!」

「まさか!本物のアマーティなんですか!?冗談でしょう?」

西大路さんの話に、僕も圭もびっくり仰天だ。

「僕も開けてみるまでは本物なんて思ってもいませんでしたよ。開けてびっくりだったね!」

話によると、音がひずんでいるように思っていたのは中の力木の部品に薄い板のようなものを貼り付けてわざとおかしくしてあったのだそうだ。ニスもわざわざ荒く塗って本物ではないように見せていたようだ。F字孔からのぞいても分からないように巧妙に細工がされていたらしい。

ラベルも以前はあったはずだけど剥してあった。その他にもあれこれとこれが本物ではないように偽装してあったという。

「それってどういうことですか?わざわざ偽物に見せるなんて」

「バイオリンを見つけたのはフランスだったそうだよね?これは推測だけど、もしかしたら以前の持ち主がこのバイオリンをナチスに持ち去られるのを恐れて偽装したのかもしれないということだよ」

ナチスだなんて、ずいぶんと大げさな話になって来た。

第二次大戦の頃、パリ陥落が間近になって来た頃、ナチはあちこちから絵画や美術品を略奪を始めたそうだ。略奪する予定の美術品の中には古くて貴重なバイオリンも含まれていた。持ち主は略奪を恐れて隠そうとしたらしいということだった。

多少傷つけたとしても敵国に略奪されるよりはましだと思って、貴重なバイオリンにこんな乱暴でかわいそうな仕事をしたんだろうか。

戦争が終わったらまた元の姿に戻すつもりだったんだろうけど、出来ないまま別の持ち主の手に渡り、 価値を知らない人があの質屋に持ち込んだんじゃないかということだった。

「いや〜守村くん、いい買い物をしたね!書類もきちんとしているし、文句なしだよ!」

きちんと整備するという西大路さんの言葉に安心して、僕たちは東京へと帰ることになった。

数カ月後、言葉通り修理されたバイオリンを取りに行くと、綺麗に修復されたバイオリンが僕の手に戻るのを待っていた。

まろやかで豊かな音は、確かにグランド・アマーティの名にふさわしい。

「このバイオリンは君の元に来たかったのかもしれませんね。名器は人を選ぶという事でしょう」

なんて圭は言ってたけど。

まあ僕みたいな駆け出しのバイオリニストにはもったいないんじゃないかとは思うけど、インテリアとしてぞんざいに扱われていたらと思うとぞっとする。

それを考えると、僕が手に入れる事が出来て本当によかったと思う。あとは僕がこのバイオリンをちゃんと弾きこなせるようにならなきゃいけないな。







こうして思いがけず、僕の元にはもう一丁のバイオリンがやって来たんだった!












まず言っておきますが、この話はまったくのフィクション、嘘八百です(爆)
最近CSでやっている『アメリカお宝鑑定団』という番組にはまっていまして(笑)
客が質屋に様々な品物を持ち込んで買い取ってもらうという内容ですが、客に品物の評価を教えるだけでなく、質屋と客の買い取り金額をめぐる駆け引きが面白いです。
それをそのまま悠季のナンチャッテ話にしてみました。
実はフランと日本円のレートもちょっとアバウトです。(汗)

ナチの話もでっち上げです。
ただしナチスが芸術品を強制的に集めていたという話は本当らしいですが。
いくらなんでも質屋で有名なバイオリンが見つかる筈はないと思います。
専門家が見逃すはずがありませんからねσ(^◇^;)






2013.6/3UP