遠くで除夜の鐘が鳴っているのが聞こえた。
僕たちも急に思い立って、近所の神社へと足を伸ばしている最中だ。
今年は久しぶりに圭も僕も昨日には仕事が終わって、大晦日は富士見町の僕たちの家で過ごすことが出来た。
去年はと言えば、圭はジルベスターコンサートで指揮をしていて大晦日には帰れなかったし、僕は僕でコンサートツアーの真っ最中 で富士見町から遠く離れた場所にいた。
そんなスケジュールがこのところ続いていた。
家の中をせっせと大掃除をして、二人で揃って年越し蕎麦を食べて、あちこちから鐘の音が聞こえてきたのに気がついて、今年はちゃんと正月らしい正月を迎えられたねと言いあった。
珍しくつけて見ていたテレビの中では神社やお寺へと出かけていく人たちが次々と映し出されていて、どちらからともなく僕たちも 行ってみようかと言い出して、神社へと出かけることになったんだ。
ドアを開けたとたんに冬のきんと引きしまった冷気がまとわりついてきて、思わずコートの襟をおさえながら歩き出す。
いつもなら寝静まっている夜の中に、ぽつりぽつりと二年参りに出かけている人たちに行きあう。
ふだん人の気配があまりない静かな神社も、今夜は煌々と明かりがともり、たくさんの人が集まっていた。
さい銭箱に小銭を落とし、わに口を振って手を合わす。
今年一年、無事に過ごすことが出来た感謝と、来年もいい年でありますように。
ありきたりの、毎年同じようなことを願って手を合わせているけれど、同じように願う事が出来る幸せが、なんだか嬉しい。
僕の隣では、圭が正式な作法で礼拝をしている。
彼の実家は京都の公家の家柄だから、きっとそんなことも日常に組み込まれていたんだろうと思う。
「明けましておめでとうございます」
と、声がかかった。
「おめでとうございます」
僕たちも返事をすると、おじさんがにっこりと笑って手をさし出した。
「はい、こちらをどうぞ」
氏子社中の人たちなのだろう。参拝に来た人たちに大ぶりの蜜柑を配っていて、僕たちも一つずついただいた。
ゴーンとまた一つ、どこか遠くで鐘が鳴って、夜の中に消えていく。
音の余韻に耳を澄ませていると、深い夜の気配の中、僕たちの足音だけが響いていく。
神社から離れていくうちに、僕たちの周囲にいた人たちは分かれてそれぞれの家へと帰っていったのだろう。いつの間にか誰もいな くなっていた。
「いい年の瀬だね」
「ええ、そうですね」
圭は冷えてきたのか、神社で手を合わせていた間外していた手袋を嵌めようとしていたんだけど、僕はその片方を取りあげた。
「悠季?」
「バイオリニストは手が大事なんだ」
だから、君の手であたためてよ。
「指揮者も手は大事ですよ」
そう言って、僕と手をつなぐ。
「こうすればもっとあたたかいですね」
そう言って僕の手ごとコートのポケットに手をさし入れた。
ちょっと行儀が悪いけど、確かにカシミアのコートのポケットはあたたかい。
「早く帰って温かいものでも飲んで寝よう。すてきな初夢がみられそうだ」
「そうですね。現代のやり方に即して過ごしましょう」
「・・・・・なんのこと?」
「昔でしたら、初夢は1月2日に見るものを指すそうです。ああ、もうひとつありましたね。2日の夜の事初めが」
何やら楽しげだ。
「な、なんのことかな?」
「姫初めです。僕たちの関係では『姫』と言うには適切ではありませんがね。明日まで待つ必要はないでしょう?初日の出まで時間はまだたっぷりとありますね」
嬉しそうに、圭が耳元にささやいてきた。
うう、いかにも好き者って感じのせりふだぞ。
「今年もどうぞよろしく。愛していますよ、悠季」
「・・・・・今年もよろしく。お手柔らかにね」
僕は切実な思いで言ったんだけど、圭は含み笑いをするとつないでいた手はそのままに、指の付け根をくすぐるように愛撫してきた 。
やめさせようとポケットの中で指や手首を動かしたけれど、圭の方がうわ手で、手を放すことなくいたずらを続けている。
僕の指の股を撫で上げたり、手のひらをくすぐってみたり。
・・・・・いまだにこんなところにも反応してしまうんだよな、僕は。
「あいかわらず君は敏感ですね。君の体温が上がってきたのがわかりますよ」
あわてて手を振りほどいてポケットから抜こうとしたけれど、圭はしっかりと掴んで放してくれない。
「冷える前に早く帰りましょう」
「そ、そうだね」
じわりとからだの芯に熱が上がってきている。
「・・・・・帰ろう。僕たちの家に」
「はい」
僕たちは急ぎ足で我が家へと歩き出した。
大晦日
本年もどうぞよろしくお願い致します。
おおつごもり