番外編 |
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ボスの機嫌が悪い。
ボスとは当然、俺、宅島隼人がマネージャーを務めている『桐ノ院圭』のことだ。
学生時代からの腐れ縁で、現在はT&Tカンパニーの共同経営者でもある。
昔の奴は感情を表に出さず、何を考えているのかさっぱり分からないという相手だったが、現在の彼は、分かりにくいところは相変わらずだが、それでも分かるようになったところもある。
パートナーである守村悠季に関してのことなら、実に分かりやすく感情を見せる。
彼と一緒の時はポーカーフェィスの裏側に嬉しそうな表情をにじませ、彼と別れて過ごさなければならない時は不機嫌そのもののオーラを撒き散らす。
ああもう、そんな分かりやすさをもっと他にも出してくれればありがたいんだがな!
その彼は、現在不機嫌の一歩手前のあたりをさまよっている。
守村悠季、親方がロン・ティボー国際音楽コンクールでのご褒美コンサート・ツアーのためパリに長期滞在中で、ボスは一人さびしく留守番中。
もっとも、昨日は無茶な日程をやりくりしてパリ管弦楽団との協演を聴きに行ったのだから、機嫌は悪くない、はずだったのだが・・・・・。
「親方の演奏はよかったんだろう?」
「ええ、当然です」
だったらなんだってそんなに機嫌が悪いんだ?久しぶりに会えたんだし、演奏会が順調なら何の問題もないはずだが。
俺が無言の内に『話せ』と問いかければ、一つため息をついて話し出した。
「実は、悠季のファンがまたついたらしい。それも大勢の」
「へえ?いいことじゃないか」
「ああ、僕もそう思っている」
「でも、それが気に入らないのか?」
桐ノ院はぐっと黙り込み、じろりと俺を睨むと肩を落とした。
「悠季が、無防備すぎるので心配なのだ」
ぷっと吹きそうになるのを必死でこらえた。
ここで笑ったりしたら、更に機嫌が悪くなるだろう。
「親方はブリリアントの時にはうまく対処していたじゃないか。心配することはないだろう?」
「それは君が悠季という人をさほど知らないからだ!」
うめき声で桐ノ院は言った。
「彼は自分がどれほど人を惹きつけるのか気が付いていない。今は多少ましになったが、出会った頃など、自分の容姿や演奏にまったく価値を持っていなかった。その名残で、自分の事には無頓着なのだ」
以前は彼が親方のことに過敏になっているための発言だと思っていたのだが、親方がコンクールで勝ち進み、ついにグランプリをとった後になると全くの杞憂ではない事にようやく気がついた。
表彰式に続くガラ・コンサートの時、フランス語が出来ない親方に代わり、伴奏ピアニストの吉柳氏から忠告が届けられた。
俺自身もユウキ・モリムラの個人情報を聞き出そうとする輩をあしらわなければならなくなっていた。
だが、当のご本人は、自分が狙われているということなどまったく気が付いていなかった。
それどころか、そんなことがあるということさえ考えていないのではないだろうか。
そこで考えたのは、彼に最強の虫よけ・・・・・じゃなくて、マネージャーをつけるという事。
それも、彼に色目を使ったりしない相手を。
これがなかなか難問だった。
守村悠季と言う人は元々ノンケだったそうで、ボスは彼に気立てのよい女性が近付く事を恐れている、らしいから、女性は却下。
と言って男性ならよいのかと言えば、それもまた不安なのだという。彼に誘惑の手を出すかどうかだけではなく、男性同士の恋愛に寛容かどう
かの見極めが難しいのだ。やれやれ、ややこしい。
どうすればいいんだ!? と思っている時に妙案が生まれた。
俺の付き合っている彼女が我々が立ちあげた会社に入ることになったのだ。男勝りで護身術にも長けている彼女なら親方に付けても問題ない
はずで、むしろ彼にはちょうど似合いのマネージャーになるだろうと思えた。
彼女の名前は井上元という。
現在は親方、守村悠季の専属マネージャーとしてパリに同行中になっている。
彼女とは大人の付き合いから始まった。
彼女も俺も独身主義で、結婚など全く考えていない気楽な付き合いだった。
価値観が似ていて、お互いに結婚を考えることなく付きあう事が出来て、話していてもウマが合う。
このまま男女の仲でなくなっても、友人として付き合い続ける事が出来るのではないかと思えるほどに。
しかし俺の考え方は変化してきていた。それはすぐそばで見ていたボスを見ていてのことだった。
学生時代の桐ノ院圭という人物は、実に淡々と、人の性格や考えの裏を読んで冷ややかな高みから見下ろしているようなところがあった。
同級生たちなどはその典型で、大人顔負けの思考と行動をするクラスメートを同じ高校生とは思えず、敬して遠ざけるといった孤高の存在として君臨していた。
それは高校の先生方にも同様で、定年まで事なかれ主義で汲々としているような人物では彼に太刀打ちする事は出来ず、授業はほとんど出席せず、出席日数ぎりぎりでいるにもかかわらず試験では優秀な成績を示すという、小面憎く扱いにくい学生だった。
そんな彼とは、サムソンの仕事をするようになって偶然再会したのだが。
本当にあの彼か?
出会ったときの彼は、驚くほどの変化を遂げていて、俺は思わずそんな感想が頭に浮かんだ。
ポーカーフェィスを得意としていた彼が、完全無欠のスーパーロボットのような無機質さから、いささか苦笑が混じるような破天荒さを身につけ・・・・・。
つまり、多少の隙を見せる可愛げのある人物となり、更に魅力的な男となっていた。
それに一役買っているのが「僕のバイオリン」こと守村悠季という男である事は、間もなく分かった。
二人とはブリリアント・オーケストラでの仕事で出会ったのだが、くせ者ぞろいのアーティストたちをきっちりとリードして、素晴らしいオーケストラにまとめ上げていた。
彼等は互いに信頼し合い高みを目指して手に手をとって協力し合う・・・・・。そんな唯一無二の存在だと納得させてくれた。
親方はまだ無名だが、いずれボスと並んで世界に羽ばたく存在になるのではないかということも推測がついた。
そして日常では当てられっぱなしの熱々のラブラブ・・・・・。その様子を隠そうともしないボスの態度には苦笑を誘われてしまったが。
ところがだった。
親方が留学から帰国後、しばらくした時の事だった。
M響での突発ステージが決まって、ボスと親方とが協演する事になったのだが。
あの二人ならさぞやぴったりと息を合わせたステージを楽々と作りあげるだろうと軽く考えていたのだが、いざ蓋を開けてみるととんでもない事になった。
熱烈に愛し合っているパートナー同士である二人は、同時に音楽では誰よりも互いを知り手ごわい好敵手同士なのだと身にしみて感じた。
互いの主張を譲らず、まるで憎んでいるかのように睨みあい、相手をねじり倒そうとしているかのようだった。しまいには別居までして相手を倒そうとしているようにさえ見えた。
そうやって、あやうく仲がこじれかけたほどの切磋琢磨の末に作りあげられた音楽は、素人である俺の耳にも鳥肌が立つほどに美しかった。
その時に俺は気が付いたのだ。
うらやましいと。
こんな関係を自分も作ってみたいと願っている自分に。
振り返って、俺は『彼女』のことを違う目で見始めていた。
この女性と、俺は唯一無二のパートナーとして互いを高め合っていくことができるだろうかと。
だから、彼女がツアーコンダクターとしての仕事が一区切りしたところで、T&Tに入社しないかと持ちかけた。
二人してこの会社を盛り上げていかないかと言った。
そして、人生のパートナーとしても考えてくれないかと告げ、彼女は何度かのためらいの後に承諾してくれた。
きっと彼女はどうして俺が独身主義者の看板を下ろしてプロポーズしたのか不思議に思っていることだろう。
俺がどうして言い出したのかを彼女は不思議に思っているようだが、そのわけは俺の心の中にあるたくさんの秘密ファイルの一つににとじておく機密・・・・・ということにしておこう。
まずはすみません! 圭の誕生日&結婚記念日なのに、二人が出てきません(泣) どうも暑さで頭がやられて甘い話を考えると溶けてしまうらしいです(笑) それに、原作が現在いったいどうなるのか!?という状態ですので、物書きの神様が降りて来ないようです。(号泣) このつぐないは、原作の決着がつきましたらきっと書きますので! |
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2012.8/21 up |
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