寝耳に水の話は、サムソンからの突然の呼び出しでもたらされた。
「はぁっ!?解散だって?」
エージェントとして担当しているロックグループが、宅島が休暇を取っている間にサムソンからクビになったのだという。
それも禁止になっている薬物の使ったのが理由だという最悪のパターン。
「なんで俺がいないときにそんなことを・・・・・」
「タクト、お前が何かと口やかましくする説教がうざかったらしいな。お前が休暇をとるようにせっせと勧めておいて、自由になったところで大喜びではしゃいで、しまいにはタガが外れたらしいぞ」
理由を聞いて宅島は脱力した。
連中はこのところコンサートツアーやCD制作で人気が出てきたところだった。
人気が出てくれば浮かれてくるのはわかるが、次第にエスカレートしてきて、ホテルに女を連れ込んだり、飲みに行った店で暴れて弁償するハメになったりと様々な面倒を起こすようになっていた。
マネージャーとして彼等のプライベートを整えるのも仕事の内だから、たとえとんでもない事件を起こしても必死でサポートしていたし、どんなことでも頼まれたら調達してきたのだ。
すべて彼等の音楽のために、だった。
だがそれでも、間違ってもクスリに手を出すことだけはやめろときつく命じていた。
人気は一過性のものにすぎず、ここで手を抜いたり馬鹿な事をすればあっという間に転落してしまい、再度浮上することは初めての時よりも難しい。
まして薬物となれば、世間の目は厳しい。
昔のようなロックスター=マリファナ・コカイン・LSDというわけにはいかないのだ。
特にサムソンはこのところ清潔で品行方正という会社のイメージ戦略を打ち出していて、薬物を使った事が分かった時点で即刻契約を切ると契約書にも書かれていた。
過去にもそれでクビになったタレントがいたのを何人も知っている。
彼等もそれを知っていたはずなのに、甘く見ていたのだろうか。自分たちは何をしても許されるという、幻想を。
「残念だったなぁ。せっかく苦労して連中のCD売上を伸ばしていたのにな」
確かにあれやこれや彼等のためにどれだけ苦労して営業をかけていたことか。
まあ、今となっては全てが水の泡だが。
「それで、次に担当する相手のことだが」
「あー、ちょっと待ってくれないか」
宅島はそう言って話をとめた。
そうそう簡単に頭を切り替えられない。
世に出て才能を思いきり発揮する者たちを支える裏方の仕事は性にあっていて、コンサートチケットの売上に一喜一憂し、音楽番組の出番の順番に神経を使い・・・・・。
だが、それがあっという間に無に帰したむなしさが気力を殺ぐ。
「まだ休暇中なんだ。次の仕事の話は休暇が終わってからにしてくれないか」
「ああ、そういうことなら後で構わないが。それじゃあ休暇明けに連絡してくれ」
「わかった。それじゃ、またあとで」
宅島はそう言ってオフィスを出たが、もう一度ここに戻ってくるかどうかは迷っていた。
担当していた相手が辞めたというのはこれで三度目だった。
売り上げの問題で切られたというヤツはいない。いずれも向こうの事情というやつでサムソンを離れていったのだ。
しかしこうなるとエージェントとしての才能がないのではないかと思えてならない。
運も必要な職業と言えるのだから。
がつがつ仕事を見つけなければならないほどの経済的理由はないし、他に職を変えてもやっていけるだけのスキルはある。
しばらくの間ぶらぶらとして、これからの道を考えてもいいかもしれなかった。
そうして、宅島は一人のバックパッカーと化して、あちこちをさまよい歩いていた。
へき地へ出向いたこともあり、大都会を点々と渡り歩いたりもした。
だがどの地へ出向いても、見るもの聞くもの全てが仕事と関連付けて考えている事に気がついた。
大道芸人のパフォーマンスを見ればこれはモノになるかと考え、ホテル、交通手段、CD販売店にもつい目が行くし、流れて来る音楽にもつい聞き耳を立てている。
やはり根っから裏方の仕事が好きなのだと改めて認めざるを得なかった。
休暇を切り上げてバックパッカーの格好のままでサムソンの事務所に顔を出すと、以前の宅島を知る者たちに一様に驚かれた。
それまでの彼はスーツ姿とはいかなくても、それなりのきちんとした姿で過ごしていたのだから。
だが、エージェントとして自分の気に入った相手を決めるまでならこのままで構わなかった。
相手にどう思われようと知った事じゃない。
今度はこちらから自分を託せる人間を選ぶつもりだと。
「タクト、ちょうどいい時に戻ってきてくれた。至急頼みたい仕事があるんだ」
マネージメント部門の主任が声をかけてきた。
「いや、まだ次のやつを決めるつもりは・・・・・」
「それはあとでもいい。とにかく人手がいるんだ。ここに行ってくれ」
彼は宅島の引き気味な発言を無視して、強引にメモを手渡してきた。
内容は、今度サムソンがオリジナルで編成したオーケストラでスプラッシュ・コーラのCMを作ることになり、そのメンバーを集めるためにエージェントが必要なのだという。
「オーケストラと言ってもジャズやポップスじゃないんだ。れっきとしたクラシック音楽のオーケストラで、それも世界各国の売れっ子を集めるんだ」
主任は自慢げに強調した。
「へぇ・・・・・?」
どれほどのことなのかは、クラシックのことに疎い宅島には分からない。
宅島は高校卒業後以来会わなくなった男のことを思いだしていた。彼ならクラシックのことには詳しくて、こんな時なら詳しい蘊蓄を披露してくれただろう。
何しろ親が銀行家にさせたかったのを嫌って、とうとう家を飛び出して音大を受験し、その後海外へ飛び出していった男なのだから。
さらに最近では大きなコンクールで賞を獲っていたはずだから、きっとサムソンでも狙っているのではないだろうか。
「俺はクラシックは担当した事がないんですがね」
メモを受け取りながらもさりげなく断わりを言ってみたのだが
「えらそうなことを言ってるんじゃない!任されていたやつに逃げられたからってヘコんでいちゃしょうがないだろうが!どんどん次の仕事に入って、前の事はさっさ忘れるのが得策ってものだよ」
そう忠告されてしまった。
宅島は頭をかいて、手にしたメモに目を通した。
リストの中身を見ると、若手音楽家らしい名前が並んでいる。
バイオリニストにチェリストに・・・・・。全て世界各地に散らばっている。
そして、この急遽寄せ集められたオーケストラの指揮者は若手の・・・・・ケイ・トウノイン。
「桐ノ院圭だって!?」
「知ってるのかい?」
「ええまあ」
「この企画は彼が中心になって出来ているんだよ」
「へえ!彼、サムソンに入ったんですか?」
「そうだよ!この間のブザンソンとバーンスタインに続けて優勝したやつだからね。ボスが見逃すはずないだろう?」
そう言って、主任は含み笑いをしてみせた。
「今回のこともボスが彼を売り出すためのものだそうだよ。しかしなかなかうるさい人物らしくてね、今回のこともいろいろとゴネていくつかの条件を出したそうだ。
そこでだ。日本人同士ってことで、タクト、君にはトウノインのところで我々と彼との橋渡しをしてもらいたい。まあ、言ってしまえば雑用係ってことだがね」
「はあ。まあ、やれって言われればやりますけどね」
これは桐ノ院が指名したということなのだろうか?
「向こうは俺のことを何か言ってましたか?」
「さてね。聞きたければ直接会ってみる事だな。詳しい事はそれからだ。それと・・・・・いや、なんでもない」
主任は言いかけた言葉を取り消して宅島を帰した。
桐ノ院は宅島のことをマネージャーとして採用するつもりもあるらしいが、まず働きぶりを見てからのことにしたいと留保していたのだ。
宅島が前の事件を引きずっていて、まだその気になるかどうか分からないのだから、あとは二人のその気に任せればいいことだった。
宅島が久しぶりに会う友人は、集められるオーケストラ要員の選定とCMで使われる曲の編曲作業であわただしくスタッフと打ち合わせ中だった。
「桐ノ院、久しぶりだな!」
宅島が声をかけると、桐ノ院は読んでいた書類から目を挙げてポーカーフェィスのままうなずき、手を差し出した。
「宅島も元気そうでなによりだ」
高校時代から背が高く尊大な雰囲気を持っていた男だったが、ヨーロッパ修行を経て本格的に指揮者としてデビューした今は更に近寄りがたいオーラを放っているように見えた。
あの頃の彼は自分のことを積極的に話すようなフランクな人間ではなかったが、今もそうらしく、近況のことなどあっさりと述べると今回の用件のことを切りだした。
「今は時間がないので旧交を温めるのは後ほどにしよう。君にも急ぎ説得に回って貰う事になる」
確かに今は仕事中であり、いくら学友だからと言って昔話で時間を無駄にしてしまうわけにはいかないようだ。
「了解した」
桐ノ院は目元を和ませると宅島に分厚いリストを手渡してきた。
「君はヨーロッパ担当だ。至急ここに書かれている相手に会って、契約を結んできて欲しい。他のエージェントには北米やアジアを回ってもらっている」
リストを見るとバイオリンにホルンなど様々。彼等は実力人気とも兼ね備えている者(そして、美形で!)ばかりなので、突発的に決まったこのCM出演に参加してもらうためには、なるべく早く会って話を聞いてもらわなければならない。
多忙な彼等のスケジュールが詰まって断られてしまう可能性があるのだ。
宅島がリストを捲っていくと、何となく名前を知っているような者もいるが、まったく名前を知らない者も多い。
今から売り出し中の若手ということなのだろう。
宅島がクラシックのことにうといこともあり、桐ノ院は説得する材料として、一人ひとりの経歴などについて説明をしてくれたが、その中でコンサートマスターとして名が挙がっているのは、まったく無名の日本人だった。
「このコン・マス候補だが、もっと有名な人間の方がいいんじゃないのか?経歴を見ると他の連中比べて見劣りがする」
彼は現在イタリアで留学中だそうだが、日本でのコンクール受賞歴は日本音楽コンクール3位一つだけ。イタリアではヴィオッ ティ国際バイオリンコンクールの銀賞とあるが、プロのオーケストラに所属したこともないようだ。
はたしてコン・マストしてやっていけるのだろうか?
「僕のコン・マスは守村悠季です。他は認められない。それはデイビッドにも認めさせている」
桐ノ院はきっぱりと言い切った。
「今回のオーケストラは寄せ集めでありソロとして活動しているものばかりなので、かなめになる人間が必要となる。彼以外の人間がコン・マスではオーケストラとして成り立たたないということを承知してもらっている」
つまり強引に押し切ったのかと宅島は心の中でつぶやいた。
「ミスカ・キラルシュの説得については、コン・マスに悠季が立つことが条件となるだろう。そして、彼が参加を承諾するとなれば、悠季も説得に応じるはずだ」
その名前を言ったとたん、目元がほんのりと緩んだのが感じられた。
悠季、ね。
宅島は学生時代の彼の噂を思い出していた。
そう言えば女性の影がまったく見えない秘密主義のやつで、ゲイなのではないかと密かにささやかれていたのだった。
そうすると、この守村悠季という人物は彼の恋人で、自分の惚れた相手をオーケストラに引き込みたくてサムソンにおしこんだのだろうか?
しかしそれなりの実力がなければオーケストラの他の連中にブーイングを浴びるのは間違いないところだし、このCM自体も頓挫しかねない。
それは桐ノ院本人もよく分かっていることだろうが。まあ、とにかく本人に会ってみれば分かることだろう。
宅島はヨーロッパ中を駆け回ってブリリアント・オーケストラと後日名付けられたオーケストラの団員たちを集めて回っていたが、久しぶりの仕事は実に楽しく、一時期サムソンを退職しようかと悩んでいたことなどすっかり吹き飛んでしまっていた。
やはりこういう大きな交渉事はやりがいがある。
リストにある演奏家に連絡すると、サムソンの名前は有名でありこの会社の仕事を受ける事は後々自分の演奏活動に対してメリットがあることを理解し、次々と何人もの人間が参加を承諾してくれた。
もっとも、そのギャラは売れっ子のソリストへの、本来の演奏活動に対する対価よりもかなり低かったので、断ってくる人間もいたが。
ミスカ・キラルシュも渋った一人だった。
そのギャラでは1桁違うと文句を言っていたが、コン・マスがユウキ・モリムラだと聞いたとたんに態度を軟化させ、あっさりと契約に同意してくれた。
親しい友人なのだということだった。
そして、ほぼ最後に会うのは例の守村悠季。
好奇心でわくわくしながら、電話をかける。
さて、桐ノ院圭が強力に推薦する人物とは、いったいどんな相手なのだろうか?
電話の場所は巨匠エミリオ・ロスマッティの屋敷。彼はここで内弟子をやっているらしい。
外国人のメイドらしい少々たどたどしいイタリア語のあと、柔らかなテノールが聞こえてきた。
『はい、守村ですが』
「初めまして、サムソン・ミュージック・エージェンシー・マネージメントオフィスの宅島と申します」
宅島は愛想よく話し始めた。
桐ノ院圭さんもついに不惑・・・・・。(笑)
きっと指揮者としても、悠季とのラブラブ生活も充実した暮らしをしているのでしょう。
せっかくの誕生日だというのに、あまり色気のない話ですみませんね。(苦笑)
宅島君が初めて登場した時、むさいバックパッカー姿だったのが気になっていました。圭のマネージャーを引き受けた後がホストのような(笑)スーツ姿だというので、いったい何が彼にあったんだろうと。
ちょっと挫折しかかっていたところで圭に出会った・・・・・なんてどうだろう?と思ってこんな話にしてみました。