ふたりはなかよし













悠季が我が家に帰りつき、玄関の扉を開けた途端に中から言い争うような声が聞こえてきた。

「あれっ?圭と宅島くんの声だ」

いったい何があったのかと、急いで二人がいるらしい音楽室へと入っていった。

「ただいま。二人の声が玄関まで声が聞こえてたよ」

「ああ、失礼しました。お帰りなさい、悠季」

圭が何事もなかったかのような顔で、ほほ笑みながら悠季を迎えた。

しかし、その目の奥には先ほどまでの言い争いの興奮が残っているようだった。

「お帰りなさい、親方」

宅島も平然とした顔を取り戻している。

「いったい何があったんだい?二人が大声をあげるなんて、珍しいじゃないか」

「実はですね」

「宅島。この話はここまでだ。悠季に聞かせる必要はない」

「おい、それはないぞ。この話は親方に来たんだからちゃんと話すべきじゃないのか?」

「リスクもデメリットも理解している。だからもうこの話は打ち切りにするように」

「・・・・・まあ、ボスが承知しているというのなら、これ以上言う事もないが」

「ちょっと待った!・・・・・いったい何の話をしているんだい?僕に来たという話なら聞かせてくれるべきなんじゃないのかい」

二人は顔を見合わせていたが、圭は肩をすくめてみせ、

「コーヒーを淹れましょう。お話します」

と言った。



テーブルにコーヒーの良い匂いが漂う。

「うまいですよ、食べてみて下さい」

コーヒーに添えられて出されたチョコレートは、高級なものなのかもしれなかったが、悠季にはブランド名など分からないが、説明してくれようとするのをさえぎった。

「いいからそろそろ話に戻ってくれないかな」

じれた悠季が話の催促をすると、二人は目を見合わせた。

圭はひらりと手のひらをひるがえして宅島に話すようにうながした。

うなずいて宅島が話し出す。

「実はですね、親方がロン・ティボー音楽コンクールに出場することを聞きつけて、マスコミから取材を申し込まれている話の件なんですが」

「ああ、昨日君から電話してくれた件ね。日本からのコンクール出場者を追いかけて、コンクールの模様を放映するんだって」

「そうです。実は東京フィルの方からも、ぜひこの取材を受けて欲しいと要望が来ているんですよ。親方が出演するコンサートの宣伝にもなるから、ってことなんです」

「でも、昨日僕はやりたくないって言ったよね」

悠季は眉をひそめて言った。

確かにロン・ティボー音楽コンクールに受賞していれば、そのすぐ後に行われるコンサートの売れ行きも違ったものになるだろう。

だから、なるべくマスコミにも声をかけて、宣伝効果を最大にしておきたいのだということもよく分かる。

ただ、もともと悠季は人みしりでマスコミなどという相手と話をするなど気が引けた。その上取材を受けたとしたら、私生活にも踏み込んでこようとするのではないか。

それが怖かった。

「僕の練習を撮ったってたいして面白くないだろう?気が散るし、お断りだ。東京フィルの方にもそういう理由だからと納得してもらえないかな。コンクールに集中したいから、練習場所には来てもらいたくないんだ。第一決勝に残れるかどうかもわからないんだし」

「ですがね」

「そうですよ。君の練習の邪魔になります。宅島、この話はここまでにしたまえ」

圭は話をさえぎるようにして、悠季の話を締めくくった。

「おい、待てよ。ちゃんと最後まで話をさせてくれ。親方が納得するように話をするのが先だろう。これはお前にも関係がある話なんだからな」

「・・・・・もしかして、この話には何か裏でもあるの?」

「そうなんですよ」

気難しい顔をして宅島は圭の方をちらりと見た。

「実はですね、あちらの情報が入ったんですが、番組は親方以外の出場者をメインにして制作されることになっているらしいんです」

「へっ。僕以外っていうと・・・・・?」

「最近売り出し中の若手で、Sという名前のバイオリニストなんですが、ご存知ですか?」

「ああ、彼の名は知っているよ」

両親とも音楽家で彼自身も幼い時から音楽の英才教育を受けていて、子供の時から何度も国内コンクールで優勝や入賞している事を悠季も知っていた。

「そうか、彼も参加するんだ。当然予選を通過したんだね」

「そうなんです。ロン・ティボー最年少優勝のK以来の再来と呼び声高い彼をメインに、CMやM響との共演で知られている守村さんと、二人のコンクールでの様子を撮りたいそうですよ」

「僕は彼の取材のオマケってことか。まあ、僕はコンクールの年齢制限ぎりぎりだから十代の彼との対比として出すには最適ってことかな。彼は言わばサラブレッドなわけだし、優勝候補なんだろうからね」

「ええ、不愉快な話です。僕はその取材を受けることはないと言いました。これ以上は悠季の耳に入れるまでもない。こんな話は即刻却下するべきです」

圭が強い口調で言い放った。

そのあまりの激しさに、悠季は眉をひそめた。

普段、悠季の事になると過保護ぎみになる圭だが、こんなふうに真っ向から拒絶しようとする態度は見たことがない。

「そういえば、さっき圭にもかかわってくるって言ってたね。どういうこと?」

「この取材自体が問題なのですよ」

圭はいかにも嫌そうにそう言うと、宅島が話を引き取って詳しく説明を始めた。

「そこで質問なんですが、守村さんは自分と彼と、どちらがコンクールで上位を占めると思っていますか?」

「そりゃ彼の方が才能があると思ってる。まあ僕も自分なりにがんばって入賞を狙うつもりだけど」

「そんなことはありません!君の方が間違いなく上位にいくはずですよ」

圭が話をさえぎったが、悠季はなだめるように彼の肩に触れた。

「はいはい、ありがとう。君のおだてだと分かっていても嬉しいよ。でも、一般の世評じゃ、僕の言った方が妥当だろ?」」

「それが問題なんですよ!」

宅島がぴっと指を立ててみせた。

「さっき親方も言いましたよね。自分は彼との対比に使われるだろうと。

それ自体が失礼な話ですが、それ以上に問題があるのは、この番組の意図が、S氏の方がはるかに才能も実績もあることを強調したいようなんです。
コンクールでの明暗をはっきりさせて彼の才能を際立たせようとしている、つまりあて馬に使おうとしていることなんです」

「まるであからさまに落選すると決めつけているみたいじゃないか。まるで悪意があるみたいだし。
どうして僕なんだ?」

はるかに知名度が低い自分なのに、どんな理由で恨まれるようなことになったのかと困惑が先に立つ。

「彼があなたを目の敵にしているのには他にも理由があるんですよ。実はこの間M響で行われた突発のシベコンのコンチェルターですが、あなたではなくて彼が話を受けるつもりだったらしいんですよ」

宅島が話を続けた。

「ああ、そういうこともあるだろうね。では、圭が僕を推薦したことが不正だったとでも思っているわけ?」

「そんなことはありません」

圭が言いきった。

「僕は君の技量を知っているからこそ突発のソリストでも出来ると思って推薦したのです。

確かに僕はソリストを推薦することは出来ますが、決定権を持っているのは事務局長です。僕が強引に話を勧めたわけではありませんよ」

「え?それなら実績も人気も彼の方が僕よりも上のはずなのに、彼が選ばれなかったのはなぜなんだ?」

「今回の事は確実に彼自身の自業自得ですよ。実はM響の仕事とほぼ同時期に海外の音楽祭もありまして、そちらの事務局から申し込みがあるのを待っていたそうです。

それで、M響からの申し出があった時に保留にしていたそうですよ。もし海外の仕事が決まれば、M響の方は当然断ることになる。言い方は悪いが、二股をかけていたわけなのですよ。

これを事務局が気に入らなかったというわけです。突発の事故でソリストを変えなくてはならなくなったのですから、なるべく早くに広報で新たなソリストを紹介しなくてはならないのに、ぐずぐずと返事を引き延ばしているのでは待っていられない。
そのことが君を後押しする形にもなったわけです」

「そんなことがあったんだ」

悠季は初めて知る事情に驚いていた。

「その後、S氏が希望していた音楽祭のソリストも違う人間に決まってしまい、結局どちらの仕事にも恵まれなかったわけです。その逆恨みでM響のソリストを射止めた親方と推薦していたボスを恨む事になったらしいんですよ。まあ、彼自身は口に出してはいないようですが、周囲の人間がその代わりのように不満を言っている」

「そんな逆恨みをされてもなぁ」

悠季は困惑していた。

「話を聞いたテレビ局のプロデューサーが今回の企画を作ったそうですよ。企画書を目にするチャンスがあったんで読んでみたんですが、『才能あふれた若き天才』というキャッチコピーを使うつもりらしいですね。
視聴者はこの言葉に弱いと思っているらしい。
そして、対比する人間がいれば、より天才ぶりが強調できるというわけです」

宅島は悠季が顔をしかめるのを見て、うなずいた。

「番組の中ではボスのことも簡単に紹介されていて、『M響の定期公演での守村悠季の演奏は、天才指揮者桐ノ院圭の有無を言わさぬごり押しがあったためで、彼の才能と実績から判断されたものではない』とそれとなく誘導しているらしいです。その上で『若き天才』の才能を世界が認めたから、今回のコンクールの結果が出たのだと強調したいらしい」

「そんなばかなことあるわけない!抗議するべきじゃないのか?そんな番組を作るなんて、品位を疑うよ。僕の演奏のことだけじゃない、圭の音楽まで貶めているんじゃないか!」

「ええ、実に馬鹿な話です。しかしこちらが抗議すればかえって傷を深めることになりかねません。表向きはあくまでも二人のバイオリニストのコンクール挑戦という企画なのですから、あっさりしらを切られるでしょう。更には逆手にとって番組に使われかねない」

「それにしても、よくMHKがそんな番組を企画したもんだね。圭はM響の常任指揮者なのに。言わば身内を攻撃するようなものじゃないか」

「民放ですよ。クジテレビの系列局です。だから、MHKに縁が深いボスも攻撃対象ってことなんでしょうよ」

悠季の表情が曇っていく。

「・・・・・もしかして、この間のフルフォーカスの記事のことも関係している、とか?」

「さあ、そこまでは」

宅島は口をつぐんだ。圭ほどではないが、彼もポーカーフェイスを作るのはうまい。

「でも、ここまでの話では圭に何か問題が出来るとは思えないんだけど」

悠季はそう思いたいのだ。

例え悠季が落選し、S氏が優勝したとしても、あからさまに桐ノ院圭が才能もないバイオリニストを推薦したなどという汚名を着せることはできないのではないか?

「ボスが企画している音楽祭のスポンサーが、スキャンダルについて厳しい条件をつけているんですが、今回もしこの番組でいろいろと騒がれると、音楽祭自体が中止になるかもしれないんですよ」

「僕の方はそれでも構いません。しかし、それによって悠季にも傷がつく方が怖い。まして、この取材がストレスになって、コンクールに影響するのではないかと思うと、ぜひとも阻止したいと思っています。ですから、話を聞かせないつもりでした」

「でも、聞いてしまったしねえ」

ため息をついた。

「僕に聞かせないでなんとか事を収めようとしていたんだろうけど、どうにか出来るわけ?」

「ボスは何とか出来ると考えているようですが、俺は影響があると思っています。MHKならともかく、他局ではボスの影響力は少ない」

「じゃあ、どうすればいいと思う?」

「一番いいのは、親方が優勝してしまえばいいんですが。そうすれば、向こうも親方に才能がないなんて言えなくなるでしょう?」

宅島があっさりと言う。

「無理だよ!ジョークでもそんなこと出来っこない」

ぎょっとして、否定した。

言うだろうと思ったとでもいうように、宅島は苦笑した。

「でしたら、逆に積極的にこの話に乗りましょう。取材に応じるとなれば、放映される前の番組を検閲する権利がある。こちらに不都合な演出がされているようでしたら、変更出来るようきっちりと契約に盛り込んでおけば抑止力になります」

「なるほどね。虎穴に入らずんば・・・・・ってことか」

じっと考え込んでいたが、しばらくして頭を上げるとうなずいた。

「わかった。そういうことなら話を受けるよ」

「いいんですか?」

「うん、僕のために考えてくれたんだろうからね。宅島君、ちゃんと向こうに睨みを効かせてもらえるよね」

「ええ、まかしておいて下さい!契約はきっちりとさせますよ」

「僕のことだけじゃない、圭の名誉のためだ。安心して見られる番組にしてもらわなくちゃいけないからね」

「了解しました。詳しい内容はあとからお知らせしますが、親方の練習の邪魔もさせませんし、プライベートに首を突っ込むような真似は絶対にさせませんから」

「うん、頼むね」

悠季はほっとした様子で席を立って着替えに行ったが、自分が立ち去った後、宅島はこぶしを握って親指を上に突き出して『Good Job』のポーズをしてみせ、それを見た圭がひょいと片方の眉を上げてみせたことなど、まったく知らない。






悠季の気持を変えるにはどうすればいいか、いい方法を考え付いた二人。

その手を使うときは、効果を最大限に。



どこまでが二人の嘘か。どこまでが本当なのか。

正攻法で悠季を説得できなければ、裏から。

海千山千の二人にかかっては、素直な悠季はひとたまりもない。









幼稚舎からの腐れ縁。最強の陰謀コンビのファインプレイは今も続いているらしい。












バレンタインデーらしく、甘い話を書きたかったのですが、お話のネタを恵んで下さる神様は、どうやらコンクール関係のネタばかり降らせてくれるようです。(笑)
次の新刊ではいよいよコンクールのお話になるでしょうから、書ける今のうちに妄想暴走のお話を上げておきます。









2010.0214 up