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僕の名前は、桐ノ院圭。
いや、 桐院有でもある。
・・・・・しかし、どちらでもいいことだ。
どちらも僕の本質なのだから。
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・・・・・んぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ・・・・・
どこかで子供が泣いている。
僕は起きる瞬間に見ていた悪夢を思い出して身震いした
うるさい!
せっかくよく眠っていたというのに、これでは眠れないではないか。いったいどこに赤ん坊がいるというのだろう?
だが僕はその声の出所が自分ののどであり、自分が泣き叫んでいたことに気がついた。
・・・・・これはどういうことだ?
僕が戸惑っていると人が近づいてくる気配がする。
「どうかしたのかい?」
僕が目を向けると、目の前には優しい微笑を浮かべた悠季がいた。
ああ、悠季。僕は怖い夢を見てしまいました。
だが、その言葉は僕の口から出ることはなく。
彼は僕の下半身をごそごそと触って・・・・・!
何をやっているのですか?悠季!?
「んー。オムツは濡れてないね。怖い夢でも見たのかな?」
悠季は僕を軽々と抱き上げると、ぽんぽんとやさしく背中を抱いてあやしだした。
悠季が僕を!?
悠季は僕をやさしく揺すりながら部屋から出て廊下へと歩き出した。廊下には姿見用の鏡があるのが見えた。どうやらここは桐院屋敷の中らしい。
そして、僕は鏡の中に写る自分の姿を見て・・・・・!
愕然とすると共に自分が今置かれている状況を知った。
僕は今、赤ん坊の姿になっている!?
「有、ようやく泣き止んだよ」
僕は呆然としていただけだったのだが。
「あら。有はお父様に抱いていただくのが本当に好きなのね。悠季さんが抱き上げるとすぐに泣き止んでしまいますもの」
小夜子の優しい言葉にじりじりと腹を焼くような嫉妬を覚えた。二人のやりとりには育まれてきた愛情の深さが感じられたので。
「そうなのかい、有?」
悠季はそう言って僕をあやす。
悠季の子供ですって!?
その言葉は僕を絶望の淵へと追いやってくれた。どうしてこうなってしまったのか?
ふいに僕は思い出した。暗く深い川の水際で光一郎氏とやりとりをしたことを。
――それでは僕はもう悠季の元に帰ることは出来ないのですか?僕は戻りたい!悠季のところに戻りたい!!――
必死に彼に願い、懇願した。
そして・・・・・僕は光一郎氏からの提案を承諾した。
僕は転生し生まれ変わったのだ。だが、悠季と小夜子との子供として、だ!
悠季の顔を見たときのその歓喜と絶望。
この世へと舞い戻ってくることが出来て悠季と再会できたことへの喜びと、悠季に僕が生きていることを伝えることが出来ない絶望。
僕は今も伊沢邸のどこかにいるはずの光一郎氏に恨み言をぶつけた。
――圭さまはどんな方法でも構わないとおっしゃいましたね。どんな姿になろうと、悠季のそばにいられるならそれで本望だと――
彼はそう答えてきた。
ええ、確かに僕はそう言いました。言いましたが、これでは元のような恋人同士に戻ることはかなわないではありませんか?
悠季が謹厳なモラリストであることは、彼と恋人同士になる前から重々承知していたことだ。僕が彼の息子として生を受けてしまったとなれば、悠季に父親と息子という垣根を越えて愛し合うことが出来るとは思えない。
僕は黙って彼の姿を見守り続けていくことしか出来ないのか?
冷静になって考えればメフィストフェレスと取引したのかもしれないと思わないでもない。たとえ光一郎氏にその気はなかったとしても、だ。
今となっては皮肉な結果を生んだ取引だったのだから。たとえ悪魔が糸を引いていなくても運命の皮肉な女神が裏で画策したことは明らかだ。
彼の息子としての立場というものは、絶望の思いがあきらめに変わっていくにつれ、次第に受け入れられるスタンスになってきた。むしろこのままでもいいのではないか?と。
恋人であった僕のときよりも、息子になった僕のほうが無条件に甘え悠季を誰にはばかることもなくわがままを言うことが出来るのだから。
僕が望むだけ甘やかしてくれ、僕が望むだけ抱きしめてくれる。なによりも離れることのない血の絆があるではないか?
いつの日か悠季が僕に愛想をつかし、僕に別れを切り出すのではないかというおびえに真夜中に突然飛び起きるような恐怖はもうやってこない。
そんな悪夢を見たとしても、僕は見栄も外聞もはばからず彼に抱きついてなぐさめてもらうことが出来るのだ。抱きしめている僕を見ても周囲の人間はこう言うだけだ。
『有ちゃんは、お父さん子なのね』
いかにも、ほほえましいことだと。
『桐ノ院圭』としての記憶は、僕の中にいつも鮮明に存在するわけではない。赤ん坊のままの肉体には限界がある。
圭としての意識は眠りの底に沈みこんで、ゆるりゆるりと夢のように現実を見ていることが多く、時折表層に浮かんでくる程度だ。
だから僕を見ているものが僕を赤ん坊以外のものに見ることはない。せいぜいが大人びた賢い子供だと思う程度だろう。
僕はうつらうつらと静かにただよいながら、幸福で平穏な悠季との日々を過ごしていった。このまま一生僕は桐ノ院圭の生まれ変わりだという記憶を封印し、桐院有として生きていくつもりになっていた。
「父さん、どこにつれてってくれるの?」
僕は悠季の運転する車に備え付けられた二つのチャイルドシートの一つに身を押し込みながら聞いた。父である悠季はその隣のチャイルドシートに愛用のバイオリンを装着していた。
「前々から連れていって欲しいって言われていたところだよ。でも有は小さすぎるからって今まで連れて行かなかったんだけどね。五歳じゃオーケストラの練習を聴いていても判らないだろう?」
「そんなことないよ!あ、そうすると、きょういくとこってもしかして、フジミ?」
「そうだよ」
悠季はあっさりと答えてくれた。
「今夜の練習はないんだ。でも、家族も含めた親睦会ということで僕も君を連れて来いってみんなに厳命されちゃってねぇ」
僕のバイオリンはリクエストで弾くことになっているんだよ、と楽しそうに話してくれた。
「ありがとう、父さん!いってみたかったんだ!」
現在の僕は悠季のことを父さんと呼ぶ。小夜子のことは母さまだが。
これは僕がもっと幼かった頃、彼を父さまと呼んで困った顔をした時以来の呼び方だ。
「有。僕は父様と呼ばれるほどいい父親じゃないと思う。でも父さんくらいならなんとか出来そうな気がするんだ。だから、これからは父さんと呼んでくれないかな?」
そう言って僕に『父さま』と呼ばれることをやめさせた。
悠季らしいことだった。
彼はきっと今も小夜子と結婚したことを後ろめたく思っているのだろう。この結婚が、亡くなった(と信じている)僕への裏切りに思えるのかもしれない。それが原因で、もうこの頃には小夜子との関係がぎくしゃくしているのを感じていたし、このまま別れてしまうことも充分僕には予想がついた。
悠季は独身に戻ることになる。
最愛の人が独身でいてくれることをうれしく思わないではなかったが、小夜子と別れ、彼が桐院屋敷を出て行くとなると、会えなくなる時間が今よりも更に多くなってしまうだろう。それは僕にはつらい。とは言っても、今の僕には何の発言権もないのだが。
僕は悠季の心があやうすぎるのが心配だった。
いまだに彼の寝室の引き出しに入眠剤と抗鬱剤が入っているのを知っている。
眠っているときの悠季の青い瞼にわけもなく不安を覚えてしまう。
こんな彼を、誰が真剣に見守ってくれるだろう?
あの伊沢邸の中でたった一人でいることになる悠季が切なくて、僕は考えるたびに身をよじるような思いを味わっていた。だが、今は光一郎氏に頼るしかないのだろうか。
悠季は富士見ホールに着くとバイオリンをチャイルドシートから外してストラップを肩にかけると、片腕でひょいと僕を抱き上げた。
「ぼく、あるく!」
バイオリンを持っている手を心配して言ったのだが、悠季は楽々と僕を抱いたまま建物の中に入っていった。
「このあたりは暗くてつまずきそうだからね。中に入ったら降りてもいいよ」
そう言って、僕には懐かしいホールの中に入って行った。
ああ、内装が少し変わっているようだ。僕は周囲を眺め回した。
ホールが出来てから一度改装がされたと聞いていたが、さほど以前と変わっていないようで記憶にあるホールと違和感はほとんどない。なんとなくほっとする気がした。
「お待たせしました!皆さんお待ちかねだった僕の息子の、『有』です!」
悠季が練習場に入っていくと歓声が上がった。既に中はささやかながらクリスマス会の飾り付けがされていた。まだ本当のクリスマスには日にちがあるが、全員が参加するような親睦会だということでこのあたりの日が選ばれたのだろう。
「まあ!桐ノ院さんにそっくりじゃないの!」
最初に華やかな声が僕たちに近づいてきた。
ええ、川島くん。君も変わりがないようで何よりです。
「きゃ〜!かわいい〜。きっと桐ノ院さんの小さい頃もこんなかわいい子だったんでしょうね〜」
春山くんは、昔も今もしゃべり方が変わっていませんね。
「へぇ!本当だねぇ。有くんだったね?」
石田くん。白髪が増えたようですがお元気そうで、結構なことです。
「あれじゃないっすかね。息子は母親に似るってやつ。小夜子さんもコンとよく似た顔立ちされてたっすよね」
五十嵐くん。どうやら腹の辺りに貫禄がついてきたように思えるのですが?
次々に僕の顔を見に来るフジミの諸君の顔に僕は感無量だった。思わずぎゅっと悠季のジャケットの襟を掴んだのを、人見知りしたと思ったらしい。
「少しびっくりしたようですね。いつもならもっとしゃべる子なんですが」
「ああ、ごめんごめん。こんなに小さい子なんだから大人がいっぱい寄ってきたらおびえちゃうよね」
石田くんがあやまって、僕の頭をやさしく撫でてくれた。悠季は下ろしてくれという僕のしぐさをすぐに分かってくれて、床へと下ろしてくれた。僕は悠季のズボンをぎゅっと握り締めて離さないままで、きょろきょろと周囲を見回していた。
なつかしいフジミの諸君。中には僕の記憶の中にはいない何人かの団員たちもいるようですが、今もフジミは活動が活発のようでほっとしました。
「どうした、坊主?今日はお父さんのお供かい?」
不意に顔を覗き込まれてぎょっとなった。
ああ、飯田くんでしたか。この間より白髪が増えているようですが、目尻の笑いじわは今も感じがいいですね。
「飯田さん。この子はここに来るのが初めてなんですから、脅かさないでやってくださいよ」
「おや。飯田さんは有ちゃんのことを知ってたの?」
石田がそういうと、周囲からも同じような声が上がった。
「ええ。前にたまたま会ったことがあるんですよ。そのときにこの坊主から、桐ノ院圭と同じように指揮者になりたいという野心を持っていると聞かされたんですがね」
とたんに周囲から『へぇ〜!』という大合唱が起こった。
「有くんはどうして指揮者になりたいの?」
「ぼくはまだがっきをひけないけど、あのぼうをふるだけだったらできるから」
とたんに大爆笑になった。
「守村ちゃん、彼に桐ノ院くんの演奏を聴かせたことがあるの?」
「いえ、一応CDやDVDは屋敷にもあるとは思いますが、有は聴いたことはないと思いますよ。でも、彼は有名人でしたから、周囲の誰かからうわさ話を聞いたことはあるのでしょう」
なるほどね。と言いながら石田はうなずいた。
「有くん、君が大人になったら指揮者としてぜひフジミを振りに来てくれる?ここは不死身のオーケストラだから何年経ってもここでちゃんと活動しているはずだからね」
「はいっ!きっときます!」
僕は約束した。
ええ必ずここに戻ってきます。
また悠季と諸君と共に、音楽を作り出す喜びを共有するために。
やがて僕の推測どおり小夜子と悠季は離婚することになり、悠季は伊沢邸に戻ってまた一人で生活するようになってしまった。
しかし僕は息子であることを盾にとり、悠季が日本にいるときにはたびたび伊沢邸を訪れ、一緒に伊沢邸で過ごしてくれるように悠季にねだった。食事を作ってもらい一緒に風呂に入り、一緒のベッドで眠る・・・・・。
充分に満足できるものではないか?たとえそれが『情愛』というものであり、折々の生活の中にセクシャルな色がついていなくても、それはそれで構わないではないか?
悠季は、まるで水に映る月のように、目に見えそこに存在していても、手に触れることも抱きしめる事も今の僕には叶わないことだ。
そのもどかしさは、大人に近づくにつれていらだちとなり、僕はまた邪な考えをもてあそび始めている。
そう、曽祖父である桐院尭宗が予言したように。
現在僕は十四歳。桐ノ院圭であるときには初体験をしている年齢だ。いまいましくも思い出したくない、女との関係ではあったが。
僕の肉体が成熟していくにつれてセクシャルな情動が目覚め始め、自分の中に巣食っている暴れ虎のような肉欲の存在を忘れていたのを知った。
悠季を襲い強引に抱いてしまうではないかという不安にさいなまれるようになってきたのだ。
こうなると自分が怖くなってしまい、悠季から逃げ出して欧州に留学して念願だった音楽の勉強を始めることにして何とか恐怖から回避した。
だが、時が進むにつれ僕の心は更に変質していく。
今朝ほど、現在の母親である小夜子から僕のもとに電話があった。伯父である桐ノ院圭の法事をやるから日本に戻って来るようにということだった。
皮肉なことだ。自分の法事に出席することになるとは。しかし、日本に戻って法事に出席することになれば、悠季と会うことが出来る。
僕は鏡を見る。
そこに写っているのは、もう無邪気な桐院有ではない。
うっそりと笑っている、桐ノ院圭 そのものだった。
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キリ番リクエストいただきましたF子様、ご希望の
「水底の歌」の外伝です。
リクエストありがとうございました!
リクエストいただきましたF子様のサイト、「FLOWER GARDEN」
はこちらです。 FLOWER GARDEN
使わせていただいているイラストは、「Fujimist Fan」のさくら様の描かれたものです。
この絵を初めて目にした時に、「これが欲しい!」と狙っておりまして、(笑)
ついに「おたくの息子さんを私に下さいっ!」とおねだりしてしまいました。(≧∇≦)
快く承諾していただいた上に、お色直し(笑)したイラストを頂きました♪
わがままを聞いていただきまして、ありがとうございます!
やんちゃでかわいい圭ベベが現在進行形で増殖中(笑)の「Fujimist Fan」様のサイトはこちらです。 Fujimist Fan
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※ 注記
現在、どちらのサイト様も閉鎖されております。
2005.12/13 up