lunatic

月










ルナティックという言葉がある。

月の狂気、という意味だ。

太陽を月が反射して地球から見た光でしかないはずなのに、そこに人は脅威を感じた。

満月の夜は月に魅入られてはいけないよと。

現代では、人の精神にまで影響を及ぼしていたのは、光ではなく、月からの重力のせいだと解明されている。

・・・・・はずなのだが、こんなふうに皓々と明るい月を見ていると、先人たちの教えもあながち間違ってはいない気がしてしまう。








――― 悠季がいない。

彼は今、長期のコンサートツアーに出かけていて、帰ってくるのは10日先。

しかしもしかしたら、サロンコンサートが追加されてもう少し長くなるかもしれないと、先日の電話で告げられていた。

ベベである自分や悠季依存は克服してあるはずなのに、こんな夜はざわざわと心が落ち着かなくて、悠季の姿の痕跡を求めて、さまよい歩くことになる。

彼の笑顔も見られず彼の笑い声も聞けないならせめて残り香だけでもと、探そうにも彼の匂いの残っているようなものは全て僕がクリーニングしてあってどこにもない。

だがそれは僕が考えあってしたことで、誰を怨むわけにもいかない。




彼が出かけてすぐに、僕は家の中全てを掃除し、きちんと整えた。

二人が名残を惜しんで夜を過ごしたシーツはもちろん、彼が着ていたパジャマや枕カバーなど、全て。

以前一回悠季の匂いが残るものを残して、彼が帰ってくるまでの心の支えにしようとしたことがあるのだが、これはかえって彼がいない寂しさが増すことになってしまった。

悠季の声が聞きたくて、彼の細くしなやかなからだを抱きしめたくて、甘い匂いに満たされたくて、欲しくて欲しくて・・・・・!

心がひどく飢え渇いてしまうことになった。

彼からの電話があった時、僕の声があまりに情けなくて、勘のいい彼から心配されてしまうほどに。

なんとかその場は言い繕ったが、僕の言い訳を聞いてはたして本当に騙されてくれたのかどうか。

いつもよりも予定を繰り上げて戻ってきてくれたのは嬉しかったが。

それからは懲りて、彼が出かけてから戻ってくるまでの間、必要以上に彼を欲しがることのないように自分を抑える術を覚えた。

彼がいない間、なるべく多くの仕事を詰め込んで忙しくしておき、彼が帰って来た時に時間を空けられるようにした。

勉強する曲を集めておいて、集中してやるようにもした。

そうやって、コンサート活動が始まった悠季の不在を乗り越えることを覚えたのだ。

それでも彼が帰ってくる予定日の10日前くらいからはそわそわと落ち着かない日々が始まることになる。

宅島に毎回それとなくからかわれてしまうのは、まあ仕方ないとしようか。

3日前、2日前は彼が帰ってきてから何を準備しておけばいいのか、あれこれと楽しく思案することで過ごすことが出来る。

前の日ならそれこそ『明日は悠季が帰ってくる!』という呪文が僕を支えてくれる。

しかしそれまでの数日間がたまらないのだ。

何を見ても、何をしていても切なく苦しい。

それをなんとかしのぐために、僕は寝室に隠しておいた写真を取り出すことになる。

悠季に見せたらそれこそ禁帯出どころの話ではなくなるであろう写真のあれこれを。

彼がいない間だけ、寝室の壁に貼りだせるだけ貼りだして、心の慰めとする。

もっともこの屋敷は昭和初期に作られたものだから壁に直接貼りだすことが出来ない。

ピンが刺さらない為に、特別な仕掛けが必要になる。

クローゼットの奥に仕舞ってある大きなコルクボードを壁に取りつけてから、写真を並べていくことになる。

もちろん、写真の並べ方や順序にもこだわりぬいて。

悠季がこのコルクボードを見つけた時には、いったい何に使うのかと首をかしげていたようだが、僕を問い詰めてきたので、その理由をしぶしぶ聞かせると腹を抱えて笑っていた。

まあそれでもいい。悠季が僕の行為を暗黙のうちに承諾してくれたということだから。

今回のコンサートツアーに出かける前に撮った写真を以前のもの数枚と入れ替えて、バランス良く飾った。

以前は写真を撮ると必ず現像に出さなくてはならなかったが、今は自宅で手軽にできるのはとてもありがたい。

おかげで僕は悠季が眠っている時にこっそりと、彼の魅惑的な姿を撮りためることも出来るようになった。

他人の手にさらすことは出来ない、悠季の艶姿を。

さて、今夜の僕の友はどの写真にしてみようか。





僕は写真を手に、ベッドの上に座り込んだ。

あちこちにキスマークをちりばめ、まだ恍惚として余韻醒めやらぬといった風情のまま気を失うようにして眠りに落ちた悠季は、実に色めかしい。

しっとりと汗で髪が貼りついた額や無造作に投げ出された腕、すっかり力を失っている彼のモノまで映像に残すことができた。

出来る事なら、『最中の』快感に溺れている表情や興奮に染まった肢体を撮りたいと願っている。

もっとも、彼にこんなあれこれを実際に言い出すことはできないのは実に残念ではある。

提案したとたんに顔色を変えて却下されるのは間違いない。常識的な彼は考えただけで真っ赤になって拒絶することだろう。

快楽に呑みこまれて、快感を追う事に夢中になっている時は浮かされ、僕の言葉に流されてくれることもあるだろう。

しかし朝が来て昨夜の事を思い出したときどうなるか。

恥ずかしがるか、それとも落ち込んでしまうか。

そうなったら彼を誘惑するメフィストフェレスになった気分となって、ひどく困惑することだろう。

いや、もしかしたら怒って口も利いてくれなくなるかもしれない。

それでは本末転倒だ。

だから、涙を呑んであきらめている。

だがもし・・・・・デジタルカメラにシャッター音がほとんど聞こえない機種が出てきたならば、こっそりと隠し撮り、いやいや、試し撮りすることを考えてみようか・・・・・?




―――― 懲りないことだ。











彼の興奮が高まっていき、喉をそらしてけいれんするようにして絶頂を極め、得も言われぬような快感を得ているのが分かる恍惚とした表情を撮ることが出来たら、どんなに色めかしい写真になることだろう。

普段の彼はセックスなどまったく考えられないような清純さを持っているのだが、ベッドの中で快感に身を委ねているときには強烈な色香で僕を誘惑してくれるのだ!

特に彼の色白な肌に、僕がつけた赤いみみずばれが浮き上がってきたときの艶めかしさはたまらない。




―― ごく稀にだが、ぼくがねだった時、悠季は縛ることを許してくれることがある。



恥ずかしい姿態をさらけだして、肌が染まっていく様は格別だ。

潤んだ瞳が焦点を失って、盛り上がった涙があふれて頬を伝う。

半開きになった唇が赤く濡れて、扇情的に舌が翻る。

下肢はせわしなくシーツを乱し、痙攣するように投げ出されてしまう。

しなやかな腕はよじられて、シーツにきつくしわをつけていく。

僕はその腕を抑えて、更に深く彼をえぐり、甘い悲鳴を上げさせるのだ。


ああ、今度彼を縛るときには、赤いしごきを使ってみようか。

幅広で彼の肌を傷つけないようにごくごく柔らかな極上の絹を使ったしごきを。

紅色の綸子か縮緬のしごきがいいだろうか。

きっと似合うに違いない!

僕は脳内のメモ帳に購入するべき品物を書きつけた。

普段なら絶対に言わないようなたぐいの言葉を、彼の耳元に吹き込んであげると、敏感に反応し涙をこぼしながら更に激しく燃えてくれる。

僕にこんな被虐趣味があったのかと驚いてしまうほどのめり込む事になって、次の朝は悠季に恨まれてしまう事も、また。

それもこれも、悠季の愛情と寛大さと何より感じやすいからだが僕を駆りたててしまうのだ。

そんな、情事の最中の写真を撮ってみたい。





いや・・・・・やめよう。

彼のそんな姿を見られたとしたら、不在中の僕の渇きは更に増してしまうかもしれない。

甘い声が欲しい!彼の体臭が欲しい!彼のなめらかな肌に触れたい!

慾はきりがないのだから。

悠季自身でなければ癒すことのできない渇きなのだから!

電波を通しての声や、残り香や単なる写真だけの代用品ではだめなのだ。

こんな夜の妄想は月の狂気のせいにすることにして、僕は悠季がいない夜をやりすごすためにまた悠季の写真を壁一面に貼る。

心の寂しさを紛らわせるために。

窓の外には丸く青白く輝く、夜の友。

その光に肌をさらしながら、わが身に手を伸ばし、目を閉じた。

悠季の甘い肢体を思い浮かべながら。









※ しごき : しごき帯の略。広めの布を折ったり縫ったりせずに使う紐。七五三の女の子の装飾用の腰帯や、兵児帯を思い浮かべていただければ分かると思います。













怖い話を書くつもりが、いつの間にか桐ノ院さんが変態(うふ♪)という話になってしまいました。(爆)
でも思い出してみると、本篇の中で二人はソフトSMっぽいこともやっているみたいですから、
これくらいのことは

「当然やっていますとも。何か?」

とか言われそうですけどね (*´∀`*)





2011.10/31 UP