東銀座編 |
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このところ僕と悠季の演奏活動は順調だ。
となると当然ながら多忙で、二人のスケジュールが合わないことが多い。
僕が日本に居る時に悠季がパリへと演奏旅行に出かけてしまったり、悠季が学校へと出かけているときに、僕がアメリカへ出かけて指揮していたりする。
それでも何とかして二人のスケジュールをすり合わせ、ようやく短い逢瀬を作ることに成功した。
その日、僕たちは銀座で待ち合わせて、久しぶりのデートを愉しむことになった。
あいにくと僕の方が用事があって待たせる形になってしまったが、悠季はそれでも構わないと言ってくれたのだ。
二人とも都心で仕事があり、夕方に銀座の楽器店を待ち合わせの場所にした。
悠季は少なくなってきた手持ちの弦を買い足すつもりだと言い、他にもバイオリンを試し弾きしたり好みの楽譜を探したりして時間をつぶすことが出来るからとのことだった。
喫茶店などにしなかったのは、このところ顔が売れてきた悠季に声をかけようとする若い女性が増えて来たからで、少なくとも一人ぽつんと待たせているよりは安全だろうと考えたのだ。
だが、そう安心もしていられないことに気が付いたのは、僕が待ち合わせのフロアにようやく駆けつけた時の光景を見た時だった。
何人ものファンらしい若い女性に囲まれ、困ったような顔で矢継ぎ早に繰り出される質問に答えている悠季。
彼女たちは遠慮というものも知らない様子で、悠季に迫っていたのだ!
しまった。悠季のファンとなれば、当然音楽が好きで楽器店にも足を運ぶだろうということを予想していなかった。
「それで、ウィーンでのコンサートはどうでした?ベルリン・フィルとの初共演だったんですよね」
「いい出来だったと思いますよ。演奏したブルッフの評判もよかったようですし」
「今度日本でも演奏されるんですよねっ?」
「あー、そうです。3月に初台のオペラシティで演奏する事になっています」
きゃー!というけたたましい歓声がおこる。
静かにしたまえ。ここは店の中だ。他の客に迷惑になるではないか。
「他にも演奏会のご予定は入っていらっしゃるんですよねっ?」
「ええ、まあ。幾つかは」
「教えていただけませんか?」
「今はちょっと・・・・・詳しい事はマネージャーに聞かないと分からないので」
「もしよければ後でメールしていただけないんでしょうか。よろしければ私のアドレスをお教えしますけど」
なんですって!?この女性は僕の悠季に何を言い出すのか。
「いえ、それはまずいですよ。ええと、僕のHPをお教えしますから、そちらで調べて貰えませんか」
「きゃあ!新しくHPを作られたんですね!今度見にいきます!あの、もしかしてツイッターもされてます?」
「あー、そちらまでは手を出していませんね」
「でも、ファンレターとか受け付けてますよね?HPにメールアドレスはあるんでしょう?」
「マネージメント事務所のものなら置いてありますけどね。そちらからファンレターを受け付けていますよ」
「でも・・・・・」
ひどく不満そうな表情は、何を意味する。
「それじゃあ、守村さんはどんなものがお好きなんですか?今度花束と一緒にお渡ししたいんですけど」
「ああ、いえ。特には・・・・・」
悠季が優しくて女性たちを冷たくあしらう事が出来ない事をいいことに、どんどんプライベートに踏み込もうとしているようだった。
これ以上は黙って聞いていられない。
「悠季」
「や、やあ」
ファンたちには嬉しそうな顔を隠そうとしながらも、僕の方を見てほっとした笑みを浮かべた。
「遅くなりました。約束の時間に間に合いません。急ぎましょう!」
彼女たちから奪い返すべく、彼をうながした。
「え。ああ、うん。そうだね。それじゃあ行くところがありますのでこれで失礼しますね」
「はあい。次のコンサートもがんばってくださいね」
悠季はにぎやかに送りだしたファンの女性たちに手を振って歩き出した。
背後から彼女たちの話が聞こえてきた。
「ねえねえ、今の人って桐ノ院圭よね?指揮者の」「あの噂、本当だったんだー!」
などと、熱心にささやきあう声が。
ああ、いいことを考えた。
ぐるりと店の中を見回してみると、彼女たちの他には客らしい人影は奥の方にいてこちらは見ていない様子。
店員も・・・・・同様らしい。
では。
僕は悠季の腰に手をまわしてきっちりとエスコートの姿勢をとってみせて、その場を離れた。
「きゃー!♪」とか「うそォ、いゃーん」「見ちゃった〜!ラッキー」などと、声を抑えてはいたが確かに歓声が上がっていたから、僕の牽制は理解されたようだ。
僕たちが恋人同士だということがファンの間では暗黙の了解として定着してきたのだろうか。
ふむ。見せびらかすことが出来たのだから、けたたましいファンも存在も今回はまあいいとしようか。
「来てくれて助かったよ。僕のファンだっていうからむげにも出来ないし、どうしようかって思ってた。どうも僕は人あしらいが今も苦手でさぁ」
今の一幕を悠季は気がつかなかったようだ。
「さっきの時間がどうとかって、どこかに行く用事があったっけ?」
「あれは君をあそこから逃がすための口実ですよ」
「あ、やっぱり」
悠季がくすぐったそうに笑った。
「きっとそうだと思ったよ」
失敬。僕は君の事に関しては未だに心の狭い男のままのようです。
「ところで、久々のデートだけど、何処か予定はあるの?」
「そう・・・・・ですねぇ。たまには気ままにぶらぶらと歩きますか」
「じゃあさ、この先にある木村さんの画廊に行ってみない?秋山先生の創作人形展がまた開かれるそうでね。正式には明日からだそうなんだけど、今日はプレ・オープンということで内々で開いていると教えて下さったんだ」
「画廊『はなだ』ですね。君のファン・クラブ会長がオーナーだという」
「うん、そう」
「君の話を聞いて興味がありましたよ。行ってみましょうか」
僕たちは機嫌よく東銀座にある画廊へと足を向けた。
「まあ、良く来て下さいましたわね」
「お招きありがとうございます。拝見させていただきます」
木村刀自はしゃれた大島をあっさりと着こなした姿で僕たちを迎えてくれ、途中二人で選んだ花束を渡すと快く受け取ってもらえた。
「どうぞご自由に見て行ってくださいな」
「ありがとうございます」
挨拶をすませると、彼女は他の客の応対に廻っていき、僕たちは並べられている人形たちを眺めていった。
以前悠季から見せて貰ったパンフレットでこの創作人形作家の事は見知っていたが、実物を見ると洗練された造形と物語性のあるポーズとが相まって美しく見飽きない。
小さな声で互いに感想を言い合いながら見て廻っていたが、そこに横から小さな声がかかった。
「あの、バイオリニストの守村悠季さん、ですよね?」
「え?ええ、あの、そうですけど」
「あの、あのっ!ファンなんです!」
女子大生くらいだろうか。顔を赤くした若い女性が声を震わせながら話しかけて来たのだ。
「プライベートのときにごめんなさいっ!で、でもお会いできるチャンスってなかなかなくって。すみません、あの、よければサインと・・・・・それから、握手して下さいませんか?」
「あー、僕でよければ」
「ありがとうございますっ!」
彼女は急いでバッグからスケッチブックらしいものを取り出して悠季に渡した。
「色紙じゃなくてすみませんけど」
悠季は照れくさそうにサインして返し、握手したのだが、彼女があまりにも嬉しそうに目を輝かせているのを見て、僕の腹の虫の居所がいささか悪くなってきた。
ファンと言いながら、どうもなれなれしすぎないか。こうなったら先ほどのように彼女に牽制を仕掛けようかと考えていたところに、ポンと背中をたたかれた。
見るとオーナーの木村刀自だった。まるで僕が何をしようとしていたのかを知っているかのように、目線で止めて少し離れたところへとうながした。
「いけませんよおいたをしちゃ」
かるくにらんでみせる。
どうやらこの人も僕の母と同じく、苦手の部類に入ることになるらしい。
「お連れ合いに人気があるのはいいことですよ。ですから、それを笑って見ていられる寛大さを持たないとね。少々の悋気は可愛げがありますけど、度を過ごせば男を下げますよ」
僕が考えていたことなどお見通しということか。
「悠季さんのいいところは気持ちが綺麗なもので、うぶで恋の手管にうとくって少々鈍いところが愛らしいんですよ。なのにわざわざ教えて世俗の垢をつけなくてもよいでしょう?」
「・・・・・肝に銘じます」
「仲がよい事はいいことですけどね」
にっこりと笑って釘をさし、彼女は立ち去って行った。
やれやれ、まだまだ修行が足りないといったところですか。
「圭、どうかした?」
ファンと名乗った女性と別れて、悠季がこちらへと戻ってきてくれたが、僕の表情を見て心配そうな顔をしていた。
確かに、この人の笑顔を曇らせるようなことはすべきではなかったではないか。
彼は誰よりも大切な存在で、何よりも僕の心の癒しを与えてくれるひとなのだから。
大丈夫。今度はちゃんとわきまえましたよ。
「なんでもありませんよ。それよりそろそろおいとまして食事に行きませんか?」
「うん、そうだね。どこかこの近くに美味しい店を知ってる?」
「ええ、この先に美味しい和食の店を知っていますよ」
「それって懐石料理?」
「懐石というよりは創作懐石というべきでしょうね。例えば・・・・・」
僕たちは何気ない会話を楽しみながら、夕闇が深まっていく東銀座の街並みへと歩き出していった。
フジミ・ソルフェージュに掲載されている『レッツ・デート!』の東銀座編を目指してみました。 なるべく甘いものを・・・・・と思ったのですが、私の腕ではこれが精いっぱいのようですσ(^◇^;) |
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2012.8/30 up |
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