圭がまたスポーツジムに通いだしている。
以前は泳ぎに出かけていたけれど忙しくなってしばらく休んでいたのを、暇を見つけては通うようになっているんだ。
富士見町に居るときだけかと思っていたら、地方や海外へ出かけた時にも暇を見つけてはホテルや近くで見つけたプールで泳いでくるそうだ。
実はこれは僕のせいもあるんだよな。
コンクールの準備のためにほとんどの時間をバイオリンの練習に費やしているせいで、食事がひどく貧しくなってしまって、気がつけばひどく痩せてしまっていて。
心配した圭が毎食に気を使ってカロリーが高くて消化吸収の良い食事を用意してくれたせいだ。
僕の方はおかげでようやく標準体重に戻ってきたんだけど、問題は圭の方。
食事はいつも同じメニューを二人で食べていた。僕につきあって同じ食事を摂っていたなら、いくら体格が良くて新陳代謝がいい彼でも体重がそれなりに増えてしまう。
太ったと言ってもさほど外見に変わりがあるわけじゃない。
少し動作にキレが無くなったように感じたことと、あごのラインが少し丸みを帯びたように見えただけだ。
とは言え、身なりや体型にも気を使っている圭にとっては、僕のからかいは堪えたのだろう。
悪い事をしたと思っているけど、あれは言い訳させてもらえば、タイミングの問題もあったんだよな。
いくら僕が回復して性欲まで戻ってきたからといっても、由之小路くんの前でいかにもって顔をしていたんだから。
いくら彼が訳知りだってさ、あからさまに嬉しそうな顔をしていたらまずいって。
せっせとジムに通っていた甲斐があって、すぐに体重は元に戻ったらしいけど、体調管理のためにも今も空いた時間があると出かけている。
今日もそうやって出かけていて帰ってきたのだけど・・・・・。
夜になって、彼のいつもの就寝スタイル、裸になってベッドに入ろうとしている背中を見たら、見なれない傷がついていた。
・・・・・もしや、誰かにつけられたんじゃないんだろうね?
圭が納得の上でのことではなくても、誰かにちょっかいをかけられたりして。
だってしゃくだけど、圭がもてるのはよく知っているからね。
とは言え、僕だってそれをストレートにいうつもりはない。こういうことは婉曲にね・・・・・。
「圭、そこ、プールかどこかでぶつけたのかい?赤くなってるよ」
「いえ、別に記憶にありませんが・・・・・。どのあたりですか?」
「このあたり」
僕が触ったのは圭の背中から左の脇腹のあたり。
赤い筋が何本か走っている。圭はくすぐったそうに身をよじっていたけど、触られた場所を知って苦笑しながら言った。
「ああ、これならプールでついたものではありません。昨夜君がつけたものですよ」
「僕が!?」
ぎょっとなって見直してみると、確かに昨夜僕がつけた引っかき傷にも思える。
濃厚なセックスに夢中になっていて、ついには気を飛ばしかけた時、必死でしがみつくようにしていたことを思い出した。
傷が背中の両側についていないのは僕がバイオリニストのせい。
左の指は弦を抑えるために爪を短く切りそろえてある。右も切っているけど、左ほど深くは切る必要がないので、普通なんだ。だから爪痕は左手の分しかないんだろう。
「もしかして圭、これを見せたままプールに入ったのかい?」
「はい」
うわ、まずっ!
今気がついたけど、よく見たら鎖骨のところにも薄く赤い痕があるじゃないか!
これって間違いなく見た人にはキスマークだってばれるだろう。
「別に痛みはありませんし、問題はないでしょう」
平然として圭が言ってのけたので、僕は頭を抱えてしまった。
「これじゃあ昨夜君に何があったか想像出来ちゃうじゃないか」
「構わないではありませんか。おかげで恋人がいることが分かって、女性たちに余計なアプローチを受けずに済みますよ」
…ちょっと待った!それって問題発言じゃないかい!?
「圭、君ってプールサイドでよくナンパされてるのかい?」
すると彼は肩をすくめて苦笑してみせた。
「このところ新規に入ってきた女性会員がかなりいましたのでね」
って、僕の心配は杞憂じゃなかったんだ!
「何人かが僕に声をかけてきましたが、当然全て断わりました。噂は他の女性たちにも伝わっているでしょうし、それにこういうお守りもありますから、次からは落ち着いて泳いでいられます」
いや、そういう問題じゃないと思うぞ。
「僕は君のものです。誰にも手を出させたりはしませんよ」
うわ。耳元で悪辣なセリフをささやくなよ。
「それとも、僕のまわりを見張るためにご一緒されますか?気分転換するには良いと思いますよ」
「い、いや。遠慮しておく。僕はジョギングの方が好きなんだ」
別に泳ぐのが嫌いなわけじゃない。メガネがないと見えにくいのは確かだけどね。
そうじゃなくて、すぐに一緒に出かけたりしたら、圭の傷の犯人が誰なのか教えてしまうことになりそうだし、そんなことにはなりたくないんだ。
圭の傷が消えた頃、うわさも立ち消えた頃なら…そうだなぁ、一緒に出かけてもいいかも。
でも、僕の思案は圭の次の言葉であっさりと消されてしまった。
「そう言えば、プールでよく出会うご老人にもこんなことを言われましたよ」
「な、何?」
「『情熱的な恋人のようだね。うらやましい』と。
おそらく、この傷を見てのことだったのですね」
ぎょっとなるようなことを平気で言いだしてくれた。
「そ、それで、君は何てお年寄りの方に返事したんだい?」
「もちろん、『恋人は大変愛情深くて素晴らしい人です』とのろけておきましたよ」
・・・・・・・・・・・・・・・うわぁっっ!
絶対に、僕はそこのプールには行かない。いや、行けないぞ。
お願いだから、圭。それ以上周囲にのろけて言い回らないでくれよ。
頼むからさ・・・・・。
傷痕
きずあと