語られなかった物語






「たいへん美味でした」

 僕がそう言うと、守村さんは何かもの言いたげな様子を見せて口を開いたが、疲れ果てた目は閉じられ、そのまま気を失った。

 その姿は、傷つき打ち捨てられた白鳥、地上に引きずり落とされた天使。

 眠りに落ちた彼を見て思ったのは、暗い達成感。深淵へと続く門を開いた自虐感。

 僕は守村さんのことを自分と同属の、恋愛対象が同性に限定される人種だと決め付けてみせて彼の耳元にもそんな言葉を囁きながら、彼を抱いた。それも彼に一番むごい強姦という方法で。

 折りひしいだ彼の強情さは、目覚めて僕という人間を再び見たとき、どう反応してくるだろうか。僕をののしるか、それとも無視するか。だが、先ほど見せた内に秘めた頑固さは彼がこのまま僕におびえて逃げるような性格ではないように思えたのだ。

僕は、彼が僕を憎むことで、二人の絆が生まれることを期待した。『憎む』という行為は、そのまま僕の方へ関心を向けてくれるということなのだから。それがたとえ負の感情であったとしても、無視や無関心よりはよほどましだ。僕への言葉が悪口雑言だったとしても、彼が僕を初めて真正面から向き合って見てくれることになるのだから。

 僕は、彼はノーマルなのだろうと分かっていた。川島嬢の話では、長く付き合っていても女性の手も握ってこないということだったが、それは内気でシャイな男であればありがちなことだった。

しかし今夜彼を抱いてみて、その考えが間違っていたのかもしれないのではないかと情報を修正した。確かに締まりはバージンらしいものだったが、一度快感を覚えた後の乱れ方は、まだ経験不足で物慣れないが、まったくの未経験ではないように思えたのだ。男に抱かれたことがあるのではないかと感じさせるような反応の仕方だった。誰かが彼に同性同士のセックスを教えなくてはこれほどに感じたりはしないのではないか?

彼は、僕がカレ自身を慰めなくてもイってみせたのだから。

そして僕は彼に初めての手ほどきをした、その誰かに嫉妬した。

「やはり初めてではなかったですね」

 そう耳元に吹き込んだ。どこかに裏切られた気分があったのかもしれない。彼は誰にも触れられたことがない、手つかずの花ではなかったのかと。

「締まりは初心者のものでしたから、もしや大変なことをしてしまったのではないかと、かなりあせりましたが」

 僕の言葉は彼に混乱を招いたらしかった。守村さんの内部であらゆる言葉がひしめいたあげく、口はぱくぱくと動いてもそこから言葉が出てくることはなかったのだから。

彼は極上の抱きごこちで僕を魅了した。その上、A級の感度だった。あれだけ僕との行為で感じてくれたのだから、僕はこの夜のことを強制和姦だったのだと言い張れるのではないかと思いついた。開き直って、ゲイだと思ったのだと言い張ったら許してもらえるのではないかと、どこかで楽観的に考えていたのだ。

ごく普通の情事のあとだったかのように行動していたのがその証左。

コンビニへ行き、おにぎりと飲み物を買い、日常の態度で彼に接した。今まで彼の顔を見るたびに、心の中で呼びかけていた『悠季』という愛しい呼び名も口に出すことが出来る!などと浮かれ気分になって。

 そして、僕は再度過ちを犯した。僕をなじる彼に川島嬢の言葉を伝えてしまったのだ!

彼女が悠季のことを『ゲイなのかもしれない』と教えてくれて、『頑張って』とハッパをかけてくれたと言ってのけた。そう言えば納得してくれるのではないか?そして、自分が実は男とベッドを共にして快感を得られる、ゲイだったと認めてくれるのではないか?――そう考えていた。

 ところが、だった。

 彼は予想外の行動を取った。マンションから裸のまま飛び出そうとし、逃げ出そうとし・・・・・


階段から落ちた。




 指、腕、肩、そして頭。僕は彼のからだをつかみ触って、この貴重なバイオリン弾きのからだに異常がないのを確かめてほっとした。

 両手に抱え上げて部屋へと戻る間に、彼は気を失っていた。平均的な男性の身長があるにもかかわらず、そして骨格もしっかりしているにもかかわらず、その体重は予想外に軽い。

 僕はパニックになりそうな気持ちを押さえつけつつ、叔父を呼んだ。叔父は八王子に医院を構えており、僕の電話を取ると、大至急こっちに向かってくれる事を承諾してくれた。

 叔父が到着した時、ベッドへと連れ戻していた悠季はまだ気絶から覚めていなかった。

 叔父は悠季の様子と傷から、僕が何をしでかしてこの状態になったのか、気がついていたようだ。僕がしでかした犯罪的行為の証拠、つまり強姦の証を。


叔父は悠季の頭の傷を調べた後、アナルの裂傷の手当てもしてくれた。

悠季は手当てが終わった後、叔父が僕に対してこれからの看護のことをいろいろと説明している時にようやく目を覚ましたが、半ば茫然自失の状態から戻らず、叔父が悠季に問診や質問されたことに対してだけ応答するという態度で、念のためにレントゲンをしたほうがいいというアドバイスについては、返答らしい反応も返ってはこなかった。

叔父は、悠季が僕の身内に診察されているという気まずさを感じて、これ以上のストレスを与える危険を憂えて、あかの他人の医者として振舞ってみせた。そして手当てが終わると、悠季には帰ると告げておいて、僕を玄関の外へ連れ出し、こっぴどく叱責した。

 強姦という行為が、悠季の心身にどんな影響を与えるのか、精神的外傷がもたらす可能性について、実例を挙げてとことんおどしつけられたのだ。

 もしドアを開けてすぐに階段から落ちなければ、あるいは、踊り場から外へと身を投げる可能性もあったのだと。・・・・・無意識のうちに死を願っていたかも知れない、そう知らされて心が凍りついた。

 叔父は帰るときに、もし患者に変調が現れたら連絡するようにと言い置いて帰っていった。悠季は医者が手当てをしていったことに無関心だった。いや、どんな手当てをしてもらったのかも気がつかなかったかもしれなかった。・・・・・当然のことだろう。

 彼は自分への哀れさと事件のショックですすり泣いていた。

「たいした怪我じゃないです。ほんの背中の皮一枚。火曜日には治ってますよ」

 それは自分自身への言い聞かせに近い。彼が泣いているのがそんな理由ではないことは重々承知しているのに。

 彼は強姦されたショックからか、された行為よりも、川島嬢が僕に恋をしていたのに彼女が悠季を男性として見ておらず、彼のことをゲイだと言ったことを気にしていた。

「好き・・・だった・・・・・結婚・・・したかった・・・・・のに・・・・・ぼ、僕・・・・・ノーマル・・・か、彼女・・・」

 彼の中で、強姦されたことはあまりに重くて向き合えなかったのだろう。事件の重要さの順位をすり替えてしまっていた。

「なんてコメディだよ・・・・・」と泣きじゃくっている合間につぶやいていた。

 僕はそこでも卑怯者になってしまった。彼の言葉に乗じて、自分のしでかしたことは棚に上げて彼の失恋を慰めていたのだから。

「きみはたぶん、ピュア過ぎたんですよ。女というものは、そうした純情は理解できないものなんだ。でも、僕にはわかります。きみのピュアさは、よくわかりますよ」

 ええ、ですから僕に心を開いてください。

 悠季は幼い子供のように素直にコックリとうなずいた。

 だが、そのしぐさはあまりにも素直であどけなくて・・・・・。あどけなさすぎて。

「悠季?」

 僕は不安にかられて悠季の顔を覗き込んだ。すると彼は泣き止んでいて、僕が覗き込んでも顔をしかめもしない。視線が遥か先をさ迷っている?

「目がうつろですよ・・・もしもし?ちょっと!」

 肩を揺さぶると、ふわりと柔らかな笑みがこぼれてみえた。だが、その笑みは僕に安堵をもたらすものではなく、さらに不安を掻き立てるものであり・・・・・。

「悠季?おい。おいっ!悠季!?」

 悠季の口元が微かに動いた。だが、その反応の鈍さに僕は先ほど叔父から聞かされた実例の数々が頭に浮かんで、パニックを引き起こした。

「しっかりしてください、悠季!まさか、オフェリアしてしまったんじゃないでしょうね!え!?」

それに答えたのは悠季の笑い声だった!

時と場面にまったく合わず、けたたましく笑い続ける姿は背筋に冷たいものが通り抜けるのを感じさせた。

「悠季・・・悠季ィ!!しっかりしてくれェ」

 僕が半泣きになると、笑いは更に禍々しいものになり、ヒステリックになり・・・・・やがて唐突に止まった。彼のまぶたが徐々に下がり、からだ中から力が抜け、眠りへと落ちていく。いや、むしろ昏睡というのに近い。恐怖にかられた僕は、彼の頬を叩いた。しかし、彼はわずかにうなると、そのまま眠りに落ちていった。揺さぶって頬を叩いて、なんとか意識を取り戻そうとしたが、彼はそのまま深い眠りに堕ち、呼びかけには反応しようとはしなかった。

 僕は今度こそ本格的にパニックを起こした。

 急ぎ叔父の元へ電話をし、この事態について説明した。自分では冷静に話していたつもりだったが、聞いていた叔父には相当混乱した様子に聞こえていたらしい。僕にはこの状態について丁寧に説明をしてくれて、このまま様子を見るしかないことを告げた。

 叔父との電話を置いてすぐのことだった。それまで何の身動きもせず、静かに眠っているとばかり思っていた悠季が突然叫びだしたのだ。

「い、嫌だ〜っ!や、やめろ〜っ!」

 恐怖に満ちた声で叫ぶと、ベッドから転げ落ちた。そのまま飛び起きると、そのまま外へと走り出しそうな気配さえ見せた。僕は急いで悠季のからだを抱きとめた。

 悠季はおびえ、ヒィッ、ヒィッと切羽詰った声で啼き、僕の腕から逃れようと必死で暴れる。目は見開いているが、そこには何も映ってはおらず、僕のなだめる声にも耳を貸さない。

 僕の腕や顔を引っかき、噛み付き、なんとしても逃れようと必死になっていたが、ここで彼を手放すわけにはいかなかった!

やがて、その抵抗は始まった時と同様に突然に止まり、ぐったりと僕の腕の中に崩れこんだ。涙で汚れ疲れ果てた顔で、先ほどのような深い眠りへと戻っていった。

 そこに至って、ようやく、そう物分りの悪い愚かな僕は、初めて自分の犯した罪を心のそこから後悔した。僕は自分の都合のいいことだけで彼を振り回していた。まるで子供のように自分の感情だけで。

このままではもう一生自分を許せないだろうと思った。省みれば、悠季はただの顔見知りに過ぎない男に経験どころか性癖すら持たない身で、いきなり組み敷かれたのだ。あの時の驚きと恐怖はどれほどのものだったか。最初の混乱の去らない内に、初めて知る自分のからだの反乱にまで打ちのめされて、彼のとまどいや悲しみはどれほど深かったことだろうか。

 絶望的な思いの中で、僕は必死で彼の看病をした。何度もうなされて狂ったように暴れた彼を必死で抱きとめ、なだめた。穏やかになるべく優しく聞こえるような声で語りかけ、優しくゆすって落ち着きを取り戻すのを待った。彼の耳元に落としこむ僕のバリトンの響きは、徐々に彼に受け入れてもらえたようだった。

 それでももしかしたらこのまま悠季が死んでしまうのではないか、死なないまでも気が狂ってしまったまま元にもどらなかったらどうしようと心配で心配でたまらなかった。

 飲み物も食べ物も僕ののどを通らず、一睡もせずに悠季を見守った。夜半彼は熱を出し、僕は冷たい水で絞ったタオルで彼の額を冷やし続け、時折暴れる悠季を抱きしめて落ち着かせた。

 窓の外が紫色から薔薇色の夜明けを迎え、梅雨独特のどこか鈍色に褪せた青空に移り変わり、更に沈んだ鉄錆色の夕べに変化していくのをただ目の端に見ただけだった。

 そうなってもまだ悠季は目を覚まさなかった。既にあれから一日が経っている。

 おかげでパニックを起こしたあげく、川島嬢にまで助けを求め平静さを取り戻したという最悪の体たらく。

「責任は取るんでしょうね」

「むろんです」

「守村さんの意思を第一に尊重して、よね」

「はい」

「信用していい?」

「はい」

「その言葉を忘れないでよ。彼はフジミの大事なコン・マスなんだし、それ以上に、まじめで純でやさしい好い人なんだから」

「よくわかっています」

 厳しい目をして念押しをした川島嬢に、僕は噛み締めるようにうなずいて、心に誓った。

 だから、悠季が正常な精神のままで還ってきてくれたことがどれほど安堵し、喜ばしかったことか。

「悠季なんて呼ぶな、変態野郎!」

 僕をののしっているはずの言葉をどれほど嬉しく聞いたことか。

その上、僕の必死の弁明を素直に聞いてくれて、あまつさえ僕の仕出かしたことを許すことまでしてくれたのだ。

例えコンとコン・マスという間柄限定に過ぎなくても。僕はまだ縁が切れずにいることが分かってなんとも言えない安堵さえ感じたのだった。


――それが桐ノ院圭個人との付き合いではないとしても。


その後の日々どんなに自分を抑えるのが苦しかろうとそんなものは自業自得だと分かっていた。でも、だからこそ、後戻りは出来ない。このままにも出来ない。他ならぬ守村悠季自身に許してもらうこと、悠季に僕の思いを受け入れてもらうこと、それしかあの犯罪的行為に意味を与え、彼の味わった悲しみを無駄にしない道は無い。全ては成就のためのワンステップだったのだと信じたい。信じなければ僕はもう一歩も進めない。・・・・・そう思ったのだ。


 そう、その時の僕は。


 子供のような僕はそんなやせ我慢が、後にとんでもない事態になることを・・・・・
まったく分かってはいなかったのだった。















この文章は、「天国の門」を読んだ時に、

本当に読みたかったのはその後のところなのよ〜っ!!
と、心の中で叫びました。
それで自己満足するために書いてみた文章です。 (;^_^A

お目汚しのために、始めは裏においておいたのですが、だんだん裏らしい話が書き溜まってきましたので、この話もHがないのに裏では肩身がせまかろうと思いまして(笑) 表に移動してきました。





2005.8/8 up