十三夜







「ただいまぁ〜〜!」

 伊沢邸の玄関にはしゃいだ大きな声が響いた。

「お帰りなさい、悠季」

 部屋の奥から圭が微笑みながら出てきたが、悠季の手元にあるものを見て眉をひそめた。

「どうしたんですか?そんなにたくさんのすすきを?」

「うん。大学の講師の先生たちの送別会があったんだけどね。留学とか、他の大学に移るとかで何人か・・・・・」

白い穂が悠季の腕の中でたおやかに揺れた。

「その席に沢山のすすきが飾ってあったんだ。それを蘇畑先生が抜いちゃってさぁ・・・・・」

 くすくすと笑いながら続きを話してくれた。ほろ酔いの上機嫌で楽しそうにしゃべってくれたことによると、冗談ですすきを抜いたはいいが、あげくに処置に困った先輩の講師が、そっくりそのまま悠季に押し付けたものらしかった。

「しかし、すすきですよ?バイオリニストの手が持つにはどうかと思いますが。早く僕に渡して下さい。危ないですよ」

「え?ああ、すすきは手とか切りやすい植物だからねぇ。でも大丈夫。ほら」

 根元から茎の途中まで、ぐるぐると新聞紙で包んであった。どうやら誰かにもらった新聞を使ったものらしい。

「僕だって田舎で生まれ育っているんだから、すすきの扱いくらいは知っているよ」

 そういうと、さっさと青磁の花瓶を持って来て中に差してあった花を抜いて改めて水を張ってくると、くるくると新聞を解いてすすきを取り出して花瓶の中へと生けた。そしてそれまでさしてあった花の中で合いそうな花を数本加えた。

「ああ、綺麗ですね」

 ただのすすきだけでは寂しかったが、小菊や竜胆を加えるといかにも月見という風情が出来てくる。

「今夜は十三夜だからね。後見の月というわけさ」

 こんなものもあるし・・・・・。と笑いながら悠季のポケットから出してきたのは天津甘栗。これも土産に持たされたものらしい。

「栗名月って言うらしいよ。ちょっといいだろう?」

「ずいぶんご機嫌ですね。かなり飲んだのですか?」

「いや。さすがに明日はレッスンがあるからね。そんなに飲んでないよ。むしろもう少し飲み足りないくらいかもしれないよ。ねえ、どう?」

 いつもの真面目な悠季ではやらないような子供っぽく甘えたしぐさはほろ酔いのせいだろう。圭が思わず頬を緩ませると、それを承諾ととったらしい。

「じゃあ、飲みなおししよう!この前頂いた大吟醸があるし、これが酒の肴になっちゃうし。後見の月見をやろうよ!」

 鼻歌でも出そうな機嫌の良さで、菓子皿を食器棚から取り出すと無造作に甘栗を盛り、カラフェに大吟醸を注ぎ、硝子の切子細工の小ぶりなグラスを二つ取り出した。それらをお盆の上に載せると、二階へと運び始めたがどこか危うい。

「僕が運びましょう」

「え?いいよ。これくらい運べるさ」

 だが、さほど酔っていないと自分では思っているらしいが、脇から見ているとどうにも足元がふらついているようで見ていられない。

「月見をするつもりなら、軽くシャワーを浴びて着替えてきたらどうですか?その間に僕が用意しておきますから」

「う〜、・・・・・分かった」

 ちょっと不満そうに口をとがらせたが、それ以上はゴネずに寝室へと着替えに向かった。

悠季の愛らしい言動に圭の目が細められた。こんな悠季を見られる時というのは、例え酒を勧めて酔わせたとしても、そうそうあるものではないではないか?

 

「ああ、いい月だねぇ」

 悠季はフランス窓を大きく開けると、流れ込んできた涼やかな夜風の心地よさに目を細めた。

 二人が月見としゃれ込んだのは、二階から外へと通じるベランダの一角だった。家の中からラグマットを引っ張り出し、寒さに備えて毛布も用意した上で準備万端、いざ月見と相成った。

 肩を寄せ合い、一つの毛布を二人で分け合って、グラスに酒を注ぎ、軽く触れ合わせて乾杯とした。仲秋の名月は有名だが、日本では九月には月を見ることが出来ないことが多い。秋霖に入っていることが多いからだ。むしろ十三夜の方が綺麗に見られる確率が高い。秋が深まって空気が澄んでくるせいか月の光まで強く透明になっている気がする。どこの庭に咲いているのか、風に乗ってふわりと金木犀の匂いがした。

この香りが漂っているといかにも秋という感じがする、と悠季は思った。空を見上げれば月は少々真円に足りない形でくっきりと夜空に浮かんでいて、そろそろ中天にかかる頃合い。

深夜、月を二人だけで独占しているように思えるこの時間はとてもぜいたくだ。カラフェに入れておいた酒はするりとのどを通り、ほろほろと心地よい酔いをもたらしてくれる。差しつ差されつしていくうちにあっという間に酒が尽きようとしていた。

「いつまでも月を眺めていないでください。あまり月を見つめすぎると月に帰って行きそうで心配になります」

「嫌だなぁ。僕はかぐや姫じゃないよ」

思わずぷっと吹き出した。

「そのイメージは君には充分ありますよ」

 圭はまじめな顔でそう言ってのけて身を乗り出してくると、悠季の唇にそっと唇を触れ合わせた。しっとりと重ねられた唇は彼の唇を何度かついばむと、一つ吐息をついて離れて行った。

 悠季は圭の唇の酒の味と、自分の唇の酒の味とが微妙に違うことになんとはない不思議さを感じながらされるがままに口づけを受けていた。

「おや、こんなところに傷が・・・・・。どうやら先ほどすすきを持って帰る時にでも切ったのですかね」

「え?そうだった?」

 悠季はあわてて自分の両手を確認した。けれどどこにもそれらしい傷は見当たらなかった。

「ほら、こちらですよ」

 圭の舌がちろりと悠季の頬を舐めた。

「えっ?」

「消毒しておきましたから」

「嫌だなぁ」

 悠季がくすくすと笑い出した。

「そんな消毒よりも効くものがあるよ」

 そう言うと、いたずらっぽい目をして両腕を圭の肩に投げかけて頭を引き寄せ、自分から圭の唇に自分のそれを押し付けた。圭が驚いているスキにするりと舌を差し込んで圭の口腔内の性感帯を探り舌を柔らかく噛んで吸いねぶってくる。

 一瞬目を見張って驚いていた圭だが、そのまま悠季の好きなようにさせると自分も積極的に楽しみ始めた。

「・・・・・どうだった?」

 少し息を弾ませながら、悪戯っぽい上目遣いで聞いてきた。

「大変ブラボーでしたが、これが消毒よりも効くのですか?」

「そりゃあね。こうやって我を忘れていれば痛いのなんて忘れちゃうだろう?」

「なるほど。では、僕も治療に協力しましょう」

 そう言うと、圭も悠季とのキスを再開し楽しみ始めた。左手で彼のからだを抱き寄せると、右手ではシャツのボタンを器用にはずしてするりと中に手を差し入れた。

「ん・・・・・ん。圭、ここは外だよ・・・・・?これ以上は・・・・・だ・・・・・め」

「・・・・・しっ。黙って・・・・・」

 いたずらな手はゆるゆると悠季のからだ中をまさぐって、すべらかな肌理の心地よさを堪能した。愛らしい胸の蕾を撫で回したりつまんだり、敏感なわき腹をくすぐり、背中の感じやすいところをそっとなで上げて悠季から熱いため息を引き出した。

「このままここでがいいですか?それとも中で?」

圭が耳元でささやいたが・・・・・返事が無い。

不思議に思って顔を覗き込むと、悠季はいかにも満ち足りて気持ちよさそうな顔ですやすやと寝息を立てている。

「悠季・・・・・それはないと思いますが・・・・・」

 はあっとため息をついた。しかし彼のあまりにも幸せそうな寝顔を見ていると、無理に起こす気にはならなくなった。

たまには、こんな晩があってもいいだろう。

そう思うことにして、ため息をもう一つついて諦めた。

 圭は良い宵を過ごさせてもらったお礼にと、切子グラスに残っていた酒を月に掲げてみせると、そのまま一気に飲み干して盆に置いた。

 悠季を抱き上げて起こさないように家の中へと運び入れた。彼はベッドに入れて毛布をかけても起きず、そのままぐっすり眠っていた。

 グラス類を片付け、窓を閉めて楽しませてくれた月を締め出すと、圭もベッドの中にもぐり込んで悠季を抱き寄せた。

「楽しかった月見の宵に免じて今夜は何もしませんが、このツケはいずれたっぷりと覚悟していただきますよ」

 唇に一つキスを落として自分も目を閉じた。

 窓から寝室の中を眺めていた麗しき月の女神(ディアナ)はきっと苦笑しながら、悠季の身を案じてくれていることだろう。

 

 



 

さて、その翌朝のこと。

月見の途中で眠ってしまった悠季は、圭に平謝りとなった。

「誘っておいたくせに、僕の方が眠っちゃうなんて最低だよなぁ」

「いいえどういたしまして。君の愛らしい酔っ払いぶりを見られただけでも幸運でしたからね」

「うっ・・・・・。そんなに僕ってクダをまいていたのかい?」

 だが、圭は微笑んで見せると、それ以上のコメントはしなかった。

悠季は昨夜放り出したままだった食器の類を片付けると、今度は何を思いついたのかあちこちをごそごそと探しまわり始めた。

「圭、昨日すすきを巻いて持ってきた新聞だけど、どこに置いたか知らない?」

「ああ、あの新聞でしたら濡れて破れているようでしたので捨ててしまいましたが」

「え〜っ!どこに?」

 圭は外を指差した。

「今日は回収日でしたからね」

 外の道路から回収車が来ている音がしていた。

「うわ〜っ、しまったなぁ」

「どうかしたのですか?」

「うん・・・・・。実はあの新聞、講師仲間の先輩が『守村君、ぜひ君はこの記事を見ておいたほうがいいよ』と言って渡してくれたものだったんだ。どんな記事が載っていたのかだけでも知りたかったんだけどなあ」

 肩を落としてため息をついた。

「酒の席で渡されたのでしたら、別にまじめに読んでいかなくてもいいものなのでは?」

「うーん、それはそうかもしれないけど・・・・・」

「ああ、そういえば見出しの中に肩こり予防の体操らしいものが載っているのを見かけましたが、それではないのですか?」

「へえ?あの先生がそんな親切なことを教えてくれるかなあ?どちらかというと下ネタが好きな人なんだよ?」

「後はさほど目立つ記事はなかったと思いますが・・・・・。ああ、もしかしたら最後のページに載っていた女性の写真を見せたかったのかもしれませんね。ちらっと見ただけでしたが、子供のような顔にスイカのような胸をしているモデルが・・・・・」

「わ〜〜っ!ストップ!それ以上言うなよ!確かにそんな写真が載っていた気がする。新聞に載せるにはあまりに露骨だなぁと思ったからちらっとしか見なかったけどね」

「もしどうしても気になるようでしたら、僕がどこかで手に入れてきますが?」

「あー、いや、いいよ。どうせ酒の席の座興だろうから」

 悠季はそれ以上この話を続ける気はなくなったらしく、大学へ行く準備をするとさっさと玄関で靴を履き始めた。

「じゃあ出かけてくるよ。今夜は何が食べたい?昨日のおわびに腕によりをかけてご馳走するよ」

「それでは、魚の塩焼きが食べたいですね。魚の種類はお任せします」

「ん、分かった。じゃ行ってくるね」

「いってらっしゃい」

 チュッと出がけのキスをすると、悠季は早足で大学へと出かけた。

 それを見届けると、圭は音楽室に引き返し、引き出しの中からくだんの新聞を取り出した。

「どうやらまたおせっかいな先輩がいるらしいが・・・・・」

 眉をひそめるとため息を一つ。

 圭の手の中の新聞には、こんな特集記事の見出しが躍っていた。

 

《秋が深まるこの季節、残すはクリスマスや忘年会など楽しいことばかり♪
でも、あなたの恋はどうですか?
素敵な女性が大勢集まっているデートクラブを一挙大公開!
あなたのタイプにぴったりの女性もきっと見つかるはず☆この機会にぜひ出かけてみてはどうでしょう?》

 

「また一人、他所に転職させる必要のある人物が現れたのだろうか?」

 ぽつんとつぶやいた。

 

 どうやら圭の苦労(?)はまだまだ続きそうである。














伊沢邸にベランダがあるのか無いのか、原作に出ていないので(多分)分かりません。
でもあれだけのお屋敷なのですから、ベランダの一つや二つ(?)はあるだろうと思って書いてしまいました。
それにしても、たまにHに走らない圭を書くと、どうしてこうも違和感があるのか・・・・・。(苦笑)









2005.10/12 up