幕 間

 Intermedio










到着しましたよ。大丈夫ですか?悠季」

「あ・・・うん、大丈夫だよ・・・」

 悠季は半ば朦朧となりながら別荘に到着した。エアカーの中で、急に高熱を出してしまっていたのだ。

エアカーから立ち上がろうとしてかくんと膝がくずれてしまった悠季を横抱きに抱き上げると、圭はそのまま寝室へと運び込んでまめまめしく世話を始めた。

悠季は小さな声で『大丈夫だから医者はいらない』と言い張っていたのだが我慢をしているとしか思えず、不安を抑え切れなかった圭は緑簾で開業している叔父で医師の晃嗣氏を呼び出した。

この別荘にも『セーシュー』(家庭用医療装置)が用意してあって簡単な医療行為は出来たのだが、圭は悠季の体調というより精神的な状況を心配したのだ。

晃嗣氏は熱で朦朧となっている悠季の話を何とか聞き取り、圭からも事情を聞いてこう結論を出した。

「大丈夫。彼の精神は柔軟でこんなストレスには折れたりしないさ。しばらく静かな生活を続ければ、元通りになれる。

確かに普通ESP能力者というのは、他の人間との対人関係に多大なストレスを感じるものだが、彼の場合は神経がかなり強靭なようだ。これは彼の得意な方面が植物の方を向いているからかもしれないね」

そう言うとも周囲を見回しながらうなずいた。

「この場所はとてもいい。彼を癒すには最適だよ。鎮静剤もいらないだろう。

一応熱さましと栄養補給だけを処置していくよ。よく寝てよく食べて気楽にしていること、だな。あとは・・・あまり彼の安静を妨げるようなことはするなよ、圭。よく眠ることが一番の薬だからな」

晃嗣氏はそう言うと、甥の圭をからかいながらも一声釘を刺して帰っていった。どうやら彼は圭と悠季の間柄について前々から気がついていたらしい。 

そうして、数日の間圭が付きっ切りで看病していた。回復に一番の薬はよく寝ることと医者が言っていたとおり、悠季は食事以外のほとんどの時間をベッドでうつらうつらと眠って過ごしていた。




悠季が目を覚ましたそこは森の中の一軒の家で、J・ベック氏の個人的な録音スタジオとなっており、ここには部外者は誰も入って来られないという事だった。

「ここのスタジオに入ってくる方法は入り口しか不可能なのですよ。周囲は深い森でして、その上セキュリティがしっかりしているので、よそ者は入れないのです。

入り口から訪問といってもセキュリティ・パスを持っていて前もって伝えておいた用件を持つものしか入れませんし、安全という面ではこれ以上はありませんね。人の出入りが少ないということは悠季にとっても、これほど気持ちのいい場所はないでしょうから」

圭が安全を保障してくれた。

悠季は体力が回復すると、延原さんから届けられたバイオリンに向き合い、自分一人で格闘することになった。

宿題は、『CDを一枚作ってエミリオ先生に提出すること。

曲目を自分で考えて決定し、演奏を仕上げる。伴奏はJ・ベック氏の信頼がおける友人の三条さんに頼んで仕上げる。それも普通にCDショップで販売しても恥ずかしくない出来の作品を作り上げて提出すること』だった。

悠季は弾くことが出来なかった数日間を取り戻すようにバイオリンにかじりつき、なまっていた腕をとりもどすことにやっきになっていた。

この宿題がこの後どういう結果になるのかは考えなかった。エミリオ先生が何を望んでこの宿題を託したのか・・・。

今はただバイオリンが弾けることだけが嬉しかったのだ。

そんな毎日を過ごすうちに、あのリゾートホテルで過ごしている間にピリピリとしていた緊張が少しずつ溶けていくのを感じていた。

裁判まで平常心のまま過ごしていけるかどうか不安だった悠季は、これもエミリオ先生の深い考えだった事にようやく気がついたのだった。

曲目や演奏については、時々やってきて様子を見ていく圭に意見を聞いたり、三条さんと仲良く相談しあるいは声高く喧嘩しながら仕上げていき、一曲ずつ録音していく。

そうして、バイオリンを弾くことに疲れると、【暁皇】にいた時のように圭と一緒にスタジオの周囲を散歩した。森は広くて深く、恒河沙に住んでいた頃の森に似ているのがひどく懐かしい。

まだ体調が万全ではないという口実のもとに差し出された手をとって、二人して手をつないで歩く。それだけで胸の中に満ちていくものがあるようだった。

やっと余裕をもって演奏に専念できるようになると、ふとした瞬間にあの【暁皇】で素人の人たちが奏でる富士見二丁目交響楽団の音色が、そして圭の指揮が懐かしく思い出されてならなかった。

いつかまた【暁皇】に戻って、フジミで演奏したいなぁ・・・!

そんな言葉もまた胸に宿る。

そして、もうひとつ。この裁判が終って、きちんと決着が付いた時、改めて言おうと思っていた言葉。


圭と・・・・・一緒に【暁皇】で暮らしたい、と。


もっともこの裁判で全ての秘密が明らかになった後で、まだ彼が愛想をつかしていなければ、という但し書きつきの気もしていたけれど。







その朝、悠季は久しぶりに朝から起きだし、シャワーを浴びて着替えるとテラスに置いてあるガーデンチェアへと座った。

「今日の朝食はここで森の風景を眺めながらにしましょう」

圭はそう言うと気に入りの席に朝食を用意した。

「ああ、気持ちのいい朝だねぇ。緑が近くにあるとほっとする」

「ええ、そうですね。君にとっては植物が沢山あるだけで、気持ちが楽になるようですね。落ち着いたようで、僕も安心しました」

「うん、大きな木の波動というのは、どっしりとしていつも穏やかなんだ。そばにいるだけで保護してもらっている気がするよ。とっても安心できて大好きなんだ」

「・・・なんだか妬けますね、君の口からそんな話を聞くと」

「君は森の木にまで嫉妬するのかい?」

「ええ、僕は君に恋している男ですから」

「まーたまた、君の褒め殺しが始まったよ」

微笑みながらそんな圭の言葉を冗談だと聞き流す。

トーストに牛乳とオレンジジュース、スクランブルエッグにグリーンサラダ。気の置けない会話を楽しみながら食は進んだ。

朝食を摂ったあともコーヒーを前にして二人はゆったりとした時間を楽しんでいた。悠季はしばらくためらった後こう話を切り出した。

「ねえ、圭。僕は今まで君に隠し事だらけだったし、今もいろいろな問題を抱え込んでいるけど、どうして気持ちがかわらなかったんだい?とっくに愛想がつきても仕方ないと思ってたよ。こんなに面倒な男を相手に恋愛をしようと思うなんてすごく不思議なんだけどね」

「どうしてかと言われても、君に最初に出会ったときから僕は君が欲しくてたまらなかったのですよ。恒河沙で会った時の話ではありませんよ。那由他の【ハウス】で初めて会った僕が八歳の時からです。

だから肉体的に君が欲しかったという即物的なことではなく、君の全部が欲しかったということです。もうこれは子供の我が儘のレベルなのかもしれませんがね。どうしても君が欲しかったのです。

それまでの僕は運命という言葉には胡散臭いものを感じていましたが、君に恒河沙で再会した時には、運命という言葉を素直に受け入れていました。本当にいるかどうかも分からない、『神』という存在に、感謝を捧げていましたよ。

ねえ悠季、君が深刻に考えていた隠し事とは、僕にとってはむしろ他愛ないものです。僕やパパエミリオを傷つけまいとしての隠し事であれば、怒ることではないでしょう?あー、いや、みずくさいとは思いましたし、心配をかけたという点では十分に問題ですがね。

君の様々な問題というのも、僕にとっては今ここにいる君自身を形成してきたということで、必要だったのだと思っていますよ。つらいことも、切なく悲しいことも、全てが今の君を形作っている。正幸くんには申し訳ないが、彼が君を守って僕のところに連れてきてくれたのだと感謝していいのではないかと・・・思っているのですが」

「そうだといいのだけれど・・・」

悠季にはそこまで割り切れない。けれどそれ以上思いつめることはやめにした。

「まだ何か心配があるのですか?」

「あのね、僕が汎同盟に所属する惑星の出身だとして、本当に僕の身元は分かるのだろうかと思ってね。僕の家族は誰か生きているのかなぁ?」

「気になるのですか?」

「うん、自分のアイデンティティだからね。家族が誰か一人でも残っていて欲しいと思っている。僕がどこで生まれてどこで育ったのかとか、父と母の名前が知りたいんだ。僕を連れての旅行中に襲われて、僕を庇って亡くなった人たちのことを知りたいと思う。そのとき初めて地に足がついた気分がすると思うんだ」

「汎同盟の調査は徹底的なものです。きっと見つかりますよ」

圭はやさしい声でそうなだめてくれる。

「そうだといいけど・・・」

「ねえ、悠季。この裁判が終わった時には、・・・どうか僕のプロポーズを受けていただけませんか?」

「プロポーズって・・・?」

「ええ、どうか僕と結婚していただけませんか?」

圭の言葉が心からの言葉なのだと、彼の表情が雄弁に教えてくれた。

「えーと、あの・・・僕は男だよ?桐ノ院コンツェルン総帥の連れ合いが男では、問題が起きるんじゃないのかい?」

「大丈夫ですよ。君に承知していただく為に今まで【暁皇】の中で反対するもの達を必死で説得していたのですから。今はもう問題はありません。【暁皇】は君を喜んで迎え入れてくれますよ。

それから・・・ああ、これは言わないことはフェアではないので、きちんと言っておきますが。

君を欲しがるものはこれから続々と出てきますよ。君は惑星『藍昌』や『菫青』に大きな人的ラインを持っている。これは宇宙交易をしているものにとっては計り知れない価値を持つものです。契約を持ち込むものや僕のようにプロポーズする者までありとあらゆる申し込みが来ることでしょう。

ですが、僕が君にプロポーズしようとしているのは、あくまでも君と一緒になりたいという気持ちだけです。分かっていただけますね?」

「うん、君がそんな欲得ずくの申し込みをする人間でないことはよく分かっているよ」

悠季はにっこりと笑ってうなずいたが、圭の言うところの『自分を欲しがるものが現れる』という言葉は単なるお世辞と鹿思えなかった。

「では・・・僕のプロポーズを承諾していただけますか?」

悠季は困ったように目線を揺らしていたが、うつむいてこう答えた。

「・・・圭、それは・・・もう少し待ってくれないか?この裁判で僕の証言を終えて、全てが終って決着がついてから考えたいと思っているんだ。それまで僕に時間をくれないか?」

「ええ、構いませんよ。君の答えが『ノー』でない限り、僕は待っていられますので」

「うん、ありがとう圭。・・・好きだよ」

 圭は悠季をそっと抱きしめると、額に優しく口付けた。

それから、耳元で小さくささやいてみせた。

「ねえ、悠季、でしたら、今日このまま・・・?・・・・・・・・いかがですか?そして・・・・・・・」

彼の密着したからだが、何を言いたいのか知らせてくれた。

「・・・ばかっ!信じられないやつだな!」

圭の言葉を耳にして一瞬にして真っ赤になった悠季は彼を突き放すと、ずんずん部屋へと戻りだした。嬉しそうに笑った圭がゆっくりとその後に続く。

「拒否されないのでしたら、この件に関しては承諾していただいたと思ってもよろしいですね」

「知らないよっ!」

部屋の外へと逃げ出そうとする悠季を圭が捕まえた。

「待ってください!悠季、ここで逃げ出されては困ります」

「だったら恥ずかしいことを言うなよ!」

「これは僕の愛情表現のごく一部ですよ。それでは、心に浮かんだ言葉を全て今ここで言ってみましょうか?」

とんでもない!と悠季がぶんぶんと首を横に振った。思うがままに言わせておいたら赤面していたたまれなくなるだろう。

「では、一言だけ。・・・愛しています、悠季!」

「・・・うん、僕も・・・好きだよ!」

自然に両手が相手のからだに回され、きつく抱きしめあって、唇が重なる。

やわらかなキス、強引に悠季を誘い込むキス、そして官能を誘う熱いキス・・・。

「・・・ん。・・・ああ・・・!朝っぱらから・・・こんな・・・!」

「さあ、ベッドへ行きますよ」

悠季のからだが熱を帯びて、くたりと力が抜けた。圭はそのからだを抱きあげて寝室へと運び込み、そのままベッドへとダイブした。

「せ、せめてブラインドを下ろして暗くして・・・っ!これじゃあ明るすぎるよ・・・!」

「ノー!暗くして君が見られなくなるなどもったいない!・・・ああ、しかし誰かに見られては困りますね」

圭は急いで偏向ブラインドを操作して外からは見られないようにと窓を調整した。そうしてから改めてベッドの上の悠季を抱きしめた。悠季もおずおずと両腕を伸ばし、圭の頭を抱き寄せた。圭の手は確かにここに彼がいることを確かめようとしているかのようにからだのあちこちを巡っていく。

悠季のからだはしっとりと湿り気を帯びて圭の手のひらに吸い付くように馴染み、彼の愛撫を歓迎するかのように熱くなっていく。白いシーツの海に浮かべられた悠季は、徐々に快感の波にさらわれて官能の深みへと溺れ沈んでいった・・・。

「ああ、圭、け・・・いっ!あ、愛してるよ・・・!・・・も、もっと・・・っ!ああっ!」

「愛しています、悠季!」

 互いのからだが溶け合い混じりあってしまったかのような錯覚さえ感じる瞬間。揺り返し揺り戻す波のような快感の狭間で、悠季は全てをさらけ出して愛し愛される喜びをむさぼっていった・・・。







 こうして悠季は録音スタジオに隣接しているJ・ベック氏の別荘に滞在し続けている。

エミリオ先生が命じた宿題と、もうすぐ始まる裁判の証人としての安全を考えてここが選ばれ、極秘に保護されている。

もっともセキュリティについては信頼している圭に全面的に任せてしまい、悠季は自分の身の安全について気にもとめていなかった。バイオリンの演奏に没頭する事で他の余地など入らなかったのだ。

圭は悠季の演奏録音に協力や助言をするという名目で泊り込んでいた。【暁皇】での業務はこの場所からすべて連絡していたのだが、有能な秘書がいたからこそのものだった。


「・・・ん・・・」

 悠季がため息をついて、寝返りを打った。

「悠季、そろそろ起きられますか?」

バスローブ姿の圭が、申し訳無さそうな顔で悠季を揺り起こしている。

「・・・うん、もう起きないと・・・あの曲を今日こそは仕上げるつもりだから・・・」

悠季の言葉の後半は、そのまま寝息の中に消えていく。

「僕が起こさないと、また君は『なぜ起こしてくれなかったんだ!』と怒るでしょう?さあ、もう起きましょう」

「・・・キスしてくれたら起きる・・・」

圭は喜んでその申し出に従って、朝からするには濃厚すぎるキスを贈った。

圭が身を起こすと、いかにも気だるげな様子で悠季がベッドの端に座り込んだ。昨夜の情事が色濃く残ったからだには点々と赤い所有印・・・。

「君が協力するっていうのは、半分は邪魔が入っている気がする」

そんなふうに悠季はぼやいて言った。

「・・・すみません」

圭が大きなからだをすくめて恐縮してみせた。

確かに1度バイオリンに熱中すると寝食を忘れて没頭する悠季には、そばにいて面倒をみてくれる人間が必要だったし、事実圭がまめやかに気を配っていると悠季の体調も整っていく、しかしだからといって、疲れ果ててしまうまで付き合わされる身としてはなんとも問題だった。

楽しそうな様子でかいがいしく世話を焼き、悠季の録音体制に協力する毎日・・・のはずが、時々暴走することもある。

いつもなら朝早くに起きてジョギングに出かける悠季が午前中起きられなくなることもある・・・となれば、これは邪魔をしているとしか言いようがない。圭も重々反省しているらしいが、歯止めが利かなくなってしまうのは困った事ではあった。

「ですが、相思相愛になったばかりの恋人同士なのですから、少しは大目に見ていただかないと」

「・・・開き直ったな」

くすくすと悠季が笑い出してしまった。その笑顔の穏やかさ。

悠季が健康を取り戻したことでほっとしたのは、圭とエマとどちらが上だったろうか。軟禁生活を続けている間中まるで保護者のように悠季に付きっ切りで緊張していたらしいエマは、ここに来て悠季の下を離れて森の中へと遊びに行くことが多い。

感合相手が目を離しても大丈夫だと分かって、今度は自分のストレスを解消しに出かけているらしかった。






悠季が隠れ家でCD製作に没頭し、圭との甘い日々を過ごして元どおりの健康を取り戻していた頃、ついに例の裁判が開始されていたのだった。